合鍵

 タッパーの中のクッキーを取ろうとしたら、やんわりと手を掴まれて阻止される。

 そうしているうちに私の手を掴んでいないもう一方の手が素早くタッパーからクッキーを取っていった。

 残り枚数は一枚、今日は十五枚ほど持ってきたはずなのだけど、私はまだ一枚も食べていない。

「おい」

「ん? ……なに?」

 咀嚼音の後に少しだけ甘さを含んだ声が後ろから聞こえてくる。

「この際、半分ことは言わないから一枚くらいは食わせろ」

「んー、いいよ」

 と、答えられたが声の主は最後の一枚をサッと取ってしまった。

 このやろう、と思っていたらクッキーが自分の口の前に。

「はい、あーん」

「…………」

 仕方がないので口を開けると、口の中にクッキーが。

 うん、味は普通、美味しい。

 咀嚼していたら両腕がこちらの腹に回って抱きしめられる。

「……なあ、いい加減これやめないか?」

「は? なんで?」

「なんでって……」

 周囲を見渡す、公園で遊んでいる子供達やその母親達、そこらへんの中学に通ってる不良少年達、OLさんぽい美人なお姉さん、穏やかそうな老婆がサッと視線を逸らした。

「完全にバカップルを見る目で見られてるんだが?」

 というかこの前こいつが来なかった日に一人でお菓子を食べてたら、おませさんな小学生から「いつも一緒にいる彼氏さんはどうしたの?」とか「どうすればあんな風にらぶらぶになれるの」とか質問攻めをされたので、思わず気が遠くなりかけた。

 あと、その小学生に少し話を聞いてみたら、私達はこの公園に出没する名物バカップル扱いされているらしい。

 付き合い始めたのは三週間ほど前だったはずなのに、何故もう名物扱いされているのか。

 それはひとえに、自分を膝の上に座らせて背後から抱き締めてくるこの男のせいである。

 付き合うということになってから、とにかくこの男はひっついてくるようになった。

 こうやって膝の上に乗せてみたり、図書館で本を読んでいれば唐突に手を握ってきたり頭を撫でてきたり、閉館時間になって家に帰る時には「送ってく」と強制的に手を繋いできたりと。

 牽制のつもりなのかただくっついていたいだけなのか、とにかくスキンシップが激しい。

 そりゃあ名物扱いされてもおかしくはないのかもしれない。

「別に良くない? お前、他人からどうみられても気にしないじゃん」

 とかなんとか言いながら余計にひっついてくる。

「それはそうだけど……ちょっとあつくるしいんだよ」

「は? 我慢しろよ」

「というかなんでこんなひっついてくるんだ?」

「こうしてるとストレスが解けるから。ここのところ色々キツくてさ」

「またなんかあったのか?」

「いや、特になにも。ただここのところやけにクソどもの声が響くというか……過敏になってるというか……」

「はあ……お前さあ、家でそんなストレス抱え込むくらいだったらいっそ一人暮らしでもはじめれば? ちょっと前に結構稼いでるとか言ってたよな? それなら『自立したいんです』ってキラキラお目目で言えば許してくれるんじゃないか? 家では優等生演じてるんだろ? なんかそれっぽいしいけるだろ」

 なんてテキトーなことを言ってみたけど、実際こいつはもうさっさと自立して毒親から逃げた方が身のためだと思う。

 それに、ストレス解消のために私にひっついてくるというのであれば、そのストレスの元がなくなればここまでひっついてくることはないだろう。

 今はまだいいけど、夏になってからもこれが続くのはちょっとご勘弁願いたいので、是非ともこいつにはストレスフリーな生活を送ってほしい。

「…………その手があったか」

 後ろから聞こえてきたのはそんな間の抜けた声だった。

「その手があったか、って一回も考えたことなかったのか?」

「うん、そもそもその発想がなかったというか……そうか、ソレいいな、採用」

 とかなんとか言いながらぎゅうぎゅう抱きしめられる。

 痛くはないけどちょっと苦しい。


 あいつはすぐに一人暮らしを始めた。

 父親からも母親からも大反対され、妹が大泣きしたせいで弟に静かにキレられたらしいけど、随分頑張って交渉して一人暮らしする権利をもぎ取ったらしい。

「すっごい疲れた、疲れたから癒して」

「そんな無茶振りをされても……」

 正面からぎゅうぎゅうに抱きしめられてるせいで身動き一つできないのでどうしようもないのだけど、これ以上どうしろと?

「無茶じゃない、しばらくこのままでいて……」

 蚊が鳴くような声だった、これはちょっとやばいかもしれない。

 なので落ち着くまでおとなしくしておくことにした。

「とりあえず、お疲れ様、そしておめでとう」

「うん」

「ストレス減るといいな」

「うん」

「少しは楽になったか?」

「うん」

「そろそろ離せ」

「いや」

 その後は何を言っても反応が返って来なかった。

 公園にやってきた不良少年達がこちらをみて凄い気まずそうな顔で去っていった、なんか申し訳ない。

 それからしばらくしてやっと離してもらえた。

「やっと気が済んだか」

「正直言ってまだ。けど楽にはなった」

「そうか」

 表情は穏やかになったし声の調子も戻ったようなので、ひとまずは安心する。

 そういえば今何時だろうか、と時計を確認しようと思ったら片手を掴まれた。

 何か硬いものを握らされたので見てみたら、小さな金属片だった。

「は? 何?」

「鍵」

「どこの?」

「俺んちの」

「え? いや、いらないんだけど」

「持ってろ。失くすなよ」

「いや、だからいらな」

「いいから持ってろ」

 返そうとしたのに断固として受け取ってもらえなかった。

 手のひらの金属片を見下ろして、思わず溜息を吐いた。

「……わかったよ、持ってる。でも私が持ってる意味ないと思うぞ。そもそもお前んちがどこにあるのかも知らないし」

「ここからそう遠くないよ。なんなら今から来る?」

 にこり、と笑いかけられたので、少しだけ考える。

「特に用もないから、また今度で」

 そう答えたら奴は笑みを消して大きく舌打ちをした。

 ひょっとして、遊びにきて欲しかったのだろうか?

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