第125話 階層主
5分とかからずに悲鳴が聞こえた場所までたどり着く。先行していたガルフさんが一番に
「なっ……!?」
濃い血の匂いがした。少し先には事切れたように地面に横たわる探索者。そして、目の前には悪夢のように禍々しい化け物がいた。
果たして、その
「ウォォォォオオオオォォォフ!!」
黒紫の艶やなかな毛並み、その体躯は山を相手にしているような感覚に陥るほど大きく、高圧的な雰囲気を放っていた。何よりも特徴的なのはそのモンスターの頭が三つあること。それぞれ独自の思考を持ち合わせているのか、頭一つ一つが明確な意志を放っている。
所謂、
目の前のそいつがこの第50階層を支配する主と呼ばれるモンスターであった。
運悪く階層主と遭遇し、なし崩し的に対峙していたパーティーは二つ。一つは階層主と出くわしたパーティー、もう一つは僕たちと同じように悲鳴を聞き付けたパーティーだろう。
「たっ、助けてくれぇぇぇえ!!」
「うわぁぁぁあああッ!?」
「グルゥアアアアアア!!」
絶叫、悲鳴、怨嗟、様々な感情の声が綯い交ぜになって響く。
目の前で何が起きているのか、咄嗟に判断できない。無惨に、無慈悲に舞うソレをただ呆然と見ていることしか出来ない。時間が停滞していくような微睡む感覚。
宙を舞っていたソレが無情にも地面に叩きつけられたのを認めて、ようやく一つの感情が沸き起こった。勝手に体は動きだす。
「ッ……お前!!」
「俺が
「直ぐに治療します!!」
「チッ……
「援護します!!」
他の全員も同じようだった。特に示し合わせたわけでもないのに、今できる最善の行動に各々移った。
先に階層主と対峙していた二つのパーティー計10名、その半分が瀕死状態。戦況は崩壊寸前だった。
「た、頼むッ!!」
「少しだけ回復する時間をくれ!!」
「し、死ぬかと思ったッ!!」
今まで何とか前線を維持していた探索者達と入れ替わるように僕とグレン、ガルフさんは階層主の前へと躍り出た。
鞘に収められた〈
奥底から沸き起こる感情を戦う力に変えて、大きなタメを作る。
────鑑定……。
「傾注ッ!!」
グレンが走る速度を一段階上げて、我先にと前に出た。彼がスキルを発動させて階層主の
────────
レベル7
体力:3200/3200
魔力:1280/1280
筋力:4293
耐久:3548
俊敏:4012
器用:2896
・魔法適正
火 風 土
・スキル
【強者の咆哮 Lv3】【地獄の鎌 Lv2】
【勇猛なる牙 Lv3】
・称号
─────────────
───これがレベル7だって?前に戦った〈
視界端に映った階層主───〈
既に戦闘対象を僕達へと切り替えた〈三首の地獄番〉はその前足を振りかぶって、勢いよく踏みつけるようにグレンへと攻撃した。
鋭い踏みつけ攻撃と迎え撃つグレンの大盾がぶつかり合った。
「グルゥアッ!!」
「うぉっ!?一撃が重いなあッ!!」
瞬間、甲高い激突音と彼らを中心にして激しい衝撃波が起こる。その爆音と衝撃に、勢いよく攻撃を受けに行ったグレンの安否を心配するがそれは杞憂であった。
「けど、まだ余裕ッ!!レベルアップして一皮むけた俺はこんぐらいじゃあ潰せないぜ!?」
「グルゥ……」
快活な声と同時に〈三首の地獄番〉が大きく仰け反った。グレンが受け止めた前足を盾で弾き返したのだ。
瞬く間に好機が訪れる。
それを僕とガルフさんは見逃さない。
「「────ッ!!」」
二人してグレンを追い越して、一気にがら空きになった三首狼の腹へと肉薄する。
そして、ここまで大事に溜め込んでいた力を一気に解放した。
「は、ぁぁああああッ!!」
「死ねッ!!」
抜刀。思い切り無防備になっている腹を斬った。しかし、三首狼の腹を掻っ捌くことは出来ない。針のように太く、鋼のような硬度の毛が僕の斬撃を無惨にも防いだのだ。
「硬ッ!?」
「……チッ!」
ガルフさんの攻撃も同様に通じていない。土壇場で作り上げた好機も一瞬にして終わった。〈三首の地獄番〉は斬られた腹を気にした様子もなく即座に体勢を建て直して吼えた。
「ウォォォォオオオオォォォフ!!」
「「「くっ……!!」」」
地響きを起こすほどの遠吠えに僕達は顰めっ面を作って咄嗟に耳を塞ぐ。それでも完全に音を遮ることは出来ずに体が不自然に硬直する。
───スキルか!?
身に覚えのある感覚に直ぐにそう判断した。
恐らく、実力差を無視した強制拘束の咆哮スキル。拘束時間は1秒……いや、それよりも更に短く、微々たるものだが、今はその少しが命取りになる場面だった。
悪寒が走る。反射的に叫んだ。
「防御姿勢ッ!!」
「「ッ!!」」
僕の声でグレンとガルフさんは咄嗟に防御姿勢を取った。そして次の瞬間、三首狼の唸り声と三種類の魔法が飛んできた。
「グルゥアッ!!」
右の首からは火球、真ん中は風刃、左は複数の岩石。タイミングは全く同時、三つの頭、三つの思考があるからこそできる芸当である。それぞれの魔法は独自の意志を持って襲いかかってくる。
「───ッ!!」
僕の方には大玉の火球が轟速で向かってくる。しかし、なんの捻りもなく真っ直ぐに飛んでくる火の玉なんて容易に斬り伏せられる。それが少し速く拘束から解放されていなのなら尚更。
火球をやり過ごし、他二つの魔法の行方を確認する。防御は間に合ったはずである。二人の無事を祈るが───
「ぐあッ!?」
「クソっ……!」
───しかし、グレンとガルフさんに放たれた魔法は属性が厄介だった。不可視の風刃に、物量で押し潰してくる岩石砲、二人は防御はできたものの、そのまま魔法で吹き飛ばされる。
「グレン!ガルフさん!」
致命傷では無いにしろ傷はそれなりに深いはず、たった一手で前線が崩壊した。回復の為に後退していた他の探索者もまだ回復が終わっていない。
───
「くっ……」
即座の復帰は見込めない。魔法をモロに受けてしまったグレンとガルフさんもまだ立ち上がる様子は無い。
既に異常事態を伝えるための緊急信号は専用の結晶石で出していた。他の区域を捜索していたパーティーがそのうち集まってくるとは思うが……それまでにこの前線を維持できるかは不明だ。
「【強者打倒】も使えない……か」
不要な
───スキル的にはこいつは強者じゃないって? 馬鹿言え、階層主は間違いなく強者だろうに……。
文句を言ったところで事態が好転する訳でもない。目の前の階層主はこちらの事情などお構い無しに襲いかかってくる。
「何とか耐え凌ぐしかないか……!」
依然として三首狼の前に立っているのは僕一人。後衛からの援護は望めないし、増援も期待できない。気がつけば
───いや、それは逆に都合がいいか。
階層主から視線を切って思い切り地面を蹴って走り出す。
走る方向はグレンやルミネ、他の探索者がいる場所とは真逆。階層主の攻撃射線から避ける要領で
「ガウフッ!!」
こちらの思惑を知ってか知らずか、未だに元気に動き回る僕が気に入らない様子の階層主は素直に着いてきた。
完全に背後を見せた僕に対して、三首狼はそれぞれ無数に魔法を飛ばしてくる。
「グルッ!!」
「は、ッ!」
それを何とか躱して十分な距離を稼ぐ。完全に階層主は僕にご執心だ。これなら下手な飛び火がルミネ達に行く事も限りなくないだろう。
「さて、ここからどうしたもんかな───」
走る足を止めて方向転換。改めて異様に大きく感じる階層主へと対峙する。
────【強者打倒】でのゴリ押しは無理。ステータス的には互角だけど、攻撃が効いている感じはしない……。
「もっと思い切り、太い刃で斬る必要がある───かなッ!」
「ガウッ!!」
飛び掛ってくる階層主。たった一打で地面が深く抉れる鉤爪攻撃を躱して、算段を建てる。
意外と、周りのことを何も考えなければ一人でこの大きな犬ころをやり過ごすのはなんて事ない。時間が経てば経つほどに思考と体の感覚が〈階層主〉と言う規格に順応していく感覚がある。
───最初はその迫力、階層主と言う特殊性に怯んでいたけど、慣れれば今まで対峙してきた敵と何ら変わりないじゃないか。
怒涛に降り注ぐ攻撃。動きは洗練されていき、それらを軽々と捌けるようになっていく。少し、余裕すら感じ始めた頃にはこんな考えが頭を過ぎる。
───意外といけるんじゃないか?
それは慢心でもなければ、自暴自棄になった訳でもない。ただ、時間の経過とともに浮き彫りになった事実と確信だ。
そう感じた頃には算段の方もついていた。
「一か八かじゃない、確かな勝利の選択肢だ」
体はその選択肢に従って動き出す。もう後手に回るのは辞めだ、ここからは───
「───僕が攻める」
選択肢が明確になった途端に妙な高揚感が全身を塗り替える。体が軽くてふわふわとする。テンションが上がって、ちょっと叫びたいような感覚。
「グルゥアッ!!」
ワンパターンな攻撃と魔法。時々、変化を加えるように引っかかてくる無数のスキルを全て斬り伏せて、一気に三首狼へと肉薄する。
───やっぱり刀自体は良く斬れる。あと足りないのは固い防御を強制的に押しつぶせる圧倒的な質量だ。
「宛はある。けどその宛を使う前に隙を作らなきゃなぁ────灯れ」
魔を帯びた言葉で周囲に炎を発生させる。煌々と輝く炎は僕の意思一つでその姿を瞬く間に変化させた。
それはまるで番犬の首を暴れないように止めておく鎖。爆炎の鎖は自由気ままに動いている三つ首を一纏めにして拘束する。
「ギャウンッ!?」
急に首が閉められて苦しげな声を出す犬畜生。鎖を振りほどこうにもそれはガッチリと結ばれ、もう完全に解けなくなっている。
「ははっ───」
一生懸命に首を振っている姿はどこか滑稽で、先程まで仰々しく放っていた階層主の威厳など皆無だ。
次いでにその四肢も爆炎の鎖で拘束してやれば、完全に飼い犬の出来上がりである。
「───おいおい、呆気ないなぁ!」
青天井に気分が昂る。
階層主と言う絶対的な脅威を、簡単に制圧できた事が凄いことに思えたけど、直ぐにそれは確信していたことだと思い直す。
「それじゃあ、締めだ」
片刃の直刀を構えて大きく跳躍する。最高到達点まで来て、軽く辺りを見渡した。十分なスペースを確保出来ていると判断したならば、後は思い描いた
直刀を上段に構えて、その刀身に魔力を一気に流す。瞬間、刃は巨大化して、直刀から大剣へと成り変わった。
「この階層は俺が
お行儀よく拘束された階層主を見下ろして一言。気分は最高潮にハイだった。まるで自分が自分ではないかのようなに思えて、それでいてこれも確かに自分であるという確信。
思考が綯い交ぜになって分からなくなっていく。
────まあ、今はそんな事どうでもいいか。
しかし直ぐに吐き捨てた。今はただ眼下に平伏す階層主を倒すことだけを考えればいい。
「斬り伏せろ」
落下した勢いで大剣を振り下ろす。その強大な刃は束ねられた階層主の首へと、何にも阻まれることなく振り落ち、直撃の瞬間に不可解な衝撃波を発して呆気なく一刀両断した。
「ウォォォォオオ────!!」
甲高い最後の遠吠えも最後まで鳴ることは無い。
首を斬り、それが地面に勢いよく落ちる。同時に大量の血溜まりが辺り一帯を侵食した。そのまま地面に着地すれば血塗れになることは間違いなし。
「────」
だから階層主の大きな首へと着地をして事なきを得る。瞬時に刃のサイズを元に戻して、直刀を鞘に収めた。そこでようやく一息つく。
「────ふぅ……」
一気に沸騰していた血の気が落ち着きを取り戻す。強ばっていた体の力も抜けて、思考もクリアになっていく。
戦闘の最中、随分と感情任せに調子の乗ったことを考えていたような気もするが、今はぼんやりと霞んでしまって上手く思い出せない。
───無我夢中すぎて、何が何だか自分でもまだ整理できてない。
ただ一つ確かなことは、自分が今立っている階層主を一人で倒してしまったという事だ。
「本当にできちゃったな……」
まるで他人事のように呟く。実際に、その実感もなかった。妙に気分が浮ついて、まだ落ち着く気配もない。
自然に落ち着くのを待っていようと、また深呼吸をしようとしたところで背後から雄叫びが飛んできた。
「「「ウォォォォオオオオォォォ!!」」」
「っ!?な、なんだ!?」
突然のことに驚いて、大音量が聞こえた方へと振り返ればそこにはいつの間にいたのか、捜索隊の探索者達が全員揃っていた。
そして、彼らは一斉に僕の方を見て大歓声を上げていたのだ
「えーっと…………えっ?」
声の正体が判明したところで、依然としてなぜ彼らがこっちを見て雄叫びを上げているのか、僕はその理由が分からなかった。
そして数秒の熟考の後に、この雄叫びの原因が階層主を倒したからなのだと理解する。
そこからはてんやわんやだった。
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