第119話 不意の出来事
〈聖なる覇者〉が階層更新に失敗し、地上に緊急帰還してから翌日。
時刻は午後5時を回ろうかという夕暮れ時。昨日はあのまま道具の買い付けをして、解散。アリシアの捜索隊に志願することを決めて、探索の再開は未定となった。
その為、本日は休息日となり。3人それぞれ英気を養うことになっている。
僕はと言えば、捜索隊志願の受付が午後の1時からということもあり、それまではのんびりと惰眠を貪っていた。
適当に昼食を済ませて、そのまま受付開始のちょっと前に探索者協会へと訪れてそのまま志願者名簿にパーティーで参加希望を出してきた。
その後は夕方のこの時間まで買い物をしたり、のんびりカフェで時間を潰して、傍から見れば優雅な休息日を過ごした。
───最後の1時間辺りはいつもの窓際の席でうたた寝しながら日向ぼっこしてただけだけど……。
若干気だるい身体と瞼を何とか持ち上げながら、夕陽に染る〈セントラルストリート〉を歩いていく。向かう先は工房街だ。
何故こんな時間まで暇つぶしをして、ここを訪れているのか?
理由は至極単純。ヴィオラさんにメンテナンスを頼んでいた〈不屈の黒鐵〉を受け取るためだった。
復興作業や他の仕事でヴィオラさんも引っ張りだこ。一週間以上前に頼んでいた仕事が今日この時間に出来上がる予定だったのだ。
───ない時間を縫って快く仕事を引き受けてくれたヴィオラさんには感謝しかない……。
いつも格安で仕事を引き受けてくれる彼女には頭が上がらない。今回は更に忙しい中にも関わらずだ。彼女のことだから「気にするな」と言いそうだが、僕的にはそういう訳にもいかない。
「───喜んでくれるといいな」
そんな訳で今日は手土産を持って工房へと向かっていた。
最近、営業を再開した迷宮都市で毎日行列ができるほどの菓子店の絶品スイーツだ。
開店初日ということもあり、店頭にはたくさんの行列ができていたが、長蛇の列に並ぶのは慣れっこだった。
歩き慣れた道を進んでいけば、その建物は見えてくる。そこには継ぎ接ぎ工事の後が目立つ〈クロックバック第一工房〉が聳えていた。
例に漏れずこの工房街も祭典の騒動によってその建物全てを半壊させていた。しかし、流石は職人が集まる区画とでも言うべきか、その名残は他の場所と比べれば全く感じられない。
「精が出るなぁ〜」
夕方、あと少しもすれば陽は完全に落ちて夜だ。だと言うのに「そんなこと関係ない」と言わんばかりに工房の中からは鉄を打ち付ける激しい音と、煙突からは黙々と白い煙が立っていた。
おまけと言わんばかりに荒々しく怒鳴る男達の声が聞こえてくれば、初見でこの中に入るのは少し……いや、かなり気後れしてしまう雰囲気の出来上がりである。
だが僕は特に気にすることも無く、工房の中へと入っていく。もう何度も訪れている場所だ。今更気後れするのもおかしな話だった。
「うぉ……」
「いらっしゃいませ───ってテイクさんじゃないっすか!こんちわー!」
中に入ると真夏かと錯覚してしまうほどの熱気が肌を撫でる。それと同時に受付番をしていた顔見知りの職人の男性が出迎えてくれる。
「こんにちは」
「えーと……今日はメンテの受け取りっすね!それじゃあヴィオラさん呼んでくるんでちょっと待っててください」
「お願いします」
簡単に挨拶を済ませて、男性は本日の予定や予約が書かれた掲示板を一瞥してすぐに要件を察してくれる。そのままヴィオラさんを呼びに火事場へと引っ込んでいった。
数分と経たずに男性が赤毛の女性を引き連れて表に戻ってくる。
「おう、テイク。わざわざ来てもらって悪いね」
「お久しぶりです、ヴィオラさん。全然大丈夫ですよ」
ふわりと髪を揺らし、額の汗を首に掛けたタオルで拭うヴィオラさん。その姿が妙に扇情的に感じられて少しドキリとしてしまう。
何となく気まづくて咳払いをして誤魔化していると、ヴィオラさんは疲れ気味に言った。
「いや、本当に悪い。一週間も前に頼まれてたのに仕上げるのが遅くなって……色々とこっちも急がくてね……」
「いえいえ、本当に気にしないでください。いっつも無理を言ってるのはこっちですし、それにいつも完璧な仕事をヴィオラさんはしてくれるじゃないですか。少し時間がかかったくらいで文句なんて言いませんよ」
「そう言って貰えると助かるよ……」
実に一週間ぶりにあったヴィオラさんはその言葉から滲み出るように窶れていた。
いつも艶のある赤髪も今日は潤いが無く、切れ長の目の下にはうっすらとクマができていた。本当にここ数日、忙しいかったのだと分かる。
そんな彼女を労うべく。僕は武器を受け取る前に手土産をヴィオラさんに渡すことにする。
「ヴィオラさん、あの、これ……いつもお世話になってるお礼と言うか……感謝の気持ちです。工房の皆さんで食べてください」
「……あんたコレって、数時間は並ばないと手に入らない行列の出来る〈甘い妖精〉の生菓子じゃないか!?」
「あはは、今日は運良く一時間並んだだけで買えましたよ。傷みやすいので、できれば直ぐに食べてくださいね」
ヴィオラさんは紙袋を受け取ると目を見開いて、その中身をまじまじと見ていた。
予想以上な彼女の反応に僕は思わずクスリと笑ってしまう。その瞳はまるで宝石でも見るかのように輝いていた。
「何でまたこんなもの……?」
「いつもヴィオラさんにはお世話になっているので……僕なりの気持ちです」
「───気を使ってもらって悪いね。バッツ! テイクから差し入れだ。みんなに配ってくれ!」
「はいっす!」
ヴィオラさんは柔らかく微笑むと、ちょうど木箱と布包を持ってきた先程の職人に紙袋を手渡す。
バッツさんは「ありがとうございます!」と快活にお礼を僕に言うと、逆に木箱と布包をヴィオラさんに手渡して再び奥の火事場へと引っ込む。
───ここよりもっと熱い鍛冶場になんの迷いもなく生菓子を持って行った……。
果たして、あの生菓子は異様な熱さに耐えて、無事に職人達の手元に届くのだろうか。なんて考えていると、ヴィオラさんは一つ咳払いをして僕に木箱を手渡してくる。
「改めて、待たせたね」
「いえいえ」
中を開ければそこには見慣れた黒の短刀───〈不屈の黒鐵〉が新品のように輝いていた。
いつもながらに完璧な仕事ぶりだ。忙しいと言えども、一つ一つの仕事に微塵も妥協しない。そんなヴィオラさんの心意気が感じられる。
短刀を木箱から取り出すと、ぽっかりと空いていた腰後の鞘に納める。
しっくりとした重みに満足して頷いていると、続けてヴィオラさんは手に抱えていた布包を差し出してきた。
「あとこれもだ」
勢いのままそれを受け取る。
持った瞬間、両手に確かな鉄の重みを感じる。その長さや細さから、布の中身は剣の類であることは察したが、いまいち話の要領が掴めない。
───これを僕に渡して何なのだろうか?
新しい武器を頼んだ覚えはない。
考えて思い当たる節がないので目の前のヴィオラさんに尋ねてみる。
「……これは?」
「テイクがメンテの時に、ついでで持ってきた不気味な大剣だよ」
「───へ?」
さらりと放たれた言葉に僕は数秒ほど思考する。
予想通りと言うか、その布を捲ると姿を現したのは銀色に瞬く剣───片刃の直刀だった。確かに、短刀のメンテナンスを頼む時に、〈
ヴィオラさんの言葉が信じられずに、何度か両手に抱えた直刀と彼女の顔を交互に見遣る。何度か往復していると目が合い、赤毛の女性は「本当だよ」と深く頷いた。
「……」
思わず言葉を失う。
いったいどんな技術を用いればあの大剣を直刀までのサイズにできるのか?
いや、手段を選ばなければそれぐらいはできるだろうが、そもそもそんな事をする理由がないだろう。僕自身も「大剣から直刀に作り替えてくれ」なんて注文をした覚えがない。
「……詳しく説明してもらっても?」
「もちろんだとも」
僕の困惑した表情を見て、ヴィオラさんは苦笑した。
「簡潔に言うと、あの大剣がこんなに小さくなった理由は
「はい」
言われるがままに僕は直刀をスキル【鑑定】で見てみる。
視界に表示された直刀のステータスはこうだ。
──────────
耐久値:20000/20000
・
斬れ味補正(大)
鋭さ補正(極)
伸縮自在
作成者
ヴィオラ
──────────
そこには直刀の名と見慣れない
「伸縮自在?」
「ああ。不屈の黒鐵の時と同じで、また初めて見る付与ができちまった。その名前の通り、使用者がその刀身に魔力を流すことによって刃の長さや大きさを自由に変えることが出来るらしい。試しにやってみな」
「はい」
言われた通りに直刀に魔力を流し込んでみる。武器に魔力を流す感覚は〈不屈の斬魔〉で覚えがあったので、特に躓くことは無い。
魔力を流したことで刀身が淡く輝く。すると、次の瞬間にはその細身を大剣程の大きさまで巨大化させた。
「おお……!」
思わず大きな声が出てしまう。
重さは全く変わらないが、目の前に鉄の塊が急に現れれば驚いても仕方がないと思う。
少し気恥しさを感じながらヴィオラさんの方を見ると、彼女は悪戯が成功した子供のようにニヒルに笑っていた。
「どうだい。すごいだろ?」
「すごいだろ?って……いや、凄いですけど、僕はヴィオラさんの鍛冶師としての才能の方が凄いと思います」
こんな、なんてことないかのように固有の
剣の大きさを元のものに戻すと、ヴィオラさんは言葉を続けた。
「気に入ったかい?」
「…………ええ、とっても。正直、これぐらいのサイズの方が常に帯刀もできるしありがたいですね」
軽く直刀を素振りして感覚を確かめた後に首肯する。
「そりゃあよかった」
満足気な僕を見てヴィオラさんも嬉しそうだ。
思わぬ展開に驚きはしたものの、僕にとって不安要素になることは全くなかった。
寧ろ取り回しは良くなって、刃の大きさはその
「うん。似合うじゃないか」
「ありがとうございます」
鞘をオマケに貰って、新しく手に入れた直刀───〈不屈の銀片〉を腰差する。
今まで傍目からは短刀は隠れる位置に装備していたので、パッと見で探索者感が薄かった。しかし、しっかりとした長さの得物を装備することで一気に雰囲気が出る。
───なんか、テンション上がるな。
やはり新しい武器と言うのはロマンだ。〈
それは一つの真理のように思えた。
なんてことを考えていると奥の鍛冶場からヴィオラさんを呼ぶ声がした。
「おっと……お呼びだ。そんじゃあ、また何かあったらいつでも来てくれ。今度はなるはやで仕上げるよ」
「はい。その時はお願いします。本当にありがとうございました」
「おう」
挨拶も程々に、彼女が奥の鍛冶場に戻るのを見送ってから僕は工房を後にする。
外に出ると陽は完全に落ちて、辺りを月明かりが照らしていた。ひんやりと肌を撫でる風が涼しくて心地良い。この時間にもなれば工房街に人気は少なく、静かだ。
のんびりと歩きなが宿屋に向かう。道中、まだ慣れない腰の重みに頬を緩める。
アリシア捜索開始まであと二日。
準備は着々と進んでいた。
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