第116話 詰問
「はっ……」
不意に体の奥底から湧き上がる焦燥感。脂汗が背筋を伝い、不快感も押し寄せてきた。
「はっ……はっ……」
上手く、呼吸ができない。
深く息を吸い込み、荒だった気を落ち着けようにも浅い所で勝手に吐きでてしまう。
縋るように視線を彷徨わせる。それは何かの間違いであると、ただの勘違いであると、見逃しただけであると。
───きっと……きっとすぐにそこにいる。そう、たまたま、本当に珍しく見つけられなかっただけだ。
何度も何度も、目を行ったり来たりさせて辺りを見渡す。しかし、何度探してみてもそこに幼馴染の姿は無かった。
「うぅ……!」
「クソっ!何だってんだ!!」
「…………」
視界に映るのは顔もよく知らない探索者。しかし一人一人は知らずともその一団はこの迷宮都市では有名だった。
Sランクパーティー〈聖なる覇者〉。
一見して、彼らは酷い傷を負い、立っているのもやっと、中に入ってから気を失っている者までいた。
そんな惨状を見て、一人の探協職員が駆け付ける。
彼はその一団の頭目である〈勇者〉アトス・ブレイブに「何があったんですか?」と務めて冷静に尋ねた。
そんな職員の質問にアトス・ブレイブは魂が抜け落ちたかのように呆然と答えた。
「───階層更新に、失敗した……」
「「「っ!!」」」
とても短く、瞬く間に消え入りそうな言葉を聞いて、周りの野次馬の探索者や職員は息を飲む。
次いで様々な声が辺りを飛び交う。それは今の彼の言葉を未だに信じきれないものであったり、真意を確かめようとするもの、改めてその惨状に気を落とすもの。
駆け寄った職員もアトス・ブレイブに更なる説明を求めていた。
一気に場は騒がしくなる。騒ぎの元凶である満身創痍な〈聖なる覇者〉の面々を一目拝もうと新しい野次馬もまた群がり始めた。
人の波に飲まれて、揉みくちゃになる。
苦しくて、汗臭くて、熱い。すぐにこの圧迫感から解放されたかった。けれど僕の頭の中はそんなことを気にするよりも、ただ一つの言葉だけを反芻していた。
『階層更新に失敗した』
それは今しがたのアトス・ブレイブの一言。
その言葉を元に、混乱していく思考を整理していく。
───何らかの
不意に理解する。
つまりは、そういうことなのだと。
理解したと同時に体の奥底から何かが沸き起こる。それは焦燥感や不快感と似たようなモノに思えたが、すぐに全くの別物であると分かった。
何回経験してもこの瞬間は慣れない。そして、自身の未熟さを痛感する。
それは八つ当たりだと分かっていても、湧き上がったソレは鎮まるどころか激しさを増していく。
今、きっと僕は酷い顔をしていることだろう。
全身が強ばっているのが分かる。沸騰するように熱を帯びていくのが分かる。
衝動のままに足は勝手に動きだした。
「っ……!!」
向かう先はただ一つ。
依然として増えていく人の波を押し退けて、身勝手に一人の男の前へと目指す。
───ああ、本当にサイアクな気分だ。こんなことをしても意味なんてないのに……それでも言わずにはいられない。
乱雑に人波から抜け出したことで、背後から避難の声が聞こえてくる。それらを一切合切無視して、僕は未だに呆然とその場に座り込んだアトス・ブレイブの前へと立った。
自然とそいつは僕のことを無気力に見上げた。互いの視線が一瞬交差する。しかし、アトス・ブレイブはすぐにこちらから興味を失ったように視線を下に戻した。
「っ────」
瞬間、何かが爆発した。
その「何か」とは怒りに他ならない。
「───アリシアは何処だッ!!!」
「………」
気がつけば僕はアトス・ブレイブの胸ぐらを掴みあげ、遣る瀬無い怒りをぶつけていた。
僕の突然の怒声にルミネ達はもちろん、周りの探索者、すぐ近くにいた職員も驚く。職員に至っては、僕とアトス・ブレイブの間に割って入って止めようとしてくる。
しかし、僕はそれで止まることはなく更に声を荒らげた。
「黙ってんじゃねぇよ!答えろ!アリシアは何処だ!?」
「…………」
大きくそいつの体を揺らして詰問する。しかし、目の前の男は虚ろな目で僕を見るだけで後はされるがまま。
その意気消沈した態度が気に食わず、捲し立てる。
「何か言えっていってんだ!まさか、あの子を
一度爆発した感情は歯止めが効かずに濁流のように溢れ出る。
今にも殴り掛かりそうな僕の様子に近くの職員や〈聖なる覇者〉の数人、それとルミネとグレンが本気で僕を止めに入る。
無理やりアトス・ブレイブから離されて、ルミネとグレン、そして職員によって僕は羽交い締めに拘束された。
それでも怒りは収まらず、体は勝手に目の前の男へと掴みかかろうとする。
「落ち着け、テイク!!」
暴れる僕にグレンが慌てて拘束する力を強めた。僕の暴走に周りは騒然とする中、ようやくアトス・ブレイブの双眸がこちらを捉えた。
「テイク……ああ、君が彼女の────」
紫紺の瞳は力なく、蝋燭の火のように小さく揺れる。そして続けられた彼の言葉で僕の意識が飛びそうになる。
「───アリシアはまだ大迷宮の中だ。本当に……申し訳ないと思っている………」
「───お前ッ!!」
「やめろテイクっ!!」
グレンが更に力を強める。無理に拘束から逃れようとする所為で両腕がギシギシと悲鳴を上げている。しかし、それを気にすることなくただひたすらに拳にありったけの力を込めた。
もう既にまともな思考など不可能だった。冷静など、平静など取り戻せるはずもない。今はただ、全てを諦めたような顔をしたこの腑抜けた顔面に一発入れてやりたかった。
だが、どうやらそんな僕の願いは叶わないらしい。
「緊急事態だ。悪いが道を開けてくれ」
風格のある男の低い声が場に響く。
一斉にその場の視線が声のした方へと向かう。そして声の主が誰であるかを認めれば、今まで群がっていた野次馬は蜘蛛の子を散らすように道を開けた。
「た、探協長っ!!」
「遅れてすまない。ここは私が引き継ごう」
「は、はいっ!!」
一向に止まる気配のない僕に困り果てていた職員は、その人物がこちらまでやってくると情けない声で駆け寄った。
そして彼は僕達を一瞥すると一つ咳払いをして話を切り出した。
「さて、盛り上がっているところ申し訳ないが、事の経緯を説明をして貰ってもいいだろうか?」
果たして、その場に現れたのはこの協会の最高責任者である探協長───ガイウス・ルイズベルトであった。
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