第113話 幕間(2)
そこら中から聞こえてくる人々の阿鼻叫喚にその男はたいそう嬉しそうに口元を歪めた。
硝煙の匂いが混じった風が吹き抜ける。
迷宮都市にある建物の中でも1位、2位を誇る高さの尖塔の頂点にて、ローブ姿の男はこの惨状を傍観していた。
男としては本当に思いつきで始めたこの計画。有り合わせで始めたにしてはその出来に男は満足していた。
「もうだいぶ騒ぎは落ち着いてきたけど……まあ、こんなものかな」
ふわりと、なんの前触れもなく男は尖塔から飛び降りる。相当な高さから無防備に飛んだ割に着地はとても静かだ。まるで最初からそこに立っていたような。
男が降り立った先は人気の全くない、薄暗い路地裏だ。背後からは煌々と燃える炎の明かりが男の背を照らしている。
表の通りで、男が解き放ったモンスター〈
それを特に気にした様子もなく、男は路地の奥───闇が濃い方へと歩みを進める。
「〜〜〜」
男にしては珍しく上機嫌に、鼻歌なんて歌っている。先程も言った通り、この騒動は着々と終息へ向かっていた。
結果としては上々。
気に食わない〈迷宮〉の名を冠した祭典を滅茶苦茶にしてやったし、気まぐれで薬を与えた探索者達の人体実験の結果も色良いものを得られた。
「薬は今回の実験でほぼ完成した。杖の方も完璧に制御ができていたし問題ない───」
改めて、脳内で今回の様々な収穫を吟味し、精査していく。
───まさか〈選定〉まで出来るとは思わなかった。本当にこれは収穫だ。
「それに───」
男は先程の物見遊山で見かけたとある一幕を思い返す。
それは薬を与えた実験体と一人の探索者が戦っている光景。特に期待していなかった実験体は探索者との戦いの中で素晴らしい結果を残した。残念ながら死んでしまったが、今後の糧になることは間違いない。
しかし、何よりも男が喜ばしかったことは、ずっと探していたモノが見つかったことだった。
「まさか、こんなところで見つけるとはね。しかもタイミングよく成るとは思わなかった……まあ、一時的なものっぽいけど。それでも同士が見つかったことは喜ばしい」
男はくつくつと腹の底から静かな笑い声を上げる。
まさに計画は順調に進んでいた。
「彼女も上手くいったみたいだし、これで大体の下準備は終わりかな」
今しがた届いた知らせを思い返す。
大迷宮の方で仕事に当たっていた仲間は問題なく事を済ませたらしい。
そんな知らせが男をさらに上機嫌にさせる。
「他のみんなを集めて早速、作戦会議だね」
澱みない足取りで男は真っ暗な路地を進む。
「もう少しだ。もう少しで僕達は解放される」
狂喜を孕んだその声は誰に向けられたものでもない。ただ人知れず闇と混ざって霧散していくばかりだ。
再び鼻歌を歌い始めた男は軽やかな足取りでいつもの小屋を目指した。
・
・
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探索はとても順調に進んでいるはずだった。
未到達階層、出会うもの全てが未知数のその一番深い階層で彼らは本当に危なげなく探索を続けられていたはずだった。
なのにそれは途端に瓦解し、不意な暴力が彼らに襲いかかった。
大迷宮第59階層。現在の最深到達階層で迷宮都市屈指の探索者パーティー〈聖なる覇者〉は全滅の危機へと陥っていた。
あと少しで階層の最終地点、次の階層へと進むための通路が見えてきてもおかしくは無い、大広間で彼らはたった一人の人間に追い詰められていた。
モンスターでは無くどうして人間か?
そんな疑問を〈聖なる覇者〉全員が思ったことだろう。
ここは最深到達階層で自分たち以外に人間がいるはずなんてない、と。
───なんて強さなの……。
探索者の中でも選りすぐり、最強と名高い十数名の探索者が微塵も歯が立たない。
彼らの前に突如として立ちはだかったそのローブの人物は果たして本当に人間なのだろうか。
「うーん……〈聖なる覇者〉の皆さんにはそれなりに期待をしていたのですが───駄目ですね、全然お話になりません」
全身をローブで隠し、顔すら見せないその人物は女性のようで、落ち着いた声音が彼らの耳朶を打つ。
「クソ……!なんて強さなんだ……!」
片膝を着いて、ボロボロの体を何とか持ち上げたのはこのパーティーのリーダー、アトス・ブレイブだ。
アトスは苦しげに表情を歪めながら何とか立ち上がり、刃こぼれした剣を構える。
その姿に他のパーティーメンバーも直ぐに立ち上がろうとするが、その殆どが地面に伏したまま動くことができない。
限界はとっくのとうに迎えていた。普通は立つことすら難しい。アトスと言う探索者が特別だったのだ。
しかし、彼の隣に立つ仲間はまだいた。
「私もまだ戦える……何をすればいい、アトス?」
それはこの絶望的な状況でも圧倒的な存在感を放つ銀の長髪を靡かせた少女。
最年少ながらもこのパーティーで〈
這うように隣に現れたアリシアにアトスは一瞬だけ目を見開くが、直ぐに厳しい視線を作って目の前の敵に向けた。
「緊急退避用の転移結晶で
「……分かった。殿は任せて」
「ッ……いいのか?」
「アトスとあのローブの相性は最悪。適任は私しかいない」
「────そうだな。それじゃあ……行くぞッ!!」
「───ッ!!」
アトスが上へと投げた青い水晶を合図にアリシアは飛び出す。細剣を垂直に構え、走る速度を更に上げる。
ローブの女性は嵩瞬だけ水晶に気を取られていたが、直ぐに肉薄してくる白銀の戦姫へと注意を向けた。
「見え見えの企みですね。逃げるのは結構ですが、アナタだけは帰しませんよ?」
「ッ!!」
「さあ、短い時間ですけど楽しみましょ?」
フードのか中ら微かに覗いたその口元は心底楽しげに歪む。咄嗟にアリシアはそれに形容しがたい恐怖を覚えた。
体は竦み、上手く呼吸をすることもままならない。それでも何とか武器だけ固く握りしめて、全身全霊で時間を稼ぐためにローブの女性へと斬りかかった。
ただひたすらに、我武者羅に。攻撃が当たっているのか、躱されているのか、はたまた弾かれているのか、全く分からずに反射的に体を動かし続けた。
いつの間にか五感全ての感覚が無くなっていることにアリシアは気がついた。
「───え?」
急に彼女の視界は暗転し、前後左右の感覚も朧気、自身が今立っているのかすらは分からなくなる。そんな中、微かに声が聞こえてきた。
「アリ──時──はや───!!」
それはアリシアにとって聞き覚えのある声だったと思う。だが、どうしてかその声の主の判断が付かず、うだうだと考えているうちにその声は何処かへ霧散してしまった。
そうして不意に微睡むような眠気が襲う。抗おうにも意思は上手く働かずに、瞼は閉じようとする。そのままどうすることも出来ず、完全に眼を閉じる瞬間に再び声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、アリシア・リーゼさん」
それは我が子を慈しむかのような優しい声音であった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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