第111話 臨界点

 黒赤の斑点模様はいつの間にか全身に這って、完全に肌の色を変色させていた。至る所で飛び出した棘のような突起物も違和感なくその容姿に馴染んでいる。


 今まで荒かった呼吸は無くなり、血走った眼も今はとても穏やかだ。何よりも気になるのはその背中。何も無かったはずのそこには一対の黒い翼が生えていた。


 その容姿は今日で嫌というほど見たモンスター〈猟奇の悪魔バザール〉に酷使している。しかし、確実にそいつらと違う点は目の前の化け物が人間の成れの果てということ。


 どういう訳か、確実にグレンの一撃で胸を貫かれて死んだと思った目の前の探索者───カルナ・ブレンダはその傷が無かったかのように立ち上がって僕たちの前へと再び立ち塞がった。


「さあ、第2ラウンドと行こうか」


「カルナお前、その姿……」


 予想だにしなかった状況にグレンの表情は困惑したものになる。対してカルナが見せたのは楽しげに歪んだ笑顔。


 譫言のように呻いていたさっきまでとは違い、目の前の男にはしっかりとした知性を感じられる。これならば会話も可能だろうが、今更何を話し合うというのだろうか。


 もう賽は投げられた。一度は殺したと思った相手だ。目の前の男はまだ動かないが、明らかな殺気を放って今にも殺しにかかってくるだろう。悠長に話をしている暇なんてない。


「鑑定」


 今一度、僕はカルナのステータスをスキルで確認する。


 今までよりも強く感じる違和感。

 先程よりも確実に奴は何かから逸脱した雰囲気を放っている。それこそあの小太りの男に感じたモノと同等の感覚だ。


 その直感は正しく、視界に写った能力値は狂っていた。


 ───────────

 カルナ・ブレンダ

 レ&ル//&?!


 体力:&/?%/☆%$¥

 魔力:$%?!/!/¥☆


 筋力:¥°%!

 耐久:?/&☆

 俊敏:%#☆/

 器用:☆%☆?


 ・魔法適正

 ???


 ・スキル

【虚偽扇動】【激豪剣破】【?剛¥%】

【%$治&】


 ・称号

 中毒者 選定者 超越者〈偽〉

 ───────────


 カルナの能力値は小太りの男やレビィのように殆どが読み取れない意味不明のものになっていた。


 ───新しいスキルの獲得とスキル同士の統合が起きている。本当にこの現象はなんなんだ?


 視線を目の前に戻しながら脳裏には無数の疑問が浮かぶ。しかし、それに対する答えが直ぐに出てくる訳でもなく。考えるだけ無駄な事だと、今は履き捨てる。


 一つだけ言えることは、あの男は先程よりも強くなったということ。


 さっきの戦闘でこちらは満身創痍だ。

 グレンは度重なる戦闘と今しがたのスキルの発動で殆どの力を使い果たし、明らかな疲れが見える。ルミネもここまで常に強化バフと回復を行って精神力が磨り減っている。僕ももう少しで【強者打倒】の超強化が終わる。


 状況は芳しくない……むしろ最悪と言えるだろう。なのにここに来て敵は完全復活を遂げて、ピンピンしている。これは一体なんの冗談だ。


「おいおい、今からがメインって言ってんのに何でそんなにテンション低いんだよ?まさか終わりたい、とか言わないよなぁ?」


「……」


 煽るようなカルナの言葉に返答はしない。


 奴は完全に僕たちの疲弊した様子を見て侮っている。まだ少しだけ考える猶予は残されていた。ならば考えろ。この状況での最善策とはなんだ。


 ───ベストは全員が戦闘からの離脱。だけど状況的にそれが無理なのは分かりきっている。どう考えても戦闘を続行するしかないけど……能力値がおかしくなって、強さが未知数になったアイツと疲弊したグレン達を戦わせていいわけが無い。


「ッ……二人は────」


 咄嗟に口から出かけた言葉を飲み込む。


 この中で奴とまともに対峙できるのは自分だけ。だから二人だけでも逃げるように指示を飛ばそうとしたが、それは二人から返ってきた視線で封殺される。


「「……」」


 僕の言おうとしていたとなどお見通しかのように、グレンとルミネは強い意志の籠った瞳で「絶対に退かない」と主張する。


 二人なりの思いが交錯する。

 グレンは変わり果てた仲間と僕を見捨てたくない。ルミネも二度と仲間を見捨てることなんてしたくないのだろう。


 二人とも覚悟なんてとうの昔にできている。僕だってそうだ。ならば答えは決まっている。


「相談事は終わったか?なら始めようか。もう暴れたくて仕方がないんだ。溢れ出る力が抑えられないッ!!」


 ご親切に待っていたカルナはもう我慢の限界だと言わんばかりに地面を蹴って飛び出した。


 その速さは先程よりもやはり速く。到底、常人が追いつくことの出来る速さなんかでは無い。それでも気圧されることなく、僕達は陣形を組んで迎え撃つ。


 形は逆三角形トライアングル。後方からルミネが臨機応変に強化バフを掛けて、これを受けた僕たちが前線を張る。

 いつもはグレンが更に一歩でて攻撃を捌くのだが、今回はその役目を僕が買って出る。


 今のグレンに盾役タンクはやはり難しい。ならば役割分担は変えない。

 尋常ならざる速度で迫ってくる刃。それを真正面から受け止める。


「オラァッ!!」


「ッ!!」


 受け止めた瞬間に襲い来る激しい衝撃に思わず目を見開く。その質量とは見合わない膨大な負荷に脳の感覚が可笑しくなる。


「よォ、あの時は随分と舐めた態度をとってくれたよな?」


「うぐ、ぁあッ!?」


「テイクッ!!」


 カルナは「まだ本気を出していない」と言わんばかりに軽口を叩くと、せめぎ合っていた刃を退く。緩急を付けられたことに僕は体感を崩されるとその隙に真横から風の拳が飛んできた。


 魔法による急な死角からの攻撃に対応などできるはずもなく吹っ飛ばされる。直ぐに受け身の態勢を取って、次の瞬間にやってくる衝撃に備えた。


「かッ……ハッ……!!」


 壁の残骸へと激突して、衝撃と痛みに噎せ返る。ダメージは最小限という訳にはいかない。だからと言って苦痛に眉を顰めている暇もない。僕は直ぐに身体を起こして前線に復帰しようとする。


 ───速く戻って攻撃を引き受けないと……じゃなきゃ二人が……!!


 視線を前へと据えて直ぐに飛び出す。

 しかし次の瞬間、飛び込んできた光景に絶句する。


「あがッ───!?」


「温いなぁ……もう少し粘ってくれよ」


 一突き。僕が壁に埋まっている間にカルナはその注意ヘイトをグレンとルミネへ向けていた。


 呆然と映るのはその血濡れた刃で胸を貫かれたグレンの姿。すぐ側でルミネが唄うのも忘れて絶句していた。

 剣に吊られてぶらりと宙に浮いたグレンの口からは大量の血が吹き出す。


「───クソっ!!」


 無意識に怒気の籠った声が漏れ出て、固まっていた身体を再び動かす。


 危惧していたことが起きてしまった。

 盾役タンク役である自分が一瞬でも行動不能になれば、今の2人にとって目の前の化け物カルナの攻撃は一撃必殺だ。防ぐ術なんてのは無い。


「呆気ないなぁ……本当に、今までの劣等感がなんだったのか分からなくなる……」


「こ、ふッ────!」


「グレンくん!!」


「グレンッ!!」


 呆気なく剣を引き抜かれたグレンは力なく地面に膝を着く。そして、最後の分だと言わんばかりに大量の血を吐いて気を失った。


 すぐ近くに居たルミネが駆け寄り、スキルで回復を施そうとする。だが、それをあの化け物は見逃さない。


「ひっ───!!」


「次はアンタだ。可愛い顔しているが……まだちょっと幼いな。これで俺の好みならお楽しみの為に生かしといてもよかったけど……まあ残念だったな───死んでくれ」


「ルミネッ!!」


 必死で駆けて、手を伸ばすが届かない。


「あ───」


 完全に身体が竦んでしまったルミネに奴の攻撃を避けることなんてできない。

 無惨に、グレンと同じように胸を貫かれた少女は虚ろな瞳でこちらを見た。


「────」


 微かに彼女の口が動く。しかし、その声は炎が爆ぜた音でかき消される。

 そうして何を言ったのか分からないまま、胸に刺さっていた剣を引き抜かれたルミネは地面に倒れた。


 瞬間、自分の中で何かが折れた音がする。

 一瞬で血の気が引いて、全身の力も抜けていくような感覚を覚える。怖気が走り、その場に崩れ落ちそうになった。


 けれど、そんな感覚を全て塗りつぶすように沸き立つモノが体の奥底から噴き出た。

 カッ、と熱くなる。

 緩めそうになった走る足を踏ん張って、また一歩と、思い切り地面を蹴った。


 化け物が地面に倒れた二人を睥睨した後にこちらへ振り返る。次いで浮かべた煽るような笑みを見て、僕の我慢は限界へと至った。


 それは明確な『怒り』と『殺意』。


「僕はお前をするッ!!」


 男へと肉薄して、喉が擦り切れんばかりに叫んだ。

 次に無機質な声が聞いてくる。


『スキル【強者打倒】の発動を確認。捨てるステータスを選択してください』


「全部だ!僕が持っている有りったけを───全部を捨てろッ!!」


『選択を確認。スキル【強者打倒】を発動します』


 途端に全身の力が抜け落ちる感覚の後に、底から別の力が湧き上がるような感覚がした。


 効果が切れかかっていた【強者打倒】による超強化。それを以前の小太りの男と戦った時のように、後先を考えずに上塗りする。


 ───使い終わった後の反動は物凄いけど、今はそんなことを言っている場合なんかじゃない。絶対にここで───。


「───絶対にここでお前を殺すッ!!」


「さあ!お前はどこまで俺を楽しませてくれるんだ!?」


 黒の短刀を力強く構える。

 既に僕と奴は一足一刀の間合い。依然として下卑た笑みを崩さない男に怒りは収まるどころか溢れんばかりだ。


「ッ!!」


 衝動のままに刃を振るう。

 首、眼、腕、胸、腹、足───目に付いた箇所に向かって鋭く斬りかかった。

 しかしそのどれもを目の前の男は楽しげに剣で受け、弾き返す。


 スキルの重ね掛けで僕のステータスは今までで一番のモノとなっている。それこそ、今ならばレベル8のモンスターでさえ簡単に相手取れるくらいにだ。


 それでもまだ僕の攻撃は奴に届かない。

 一体、眼前の化け物は今どの領域にいるのか?

 到底、想像が付かない。


 ───それでもッ!!


「飛べ!!」


 連撃の最中、僕は咄嗟に叫ぶ。それはスキルの使用を意味する。


 いつかどこかで、嫌というほど目の当たりにした〈剣技ブレイドアーツ〉のカタチ。不規則な手順で刃は不可思議な加速を遂げて男へと到達する。


「んなッ!?」


 不意の加速に男の反応は間に合わない。

 致命傷には至らないが、確実に僕の刃は奴の脇腹を斬り裂いた。


「ッチ、スキルか!」


「───」


 それは剣を任意のタイミングで加速させることが出来る、思い出すのも嫌な奴ジルベールが得意としていた剣技〈疾風ソニック〉だ。


 どうして今まで使うことの出来なかった〈剣技〉をいきなり使えることが出来るのか?

 それは簡単に言ってしまえば〈惨殺の悪魔帝〉から拾ったスキル〈剣帝〉のお陰だろう。


「クソっ!ウザったい技だな!」


「───ッ!!」


 攻める手は緩めず───寧ろ、勢いを増して僕は剣技ブレイドアーツを織り交ぜながら攻め続ける。


 今までやり方が分からなかったことを不意に察知して理解する。その感覚はとても不思議で、違和感だった。だけど、その違和感が今は気にならないぐらい、こなスキルは有用で、力になってくれた。


 唯一不満を上げるとすれば、どうして初めての剣技が〈疾風この技〉なのかという点なのだが……そんな贅沢を言っている余裕なんてのは無い。


 ───使えるものは全部使う!


「はぁああああああああぁぁぁッ!!」


 一つ、二つ、と確かな斬撃の手応え。このまま一気に攻め続けて勝負を決める。


 残された時間は少ない。

 無理を承知でのスキル【強者打倒】の重ね掛けだ。元々、制限のある超強化の効果時間が今は更に短くなっている。

 体感でもう一分もない。超短期決戦で勝負を決める必要があった。


「う、くッ────!!」


 全身が軋む。刃を一度振るう毎に腕の筋繊維が引きちぎられていくような感覚に顔を顰めずにはいられない。


 それでも攻撃の手は止めない。

 大切な仲間を傷つけられておいて、体が痛いから攻撃を止めるなんて考えは微塵も浮かばない。


「飛べッ!!」


「くッ……!」


 いっそう速く、振るう刃を加速させて化け物の手に握られた剣を上に大きく弾き飛ばす。

 勢いのまま化け物は剣を手放した。頭上を舞う血濡れた剣を一瞥して、叫ぶ。


「灯れッ!!」


 それは魔を帯びた音。音の引鉄によって引き起こされるのは世界の法則を塗り替える力だ。

 瞬間、黒の短刀に焔が灯った。


 男の正面はがら空き。奴は攻撃を受け止める為の獲物を持ち合わせてはいない。

 決定的な隙。それを見逃す道理は無かった。


「終わりだ───不屈の斬魔ペルセヴェランテッ!!」


「う、ぐぁッ───!?」


 真紅の焔を帯びた不屈の刃を下段から振り上げる。

 刃は何にも阻まれることなく、到底人の肌とは思えない黒赤色の胸を深く斬り裂いた。最後にその中心に短刀ごと突き立て───ようとしたその瞬間だった。


「あっ────」


 まるで時間が止まったかのように、ピタリと急に身体が動かなくなる。


 嵩瞬、何が起きたのか頭の理解が追いつかないが、直ぐに訪れた全身を捻り潰すような痛みで思い至る。


 ───スキルの効果が切れた?


 確実にあと一歩という所で僕の体は限界を迎えた。

 スキルの反動による痛みは今までで一番。スキル【精神耐性】を持ってしてもそれは筆舌に尽くし難い痛みを伴い、意識が朦朧としてくる。


 立っているのも覚束無い。途端に全身の力が抜けていく。もう、指一本動かす力は僕に残されていなかった。


「───ハハハッ!無理が祟ったみたいだなぁ!」


 今にも倒れ伏しそうな僕を見て、化け物は安堵したように高笑いをする。

 そんな奴の様子を見て、相当追い詰められていたのだと分かった。


 ───クソっ……あと本当にもう少しだったのに…………。


「いやいや、本当に焦った。まさかここまでやるとはなぁ……でも勝利の女神は俺に微笑んだみたいだなあッ!!」


 宙を待っていた血濡れた剣が再び化け物の手に納まった。そのまま上段に構えると、化け物は勢いよくそれを振った。


「────」


 防御など取れず、血濡れた刃は僕の胸を掻っ捌く。

 激しい衝撃と痛み、そして尋常ではない熱が胸を中心にして拡がった。


 視界一面に赤黒い空が映った。

 無抵抗に何度か斬られて、最後に胸の中心を貫かれる。お決まりのトドメに、この男の趣味嗜好が感じ取れる。


「俺の糧になってくれてありがとうなぁ」


 煽るような声と同時に体が地面に倒れたのだと分かる。


 不思議と意識はまだハッキリとしていた。

 くつくつと腹の立つ笑みが聞こえてくる。しかしそれを辞めさせることは叶わない。


「………ああ、まだ生きてるのか───」


 少しの間を置いて、化け物はふと呟いた。


 最初は僕のことを言っているのかと思ったが、奴の気配が遠ざかることで違うのだと分かった。


「───本当にしぶといなぁ……黙って死んでるフリでもしとけば生き残れたかもしんないのにさぁ」


「うる……せえ……お前は俺がここで止めるッ……!!」


 呆れたような声音とそれに反発するような声。後者は聞き覚えがある。間違えようもない。それはグレンの声だ。


「何が「止める」だ。もう立つことも出来ないくせにさぁ。本当にウザいよお前」


 怒気を孕んだ化け物の声。そしてあからさまな殺気によって様子は見えずとも奴がしようとしていることは分かった。


「ッ───」


 咄嗟に身体を起こそうとする。

 しかし、やはりと言うべきか身体は微塵も動こうとはしない。


 ───やめろ……やめてくれ……。


「ッ───ッ───」


 諦めずに身体を動かそうとする。

 無駄に意識がハッキリとしている所為でその声はとても良く聞こえた。


「あ、がァああああああああぁぁぁッ!!」


「アハハ!もう虫の息なのによく叫ぶなぁ!」


 グレンの苦悶に染まった叫び声はしっかりと僕の鼓膜を振動させる。


 ───やめてくれ!それ以上、もう仲間を傷つけないでくれ!!

 動け、動いてくれ、我儘なのは分かってる。それでもどうか、この一瞬だけはどうか、ほんの少しの時間だけでいいから───


「───仲間を助ける力が欲しい」


 祈るように自然と口から漏れ出たその願いに答えたのは、化け物でもなければグレンでもなく、僕にしか聞こえないだった。


『スキル【強者打倒】の代償によりステータスが全て0になりました。これにより、特定の条件を満たしました。

 スキル【取捨選択】を発動します。【取捨選択】の権限により、選択者を一時的に覚醒させます』


 聞きなれた声がそんなことを言ったかと思うと、僕の全身を今まで以上の激痛が走った。


「うぐぁあああああぁぁあああああッ!!」


「ッ!何だ?」


「テイ……ク……?」


 今まで全く動こうとしなかった身体は尋常ならざる痛みによって痙攣し、勝手にじたばたとのたうち回る。


 それが数十秒ほど続いたかと思えば、今まで痛みによって歪んでいた視界が一気に鮮明になった。

 一瞬にして引いていく痛みに困惑していると、更に困惑することが起きた。


「……ッ!?」


 それはスキルの反動によって動かなくなっていた体がしっかりと自分の意思で動かせるようになっているのだ。


 ───どうして……それに今の天啓は……。


 脳裏に無数の疑問が過ぎる。だが、それは今考えるべきことでは無い。


 自由に身体が動かせる。


 その事実だけを確認出来れば、あとにする事は考えずとも分かった。


「どうしてまだ動けて……ッ!!」


「ッ───!」


 狼狽えた様子の化け物がこちらに振り返った。しかし、直ぐに奴は表情を引き締めて臨戦態勢へと入る。


 感じ取ったのだろう、こちらの殺気に。


 瞬時に飛び起きる。距離は数十メートル。一足で詰めるには少し離れすぎている。

 こちらが肉薄するまでの隙に足元に付しているグレンへと標的が変わってしまうのは頂けない。


 だから、僕は手に握られていた短刀を無意識に化け物へと投擲した。それと同時に間合いを詰めるために地面を蹴る。


 化け物はひらりと横にステップして僕の投げナイフを躱そうとする。それだけで奴とグレンの距離は少しだけ離れる。


「そんな攻撃で俺を倒せると───なッ!?」


 役割としてはその投擲は十分に仕事を果たした。しかし、思いのほか放ったナイフは速かったのか、既のところで化け物の右腕をあっさりと切断した。


「───え?」


 予想だにしないその結果に僕自身も思わず気の抜けた声が出る。


 本当に牽制のつもりで投げナイフだったが思った以上の儲けが出た。


 ───でも腕を切断するほどの勢いを込めたつもりは……。


 再び疑問が浮かび上がるが考えないようにする。


 どちらにせよ好機なことには変わりない。これで奴の剣を無力化できた。あとは間合いに入って、今度こそ奴を斬り伏せるだけだ。


 化け物は依然として右腕が突然失くなったことに狼狽えている。

 こちらに警戒もせずに焦って後方へと転がった腕を回収しようとしている。

 その姿が妙に間抜けに見えて、先程までの圧倒的な力量差は感じられない。


「───」


「く、来るなぁッ!!」


 いつの間にか僕は奴の背後まで距離を詰めていた。


 僕の気配に気がついた化け物は今にも泣きそうな顔で喚く。今まで放っていた強者の圧力はそいつからは感じられず、異様に小さく見える。


 しかし、よく考えて欲しい。何をそんなに怯えることがあるのか。

 今の僕は唯一の武器である短刀を投擲して徒手空拳だ。右腕と一緒に転がっているそのナイフを回収しなければ致命的な一撃を与えることは難しい。


「ッ!!」


 それにようやく目の前の化け物も気がついたのか、途端に挑発的な笑みを浮かべる。


「ハッ!そんな丸腰で何をしようと───」


 だがしかし、勘違いしないで欲しい。

 何も僕は考え無しで唯一の武器を投擲に利用した訳では無い。

 実の所はまだ有るのだ、致命的な攻撃手段が。


 深く腰を落として、両手で剣を持ったように構えを取る。

 そして慣れた様子で呟けばそれは手に突然収まる。


「拾え」


 僕の意思を読み取り、スキルは何のことを言っているのか直ぐに判断してそれを拾った。


 亜空間から拾ったそれは、先の戦いで手に入れていた〈惨殺の悪魔帝〉が使用していた禍々しい姿の大剣だ。


「───は?」


 突然僕の手に現れた大剣を見て、化け物は再び呆けた顔をする。そして直ぐにその表情を焦燥へと変えると、その場から逃走を図る。


 だが、もう遅い。


「お前は人の道を外れすぎた」


 確かに感じる大剣の圧倒的な質量。しかし、妙に手に馴染むその感覚に僕は自然に剣を振り抜いていた。


「や────」


 下段からの斬り上げ。その一撃で化け物は真っ二つになり、その姿を灰の様に爆散させた。


 少しの間、その場に静寂が訪れる。

 宙を舞う灰は炎に照らされ、まるで星屑のようで、まさかそれが人の成れの果てであるとは思えなかった。


 妙なわだかまりを覚えながら僕は構えを解いて大剣を再び亜空間へと戻す。そして投げ放った短刀を回収すれば、直ぐに倒れた仲間たちの元へと駆け寄る。


「グレンっ!ルミネっ!」


 胸を貫かれるという致命傷を負った二人。血も大量に流したことで死ぬ寸前かと思ったが、幸いにもまだ息があった。


 グレンはスキルのお陰もあってか傷が塞がり始めており、ルミネも無意識にスキルで回復を施していたのか直ぐに死ぬということは無い。


 それでも危ないことには変わりないので、僕は亜空間から二つのハイポーションを取り出して、二人に飲ませる。


 普通のポーションとはその回復量が段違いなハイポーションのお陰で、二人の顔色はみるみる良くなり、呼吸も安定していく。


「テイク……くん?」


「ルミネっ!目が覚めてよかった……」


 数分もせずにルミネが目を開ける。それを確認して一気に安堵が押し寄せてきた。


 彼女は重たそうな瞼を何とか持ち上げながら辺りを見渡している。そうしているうちに状況を思い出したのか慌てた様子で身体を持ち上げた。


「ッ!あの化け物は……!?」


「大丈夫、もうあいつは居ない」


「そう……ですか……」


 僕の言葉に安堵した様子のルミネは次いで心配するように僕を見た。


「テイクくん、その胸の傷───す、直ぐに治療を!!」


「僕は大丈夫だから、先にグレンを治療してあげて。ハイポーションを飲ませたけど、それでもまだ辛そうだから」


「は、はい!分かりました!」


 僕の指示にルミネは勢いよく頷くと、即座にグレンの治療へとあたった。


 ルミネがスキルによる治療を施す様子を眺めながら僕もハイポーションを飲んで一息つく。不意に自身の胸を見遣れば、そこには剣で貫かれた痕は残っていたが、傷は完全に塞がっていた。


 ───今飲んだハイポーションで直したわけじゃないし、さっきの激痛の途中で塞がったのかな?


 次いで無数の疑問と先程のことが脳裏に浮かび上がるが、それを押し止めるように全身に気だるい感覚がやって来る。


「……あれ?」


 立っているのもままならなくなって、地面に尻もちを着いてしまう。

 そして、異様な睡魔が襲いかかり、強制的に瞼を落とそうとしてくる。


 ───今ここで寝る訳には……。


 気がつけば今までけたたましかった辺りは沈静化し始めていたが、それでもまだ油断はできない。様々な後処理がまだ残っているので、おちおち寝ている暇もないのだが───それでもこの睡魔に抗うことは難しかったを


 ───もう無理だ。


 そう判断したのと同時に視界が暗転して、僕は地面へと仰向けで倒れ込む。


「て、テイクくん!?」


 薄れゆく意識の中で、大変慌てた様子のルミネの声が聞こえてきたが、もうそれに答える元気も無くなっていた。


 そうして僕は深い眠りにつき、この突如として起きた未曾有の騒動は緩やかに幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る