第109話 哀れな男

 煌々と燃え盛る炎。至る所から黒い煙が立ち込めて、夜空に吸い込まれていく。綺麗な街並みは消え失せ、そこにあるのは地獄のような光景だけ。


 地上には無数のモンスター。

 奴らは本能のままに近くにある建物を破壊し、逃げ惑う人々へ襲いかかる。


 どうして大迷宮の中にいるはずの生き物が地上へと出てきて暴れ回っているのか。その理由を知るものはこの場には存在しない。


「うわぁああああああん!!」


 小さな少女が泣き叫ぶ。

 この散々たる光景がただ只管に怖くて、何をどうしていいか分からないから泣いていた。

 走って逃げようにも体は上手に言うことを聞いてはくれない。


 徐に少女の頭上に影が差した。少女が泣きじゃくりながら視線を上げたその先にいたのは悪魔型のモンスター〈猟奇の悪魔バザール〉であった。


「ゲギャアアアアアッ!」


「ひっ……!!」


 至近距離で咆哮する悪魔に少女は顔を顰めることしか出来ない。


 幼い少女であってもその状況に死の直感は至極当然だ。少女は泣くことも忘れて、今か今かと訪れようとしている恐怖に身を震わせた。


 勢いよく振り上げられた悪魔の鋭利な鉤爪。それは無情にも少女の元へと落ちていく。

 周りにモンスターを駆除している探索者や、避難誘導をしている人間はいない。少女は完全に逃げ遅れた一人であった。


 万が一にも助けなどない。状況がそれを突きつけていた。少女は強く目を瞑って理不尽な死の出迎えを待つ。

 しかし、少女の予想に反してその鋭利な鉤爪は一向にやってこない。


「ゲギャアァアアアアッ!?」


「えっ……?」


 代わりに聞こえてきたのは間抜けな断末魔。

 反射的に目を開いて、状況の把握に務めると少女が見たのは頭から真っ二つにされた悪魔の姿だった。


 ───何が起きたのか?

 数秒、その光景を見て考える。


 ───そもそも誰が自分を助けてくれたのか?

 弾けるように浮かぶ疑問の中で一番気になったことを確認するべく、辺りを見渡せばすぐに答えは見つかった。


「ふぅ……ふぅ……」


「……」


 そこに居たのは果たして人間か。いや、荒い呼吸や血走った眼はモンスターと言われても不思議では無い。


 その男は探索者のようで無造作に剣をぶら下げて、地面へと座り込んでいた少女に鋭い眼光を向けた。


「……」


「ひっ」


 言葉は無い。しかし、少女は男の威圧感に耐えきれず無意識に立ち上がって広場の方へと走り出した。


 男はそれを追いかけることも無く。すぐに走り去った少女から視線を切って、何処かから湧いて出てきた〈猟奇の悪魔〉へと向かう。


「「「ゲギャアアアアア!!」」」


 どういう訳か〈猟奇の悪魔〉は男を見つけても襲いかかってくることは無い。寧ろ、付き従うべき主のように従順な視線を向けて、雄叫びを上げる。


 だが探索者の男───カルナはその妙に耳障りな雄叫びが気に入らず、近くに居た悪魔たちを無惨に一刀両断した。


「「「ッ!?」」」


 まさか仲間だと、主だと思っていた男に斬り殺されるとは思っていなかった悪魔達は、驚愕の色を残したまま地面に斃れた。


 地面に転がる肉塊へは一瞥もくれずに、カルナは荒らげた呼吸のまま焼け落ちた〈セントラルストリート〉を進んでいく。

 彷徨うようなその足取りに目的性は感じられないが、カルナは確かな目的を持って歩みを進めていた。


「───殺ス……殺ス……!!」


 まるで濁流のように滲み出る殺意は時間が経つごとに増していく。


 視界の端に何かが映り込む。

 それは武装した人間であり、モンスターの駆逐に奔走していた探索者だった。


 そうだと判断した瞬間にカルナは視界に入った探索者の首を刎ねて殺した。

 その探索者と一人の男の姿が重なって、空いていた心の内が少し満たされる。


「あっ……がっ……!!」


 絶命する探索者の頭を踏み潰す。

 そんな惨たらしい光景を観測するのはカルナただ一人のみ。


 ふと、ぺちゃんこになった人の頭だったものを見てカルナは思った。


 ───どうしてこんなことをしているのか?


 それは本当に唐突に、ほんの一瞬だけ正気に戻されたような感覚。

 しかし、そんな正気を塗り潰すかのように無数の衝動がカルナを駆り立てた。


 暴れろ、壊せ、奪え、殺せ……。それは一言では言い表すことは難しかったが、常人が到底考えるべきことではなかった。


 冷静になっては狂って、正気に戻っては狂った。ここまで来るのにそんなことを何度もカルナは繰り返していた。


「殺ス……殺ス……」


 ───………。


 次第に彼の精神は乖離していく。

 それは陰と陽、はたまた静と動。それこそ正気な彼と狂った彼が反発したように別れた。


 身体の主導権は現在進行形で暴れていることから分かる通り〈狂った〉方。〈正気〉はただ傍観することと脳裏の隅で思考することしか許されていなかった。


「うぐぁぁあああっ!!」


 また一人。胸を一突きで殺す。

 力強く反発する筋肉の感触を覚えながら、〈正気〉は思考する。


 ───どこで間違えたのだろう?


 元来、カルナという男は根っからの悪人という訳ではなかった。

 幼い頃はごく普通の子供。グレンとの仲も良好で、二人は〈親友〉と呼ぶには申し分のない信頼関係を築けていた。


 それがどうして殺意が湧くほどまでに関係が悪くなったのか。それは、ほんの些細な嫉妬から始まってしまった。


 故郷を飛び出し、幼い頃からの夢である探索者になった二人は、迷宮都市で見る見るうちに名声を上げた。そんな中で、二人はよく比較されることが多くなった。


「どちらが優秀な探索者なのか?」


 それは周りの娯楽に過ぎない問答。

 端から「どちらがどっち」なんて優劣を付けられる議題ではなかった。

 しかし周りの人間は盛り上がり、果たしてこの話題の軍配はグレンに上がった。


 もし、この話が内々だけの話題で済めば何も問題は無かっただろう。だが、噂話というのは簡単に伝播してしまう。

 案の定、この話はカルナは勿論〈常闇の翔〉の全員の耳に入った。


 これにグレンはさして気にした様子もなく。「無駄な問答だ」と一蹴。付け足して「俺たちは仲間なのだからどちらが上なんて話では無い」と、至極真っ当な事も言った。


 反してカルナはこの噂話を気にしてしまった。ちょうどパーティーが軌道に乗り始めてリーダーとして仲間を率いることの大変さや、実力不足を痛感していた頃の話である。この話題はカルナに劣等感と嫉妬の気持ちを芽生えさせた。


 その感情と言うのも最初は「負けたくない」「対等でいたい」「同じ高みを目指したい」と至極真っ当で健全な思いであった。


 この話題を経て、彼らは互いに切磋琢磨し、探索者として更なる高みへと上り詰めることになる。しかし、その先でカルナは気がついてしまう。


「どれだけ頑張っても追いつけない」


 時間が経つにつれてカルナはグレンとの力量の差を思い知った。探索者としての実力、仲間を率いる統率力、物腰柔らかな人柄……どれだけ努力しようともその実力の差が埋まらないことを嘆いた。


 そこから二人の間には妙な隙間ができてしまった。表面上は至って普通。しかし、心の内でカルナは劣等感や嫉妬の感情をどんどんと蓄積させていった。いつしかそれは憎しみへと変わり、かつての健全な思いは塗り変わってしまう。


 そして、魔が差してしまった。


 それはグレンの一人を外して、他の仲間内で酒場に行った時の話だ。

 グレンが野暮用でその席に居ないことに、カルナは上機嫌で酒を飲み、楽しそうに笑っていた。気がつけば随分と酒も周り、意識もふわふわと朧気。そろそろお開きにしようかと考えていた時だった。


「やあ、色々とお困りのようだね?」


 その男は不意に、突如として、当然かのようにカルナ達の前に現れた。


 ボロの外套に身を包んで、顔をフードで深く隠した男を見てカルナが抱いた感情は「怪しいヤツ」と当然のもの。しかしどういう訳か男は見た目に反してフレンドリーで、言葉巧みにカルナ達の懐に入り込んだ。


 その異様に光る金色の瞳に見られたカルナは気がつけば男に事の経緯を全て話し、男の助言に耳を傾けていた。


「そっかそっか〜!それは辛かったね〜。よかったら僕に君を手伝わせてくれないかな?」


「手伝う?」


「そう!その代わり君も僕の頼み事を聞いてくれない?」


 そして、カルナはいつの間にか赤い錠剤の入った瓶を男から手渡されていた。


「……これは?」


「それは。きっと君の力になってくれるよ」


 気味の悪いその瓶を一瞥して、カルナは質問するが返ってきたのは要領を得ない返答だった。

 意味ありげにニヤリと口角を上げた男にカルナは訝しむが、続けられた男の言葉に驚愕する。


「その薬はね────」


 耳元で囁かれた言葉の内容を簡単に言ってしまえば「その赤い薬を飲むだけで簡単に強くなれる」という単純なもの。

 自身の成長に行き詰まりを感じていたカルナにとってとても都合の良い薬だった。


 しかし、驚いたのと同時にカルナの猜疑心は募るばかりだった。

 当然と言えば当然。あまりにも男の話はカルナに都合が良すぎたのだ。これで疑わない方が難しかった。


 すぐに受け取った瓶を男に返して、その場を離れようとするが、どういう訳かカルナは意思に反して男の提案を受け入れて、薬を受け取った。


「良かった!これで契約は成立だ」


 まるで何かに身体が乗っ取られたようなその感覚に、カルナは一瞬たじろぐがすぐにそれが当然の選択だとすんなりと納得した。


 気がつけばその男の姿は消えていて、残ったのは手に握られた小瓶のみ。

 まるで幽霊にでも化けられたような気分のカルナであったが、彼は確かに男の言葉や約束を覚えており、男に言われた通り行動を始めた。


 男の言葉通り、その赤い錠剤は妙な効果を持っていて、すぐにカルナ達は異常な成長を実感できた。

 見る見るうちに上がる能力値、一ヶ月も経たずにレベルも1つ上がって、探索を順調に進めて行った。


 気が付けばあれほど追いつけないと思っていたグレンを圧倒できるほどの力を手に入れて、あまつさえ憎くて仕方なかった彼をパーティーから追放することも出来た。


 正に絶頂。薬を飲めば飲むほどステータスは伸びて強くなれる。グレンがいなくても難なく最深層の攻略が出来る。

 カルナは薬によって得られた超越感、全能感に酔いしれていた。


 しかしそんな絶頂も長くは続かず、すぐに綻びが見え始めた。

 日に日に薬の効果は薄れていき、どれだけ飲んでもステータスが伸びなくなった。それなのに薬を飲んでいないと妙な飢餓感と焦燥に駆られて、平静を保てなかった。


 心は荒んでいき薬を奪い合う。

 薬が摂取できなければ気が狂い、喉が擦り切れんばかりに発狂した。


 そうなってからのカルナの記憶はとても曖昧だった。


 探索をしていたのか、酒場で酒を飲んでいたのか、それとも娼婦に行って女と寝ていたのか、何をしていたのか全てが曖昧で覚えられていなかった。


 ただ分かることはずっととある衝動に襲われ続けていること。それは破壊か惨殺か復讐か、今の彼には判断できなかった。


 気がつけば今も彼は炎で沈む迷宮都市で暴虐の限りを尽くしている。目に映るもの全てを壊して、殺した。


 もう何も分からない。

 どうしてあんな薬に手を出してしまったのかも、どうしてあの男の言葉に耳を貸してしまったのか、どうして人をこんなに殺しているのか。何もかもが分からなかった。


 ただ彼を突き動かすのは男と交わしたはずの約束のみ。

 その約束の内容すらもカルナは忘れてしまったが、ただこうすればいいことは分かっていた。


 その男には既に理性と言うものは存在しない。


 依然として建物を、人を殺す自身を俯瞰して、乖離した〈正気〉な感情は思う。


 ───どこで間違えてしまったのだろう。


 もう殆どの権利を持ちえないその感情は自身の過ちを思い返して後悔することしか出来ない。


 ───救いなんて求めていいはずもない。


 自業自得ということも分かっていた。もうその感情にはどうすることも出来ない。ただ自身が重ねていく罪を受け入れて、孤独に懺悔するのみ。救いなど本当にない。


 また一人、殺した手の生ぬるい感触。罪悪感に苛まれて、死に場所を求める。


「アァ……アァ……」


 宛もなく進む。

 そして進んだ先にその男はいた。


「───カルナ……」


 それはかつての友。

 異様に背丈が高く、今にも死にそうな白い肌をした灰人エンバーの青年。


 二人がそこで再会するのは必然であった。

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