第98話 トラブル

 毎夜、たくさんの人で賑わう酒場というのは往々にしてトラブルが頻繁に起きる場でもある。だいたい、酒場で起きる喧嘩やトラブルの理由というのはしょうもない。


 やれ、「肩がぶつかった」だの、「声がうるさい」だの、「気に入らない」だの、その理由は意味不明で理不尽、バカバカしいものばかりだ。

 しかし、そんな中でも特にしょうもなくて、厄介なのは店員のナンパだろう。


 どういう訳か酒場で働く女性というのは総じて見目麗しい人が多い。

 それは客商売と言うことで、客寄せの意味でそういう人を雇用しているのだろうが、それを考えても美人が多いイメージだ。


 そんな美人が接客をしていれば、酒の入った男の客は脈もないのに無駄なアプローチを掛けたがる。


 まさに今のように。


「いいだろ?俺と一緒に飲んでくれてもいいじゃないか」


「ごめんなさい。そういうのは困ります……」


 異様に煌びやかな装飾の施された鎧具足を身に纏った男は近くを通り掛かった一人の女性店員に声をかけていた。


 ひと目でその男は探索者だと言うのは分かった。次いで、そいつはこの迷宮都市でも屈指の実力者だということも。

 だから女性店員も弱々しい声で断ることしか出来なかった。


 そんな女性を見て、男は何を勘違いしたのかそそくさとその場を去ろうとする女性の手を掴んで引き止める。


「恥ずかしがらなくてもいいんだよ?大丈夫、絶対に後悔させない。君に最高の夜を約束しよう」


「や、やめてください!!」


 女性は男の手を振り払おうとするが、どうにも上手くいかない。寧ろ、男の手は更に女性の腕をしっかりと掴み取った。


「いいじゃないか。この後、暇だろ?」


 女性の悲鳴を聞いても男はその手を話すことは無い。


 場の雰囲気は怪しく曇っていく。今までそこら中から聞こえてきた楽しげな声は途端に聞こえなくなり。一斉に男と女性がいるテーブルに注目が集まる。


 各テーブルから息を潜めた内緒話が飛び交う。


「おい、あれって〈常闇の翔〉の……」


「カルナってあんなことする奴だったか?」


「いや、初めて見た」


「なんか最近のアイツ、様子がおかしくねぇか?」


「レベル7になって調子に乗ってんだろ」


「おいやめろって……!聞こえるぞ」


 どうにもそれはその男の良い話とは違った。いや、こんなあからさまな現場を目撃しておいてソイツを褒め称えるような話をする人間なんてそうそういないだろう。


 とにかく、探索者の男───カルナと女性店員───レフィア、二人のやり取りは酒場の全員が傍観するだけで、誰一人として助けに入ろうとはしない。


 それは他の従業員や店主も同じだった。

 だがそれは仕方の無いことだろう。相手はレベル7の探索者だ、そんな相手に挑めるほど彼らは強くはなかった。


「あんなカスなんかより俺と遊んだ方が楽しいさ。違うか?」


「そ、そんなことないです……!お願いだから離してください!」


「ははは!そんなこと言われたらますます離したく無くなるなぁ」


 依然としてカルナはレフィアを離さずに、しつこく言いよる。


 次第に彼の手には力が入って、レフィアの細く華奢な腕は窮屈に締め付けられていく。同時に彼女の表情は苦しげなものになり、その綺麗な瞳にはたくさんの涙が溜まっていた。


 誰もどうすることは出来ない。

 場の雰囲気が最高潮に最悪になろうとしたところで、その男は二人の間に割って入った。


「何してるんだカルナ!!」


 それは異様に背の高い、地味な鎧具足の灰人エンバーの青年だ。彼はレフィアに伸びたカルナの手を掴みとって、カルナを睨みつける。


 カルナから解放されたレフィアは反射的にその青年の後ろへと隠れた。

 それを忌々しそうにカルナは睨み返す。


「ああ?なんだグレン。テメェには関係ないだろ」


 一触即発。カルナは青年───グレンの腕を簡単に振り払うと、席から立ち上がった。


 背丈はグレンが少し高いぐらい。しかし、そんなこと気にせずにカルナはグレンの胸ぐらを掴んで静かな怒りを露わにする。


「いい所を邪魔してんじゃねぇよ。雑魚はすっこんでろ……殺すぞ?」


「っ……彼女は嫌がっていただろ。それを無理やり……何を考えているんだ」


 カルナの酒気を帯びた息にグレンは顔を顰める。奴は相当な量の酒を飲んでいるようで、顔は茹でダコのように真っ赤だ。


 追放されたとは言え、元パーティーメンバーだ。グレンはカルナのその様子には数え切れないほどの覚えがあり、「またいつものあれか」と内心で溜息をこぼす。


「とりあえず水でも飲んで落ち着け。得意じゃない癖にどうしていつもそう考え無しで飲むんだ……」


 胸ぐらを掴んで離そうとしないカルナを何とか宥めて席に座らせようとする。

 しかしグレンのその態度が気に入らなかったのか、カルナはグレンを突き飛ばすと叫んだ。


「うっせぇんだよッ!いつも何でもわかったような口利きやがって!俺はお前のそういうところが気に入らねぇんだよ!いつまでも俺の事を見下してんじゃねぇぞッ!!」


「そ、そんなつもりは……とにかく落ち着けって、周りの人にも迷惑が……」


 グレンは何とか踏ん張って倒れることは無かったが、カルナの激高ぶりに困惑する。


 ───こんな怒ったカルナは初めてだ……。


 経験のないカルナの様子にグレンは一瞬怯む。だが彼は引くわけにはいかなかった。

 今もその後ろには想い人が不安そうにしているのだ。ならば彼がするべきことは決まっていた。


「ほ、本当に落ち着け……俺も悪かっ────ぐ、はッ!?」


「グレンさん!?」


 覚悟を決めた直後だった。

 グレンの眼前にはいつの間にか鋭く振り抜れた拳が迫っており、顔面で思い切りそれを受け止めた。


 宙を浮く体。甲高い悲鳴。ぐにゃりと視界は歪んで何が起こったのか即座に判断するのは不可能であった。


 気がつけばグレンは店の床に倒れていた。鼻を中心に異常な熱が帯びて、遅れて激痛が迫ってきた。

 唸りながら何が起きたのかを確認するために目を開けばそこには、息を荒くする元仲間の姿だ。


「うっせぇって言ったのが聞こえなかったのか?」


 まるでゴミでも見るかのような、憎たらしいものを射殺すその眼光にグレンは恐怖を覚えた。


「はぁ……もうガンマンならねぇ。殺す……」


 天を仰いでカルナは徐にテーブルに立てかけていた直剣を手にかける。

 鞘を脱ぎ捨てて、顕になった刀身は白銀。それを上段に構えて、勢いよく振り下ろそうとする。


「やっ、やめて!!」


 レフィアの悲痛な叫びが走る。

 カルナのまさかの行動に店内は騒然とするしかない。


 ───間に合わない。


 そこにいる誰もがそう思った。

 しかし、カルナの振り下ろした刃はグレンに届くことは無かった。


 ・

 ・

 ・


「それはやり過ぎじゃないですか?」


 上段から振り抜かれた剣を素早く抜き放った短刀で受け止めながら、僕は言った。


「なっ……お前ッ!!」


 目の前の男はまさか剣が止められるとは思っていなかったのか驚愕の表情だ。

 男は咄嗟に剣を引っ込めると鋭く睨みつけてくる。


「テイク……すまん……」


「僕の方こそごめん。本当はカッコイイところを横取りはしたくなかったんだけど、流石にこれは見過ごせない」


 背後から申し訳なさそうな声が聞こえてくる。それを僕は冗談交じりに返して、短刀を鞘に収めた。


 何も殺し合いをしようという訳では無い。武器を使うのは今の一撃だけで十分だ。後は話し合いで何とか───


「は、難しいそうかな」


 ───と思ったが、目の前の男はどうやらそのつもりは無いらしい。

 依然として剣を構えて引こうとはしない。


「邪魔だ、そこを退けクソガキ。それともお前がソイツの代わりに死ぬか?」


「死ぬ気は無いです。後ろの仲間を殺す気もありません」


「ふざけとこと抜かしんでんじゃねぇぞ……本当に斬り殺すぞッ!!」


 僕の返答にカルナは怒り狂って再び剣を振り抜く。


 今度は先程よりも更に速い。

 だが僕はそれを迎え撃つことはせずにただ真っ直ぐに見た。このまま行けば僕はその剣に肩から真っ二つにされることだろう。


 瞬き一つで剣が届く。そう判断した瞬間に僕は一歩前に飛び出して、剣が握られたカルナの手首を掴み取る。

 それでピタリと剣は動きを止めて、攻撃は中断された。


「ッ!!」


 まさか二度も攻撃を止められるとは思っていなかったのかカルナは急に接近した僕にまたも驚く。


 ───聞く耳を持たないなら少し荒手でいかせもらおう。


 僕は掴んだ手首を離さずに、寧ろ一層に握る力を強める。

 それによって強制的に奴の手は開いて、握っていた剣が床に落ちて突き刺さった。


 これで攻撃力は削いだ。後は話し合いで何とか退散してもらおう。


「周りをよく見てください。皆さん迷惑してるんです、まだ暴れるんなら衛兵を呼びますよ?」


「ちっ……クソッ……離せ!」


 僕の一言で周りを一瞥し状況を理解したのか、カルナは荒々しく僕の手を振りほどくと床に落ちた剣を鞘に収めた。


 そして「行くぞ」と一言だけ一緒に飲んでいた仲間に言うと、酒場を後にした。

 去り際に、カルナはこちらを見ると本当にいなくなった。


 それで一連の騒動は終わる。

 今まで息を飲むように僕たちのやり取りを見ていた周りの客は、カルナがいなくなった途端に「うぉおおおおっ!」と歓声を上げて盛り上がり始めた。


「テイクくん!」


 そんな歓声と同時にルミネが心配そうに駆け寄ってくる。

 それに僕は「大丈夫だよ」と言うと、床に座り込んで顔を抑えているグレンへと歩み寄る。


「大丈夫、グレン?」


「ああ、何とか……いてて」


「回復しますね」


 もうすっかりと酔いが覚め、ルミネのスキルで回復してもらうと、グレンは何とか一人で立ち上がった。

 まだ意識が朦朧とするのかフラつく彼をレフィアさんが寄り添って支えている。


 ───なんだかいい感じだ。


 二人の放つ甘い雰囲気を察して僕はフェードアウトするように元のテーブル席へと戻る。周りの客はそれを気にすることなくグレンに絡んで、先程の事を褒めたたえていた。


 そんな光景を視界の端で捉えつつ、僕は店の出口を無意識に眺める。


 ───これ以上何も無ければいいけど……。


 カルナに見られた時の妙な違和感を思い返しながら、僕はとっくの前にぬるくなったエールを一気に呷った。

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