第90話 靄がかかる

 一番最初に感じたのはやはり既視感。次いで、遣る瀬無い怒りが全身を駆け巡った。


「っ……!」


 呆然と地面にへたり込んで動かない青年を見つめる。


 今、目の前で起こったことは自分には関係ない。冷たい言い方だが、明らかな他人事だ。だけど、どうにも僕にはそう簡単に片付けられるものではなかった。


 その理由は一重に自分も同じような経験をしたことがあるからなのだろうか。


 いつの間にか多くの野次馬が一連の流れを見ていた。そして、一人取り残された青年に哀れんだ瞳を向ける。ヒソヒソとあちこちで話し声が聞こえてきた。


「おい、大丈夫か、あいつ?」


「あれって〈常闇の翔〉だよな?」


「可哀想な話だが仕方ない話だよな」


「ああ、仲間を思うからこその決断だ」


 青年を心配する声が半分。そしてまるで今のやり取りを美談にでもするような声が半分だ。


 確かに、傍から見れば今のやり取りは悲壮だ、迷宮都市ではよくあるパーティーの決別の一つだ。どちらも悪くない。それは英断なのだと思えてしまうだろう。


 しかし、似たような経験をしたからこそ分かることがあった。今のやり取りの中にそんな美談じみた理由など一切ない。


 ───最悪な気分だ。


 無意識に脳裏に昔の懐かしい記憶がフラッシュバックした。その記憶は今しがた去り際に零れたリーダー格の男の醜悪な笑みと重なる。


 そもそもがおかしな話だ。

 なんでこんな真昼間に、それもこんな人通りの多いこんなところで仲間のクビ通告をする必要がある。


 ───完全な見せしめでじゃないか。


 美談にしたいのならば、彼らに美しい仲間意識があったのならばこんなことはしない。もっと他人の入る余地がない空間でするべき話だ。


 それを何を勘違いしているのか周りの野次馬は呑気に今の光景を美談にしようとしている。これはそんな簡単な話では無いのに。


「テイクくん……私……!」


「……」


 袖が引かれて隣を見ればルミネが悲しそうにその整った顔立ちを歪めていた。今にも駆け寄って声をかけそうな彼女を引き止めて僕は首を横に振る。

 不用意に声を掛けるべきじゃない。そう思った。


 今の青年の顔には見覚えがある。あれは本当に絶望している人間がする顔だ。そんな人間にどんな言葉をかけようと何も届きはしない。赤の他人の声に耳を傾けられるほどの平静なんでありはしないのだ。


「……………」


 徐にその青年は立ち上がった。異様に背の高い彼はふらふらと覚束無い足取りで何処かへと歩き出した。


 それを止めようとする野次馬は一人としていない。ただ、慌てたように彼が通る道を開けて、気まずそうに散開するばかりだ。


 行き場のない不透明な燻りが内に溜まる。それを発散させるにはどうすればいいのか、妙案などあるはずもなく。僕は他人事とは思えない灰人の探索者の背中をただ見つめることしか出来なかった。


 ・

 ・

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 肌を激しい熱気が撫でる。薄暗い工房の中に灯るのは煌々と燃えたぎる炎。そこら中から怒鳴りつける声と、鉄を叩きつける音が聞こえてくる。

 普段ならばその熱気と騒がしさに圧倒されてしまうが、今日ばかりは妙にその雑多な雰囲気が心地よく思えた。


 探協前で僕はルミネと別れて、クロックバックの工房へと足を運んでいた。理由はメンテナンスに出していた装備を受け取るためだ。


 男の職人さんに工房の中に通されて、僕は装備のメンテナンスをしてくれた赤毛の女性───ヴィオラさんのもとを訪ねていた。


「なんだい辛気臭い顔して、ルミネと喧嘩でもしたのか?」


 僕の顔を見た彼女の第一声はそれだった。


「えっ……いえ、特に喧嘩とかはしてないですけど……そんな顔してましたか?」


「ああ、そりゃもう見てるこっちまで気が滅入りそうなほどにね」


 ぺたぺたと自分の顔を触って表情を確認してみるがイマイチ分からない。でも、どうして無意識にそんな表情になっていたのかは分かった。


 ヴィオラさんは一度完全に作業していた手を止めると、眉根を顰めて僕の方をまじまじと見た。


「なんかあったのか?」


「いや、特にこれといって何があったという訳ではないんですけど……」


「まあ、それなら別にいいんだが……もしまたルミネを悲しませるようなことをしたら、覚悟しときなよ」


「き、肝に銘じておきます……」


 ジロリと一睨みされて一瞬息が詰まる。

 ヴィオラさんには本当にお世話になりっぱなしで頭が上がらない。今の言葉はしっかりと覚えておかなければ。


 身が引き締まる思いでいるとヴィオラさんは他の職人から何やら大きめな木箱を受け取っていた。

 そして、その木箱を僕の目の前に置くと中から一つの布に包まれた武器を取り出した。


 包まれた布が剥がれると一本の黒い短刀が姿を表す。それは間違いなく僕がメンテナンスに出した〈不屈の黒鐵ペルセディオス〉だ。


「ほら、アンタがボロボロにした装備は見ての通り新品同然に直しておいた。今度はもう少し大事に使いなよ」


「あ、ありがとうございます!」


 足元の木箱の中には防具の方も入っており、これもまた綺麗に直っていた。あんなにボロボロだった装備がここまで完璧に直るとは、さすがは職人と言ったところだ。


 軽く出来上がった装備の確認をする。そして問題がないことを確認して僕は短刀を装備した。防具の方はしばらく探索は休むので【取捨選択】の亜空間に入れておく。


 そんな僕を見ていたヴィオラさんが不思議そうに聞いてくる。


「なんだ、この後は探索に行くんじゃないのか?」


「あ、はい。まだ地上ウエに戻ってきたばかりだし、しばらくの間は探索は休もうかと」


「そうか……まあ、あんなことがあったんだ。その方がいいかもね」


 僕の返答にヴィオラさんは少し安心したように頬を緩めた。その妙な優しげな笑みに思わず、ドキリと胸が脈打つ。


 無意識に視線を彼女から工房の中へとぐるりと彷徨わせる。

 いつも昼夜問わずに忙しそうにしているが、今日の工房は普段よりも更に忙しなさそうだった。


 気恥しさを誤魔化すように僕はヴィオラさんに質問をした。


「いつもより忙しそうですけど、工房の方も〈迷宮祭典フェスタ〉の影響で仕事が増えてるんですか?」


「まあね。普段の受注の他に飾り装飾だの、特別出店の骨組み依頼だのでもうてんやわんやだ」


「忙しい時期に武器のメンテナンスをお願いしてすみません……」


「気にすんな。テイクはお得意様だからね、大量の仕事があろうとアンタの仕事が最優先だ」


「……ありがたい限りです」


 気恥しさを誤魔化すために振った話だったが思わぬ一撃を貰ってしまう。


 ───工房の中が薄暗くて助かった。


 なんてことを考えているとどこかからヴィオラさんを呼ぶ男性の怒号が飛んできた。


「おい、ヴィオラ!いつまでも男とイチャついてねぇでこっち手伝え!また注文だ!!」


「っ……イチャついてなんかねぇよ!すぐ戻るから待ってろ!!」


 おちょくるような男性の声にヴィオラさんは怒鳴り返すと、恥ずかしそうにはにかんだ。


「悪いね、テイク。そろそろ仕事に戻るよ」


「僕の方こそ長々とすみませんでした。武器のメンテナンスありがとうございました。仕事、頑張ってくださいね」


「おう!」


 改めて僕は頭を下げてお礼をする。それをヴィオラさんは満足そうに受け取り、僕は工房を後にする。


 外へ出ると涼しい外気が肌を癒した。いつの間にか陽は沈みかけて、眩く最後の輝きを放っていた。


「……」


 先程よりも気持ちが幾分か晴れやかなことに気がつく。あの探索者はあの後どうしたのだろうか?と考えが過ぎる。


 それに付随して何となく昔のことを思い出しながら僕は帰路へとついた。

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