第89話 灰人の困惑

 ───どこで間違ってしまったのだろうか?


 無様に地面に手をついて、男は考える。

 どうしてこんなにことになっているのか、男は状況の整理ができず、困惑していた。

 探索者協会前の人通りが一番多い〈セントラルストリート〉。男は数人の探索者に囲まれていた。


 地面に向いていた視界を上にあげると、燦燦と輝く太陽が強い陽射しを降り注いでいた。あまりの眩しさに男は目を細めるが、直ぐに影が刺して楽になる。けれど、影が刺したと同時に心臓が一際大きく脈を打った。


 忌々しそうに睨みをきかせた男が視界に映った。歳の頃は20代前半、顔立ちは整っており、一般的に伊達男と呼ばれる部類に入るその男の名前はカルナと言う。

 カルナは深緑の髪を揺らして、依然として地面に手をついている灰人エンバーの男にこう言った。


「もう一度言う。グレン、今日限りでお前はパーティーから抜けてもらう」


「だから、いきなりどうして!?意味がわからないぞ!!」


 灰人の男───グレンは前髪で見え隠れする灰色の瞳を大きく見開いて抗議する。しかし、カルナは深いため息を吐いて呆れるばかり。


 ───どうしてこんなことに。


 グレンの思考は更に困惑する。

 それもそのはずだ。この理不尽な状況を素直に受け入れられる人がこの世にどれほどいるだろうか。


 傍から見れば一人の探索者がパーティーをクビにされて、納得がいかずに抗議している図。悲しいかな、その状況は別に迷宮都市ならば不思議でも何でもない光景だ。しかし、状況はそんなに簡単な話ではなかった。

 それはなんの前触れもなく、突然に訪れた。


 総勢6名で構成された探索者パーティー。彼らはこの迷宮都市ディメルタルではそれなりに有名な一団であった。Aランクパーティー〈常闇の翔〉と言えば、この迷宮都市で片手に入るほどの強豪パーティーだ。

 そんな高ランクパーティーが白昼堂々、探索者協会の前で仲間にクビ勧告をしていれば、それなりにギャラリーが集まってしまう。


 しかし、そんなこと全く歯牙にもかけずにカルナは地面でへたり込む灰人に告げた。


「いきなり?おいおい違うだろ、グレン。自分でも分かってるだろ?パーティーの足手まといになってるって」


「っ……!!」


「確かに今まで俺たちはお前にたくさん助けてもらったさ。お前の素晴らしい指揮がなかったら死んでた場面もある」


「それなら―――」


「でももうこの先、お前の実力じゃ足りない。レベル5でずっと足踏みしてるお前じゃあこの先の深層―――最前線なんて死にに行くようなもんだ。

 グレン……これは俺の仲間としての最後の恩情せもあるんだぜ?命の恩人をむざむざと死地へはやりたくないじゃないか」


 拳を握りしめて悔しそうに、さも「まだお前と冒険がしたい」とでも言いたそうにカルナは顔を苦し気に歪めた。傍から見れば、悲しいがとても涙ぐましい友情のやり取りだ。

 けれども、グレンは今のカルナのすべての言葉が全く響かず、あまつさえ嘘にしか思えなかった。そのグレンの感性は何一つ間違ってはいなかった。


 なぜならカルナもその他の仲間も瞳の奥では彼を「無様だ」とあざ笑っているのだから。表面上は全く持って分からないだろう。だが長年〈常闇の翔〉にいて、同じ時間を過ごしたグレンにとって彼らの心情は気持ち悪いほどに透けて見えた。


 ―――そういうことか。


 不意に心のどこかで納得できてしまう。つまりはそういうことなのだと。

 改めて状況を理解して、グレンは全身の力が抜けていくことを実感する。


 ―――こいつにとってやっぱり俺は邪魔な存在でしかなかったんだ。


 なんとなく分かってはいた。けれど、これまで数々の死線を共に乗り越えてきたのだ、そんな感情は薄れていくと無くなってくれていると、勝手に妄信していた。それが間違いだったのだ。

 カルナはグレンに対して「実力が足りてない」と言ったが、実際はそんなことなどなない。


〈常闇の翔〉は現在、大迷宮の第51階層までを踏破していた。それは所謂〈深層〉と定義される階層で選ばれたものにしか立ち入ることを許されない魔窟である。当然、生半可な実力では数時間も生き残ることなどできない。そんな魔窟でグレンは戦闘の要である盾役タンクと指揮統率の大役を担っていた。


 常に最前でモンスターの強力な一撃から仲間を守り、同時に仲間へと指示を飛ばして安全かつ効率的に戦闘を進めるための舵取り役であった。グレンのお陰で〈常闇の翔〉が命を拾ったのは一度や二度のことではなかった。このパーティーにグレンの存在は必要不可欠。決して、彼は「実力不足」などではなかったのだ。


 ならばなぜ急にグレンはリーダーのカルナからクビを言い渡されたのか。理由はとても私的で理不尽なものだった。カルナは気に入らなかったのである、リーダーの自分よりも優秀で人望があり頼りにされていたグレンが。


 決してカルナは無能なリーダーではなかった。社交的で物事を冷静に判断できる思慮深さ、そして人を引き付けるカリスマ性。それは確かにリーダーの素質であり、彼は優秀な探索者であった。しかしカルナは一度だけ見誤ってしまった。自分よりもグレンの方が優秀に思えて、その才能に嫉妬してしまった。決して、どちらかが優秀だと優劣をつけられる話でもないのに。


 そんなことをカルナが思ってしまったのは、彼とグレンが同郷のよしみという事もあったのだろう。いつも彼はグレンに対してどこか劣等感を感じてしまっていた。そんな思いが積み重なり、そして様々な要素が噛み合ってこのようなことが起きてしまった。


 カルナに後悔や後ろめたさはなかった。むしろ彼は快感すら感じていた。どこかその男はネジが狂っているように思えた。しかし、深い蟠りに気が付いてしてしまったグレンはその微妙な変化に気が付くことはできない。状況は最悪だ。


 ギャラリーの数がいつの間にかすごいことになっていた。場の雰囲気的にグレンがここからパーティーに戻れる可能性など微塵もない。

 縋るようにグレンは今一度、カルナの双眸をのぞき込む。だがその双眸は仲間に向けられるものではない。拒絶と侮蔑、そして嘲笑。分かりきっていることではあったが、カルナはグレンのことをもう仲間とは思っていなかった。彼の後ろに控える他の仲間もそうだ。


 ―――本当にもうどうしようもないんだな。


 諦念が押し寄せる。追い打ちをかけるようにカルナは言葉を吐き捨てた。


「俺たちだってつらい、だけど分かってくれ。今までありがとうお前との冒険は本当に楽しかったよ」


「……」


 カルナはわざとらしく嘘泣きまでした。この公開処刑ともいえる〈グレンの追放〉の体裁を保つために、輝かしい美談にするために演出をする。しかしその仮面の下はひどく醜悪な笑みが張り付いていることだろう。


 透けて見えた。怒りも憤りも、遣る瀬無さも、理不尽さも内の中ですべて綯交ぜになって気が狂いそうだった。だけどグレンはこの状況を受け入れるしかなっかた。何よりも彼が悲しかったのはずっと親友だと思っていた男に裏切られたということ。幼い日にした約束を今でも追いかけていたのは自分だけだったのだということ。


「それじゃあな、グレン」


 視界が狭く、暗く、閉ざされていくような感覚を覚えるなか、頭上からはあっさりとしたカルナの別れの言葉が聞こえた。

 影が晴れた。再び、暖かい太陽の光がグレンを照らす。


 ―――燃えて、灰になりそうだ。


「はは……」


 自嘲的な笑みがこぼれた。

 本当に灰になって消えてしまいたい、なんてことをグレンは考える。


 ―――やろうと思えばそれも簡単か。


 自暴自棄になるなという方がおかしな話であった。

 今の彼は一歩間違えれば本当に灰になってしまう。それは比喩でも何でもなく、本当の意味で。

 彼の種族〈灰人エンバー〉とはそういう種族だ。


 けれどグレンは本当の意味で灰になる気なんてなかった。なぜなら彼はまだ夢を諦めたわけではないのだから。


「……」


 徐にその探索者は立ち上がる。

 ギャラリーが想像していたよりもその探索者の背丈は大きかった。だがその大きな背をごまかすように灰人の探索者は背を丸めて、自信なさげに人気のない裏路地へと歩き出した。


 そこで一連の流れを見ていたギャラリーは蜘蛛の子を散らすように解散する。

 

 ―――とても酷いものを見た。







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