第86話 幕間

 仄暗い穴蔵。そこに響くのは獣の荒い息遣いと剣戟のみ。

 銀光が走る。鋭い軌跡を描いたそれは一直線にバケモノを真っ二つにした。


 断末魔さえ上げられず、牛頭人のバケモノは地面に斃れた。それが当然のことと言わんばかりに複数の武装した人間が見下す。

 戦闘……と呼ぶには余りにも一方的な光景。


 武装した集団は斃れたバケモノを無視して先へと進む。彼らが望むのはこんな雑魚ではなく、この先にある未知である。


 大迷宮グレイブホール深層第59階層。そこは選ばれた者しか足を踏み入れることが出来ない最前線である。


 この迷宮都市ディメタルでもここまで降りてこれる探索者は限られる。それこそ片手……いや、指が1、2本あれば十分だ。

 彼らはその片方の一本であった。


 Sランクパーティ〈聖なる覇者〉と言えば、迷宮都市で知らない者はいない。

 探索のスペシャリスト。常に最前を歩き、未知を解き明かし、切り拓いていく探求者。


 そんな彼らは現在、最深層である59階層の踏破を目前に控えていた。

 索敵兼マッピング班の予想が正しければ、この先に下の階層へと続く道があると思われた。


 一団は安全地帯ではない、少し広い部屋へと出た。そこで先頭を歩いていたこの集団の頭目───〈勇気〉アトス・ブレイブが声を上げた。


「よし!ここで少し休憩を取る!ヴォルフ、アーネル!辺りの警戒を頼む!!」


「あいよ」


「はーい!!」


 アトスの指示に灰人エンバーの盗賊と、猫人ケットシーの女剣士が頷く。

 そんなやり取りの後に、一団はその場に座り込み、一時の休息となる。


 安全地帯でもない空間のど真ん中での休息。普通に考えればそれは考え無しで、自殺行為もいいところだが、それは並大抵の探索者の場合だ。

 このイカれた探索集団に、そんな常識は当てはまらなかった。


 各々が、それぞれの方法で休息を取る中、一人の少女は薄暗い、決して見通せることない天井を見上げてため息を吐いた。


「はぁ……」


 それは疲れているというよりも、何かを恋しく思うような、物思いにふける乙女のものだ。

 暗闇でも存在感を放つ銀髪を靡かせ、疲れを一切感じさせない無表情な少女───アリシア・リーゼはこの階層にきてからとあることをずっと考えていた。


 ───足りない。


 喉が乾いたかのような、酸素が足りていないような、心の内がずっと満たされないような。アリシアはずっとそれを渇望していた。


 ───本当に足りない。


 誰にもこの渇きを悟らせず何かを求め続けるアリシア。いったい何が足りないのか。それはとても私的な欲望であった。


 ───圧倒的に活力テイクが足りてない……!


 彼女の思考を埋め尽くすのは一人の幼馴染の男の子。この大規模な探索が始まる前に、彼女にとって必要不可欠な成分をこれでもかと摂取したつもりでいたが、それが逆効果だったのかもしれない。


 ───久しぶりに会って、また我慢が効かなくなってきた……。


 久方ぶりのその幼馴染との再会は一言で言えば最高の一時であった。やはり、彼女は彼といると心が安らいで、素の自分が出せるような気がした。


 大規模な探索が始まってから凡そ3週間ほどが経った。以前はこれぐらい会わない時間があっても平気だった。酷い時では1年ほど会えなかったこともあったのだ。

 しかし、一度歯止めが聞かなくなれば、再びそれを修正するのは難しかった。


 簡潔に言えば、アリシアはもう限界だった。


「テイクっ…………!!」


「おいおい、どこに行く気だ」


 徐にアリシアは来た道を戻ろうとする。しかし、それを近くにいたアトスに首根っこを掴まれて止められる。


「止めないでアトス。私は今すぐに生きる活力テイクを摂取しないと死んでしまう……!!」


「また訳の分からないこと……次が大本番って時に、いきなり帰ろうとしないでくれるか?」


 表情を変えずにじたばたと拘束から逃れようとするアリシア。しかし抵抗虚しく、彼女の衝動が叶うことはない。


 アトスはその整った眉根を歪ませて、深く息を吐いた。呆れていることなど言うまでもなく。そんな2人のやり取りを見て周りの仲間が可笑しそうに笑う。


 それで場の雰囲気が少し和らぐ。

 彼らにとって、アリシアとアトスの今のやり取りは日常茶飯事であった。


「はぁ……ウチの最高火力アタックホルダー様が帰る前にさっさと次の階層に進むか…………休憩はここで終わりだ!準備をしろ!!」


「「「おうッ!!」」」


 深い溜息の後に、再び大きな声が空間へ響く。それだけで一団は先へと進む準備が整う。


 ほんの少しの休息と言えど、熟練の探索者である彼らにしてみれば十分すぎた。これであと数時間は動き続けられるだろう。


 士気は高い。妙な興奮と熱気が彼らを鼓舞しているようだった。それもそのはず、現に彼らは興奮していた。今、彼らは前人未到へと直面しようとしているのだ。探索者ならば興奮せずにはいられない状況シチュエーションだった。


「さあ、未知へと挑戦する準備は整っているな!?」


 それを確認するように〈勇気〉は大きな声を発する。そこに今まで緩んでいた空気は存在しない。あるのは、確固たる決意が定まった覚悟のみだ。


「俺達はこれから階層更新ダンジョンアタックに挑戦する!俺達が未知を既知へと変えるんだ!行くぞッ!!」


「「「おおッ!!」」」


 一団は歩き出す。

 その先にあるのはまだ誰も足を踏み入れたことが無い、まさに前人未到の領域。

 彼らは今まさに歴史を更新しようとしていた。


 ・

 ・

 ・


 腐った風が吹き抜ける。

 そこはとても荒廃しており、とても人が住み着けるような場所ではなかった。


 それでも無法者どもはそこへ辿り着く。様々な理由はあれど、そこに集まる人間の共通点は堕ちる所まで堕ちたということ。


 そこでは何をしようが許された。

 盗み、人攫い、強姦、殺し、何でもござれ。強いものが正義であり、正解。そこはまさに〈無法地帯〉であった。


 迷宮都市、唯一の汚点。

 その一画の比較的小綺麗な小屋に、怪しげな集団は集まっていた。


 小屋の中は光が一切差さず。頼りになるのはテーブルの上に置かれた、淡く光る魔晄石のカンテラのみ。

 その光を囲むようにして外套を纏った一人の大柄な男が口を開いた。


「……ロディンが死んだというのは本当か?」


「ああ。本当だよ」


 男の言葉に別の小柄な男があっけらかんと答える。その場にいたのは4つの影。小柄な男以外の影が一様に息を飲んだ。

 それも束の間、大柄な男は少し震えた声で言葉を続けた。


「誰に殺された?」


「彼女のお気に入りだよ。たまたま仕事中に遭遇して、そのまま流れで殺された」


「未階層領域に入れたと言うのか?」


「らしいよ。単なる偶然か、それとも彼女のお気に入りも……ま、真相はロディンしか知らないわけだ」


「チッ……!!」


 投げやりな言葉に大柄な男は舌を打つ。彼はどうにも気がたっているようだった。

 そんな大柄な男を横目で鬱陶しそうに見ていた少女が話に割って入る。


「死んだんならしょうがない。それで、あの教信者がやってた仕事は誰が引き継ぐの?」


「それね。もう人攫いは十分だよ」


「そうなの?」


「ああ。ロディンの頑張りのお陰で贄は十分に集まった。あとは起爆剤を手に入れるだけ」


 少女の質問に小柄な男は簡潔に答えると、ニヤリと口角を歪ませた。


「次のステップだ。今、仕事に取り掛かってるの報告を楽しみに待とう」


「それまでは自由ってことでいい?」


「うん、好きにしてもらって構わないよ」


「りょーかい」


 少女は頷くと、挨拶もなしに小屋を後にする。それに便乗するように1度も喋ることのなかった影も無くなる。


 その場に残ったのは小柄な男と大柄な男のみ。いつも最後まで残るのはこの二人と、今この場にはいないもう1人の女であった。


「アイツは……死なないよな?」


「仕事の内容が内容だし……どうだろうね。でも彼女なら上手くやってくれるさ」


「だよな……」


「そんなに心配するなよ。君は本当に心配症だなぁ」


「う、うるせぇっ!これが性分なんだよ……」


「そうだね。そこが君のいいところだ」


 笑みを零すと小柄な男も部屋を後にしようとする。腐りかけの木の扉に手をかけて男は大柄な男に別れの言葉を告げた。


「悲願の達成は近いけど……まあ気楽に行こう」


「……そうだな」


「それじゃあ、またね」


「ああ」


 そこで部屋の明かりは消えた。




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