第83話 少年帰還
まだ太陽が登りきる前。少し肌寒い空気と、霧が〈セントラルストリート〉を包んでいる。
さすがにこれだけ早朝ともなればここの人通りは少ない。
それでも完全に無い。という訳ではなく、今日も大迷宮の前にはこれから探索に赴こうとする探索者がそれなりにいる。
「……」
エルフの少女もその1人だった。
「悪い、またせたねルミネ」
「おはようございます、ヴィオラさん。いいえ、私も今来たところでした」
一人、ぽつりと大迷宮の前にある広場で佇んでいると、少女の待ち人が駆け足で近づいてくる。
赤毛の女性は軽く息を切らしながら、訝しげに少女の顔を覗き込んだ。
「本当か?」
「はい」
動じることなく少女は頷いてみせるが、その表情には疲れが見て取れた。
あまり寝れていないのか目の下にはクマがあり、あまり食べてないのか頬が少しコケて見える。血色も悪く、白い肌がさらに病的に際立っていた。
その少女───ルミネは明らかに憔悴していた。
赤毛の女性───ヴィオラはどうして彼女がこんなに酷い状況なのかは分かっていた。その気持ちも、十分に理解しているつもりではあったが、さすがにここまで来ると心配になってくる。
───もう、アイツが行方不明になって10日か……。
ルミネの仲間であり、ヴィオラのお得意様である探索者の少年は未だに、あの大迷宮の中から戻っては来ない。
探索者協会に捜索を依頼し、捜索隊が編成されたがそれでも結果は出ず。5日の捜索を終えて、探協が出した答えは『テイク・ヴァールの死亡』だった。
この結果にルミネはもちろんヴィオラは納得がいっていなかった。仮に、彼の死体か、それを示唆する装備のドロップでも発見されれば納得ができたかもしれない。
だが、何も見つかってはいない。何も分かっていない。ならばまだ彼が生きている可能性は十分にあると思っていた。
だから、今もこうして彼女たちだけで大迷宮へと赴き、彼の捜索を今日も始めようとしている。
「ごめんなさい、ヴィオラさん。今日も工房の方をお休みさせてしまって……」
「気にするな。私もあの結果には納得いっていないんだ。おちおち鉄なんて叩いてられるか」
2人だけの捜索を始めてから今日で5日目。その間、ヴィオラは工房の仕事を休んでルミネの手伝いをしていた。テイクのオーダーメイドを作ってから、名前が売れ始めて、依頼の方も増え始めてきている頃。今が頑張りどころの大切な時期に彼女は進んで捜索を手伝ってくれていた。
そのことを当然知っていたルミネはヴィオラにかなり負い目を感じていた。
優しい彼女は「気にするな」と言ってくれるが、それでもルミネの性格上、そう簡単に割り切れるものでもなかった。
彼が行方不明になってからルミネは常々、こう思う。
───私にもっと強さがあれば……。
強くなると彼女は決意し、そしていなくなってしまった彼を見つけるために頑張ると決めた。けれど、そう簡単に強くなれるはずもなくて、今もこうして誰かに協力してもらわないと行動することも出来ない。
そんな自分の状況をルミネは悔やんでいた。
「……ありがとうございます」
力なくルミネは微笑んでヴィオラにお礼を言う。
まだ大迷宮の中には入らない。最初の1時間はこうして、広場の前で彼が戻ってくるのを待つのだ。
ある種の儀式のようなものだった。その間に心の整理や折り合いをつけて、覚悟を定めるのだ。
次第に辺りに陽が差し、照らし始める。気温もちょっとずつ上がっていって人の気配も増える。大迷宮へと向かう探索者の数も増えてきた。
───そろそろ、私達も行かなきゃ。
今日も彼はあの大穴から出てくることは無かった。ならば待つのはやめて自分たちが迎えに行くのだ。そう意気込んでルミネは歩き出す。それにヴィオラも続いた。
捜索する階層は決まって第20階層。彼が行方不明になった階層であり、今の彼女達がギリギリ降りることが出来る階層はそこだった。
「今日はいつもより並んでるね」
「はい、中に入るまで少しかかりそうですね」
朝の大迷宮の入口とは大抵、多くの探索者でごった返して、すんなりと中に入ることは出来ない。だから今もこうして中に入る順番待ちをしているのだが、それでも今日は普段に比べると人が多いような気がした。
そろそろ〈祭り〉の開催も近い。その為、朝早くから大迷宮に潜り、探索に精を出そうとしているのかもしれない。
なんて考えをルミネは巡らせながら空を見上げた。陽は完全に昇り、視界一面に青空が広がっていた。息を飲むほどのその蒼さに目を奪われていると、何やら前の方が慌ただしかった。
「……?」
何事かと視界を前に戻してみるが、人集りが大きすぎて、その騒ぎの原因を確かめることが出来ない。
「何か見えますか、ヴィオラさん?」
「いや、見えない。偉い騒ぎようだね」
ルミネよりも身長の高いヴィオラでもそれを確認することは出来ない。
今まで綺麗に順番待ちをしていた列も、騒ぎの所為で意味をなくしてしまう。
軽いパニック状態となっていると、前の方からこんな声が聞こえてきた。
「おい、アンタ!大丈夫か!?いったい何があった!!」
「酷い怪我じゃないか……それにその子供たちは……なんで大迷宮の中から……?」
「おい!誰か探協の職員を呼んでこい!!」
緊迫した大声から推測するに、大迷宮の中から大怪我をした探索者が出てきたのだろう。さらに騒ぎが大きくなる中、ルミネはその長い耳で確かにその声を聞いた。
「すい……ません……通してください……!!」
「ッ!!」
一瞬、何かの間違いではないかと思う。それは弱りきった自分の心が聞かせた幻聴ではないかと、彼女は疑ってしまう。
しかし、そんな疑惑は続けて聞こえた声で晴らされる。
「何言ってんだ、アンタ!無理すんな!少し待ってろ、もう少しで探協の職員が───」
「僕のことはいいんです!それよりもこの子達を速く治療院に連れていかないと……!!」
今度ははっきりとその懐かしくも思える声が聞こえた。
咄嗟にルミネの体は動き出していた。
「ッ……!!」
「あ、おいルミネ!!」
慌ててヴィオラも彼女を追いかける。
騒ぎの中心に群がる探索者達を無理くり押し避けて、前へ前へと前進する。
体が押しつぶされながらも何とか、進み続けるとその中心へとルミネはたどり着いた。
「テイクくん!!」
顔を出したと同時に叫ぶ。
視界の先には確かに彼はいた。
「ルミネ!!」
全身、土埃にまみれ、傷だらけ。その少年は5人の子供を抱えて確かな彼女の前に立っていた。
一瞬、今すぐ目の前の少年に抱きつきたい衝動に駆られる。しかし、ルミネは既のところで押し留まる。見るからに、状況はそんなことをしている場合ではなかった。
ルミネは即座に彼の元に駆け寄り、状況の把握に務めた。
「無事で良かったです!その子供たちはあの時の?」
「うん、助けたんだ。でもここまで戻ってくるのに相当体力を消耗しちゃって、もうずっと意識がハッキリとしてなくて……!」
「スキルで回復させます!テイクくん、子供たちを横に寝かせてください!」
「わ、分かった!」
ルミネの言葉を聞いて、少年はすぐに行動に移す。
普段は助けられてばかりの彼女ではあったが、今ばかりは彼を……彼らを助けられる。それは彼女の得意分野だ。
「勇敢なる者たちに生命の安らぎを与えん……光の粒子は今集い、遍く流れは───」
それは高く透き通る、祈りの唄。
今まで騒いでいた周りの探索者達はその唄声に息を飲み、聴き入る。
淡く、優しい光が当たりを包む。苦しそうに呻いていた子供たちの表情が次第に穏やかになっていき、呼吸も落ち着いたものになる。
「これで一応は大丈夫だと思います。けど、すぐに治療院に運んでお医者様に見てもらいましょう」
危険な状態は脱した。あとは本職に任せて適切な治療を施せば問題なく元気になるだろう。そう判断してルミネは一息つく。
彼女の隣で心配そうに子供たちを見守っていた少年は、穏やかな表情になった子供たちを見て安堵する。
「ありがとう、ルミネ」
「いえ、これくらいなんて事ないです。テイクくんにも今スキルで回復を───」
そこでついに張り詰めていた糸が切れたのか、少年は力なくルミネの方へと倒れ込んでしまう。
一瞬、ルミネは倒れた少年を心配するが、すぐに深く気持ちよさそうな寝息を聞いて問題ないと判断する。
「───お疲れ様でした、テイクくん」
自身の胸の中で眠る少年の頭を愛おしそうに撫でて、エルフの少女は静かに涙を流した。
実に10日という長い時間をかけて、1人の少年は攫われた5人の異種族の子供たちを助けて地上へと帰還した。
この出来事は瞬く間に迷宮都市に広がり、そして大きな話題となる。
これを機にテイク・ヴァールと言う少年は一躍、迷宮都市で名の知れた探索者となるのだが───そのことを彼自身が知る事になるのはほんの少し先の話だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます