第81話 不屈の斬魔
迷うことなく、一直線にその反応がする方向へと走った。
少し前の僕ならばその反応を感じるとることはできなかっただろう。だが、今ならば出来る。
じっくりとステータスを確認したわけではなかったけれど、確信はあった。今しがたの戦闘、〈試練〉のクリアによって僕は一つ、上の段階へと昇華した。
それに伴ってのスキルの
───今までとは比べ物にならない索敵範囲だ。
先程の〈
けれど、やらなければいけない。
何も悪いことばかりではない。ステータスを犠牲にしたが、それでもお釣が来るほどの補填はあの巨人のお陰でできた。それに新しく手に入れたスキルも僕を助けてくれている。
差し引きすればまだマイナスだけど、予想していた被害を考えれば何倍もマシだった。
残された時間は少ない。その少ない時間を使って最後の1人を助け出すのだ。
───見つけた!!
部屋を出てから数分。僕は直ぐにその背後を捉えることが出来た。
汚く汚れてしまった一対の翼を背負った少女と、風船のように膨らんでいる気味の悪い男。僕は気配を殺して、男へと走る。
まだ気づかれてはいない。このままいけば、普通、強襲は成功するだろう。だけど、もう判断は間違えない。
気付かないふりをしているだけで、男は僕に気がついているはずだ。
あの男はこの期に及んで、この
だが、それでも、やらずにはいられない。
───これは挨拶だ。
再会の挨拶。再開の挨拶。そして、奪われた少女を取り返すのだという挨拶。
「ッ───」
飛んで一気に距離を詰める。そして振り抜いた刃は一目散に男の首へと走った。
「お兄さん!?」
しかし、やはりと言うべきか僕の攻撃は簡単に去なされる。
別にこの事実に驚くことはない。代わりに天翼種の少女が僕の登場に驚いてくれた。
何か声を掛けたかったけれど、それよりも僕は目の前の男だけに集中することを選んだ。
「その子は返してもらうぞ───誘拐犯」
「あはははははは!いやぁ!本当に最高だ!いいでしょう!ここまで意地汚く纏わり付くんだ、相手をしてあげますよ!!」
対峙した小太りの男は心底楽しそうに笑うと、大鞭を床に打ち付けた。
ようやく、この男と直接殺り合うことが出来る。もう迷いは無い。幼く、か弱い子どもに理不尽を振りまくこの男は明らかな敵だ。この男を殺さない限り、彼女たちは助からない。ならばやることは一つだ。
「殺す……!」
「ようやくいい表情をするようになりましたね。迷いは無くなったと見える。これはますます楽しくなってきました」
男は嬉しそうに言うが、無視をする。
〈
奴の武器は大鞭。中距離から長距離を得意とする武器種である。しかし、何度か撃ち合ったが分かるがあの鞭は異様に硬い。それこそこの短刀で断ち切ることも無理だった。加えて、男の俊敏性はかなりのものだ。
───どう打ち崩すべきか……。
まだ仕掛けては来ない。男もこの睨み合いを楽しんでいる。ならばもう少し付き合ってもらおう。
「……鑑定」
か細い息を吐くように、男に悟られない声量でスキルを発動する。
以前は見ることが出来なかった男のステータスも、レベルアップした今ならば見ることが出来るかもしれない。そう思っての鑑定だった。
「おやおや、また性懲りも無く盗み見ですか?」
「ッ!!」
しかし、スキルがレベルアップしても男のステータスを見ることは叶わなかった。しかも悟られないようにしたつもりでも、男には全て見透かされている。
思わず喉を鳴らした僕を見て、男は偉そうに説明を始めた。
「残念ながら私の隠蔽スキルはただの鑑定では破ることはできません。それに貴方の場合はスキルを使う時、明らかに眼球の動きが不自然なんですよ。盗み見をするならもう少しさりげなくやってくれませんかね?」
「ッ……うるさい!」
のんびりと肩の力まで抜いた男の説明を聞いて、僕はその隙を好機と捉える。
一気に飛び出して、男に攻撃を仕掛ける。が、男は難なく手に持った大鞭で攻撃を受け止める。
至近距離で睨み合う。やはりスキルは発動しない。ならばこのまま戦うだけだ、と思考を切り替えようとしたところで、男は驚愕したように目を見開いた。
「ッ……!」
その妙な変化に僕は違和感を感じて、後ろに大きく飛ぶ。難なく、男との距離を取って様子を伺う。すると男はわなわなと全身を震えさせて叫んだ。
「まさか貴方は同士だったのですかッ!?」
「……は?」
その意味不明な言葉に思わず間抜けな声が出てしまう。しかし、男は僕の反応を気にせずに大きな声を張り上げた。
「とぼけないでください!!まさか貴方が選択者様だったとは……今までの非礼をどうかお許しください!!」
「なに……言ってるんだお前?」
急に大鞭を地面に落として土下座を始めた男に僕は呆然とすることしか出来ない。
───これも何かの罠か?
警戒してみるが男は一向に土下座を辞める気配はない。このまま斬り殺すか、そんな考えが過ぎったのと同時に男は下げていた頭を上げた。
「お怒りなのはわかっております!ですがどうか愚かな私めをお許しください!私もまだ【鑑定】が無くては同士を見極めることが出来ないので御座います」
「だから何を言って……」
男の言っている意味はやはり分からない。しかし、今の発言から男はスキル【鑑定】を使ったのだと分かる。
───こいつ、隠蔽系のスキルの他に【鑑定】も使えるのか?
男が言っている「選択者」とは僕が持っている称号のことを言っているのか?
疑問は深まるばかりだ。思わず考え込んでいると男は更に意味不明なことを言う。
「はっ!?もしや選択者様はまだ目覚めてからそれほど時間が経っておられないのですか?」
「本当に何の話だ……」
「それならばその反応も納得でございます。いえいえ、だからと言って私の無礼が無くなるわけではございませんが、それでも何とかお詫びをすることが出来そうです」
「質問に応えろ……!」
男はフラフラと立ち上がる。そして焦点の無くなった虚ろな瞳でぎこちなくお辞儀をした。
「申し遅れました。私、ここに住まう
突如して男の纏う空気が一変する。それは尊敬、または羨望……しかして、それは確かな殺意であり。その虚ろな瞳はもう僕を見てすらいない。
「───こんな大変栄誉あるお役目を下さった我らが神に感謝をッ!!!」
天を仰いで男は叫ぶと、急にこちらを向いて突進してきた。
その速度は異常。ギリギリ視界に捉えることは出来たが反応することは出来ない。
「ッ!!」
何かが頬を掠める。それはいつの間にか男の手に握られた不気味な短剣だということはすぐに分かった。
───速すぎる。
内心で悪態を吐く。【強者打倒】の超強化はまだ効果を失っていない。なのに、それでも男の動きは捉えられない。いったい、僕と奴にはどれほどの差があると言うんだ。
思わず、怯む。男はケタケタと肩を震わせて笑うと刃にしたった血を舌で舐めた。
そして徐にこんなことを言った。
「おっと、俺としたことがまだ選択者様に無礼を働いていましたね。どうぞ、こちらが貴方様がご覧になりたがっていた私めのステータスでございます」
「なっ……!」
おちょくるような言葉と同時に視界には今まで見ることの出来なかった男のステータスが映る。
─────────────
ロディン・グレイブホール
体力:2096/2096
魔力:356/356
筋力:1476
耐久:1003
俊敏:3507
器用:2345
・魔法適正
土
・スキル
【
【鑑定 Lv3】【双剣術 Lv2】
・称号
魔物使い 選定者
─────────────
平均的に能力値は高い。その中でも俊敏が頭一つ抜けている。それに、スキルの数も今まで見てきた中で1番の所持数だ。これがこの男のポテンシャル。
───それでも……!
納得はできない。この男が強いのは分かった。だけど、それでも【強者打倒】の超強化があるにも関わらず、この圧倒的な差はなんだ?
「チッ……」
考察している暇なんてない。目の前の男はいつの間にか二本目の短剣を取り出している。ここからが本気のようだ。
「今解放して差し上げます!!」
「くっ……」
再びの肉薄。瞬き一つでその丸い巨体がもう目前へと迫っていた。
僕は咄嗟に魔を帯びた声で言葉を紡ぐ。
「燃え盛れ!!」
瞬間、目の前に炎の壁が出現する。目眩し、突進を妨げる時間稼ぎにはなる。そう思っての魔法の発動だ。
しかし、その炎の壁は意味をなさない。
「これが選択者様の固有魔法!素晴らしい!ただの魔法よりも格が違う!!」
「なっ……!?」
男は炎に焼かれることを恐れずに、そのまま炎の壁に突っ込んで刃を向けてくる。
狂っていた。まるで神聖なモノに触れるかのように男は焼けた体を気にせず恍惚としている。咄嗟に短刀を前に構えて防御を取った。
何とか攻撃は受け止められたが、死角から痛みが生じる。
「うぐ、ぁッ!?」
右足の脹脛が何かに噛み砕かれたような激痛。視線を痛みの方へと向ければ、そこには岩でできたトラバサミのようなモンスター。
───魔法!?いや、それともスキルか!?
どちらとも取れるそのモンスター。
即座に噛み付いたモンスターを振り払い、続け様に刃を振るってくる男に集中する。
「さあ、さあさあさあさあッ!!楽しく踊りましょう!!?」
「くそっ……次から次へと……!!」
一つ、二つ、三つ……と、2本の短剣を交互に振る。それはまるで踊りでも楽しむようで、その体躯に見合わず流れるようだ。
何とか食らいつくが全ては防げない。次第に傷は増えていく。このままいけばただ嬲り殺されるだけだ。
───そうなってたまるか!!
乱雑に短刀を振り回して、大きく後ろに飛ぶ。男は即座に距離を詰めてくるが、その前に僕はスキルを発動させた。
「僕はお前を打倒するッ!!」
『スキル【強者打倒】の発動を確認。捨てるステータスを選択してください』
「魔力と器用以外の全ステータスを2000ずつ持ってけ!!」
それはスキル【強者打倒】の重ねがけ。さっきの部屋で拾った〈蒼き絶望の巨人〉のステータスを殆どを対価にして僕はその倍以上の力を一瞬だけ手に入れる。
「ッ!!素晴らしいです!それも貴方様の特別なスキルの力!!」
肉薄する男の動きが突然、ゆっくりになる。いや、違う。これは【強者打倒】の超強化による変化。目の前の男が遅くなったのでは無く───
「もう捉えたッ!!」
───僕が奴よりも圧倒的に速くなったのだ。
「おお!今より速くなるのですか!?」
迫り来る双剣を短刀で弾く。そのまま男の首を刎ねようとするが、寸前で躱されてしまった。
───まだ追い付くのか!?
首ではなく胸を斬る。致命傷にはまだ浅く。今度は男の方から距離をとる。
異常な適応力だ。まさか重ねて発動させた【強者打倒】の動きについてくるとは。
「どうなってるんだ……」
理解し難い。ステータスの差は歴然のはず。なのにあの男は平然とついてくる。何かがおかしい。
「素晴らしい!本当に素晴らしい!これならば能力値を偽る必要もありませんね!これはまた失礼なことをしてしまいました!!」
僕に斬られた傷を見て嬉しそうに笑う男。奴はぺこりとまたお辞儀をすると、纏う空気を変質させる。
「な……」
男はニタリと笑みを歪めてこちらを見つめるばかり。辺りの空気が凍りつく。錯覚では無い。現に体は凍えるようにガタガタと震えて止まらない。
───いや、違うこれは寒さなんかじゃない。これは……。
「恐怖」
そんな言葉が浮かぶ。もうステータス差がどうこうの話では無い。あの男は本質的に、根本的に何かがおかしくて、とてつもなくヤバい。
「うぁ……うわぁあああああああああぁぁぁ!!!」
本当に凍って動けなくなる前に僕は目の前の男へと飛び出した。
こうでもしないと気が狂いそうで、もう立っていることもままならなくて、無闇に動いてしまった。
「さあ、熱い目覚めの抱擁といきましょう!!」
男は逃げず、堂々と迫り来る僕を待ち構える。あと嵩瞬もせずに刃は交わる。その刹那だった。
「───あ……がっ……!?」
突然、全身に駆け巡る激痛。それは今までに感じたことが無い。気が狂い、一気に精神が削られていく痛み。
まるで身体の内が一本の太い針で貫かれたような衝撃に、僕は声にならない絶叫を上げた。
───な、なにが…………?
思考を支配するのはそんな疑問。立っていることもやっとで、僕の体は動きを止めてその場で倒れそうになる。
「……やはり目覚める前。そんな状態でその過度な力に耐えられるはずもありません」
全く何も分からないまま、ただ一人、目の前の男が分かったように言った。そして、僕の前に立って体を抱きとめると同時に、胸を何かが貫いた。
「あ────」
「さあ、目覚めのお時間です、選択者様。早くお目覚めになって彼と一緒に我らをお導き下さい」
何か。なんてのは考えるまでもない。それは男が持っていた片方の短剣だ。
胸に刺さった短剣を中心にして体に妙な熱が駆け巡る。暑くて、熱くて、アツくて、全身が泥のように溶けていくみたいだ。
思考は漠然としていって、何も分からなくなる。
───ダメだ。このまま死ぬ。
分かることはそれだけ。
どんなに死力を尽くそうが、結局僕はこの男から
後悔が募る。
このままわけも分からないまま死ぬのか?
部屋に置いてきた子供たちを助けないまま死ぬのか?
後もう一歩のところで届きそうな少女の手を掴みとらず死ぬのか?
辛い選択をした仲間に謝らずに死ぬのか?
夢を叶えずに死ぬのか?
───本当に?
それはどうにも我慢ならないことに思えた。
胸は依然として熱い。血が大量に流れているのが分かる。このまま何もしなければ死ぬだろう。全身が肌を剥かれたように痛くて、動かす度に激痛が走る。だけどこのまま気持ち悪い小太りの男に抱き抱えられたままはありえない。
「お兄さんっ!!!」
声が聞こえた。それは助けると決めた少女の声だ。
───このまま死ねるわけないだろ!!
死力を尽くした?
違うだろ。まだ僕は死力なんて尽くしていない。だってまだ僕は生きている、死んでなんかない。なら、まだ死力を尽くしたとは言えないだろう。
「灯……れ……!!」
真に力ある、魔の言葉を紡ぐ。直ぐに決して消えることのない炎はその黒い刃に灯る。
「おお、ついにお目覚めに────は?」
力強く。男を突き飛ばした。胸の短剣は突き刺さったまま。だけど気にすることなく、僕はそのまま突き放されて呆然としている男に向かう。
距離は無い。手を少し伸ばせば届く。
不屈の焔が刃に灯っている。ぶっつけ本番で試して見たが、彼女の言う通り、魔法はこの刃に灯った。
───考えるな……振り抜けッ!!
諦めないと言う気持ちが強くなる度に灯った炎は激しさを増す。覚悟の炎である。
「
それは不屈の一振。真赤な焔を纏った刃は軌跡を描いて男へと襲いかかる。
「ああ……なんて綺麗なんだ……これが……これが神の寵愛……選択者の力……!!
私も!私もこの力に肖りたい!!ください!それを私にください!!」
小太りの男はその一振を躱すことは無い。寧ろ、自ら飛び込んで、それを欲するように、抱きしめるように斬撃を食らい、焔に焼かれた。
「ぐぉおおおおおおおおッ!!素晴らしい!!私もこれで神の一部に……力の一部になれる!!」
「狂ってる……」
男の全身は焼かれ、そして溶けていく。その叫びは断末魔ではなく。希望に満ち溢れた嬉々とした喜びの崇拝。
それは誰に贈るものなのかは考えたくもない。そして、男の体はただの灰になった。
「……終わった?」
実感が湧かない。勝てるなんて思わなかった。どうして勝てたのかも分からなかった。それでも僕はまだ生きていた。
───今は、それだけで十分だ。
灰になった男から視線を外す、そして、約束を果たすために僕はその少女に声をかけた。
「一緒に帰ろう───セラちゃん」
「っ……お兄……さん……!!」
綺麗な顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、その天使のような少女は僕の胸に飛び込んで、そして大きな声で泣いた。
ようやく子供らしく泣いてくれた彼女を見て、僕の中にも一気に安堵がやってくる。
そして、さすがに疲れたということで僕はその場に座り込んで、まだまだ泣き止む気配のない少女の頭を優しく撫で続けた。
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