第80話 天翼種

 背後の扉。その先から激しい振動と、甲高い叫び声が聞こえて気がした。


「……」


 少女が後ろを振り向けば、その扉はもう殆ど見えなくて、距離からしてもそんな振動や叫び声なんて聞こえてくるはずもない。

 けれど、少女は後ろ髪が引かれるように小さくなった扉を見つめる。


「何をしてるんですか?行きますよ?」


「……はい」


 しかし、いつまでも少女はその場に立ち止まっていることは無い。隣の小太りの男に急かされて、少女は再び歩き出した。


 明るかった部屋から一転、再び薄暗い通路を歩く。

 響く足音はたったの2つ。一つは天翼種の少女で、もう一つは趣味の悪い礼服を着込んだ男。


 ───これから、どうなるんだろう?


 無限に続くように思える通路を歩きながら少女は考えた。覚悟したつもりではいた。けれどもやはりどれだけ虚勢を張ろうが恐怖は付き纏う。


 他の子達が助かるのならば自分が犠牲になってもいい、と少女は本当に思っていた。帰る場所はある、やり残したことなど山ほどだ。けれども、不思議と彼女はすんなりと犠牲になることを決めた。


 それは彼女の人間性故か、底抜けなお人好しだからなのか、定かでは無い。ただ言えることは体が勝手に動いた、ということ。それだけだった。


 少女の頭の中は依然として混乱していた。考えれば、考えるほど分からないことばかりで、疑問が増えるばかりだ。


 ───どうして急にあんな交換条件を言い出したんだろう?


 その中でも特に疑問だったのが、この隣の男が急に自分の身柄にこだわり始めたことだった。攫われた当初は全くそんなことなどなかった。少女も他の子供たちと一緒の扱いを受けて、同等の存在であった。


 けれども本当に突然、男は少女の身柄に固執しだした。それがどうしてなのか、いくら考えても少女は分からなかった。


 ───そもそも、なんで私たちは攫われたの?


 最初は、奴隷オークションに売りに出されるのだと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、連れてこられたのは大迷宮の中。少女は全く意味が分からなかった。


 何度か男がここにいる理由を喋っていた気がするけれど、その言葉すら少女には要領を得ないものだった。


 ───聞けば教えてくれるかな?


 少女は盗むように男の様子を伺う。男は妙に上機嫌で、何がそんなに嬉しいのか鼻歌まで歌っている。

 初めて見る男の機嫌の良さに、少女は不快感を覚えるが、それでも今がチャンスだと考えた。


 彼女は声が震えないように、細心の注意を払って喉を鳴らした。


「あの……どうして他の子供たちじゃなくて私一人が必要なんですか?」


「質問ですか?」


「は、はい……」


 ぎょろりと不気味な男の双眸が少女を見つめる。それに彼女は怯み、「やっぱりやめておけばよかった」と後悔をする。


 質問の答えはないと思った。だが以外にも男は言葉を続けた。


「そうですね……一言で言えば彼らには資格がありませんでした」


「し、資格?」


「ええ。彼らの血では私たちの〈神〉を満足させることはできないのです。〈特別な血〉が必要で、異種族を乱獲してみましたが、どうも異種族ならどれでもいいと言うわけではないらしいのです」


 鼻歌を歌っていたくらいだ。今の男は相当機嫌が良いらしく。妙に饒舌だった。しかし、ペラペラと喋る男の言葉の意味を少女は全く理解できない。


 それでも男は上機嫌に言葉を続けた。


に詳しく話を聞いてみると、どうやら〈神〉は異種族の中でも更に希少で、穢れのない血を求めているとのことでした。そんな話を聞いて行き着いた答えは貴方ですよ」


「わ、私……?」


「はい。天翼種とは天使の末裔であり、世界的にもとても希少です。こんなに特別で希少な血なんてそうそうない。そして穢れがないとくれば、まだ処女の───幼い子供の血です。今回攫った子供の中に、これに当てはまるのは貴方だけでした。私たちの〈神〉は有象無象に興味はありません。なので貴方だけを連れていくことに決めました」


「そ、そうでしたか……」


 早口で、楽しそうに説明を終える男。やはり、少女は男の言葉の意味を微塵も理解できない。男に説明する気がないとかの話では無い。彼女には知らないことが多すぎた。


 だから少女はぎこちない笑顔をすることしかできなかった。それでも男は気にしない。


「これは大変光栄なことですよ!貴方は外で生まれながら選ばれていたのです!本当にそれは喜ばしく、とても羨ましいことなのです!!」


「そ、そうなのですか」


「ええ!それはそれは、本当に────憎たらしいくらいに……」


「ひっ……!」


 突然、男の表情が豹変した。今まで貼り付けていた笑顔が剥がれたように、何かを憎むようにそれは酷く歪んだ。

 思わず、彼女は死を覚悟した。何か気に触るようなことを言ってしまったか、と焦る。


 だが、以外にも男は少女に謝った。


「おっと……申し訳ない。少し感情的になってしまいました。気にしないでください」


「……?」


 即座に笑顔を張り付けて真摯に謝罪をした男。いったい、今のやり取りのどこに彼の神経を刺激する部分があったのか。依然として少女は分からなかった。


 何となく、彼女はこのまま話を終わらせるのが怖くて続けざまに男に質問をした。

 それは今のやり取りに付随して浮かんだ新たな疑問。


「あの……私が今から会う神様って何なんですか?唯一神〈ゼインシュバルト〉様のことですか?」


「ゼインシュバルト……?ああ、あの偽物のことですか。いいえ、違いますよ。貴方は今から本当の〈神〉に会うんですよ」


「本当の〈神〉?」


 少女の疑問がさらに深まる。彼女の知る、この世界の神とは唯一神〈ゼインシュバルト〉のみだ。けれど、この男の言っている〈神〉とはそれではないらしい。


 含みのある男の言葉。全く要領の得ていない少女の顔を見て、男は何かを思案すると言葉を続けた。


「……そうですね。これから私たちの〈神〉に会って、供物になるのです。貴方は〈神〉のことを知っていた方がいいかもしれませんね」


「え?」


「私たちの〈神〉とはこの大迷宮に遥か古から───」


 困った様子の少女を無視して男は説明を始めようとしたが、直ぐにそれは途切れてしまう。


 突然の男の沈黙に少女は焦って様子を伺う。しかし、男の表情は依然として笑顔のままだ。


 ───いや、違う……。


 そう思ったのもつかの間。底冷えするような悪寒が少女の全身を駆け巡る。

 男は笑っている。それに変わりはない。しかし、その表情は異常に深く歪んで、狂ったように、くつくつと楽しそうに喉を鳴らしている。


 そう、それはまるで、サプライズプレゼントを貰った無邪気な子供のよう。


「いやぁ……まさかここまでを楽しませてくれるとは思っても見ませんでしたよ……」


 徐に、男の視線は背後へと向く。それに吊られて少女もその視線を背後へと向ければそこには予想だにしない姿があった。


「ッ────!!」


「お、お兄さん!?」


 それは息を殺して背後から小太りの男に斬りかかろうとしている探索者の少年だ。


 少年の攻撃は寸前のところで男に弾かれる。勢いよく飛ばされた少年は難なく着地を果たすと、鋭い眼光を男に向けた。


「その子は返してもらうぞ───誘拐犯」


「あはははははは!いやぁ!本当に最高だ!いいでしょう!ここまで意地汚く纏わり付くんだ、相手をしてあげましょう!!」


 男は嬉しそうに高笑いを上げると、その狂った表情のまま少年へと対峙した。


 そうして最後の戦闘が始まる。

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