第75話 後悔

 大迷宮グレイブホールの入口で佇むはエルフの少女。

 少女が地上に戻った頃。〈セントラルストリート〉は夕暮れ色に染まり、少し物悲しい雰囲気を漂わせていた。


「……」


 今日も1日が終わる。その日の探索を終えて大迷宮から戻ってきた探索者達はゆったりとした足取りで各々目的地へと向かう。


 しかし、その少女だけはその場で呆然と立ち尽くしたまま。動こうとしない。

 その異様な雰囲気に、すれ違う探索者達は訝しげな視線を向けるが、直ぐに何かを察して目を逸らす。


 まだ駆け出しと思わしき探索者の少女が、夕暮れ時の大迷宮の前で一人、呆然と佇んでいる。

 これだけ揃っていれば、同業者ならば色々と考えが及ぶだろう。


『自分以外のパーティーメンバーが全滅した』


 誰しもが少女を見てそう思って、直ぐに視線を逸らしたのだ。


 ───違う……。


 しかし、件の少女は心の内で思う。

 まだ仲間は死んでいないと、あの人が死んでるはずがないと強く願う。

 それでも現実として突きつけられる。


 エルフの少女───ルミネ・アドレッドのパーティーメンバーであるテイク・ヴァールは彼女の元に戻ってくることはなかった。

 この事実がどうしても付きまとう。また彼女は大切な仲間を失ったのかと恐怖する。


「っ……」


 全身が強ばって、上手く呼吸ができない。

 いつの間にか辺りは暗くなり始めて、さっきまで周りにたくさんいた探索者達の姿も疎らになる。


 本当ならば探索者協会へと行って今回の事を報告するべきだった。だが、今のルミネの精神状態では少し難しかった。彼女は気がついていないだろうが、今の彼女の表情は相当酷いものだった。


 家に帰る気にも慣れず、けれどもいつまでもここで立ち尽くす訳にもいかない。

 自然とルミネは歩き出す。


 その後ろ姿は悲壮で、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど脆い。

 彼女の向かう先が何処なのか、それは彼女本人ですらは分かっていなかった。


「───テイクくん……」


 考えるのは大迷宮で最後に見た彼。自分を守るようにしてモンスターへと対峙する後ろ姿だった。


 ───どうしてあの時、一緒に戦わなかったの?


 それが出来ればどれだけ楽だったろうか。はじめは彼女も戦おうとしていた。けれども彼がそれを許してはくれなかった。


 最初は「逃げて」と彼に言われた時、ルミネはその理由が意味が、分からなかった。「どうして一緒に戦えないのか?」と疑問で仕方なかった。


 けれど、直ぐに彼女は気づいてしまう。彼が対峙していたモンスターの圧倒的な強さに。今、自分が加勢しても足でまといになるだけだと。そして彼女は彼の最後の優しげな表情を見て、逃げることを決めた。


 あの瞬間ほど自分に腹がったことはなかっただろう、とルミネは思う。

 あれほど自分の選択に後悔して、自分の弱さを呪ったことはない。


 そう全ては。


 ───私がもっと強ければ……!!


 そう思わずにいられなかった。

 いつもそうだった。対等に、一緒に、仲間になった気でいたけれど、全然違ったのだと彼女はあの時を境に気がついた。


「私はいつも守られてばかりだっ……!!」


 彼の力になりたいと思って、追いかけた。助けになりたいと思って一緒にいた。けれどそれは迷惑でしかなくて、自身の存在は邪魔で、足枷にしかならないのだと言われたような気がした。


 ───別に私なんかいなくてもテイクくんは1人で……。


 そう考えると不思議と涙が込み上げてきた。そんなはずないのに、絶対にそんなことを思っているはずがないのに、暗く沈んでいく思考はどんどんと悪いことばかり考えてしまう。


『足手まといなんだよね』


「っ……!!」


 それは幻聴だ。けれど、そうだと分かっていても聞こえてしまったその言葉はルミネに深く突き刺さる。


 ───あ……本当にダメかもしれない。


 何かが崩れる音がする。それと同時に彼女の全身の力が抜けてしまう。涙で視界がぼやけて、意識が眩む。もう立つことも出来なくなりそうで、ルミネは無気力に地面に倒れそうになる。


 しかし、既のところでそれを誰かに抱きとめられる。


「…………え?」


 急な浮遊感を感じる。何が起きたのか分からなくて目を見開いて驚く。

 とても暖かくて、落ち着く優しい香りが彼女の鼻腔をくすぐる。その匂いにルミネは覚えがあり、顔を上に向けるとそこには見知った顔がいた。


「こんなところで何してんだい、ルミネ?」


「ヴィオラ……さん?」


 それは今朝、〈クロックバック第一工房〉で顔を合わせた赤毛の鍛冶師だ。


 ───どうしてヴィオラさんが?


 そんな疑問が浮かぶが、軽く辺りを確認すればその答えはすぐに分かった。

 ルミネはいつの間にかクロックバック工房の前まで知らずのうちに来ていたのだ。


 そしてちょうどそこで倒れそうになっていた所をたまたま外の空気を吸いに来ていたヴィオラに助けられた。


「1人でここら辺をうろついてるなんて珍しいね。テイクはどうした?」


「っ……!!」


 何の気なしにヴィオラからされた質問でルミネは言葉に詰まる。

 そして次第に、本当に彼がいないことを自覚して彼女はついに泣き出してしまった。


「うわぁぁぁぁあああああ!」


「え、ちょっ、は!?ど、どうしたんだいルミネ!?」


 急に大声で泣き出して抱き着いてきたルミネにヴィオラは困惑するしかない。しかし、直ぐに彼女はルミネの体が酷く震えに気づいて、何かあったことを悟る。


「……大丈夫、大丈夫だよ。落ち着きな、ルミネ」


「うわぁぁぁぁあん!ヴィオラさん!わたし!わたしぃ……!!」


「ああ、私はここにいる。ゆっくりでいいから何があったのか話してごらん」


 ヴィオラは優しくルミネを抱き締め返して、優しく背中を叩いてやる。それで更にルミネは声を大きくして泣く。

 それは普段の彼女から考えれば想像できない姿ではあったが、ヴィオラは気にすることも無く。優しく彼女が泣き止むのを待つ。


 そして、少し落ち着きを取り戻したルミネから聞かされた話にヴィオラは絶句することになる。


「テイクくんが大迷宮から帰ってこないんです」


「なっ……!?」


 それは今朝、自分の力作を手渡しばかりの探索者が戻らないとの知らせ。それに思わずヴィオラは大きな声が出てしまう。


 そして、更に話を詳しく聞いてヴィオラは困惑した。


 その階層に生息するはずのない高レベルモンスターと遭遇して、それらからルミネを守るために一時別行動。そして直ぐに合流すると思っていたが一向に彼が安全地帯に戻ってくることがなかったこと。彼と最後に別れた場所へ戻ってみてもそこには誰もおらず、行方知れずとなってしまったこと。


 まだ死んだと決まった訳ではなかったが、大迷宮で言う「行方不明」と言うのは死んだも同然の意味であることはルミネとヴィオラは知っていた。


「私が全部悪いんです!あそこで私だけ逃げずに一緒に戦っていれば、こんなことにはならなかったのに……なのにっ!!」


 ルミネの自身を責める悲痛な声。それをヴィオラは黙って聞く。


「私がもっと強ければ!守られるだけじゃなくて1人でも戦える強さがあればテイクくんと一緒に戦えたんです!」


 一度、吐き出てしまえばもう塞き止めることは出来ない。次第にルミネの体の力が強くなっていく。


「私なんてテイクくんの足手まといでしななくて!いてもいなくてもどうでもよくて!!!」


 一通りの皆無な工房の前に悲痛なエルフの少女の叫びが通る。

 気がつけば陽は完全に落ちて、辺りには魔晄石の街灯が灯り始める。


 今まで静かに少女の叫びを聞いていたヴィオラは徐に少女の顔をまじまじと見た。

 それはお世辞にも可愛らしいとはいえず、涙や鼻水でぐしゃぐしゃに崩れてしまっていた。


 ───せっかくの可愛い顔がこれじゃあ台無しだね。


 ふと、ヴィオラは鼻を鳴らして笑うと、表情を真面目なものにして口を開いた。


「言いたいことはそれで全部かい?

 それじゃあ、そろそろその弱気で不細工な顔すんのは辞めな!!!!」


「っ!?」


 耳を劈くようなヴィオラの大声。思わずルミネは驚いて身を硬直させる。しかしそんなこと知ったことかとヴィオラは言葉を続けた。


「テイクにアンタが必要ない……だって?巫山戯たこと言ってんじゃないよ!?

 仲間が行方不明で気が動転してんのは分かるけどね、言っていいことが悪いことがあるだろ!!」


 それは叱責……とは違う。心の底からルミネを思い、投げかける、ヴィオラの本心であった。


「どこをどう見たらテイクにルミネが必要ないってなるんだ!?必要でしかないだろ!!ルミネ、アンタは知らないだろうけどね。アンタといる時のアイツの顔は本当に楽しそうなんだ!!あんた達は私が今まで見てきた中で本当に仲のいいパーティーさ!!」


「ほ、本当ですか……?」


「本当さ!それにね!何をもう「終わった」みたいな口ぶりなのさ!まだ諦めるには早いだろう!違うか!?アンタが惚れた男はそんなに直ぐにくたばる、軟弱な男なのか!?」


「ほっ、惚れたって……!?」


「どうなんだッ!?」


「っ…………ち、違います!!テイクくんは、強くてカッコよくて、何事も絶対に諦めない人です!!!」


 怒涛の言葉のラリー。ヴィオラに捲し立てられ、ルミネは大きな声で思ったことをそのまま口に出した。


 たくさん泣いて、たくさん叫んだ。ルミネの呼吸は荒く乱れて、肩で息をしているほどだ。そんな彼女を見て満足にヴィオラは微笑む。


「ほら、答えは出てるんじゃない」


「……え?」


「だから、アンタの大将は簡単にくたばっちゃいないってこと」


「っ…………!!」


 そこで、ルミネは自分の本当に気持ちに気がつく。

 暗く沈んだ心が晴れる。彼女の本心はまだ全然諦めてなどいないのだ。


「気づいたんなら。いつまでもべそべそしてる暇はないんじゃないか?」


 ヴィオラに言われてルミネは焦ったように目元に涙を乱暴に拭う。そして決意のこもった瞳でヴィオラを見る。


「私、直ぐに探協に言って今回の事を報告に行きます!それで、テイクくんを探します!!」


「そう」


「はい!!」


「それじゃあ行くか」


「え?ヴィオラさんも?」


 ルミネの答えを聞いて満足気に笑ったヴィオラは我先にと探索者協会の方向へと歩き出した。そんな彼女をルミネはただ見つめることしか出来ない。


「何をそんなに不思議そうな顔してんの。手伝うって言ってんだよ」


「でも、工房のお仕事は……」


「んなこと言ってられるか。大お得意様が行方不明ってんなら私も探すの手伝うよ」


「っ……ありがとうございます!!」


「いいってことさ」


 照れくさそうに顔を逸らして先に進もうとするヴィオラを急いで追いかけるルミネ。


 ───私、強くなりますから。待っててくださいね、テイクくん!


 優しい月明かりが照らす〈セントラルストリート〉を2つの影が進む。

 もうその後ろ姿に先程のような悲壮感は無く。覚悟で満ちていた。

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