第72話 奪われた日常

 いつも通りの朝が来ると、少女は漠然と思っていた。


 いつも通り、天高く昇り始めた太陽と共に目を覚まし、シスター達と一緒に朝の準備を手伝う。一通りの準備が終われば、1番年長者である彼女が下の子供たちを起こしに行くのだ。


 全員を起こして簡単に寝癖や身支度を整えれば大聖堂で朝のお祈りをする。その後はみんなで食卓を囲んでの朝食。

 その日の予定の話をしながら、楽しくご飯を食べる。


 決して裕福ではなかった。辛いこともあった。

 けれど、それでも彼女は精一杯、毎日を生き抜いていた。


 本当に、いつも通りの朝が来ればよかった。

 けれど、何気ない少女の日常は一瞬にして消え去った。


 何故か?


 その理由は一重に少女が普通の人とは違う、特殊な血を持っていたからだった。


 幼い赤子の頃に両親を無くし、運良く孤児院に拾われた少女の名は───セラ。

 金髪の長髪に深い湖のような碧眼。整った顔立ちは絶世で、1度見れば息を忘れるほど。とても利発的で気の利く少女で、周りの大人たちからもよく頼りにされていた。誰もが認める普通の女の子であった彼女は、しかして普通の人とは違ったところがあった。


 その違いとは、セラの背中にある一対の純白の翼。それは天使の羽のようで、彼女の容姿と相まって本当に天使のように思えた。その実、セラは本当に天使の末裔であった。


 かつて天に住まい、神のお膝元にいることを許された唯一の種族───天翼種。それがセラの種族名であった。彼女は世界でも数少ない天使の血を流した子供でだったのだ。


 天翼種とは元々、長命で、はるか昔は他の種族と大差ない程の数がいた。けれどもその特殊性、どの天翼種も見目麗しいということから、何かと問題に巻き込ることが多かった。例えば、その素晴らしく美しい生き物を自分のモノだけにしたいだとか───まあ、簡単に言えば奴隷だ。


 様々な問題が重なって天使の末裔である天翼種は今ではとても珍しい種族になってしまった。その希少性がさらに他の人間たちの醜い心を掻き立てたのは言うまでもない。


 結局のところ、セラはその特殊性、希少性から今回の人攫いにあってしまった。

 本当に無意識に瞼を瞬かせるかのように、息を吸って吐くように、彼女は気がつけば大迷宮そこにいた。


「……え?」


 薄暗く、肌寒い。おぞましい化け物どもの息遣いがすぐそこに感じられる穴蔵。

 異様に広く感じられる場所にセラは首輪と手枷を嵌められて寝転んでいた。


 体を起こして周りを見遣れば彼女と同じようにまるで囚われたような子供たちが何人もいた。


 初めて中に入った大迷宮。初めて感じる恐怖に、セラの思考は停止した。自らがどうやって、はたまたなぜこんな所にいるのか、皆目見当もつかない。


 ───いったい誰が?


 そんな疑問と同時に答えは訪れた。

 趣味の悪い、紫色の礼服に身を包んだ小太りな男。彼は気味の悪い笑顔を貼り付けてセラ達に端的に説明をした。


「君たちはこれから神様の供物になるんだよ」と。


「………え?」


 一瞬、男が何を言っているのかセラ達には理解できない。しかし、これだけはわかった。「もう自分は二度とあの日常には戻れない」のだと。


 そのセラの直感は正しかった。

 結果として彼女達は大した説明もされぬまま、慣れない大迷宮の中を延々と歩かされ続けた。


 まだ体も力も成熟しきっていない子供にとって、大迷宮をただ歩くだけでも厳しいものがあった。ましてや階層から階層へと移動するだけで疲れ果てて、もう一歩動けないほどだ。


 恐怖の中、大迷宮を歩いていれば、次々とその場にしゃがみこんだり、酷ければ意識を失う子供が現れ始めた。

 それだけで一行の足は止まり、大幅な時間の遅延ロスとなる。


 そんな倒れ込んでしまった子供たちを見て、小太りの男は笑顔を絶やすことなく、もう着いて来れなくなった子供たちを殺した。


「あなたにはその資格がなかった」などと訳の分からないことを言って、一瞬にして首を捻じ曲げて、まるでゴミを捨てるかのように子供だったものを置き去りにする。


「……」


 その姿にセラ達は恐怖するしか無かった。もしかしたら次にああなるのは自分かもしれないと、必死に足を動かした。


 極限状態の中、精神は摩耗して、どんどんと感情の起伏が失せていった。意識や記憶も朧気で、気がつけば小太りの男は止まることのなかった足を止めて言った。


「ここで一旦休憩を取りましょう」


「……え?」


 突然の男の言葉にセラ達は困惑するしかなかった。何せ今の今まで歩くのを止めて休もうとすれば、容赦なく殺してきた目の前の男から放たれた言葉とは思えなかったから。

 けれど実際に男は言葉の通りにセラ達を休ませた。


 気がつけば目の前の景色が一変していた。今までの殺風景だった洞窟から、セラ達が連れられてきたのは〈遺跡〉のような場所。そして彼女達が休憩する場所として置かれたのは十畳にも満たない部屋だった。


 そこにここまで生き残った10人と、元々その部屋にいた15人の子供で男は休むように言った。セラ達を部屋に置くと男は彼女達の前から姿を消した。


 その瞬間にここに来たばかりのセラ達は「逃げるチャンスだ!」と顔色を良くした。しかし、それはすぐに元々その部屋にいた一人の子供に止められた。


「この部屋から出るのは簡単だけど、出たら死ぬことになるよ」


「……どういうこと?」


「そのままの意味だよ。ここから出た人達は全員、に噛み殺されてここに連れ戻されるんだ」


「…………」


「希望は持たない方がいいよ。結局僕達は助からないんだ」


 それ以降、子供は一言も発さず。ただ、絶望した瞳を虚空に向けるのみだった。

 一人の子供の言葉にセラ達は絶句し、再び絶望した。そしてそのまま力なく部屋に座り込んで男が戻ってくるのを待った。


 どれほどそうしていただろうか。

 何分、何時間、何日、何週間、そこにいて絶望していたのかは分からない。けれど、ふと、セラは思い出したかのように立ち上がった。


 殆どの子供が死んだように寝静まった頃、彼女は無性に「家に帰りたい」と言う気持ちが強くなった。「例え死ぬことになろうとも、このままここで燻るのはイヤだ」と思ってしまった。


 一度高ぶった気持ちをセラは押さえつけることが出来ずに、考え無しにその部屋を出る。最後に部屋の中を一瞥すると、不意に部屋の奥にいる、助言をしてくれた子供と目が合った。


 セラは呆れたような、哀れんだような、それでいて仕方がないと、分かると同意してくれるような無気力な瞳に射抜かれた。

 言葉を交わすことは無かった。ただ、覚悟を決めて彼女はその部屋から飛び出した。


「…………」


 どこに向かえばいいのかなんて分からない。けれどセラはあの平和な日常を求めてただひたすらに静かな遺跡の中を進んだ。


 どれだけ歩いたか。以外にも歩みは順調で、バケモノが襲いかかってくる気配はなかった。家に帰る道は見つからなかったが、それでもセラはまだ生きていた。


「……」


 一瞬、あの子供の言葉は嘘だったのではないかと思った。そして、他の子達も自分と同じように逃げればいいのではないかと。


 ───だってバケモノは襲ってこない。あそこで来るはずのない助けを待つより、あの男が帰ってくるよを待つより、逃げった方がよっぽどマシだわ。


 セラは思う。

 けれどその考えはすぐに間違えだったのだと思わされる。


 突如としてセラの頭上から影が差す。暗くなった視界に彼女は一瞬何が起きたのか理解出来ずに動きを停めた。

 そして、無意識に視線を背後へと向ければそこに居たのは───


「……………え?」


 ───獣臭い息を撒き散らす、3体の黒い獅子。額には龍のような謎の模様。セラよりも何倍、何十倍も大きな体躯をした黒獅子が彼女を見下していた。


 息が絞れる。大きく瞳を見開いて、背中の翼が驚きで大きく開いた。次の瞬間、セラは踵を返して叫んだ。


「いやぁあああああああぁぁぁぁッ!!!」


 全速力で走る。少しでも遠く、少しでもあの黒獅子から離れるために。


 とめどない後悔と死の恐怖がセラを襲う。余裕をこいていた甘い自身の考えに腹が立った。何も嘘なんかではなかったのだ。


 ───ごめんなさい!!


 それはあの子供への謝罪か。それともこんなところで死んでしまうことの懺悔か。セラには自分のことなのによく分からずに、ただ全力で走る。


 しかし、彼女の必死の逃亡は長く続くはずもなかった。

 一瞬にして背後に嫌な威圧感を感じる。少し目をそちらに向ければ、鋭い刃が寸前まで迫っていた。


「ひっ────」


 思わず萎縮してしまう。無理もない話だ。小さな子供にとってそれはどうしようもない脅威の象徴だ。

 萎縮と同時に妙な浮遊感がセラを襲った。前につんのめる感覚。簡単に言えば今の一瞬で彼女は転んでしまった。


「うぐっ───!!」


 受け身も取れずにひれ伏す。

 全身を駆け巡る痛みに泣きそうになった。何とか体を起こして前を見ればそこにはのっそりとした足取りで迫る黒獅子。それを見てセラの頬に一筋の涙が流れた。


 全身がカタ、カタと壊れた機械仕掛けのように震えた。別に寒い訳では無い。怖いから無意識に震えているのだ。


 ───死んじゃう。


 抗いようのない運命をセラは直感した。

 どうしてあんな馬鹿なことを考えてしまったのかと後悔する。

 けれどその後悔はもう遅かった。


 あと、数秒もしないうちに彼女は黒獅子によって噛み砕かれることだろう。

 ただ尻もちを着いて震えることしか出来ない少女は逸らすように目を閉じた。


「いやっ───!!」


 悲痛なセラの叫び。同時に身体を噛み砕かれる激痛が彼女をおそうかと思われた。

 しかし、彼女の恐怖とは裏腹にそれはいつまで経っても訪れることはない。そして彼女は耳を疑う声を聞いた。


「グルゥガァ!?」


 それは黒獅子の悲痛の色に染まる雄叫び。想像だにしない、ありえないとしか思えないその雄叫びにセラは咄嗟に目を見開いて状況の確認をした。


 そして飛び込んできた光景に思わず絶句した。


「もう、大丈夫だからね」


 それは彼女を守るようにして黒獅子の牙を短刀で真っ二つにする男の探索者。

 勇ましく、短刀を構えた男はセラに微笑むと、残りの黒獅子へと対峙した。

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