第59話 夢から覚める
目が覚めるとそこはいつもの自分の部屋の天井ではなかった。
「ここは…………」
しかし、目の前に広がる清潔な白い天井は完全に知らない光景という訳ではなく。むしろ、懐かしさと少しのトラウマを呼び起こす。
一瞬の思考の後、僕はここが何処なのかを直ぐに把握することが出来た。
そこは以前、大怪我をした時にお世話になった探協が運営する治療院だった。
「どうして───」
ここにいるのだろう?と疑問が浮かぶ。
寝起きの所為か思考はまだ覚醒しておらず、理解の追いつかない状況に僕は混乱する。
確か僕はアイゼンス・クロックバックの工房にいたはずのなのに、どうして目が覚めたらこんなところにいるのだろうか?
「──体が妙に重い……?」
順序を追って頭の中を整理しながら体を起こすと異変に気がつく。
全身が鉛のように重くて、関節の節々と筋肉がキシキシと悲鳴を上げている。まるで何日間も体を動かすことなく、寝ていたような体の固まり具合だ。
何とか気合いで上半身を起こして辺りを見渡すが、僕が寝ていた部屋は個室のようで周りに人の気配は全くない。
窓から差し込む陽の光。空気の入れ替えを行うために開け放たれた窓からは風も入り込んでいて心地良い。
誰か看護師さんの1人でも近くに居ないものかと思っていると、部屋の扉が静かに開いた。
咄嗟に視線を扉に向ければそこには見慣れた少女が立っていた。
腰まで伸びた金糸雀色の長髪に少しとんがった耳。翡翠色の綺麗な瞳は僕の方を見て多くき見開かれて、端正な顔立ちも驚愕の色に染まっている。
「あっ」
「えっ」
僕と彼女の漏れ出た声が重なる。
数秒の沈黙が流れたかと思えば、その沈黙を破るように少女の両手に抱えられていた水の入った桶と数枚のタオルが無造作に地面に落ちた。
バシャリと水の弾ける音と妙に響く桶の転がる音。
コロコロと転がる桶を無意識に目で追っていると次の瞬間、僕の視界は少女の姿で埋め尽くされた。
「テイクくんっ!!」
「うわっ!?」
頭を一瞬にして少女の全身に包まれて、がっちりとホールドされる。
ささやかではあるが確かにそこにある柔らかさと、妙に脳を刺激する甘い香りに、僕は本能で「これはまずい!」とこの状況からの離脱を試みるが直ぐにそれはやめた方がいいと悟る。
「良かった……目を覚ましてくれて本当に良かった……」
「ルミ……ネ……」
僕の頭を抱きしめたエルフの少女──ルミネの声は涙ぐんでおり、その体も何かに恐怖するかのように震えていた。
「心配……しました……!」
自分が今置かれている場所と状況。そして、目の前で僕を抱きしめて泣きじゃくるエルフの女の子。揃った材料的に僕が彼女に多大なる迷惑と心配をかけたのは明白であり。
そんな僕が彼女の抱擁を無理矢理に拒めるはずもなく。
「心配させてごめんね……」
彼女の背中を優しく叩いて、ただ真摯に謝ることしか出来なかった。
・
・
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泣きじゃくるルミネを何とか落ち着かせて話を聞いたところ僕はクロックバックの工房で急に倒れてしまったらしい。
「え……僕、3日も寝込んでたの?」
「……ぐずっ……はい……」
まだ先程の涙が尾を引いているルミネが何とか頷く。
どうやら僕は長時間、雨具も被らずに外を徘徊したことが原因で高熱を出して倒れてしまったらしい。
「私のスキルやお医者さんの回復魔法でも全然熱が下がらなくて……このまま熱が下がらないと命の危険もあるって……」
しかも3日間ずっと寝込むほどの重症で、魔法やスキルの回復も効かないう状況だったとのこと。
自分が知らないうちに危険な状況だったことに驚く。けどその反面で「本当にそんな命の瀬戸際だったのか?」と思うほど寝覚めは良かった。体はダルいがそれぐらいで、他は目立った後遺症的なものは感じられない。
「目を覚ましてくれて本当に良かったです……!」
「心配をかけて本当にごめんね……」
またしても泣き出しそうなルミネの頭を優しく撫でる。
ルミネが聞いた医者の話では今回の僕の高熱は精神的なものによる発熱で、スキルや魔法の回復が不可能だったのではとのこと。今回の僕の治らない高熱は医者も初めての出来事で相当困惑していたらしい。
「……」
発熱の原因は雨の所為だろうけど、高熱が持続した理由は精神的なもの。
ルミネから聞いた医者の説明が何となく腑に落ちていると、ルミネは軽く鼻をすすって椅子から立ち上がった。
「私、お医者さんを呼んできますね!」
「あっ、うん。お願いね……」
本当ならば目が覚めたと気がついた時点で直ぐに呼びに行った方が良いのだろうけど、状況や気持ち的にそれは難しかった。
ルミネは思い出したかのように部屋を出ていく。
少し強めに閉じられた扉を見つめて僕は一息つく。
体を勢いよくベットに倒して考えるのは、この3日間で自分に起きた事ではなく、寝込んでいる間に見た荒野の夢だった。
もう殆どの内容は薄れかけていたがそれでも鮮明に覚えている言葉があった。
『意志の揺らぎが君を強くもするし、弱くもする』
最後に幼い自分が放ったその言葉。
この言葉が一体どんな意味なのか、今の僕には全く分からなかった。
少しの間、言葉の意味を吟味し考察をしてみるがやはり分からない。
むしろ考えれば考えるほど分からなくなってしまって、思考が勝手に霧散してしまう。
「……今考えるのはやめよう。それに考えることはこれだけじゃない───」
自分にそう言い聞かせて、僕は目が覚めてからずっと気になっていたことに注目する。
それは視界の端にずっと浮かんでいて控えめに存在を主張していた不自然な「!」の表示マーク。これがいったいなんなのか、それを考えるよりも先に答えは勝手にやって来る。
「……え?」
視界に表示されたマークに意識を集中させれば、目の前に突然、こんな表示された。
──────────
・試練〈意志の選択〉
・クリア条件
揺るがない意志の選択をする。
・制限時間
30日以内
・特殊制限
スキル【取捨選択】の一部能力の制限
・成功報酬
能力値の限界突破
スキル【取捨選択】の制限解放
・失敗ペナルティ
能力値の完全リセット
スキルの消失
・放棄ペナルティ
能力値の完全リセット
スキルの消失
──────────
それは久方ぶりに目にした〈試練〉の発生だった。
「どうして……?」
僕は突然の〈試練〉の出現に困惑することしか出来ない。
その内容も去ることながら、それよりも「何故このタイミングで〈試練〉が出現したのか?」その理由がわからなかった。
認識として〈試練〉とはステータスの成長限界が来た時点で、スキルの救済措置として発生するものだと思っていた。
しかし今の僕はステータス的な限界は迎えていないし、以前〈試練〉が発生したタイミングを考えてもおかしい。
いったい、自分の身に何が起きているというのだろうか?
考えれば考えるほどに、試練の内容を見れば見るほどに分からなくなる。
クリア条件のあやふやさもそうだが、今回の〈試練〉はどうも前回とかなり様子が違う。〈特殊制限〉という謎の縛り。〈試練〉に挑戦している間、スキル【取捨選択】の能力が使えなくなっている。
「どうなってるんだ?」
〈試練〉の内容を見て困惑する僕。
しかしいつまでもそうしている訳にもいかず、僕の思考は強制的に別のものによって止められる。
「体の調子はいかがかな、テイク・ヴァールさん?」
不意に部屋の扉が開かれて白衣を羽織った初老の男性と看護師の女性、そして彼らを呼んできてくれたルミネが部屋の中に入ってくる。
そして僕が返事をするよりも早く、彼らは僕の身体的な調子を確認し始めた。
検温から始まって触診や採血など様々な検査を受けた。本当ならばいきなりのことに困惑するべきなのだろうけど、僕の頭の中は依然として目の前に表示されている〈試練〉のことで一杯だった。
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