第55話 確かなその感情
「はぁ、はぁ、はぁ────!!!」
荒い呼吸。
少し先を走る男の体力は限界にきていた。
まだこの追いかけっこを初めてから10分も経っていないと言うのに、バテるのが早すぎる。
素直な感想を言えば、意地汚く逃げるのならばもう少し頑張って欲しかった。
「……」
「はぁ、はぁ、はぁっ!!」
元々、男に長距離を走る体力がなかったのかと聞かれれば決してそんなことは無いだろう。彼が言うにはレベル5の実力者だと聞く。ならばこんな少し走ったくらいでは疲れない。
この雨でぬかるんだ道の所為か、それともこれから訪れるであろう自分の未来を予見した恐怖から来る急激な疲弊か。聞く気もないので男の心理は知らない。というか知りたくもなかった。
男は本当に体力が限界のようで、もう殆ど走れてもいない。仕舞いには足がもつれて顔から地面へと突っ伏した。
「うぐぁっ─────た、頼む!た、助けてくれ!!」
男は慌てて体を起こそうとするが上手くいかない。それでも何とか逃げようと、尻餅を付きながら地面をバシャバシャと後ずさる。
その何としても逃げようとする根性は認めるが、天はどうやらお前を完全に見放したらしい。
「は───え、ど、どうして行き止まり!?」
僕と男は気がつけば人通りが皆無の路地裏へとやって来ていた。
〈メインストーリー〉よりも一層薄暗く、湿っぽい。街灯の光が届かない闇の世界。
男は誘われるかのように逃げる最中で自らこの袋小路へと迷い込んだ。
眼前の男は無機質な岩壁にベッタリと張り付いて僕に視線を向ける。
暗がりでその表情をはっきりと読み取ることは出来ないが、薄らと光った瞳には確かな恐怖が孕んでいた。
どうして今更、お前がそんな顔をできるのか?
眼を見た瞬間にそんな疑問が浮かぶが、直ぐに考えずに捨て去る。
わざわざ時間を使って考えるでもない。今から本人に問いただせば済むことだ。
僕はゆっくりと一歩づつ男の方へと歩み寄る。
「もうおしまいですか?」
「ひぃ…………!!」
僕の質問に、男は情けない声を上げるだけ。それ以上は無理だと分かっていても足で地面を掘って壁へと無理やり後ずさる。
その姿が妙に怒りを覚える。
なのにどうして───どうしてお前は自分がまだ助かると思っているんだ?
「今までのことなら謝る!武器の素材だって……金だって用意する!だから────」
「───黙れ」
「ひぃ………!!」
耳障りな声に我慢ならず、男の顔を掠めるようにナイフを壁に突き刺す。
再び情けない声が聞こえるが、僕は気にもとめずに男の目の前へと立った。
いつの間にか雨は止んで、空には雲の隙間から寂しく満月が淡い光を下ろしている。
その光に照らされてようやく男の顔がはっきりと見えた。
眼前の男は酒場で見た時よりも酷い顔をしていた。
真っ赤だった顔は今にも死にそうなほど青白く、周りを威圧するようなするどい眼光は見る影もない。大きな巨体を情けなく震わせて、恐怖に染った両眼で僕を見上げている。
「許してくれぇ……………」
「ッ────」
依然として助けを乞う男に僕の怒りは増していく。
何とか怒りを制して僕は質問をした。
「───どうしてあんなことをした?」
「っ…………」
再三続けた質問に男はやはり僕の欲しい答えを口にはしない。
気にせずに僕は続けた。
「どうしてヴィオラさんを目の敵にして、邪魔ばかりするんだ?」
言葉と同時に脳裏には彼女の悲しげな姿がフラッシュバックする。
その度に目の前の男を──したくなる。
「ヴィオラさんがいったいお前たちに何をしたって言うんだ」
「………」
泣きじゃくる彼女の声が今も耳にこびり付いて離れようとしない。
「お前にどんな権利があって人の───
「さ、最初は───」
壁に突き刺さったナイフを回収して、男の首元まで持っていく。そして僕の質問に男はようやく口を開いた。
「───最初は……ただの暇潰しだった。気に入らない奴をいびるのはいつもやっている事だったから───」
「……」
「────そのうち、鍛冶師として才能をかいかさせていくあの女に俺は嫉妬するようになった。いつかアイツは俺を超え、職人として高みへと上ると。俺はそれがどうしても許せなかった……」
「だから邪魔をしたと?」
「そ、そうだ……気がつけば俺はアイツの邪魔をすることばかり考えて───それが次第に快感になって止められなくなった………」
「────そうか」
懺悔するかのように話し終えた男から僕は一度離れて天を仰ぐ。
視界には真っ暗な空に浮かぶ一つの月。それを見て何とか気を落ち着けて僕は再び男を見る。
すると男は突然情けない声を再び上げた。
「本当に悪かった、謝るから助け────ひぃ!!?」
目を見開いて愕然とする男に僕は不思議と違和感は覚えない。
何となく僕の顔を見て男が恐怖を覚えているのは分かる。
自分がいったいどんな顔でコイツを見ているのかは分からないけれど、今の僕はとても酷い表情をしているだろう。
何とかそうしないように我慢し続けていたけど、それももう限界だ。
これは1種の八つ当たり、自分の落ち度を、こうなってしまったことに対する怒りをただ発散するだけの行為。
眼前の男が憎くて堪らない。
あれだけの理不尽を
まだこの男は自身の現状を把握出来ていないようだ。
ならばしっかりと教える必要がある
お前は今、選べる立場では無いということを。
「あれだけのことをしたんだ。お前、死んでも文句言えないよな?」
「─────っっっ!!!」
明らかな殺意を持って男に問いかける。
今まで無理やりに押さえつけていたが一度解き放てばもう制御は効かない。冷静な思考は消え去る。
とにかく目の前の男が憎くて、ただ彼女のこれまでの無念を晴らしたい。ただその一心だけが僕を突き動かす。
再び男の首元まで彼女から借りていたナイフを運ぶ。
男はナイフの刃先が首元に触れると、気が狂ったかのように叫び出した。
即座に関節を決めて男の体を拘束する。そして依然として煩く泣き喚く男の耳元で僕は低く唸った。
「許してほしいなら死ね」
「あ──────」
男は気の抜けたように短く呟くと叫ぶのを止めて大人しくなる。
ようやく自分が今までしてきたことの重大さを自覚できたらしい。次第に男の体はわなわなと震え始める。再び恐怖がやってきたのだろう。
男は
けれど、今更謝ったところでもう遅い。
お前は取り返しのつかないことをしたのだ。例え、神が許すしても僕はお前を絶対に許さないし、絶対にお前を───
「───殺す」
僕は既のところで止めていたナイフに力を込める。ゆっくりと、焦らすように刃を男の首に通そうとする。
お前には死を直ぐに与えるのも生ぬるい。今までの自身の行いを、その醜い生き方を悔やんで死んで逝け。
「や、やめ──────」
「止めろテイクっ!!!」
あと少しで完全にナイフの刃が首に触れようかと言うところで背後から聞き慣れた声がする。女性にしてはやや低い。とても落ち着いた声音。
その瞬間、僕は我に返る。
「────っ!?」
思考が一気に鮮明になっていき、冷静さと理性を取り戻す。
声のした方へ無意識に視線を向ければそこにはやはり見慣れた人がいた。
「ヴィオラ……さん……?」
「もうやめてくれ……テイク」
月明かりに照らされた紅色の髪。きりりと鋭い目付きは、今は何故かとても悲しそうだった。
どうして彼女がここに?
そんな疑問が浮かぶが、それは彼女の隣に立っていた1人の老人によってかき消される。
「……」
何も喋らずその老人はこの状況を見ていた。
僕は一言も発することなく、手に持っていた一振のナイフを地面に落とす。
ナイフの刃には一筋の血の雫が伝っていた。
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