第54話 ずぶ濡れの少年

 珍しく強い雨が降りしきる迷宮都市。

 わざわざこんな日に外を出歩く酔狂な人は少なく、殆どが雨に濡れないために建物の中にいる。


 こんな日は外の露店よりも一戸建ての店を構えた飲食店の方が賑わいを見せる。

〈セントラルストリート〉の一角にある酒場〈スズラン亭〉もたくさんの人で賑わっていた。


 大迷宮から帰ってきた探索者やひと仕事終えて1杯やりに来た商人たち。

 各々のテーブルに酒と美味しそうな料理を並べて楽しげな笑い声を上げる。それは何の変哲もない、よくある酒場の光景だ。


 そんな中、一際大きな声が響く。


「おい!この店で1番いい酒を持ってこい!」


「か、かしこまりました!!」


 行儀が悪く足をテーブルに乗せて椅子にドカりと座り込んだ男は酒場の店主に注文をする。


 店主は男の横柄な態度に怯えながら急いでカウンターへと走っていく。

 そんな店主の様子を眺めながら男は手元にあった酒を一気に呷った。


「クハァッ!いやー、はどうしてこんなに美味いんだろうな?」


「随分といい金額になりましたね、アイアンさん。今日はこの後はですか?」


「あたりめぇだろ!こんな鬱陶しい雨の日は女を抱くに限るぜ。お前らも多めに分け前をやるから楽しんでこい」


「ほんとですか!?ありがとうございます!!」


「いいってことよ」


 テーブルの上に料理や酒と一緒に並べられた大量の金。ジャラジャラと音を立てて男達は下世話な話に花を咲かせる。


 男───アイアン・ベリヨンドは今日、最高潮に機嫌が良かった。

 それもこれも全部、彼の思惑通りに事が済んだからだ。


 一時は手下の妨害行為が上手く機能せずにどうなることかと思ったが、終わり良ければ全て良し。

 アイアンは自らの手で鍛冶師ヴィオラの作成途中の武器を破壊して、武器を作り直させないように素材を全て回収して売り払った。

 最初から無駄な妨害などせずに彼女が一人の所を狙って潰せばよかった、とアイアンは考えるが、それでは意味が無いと結論づける。


 アイアンはあの全ての過程に意味があると思っていた。

 探索終わりにベスタをけしかけて揺さぶりをかけて、探索中にデルのスキルを活かした〈擦り付け〉で命の危険に追いやる。


 本音を言えば〈擦り付け〉の時点でムカつくあの少年諸共ヴィオラを殺してしまいたかったが、アイアンは改めてこれでよかったと思う。


 やはり一番美味しいところは他人ではなく、自分が頂かなければ意味が無い。

 完膚なきまでに人の夢を踏みにじるというのは、彼にとって快感を得る一つの手段になっていた。


 アイアンは先程の絶望したヴィオラの表情を思い出して笑みを浮かべた。


「ほんとに、身の程知らずの馬鹿だよなぁ。大人しくしとけば酷い目に合わなくて済んだのに」


 くつくつと腹の底から奇妙な笑い声を上げていると、店主が高そうなボトルを持ってくる。それをアイアンは奪うように受け取ると仲間内で豪快に飲み交わす。


 酒が入るに連れて彼らの態度は悪化していき、周りに影響を及ぼすほどにまでなる。

 限度のない大きな声で笑い、気に入らないことがあれば直ぐにモノに当たり散らかし、近くにいた適当な客に絡んで、変なイチャモンをつけ始める。


 まさにやりたい放題だった。

 ここら辺では良くも悪くも有名だったアイアン達。酒が入って暴力的になっていることを考えれば、おいそれと彼らを止めに入れる人間などそうはいない。


 酒場の店主も青ざめた顔でアイアン達が暴れるのを見ていることしか出来ず、もう彼らを止められる者はそこには完全に存在しなかった。


 一人、また一人と隙を見計らって店を後にする客たち。直ぐに酒場の中はガランと殺風景なものになる。

 荒れ果てた店内を見渡してアイアンはつまらなそうに呟く。


「白けてんなぁ〜。人がせっかく気持ちよく飲んでたのに盛り下げやがって……」


 そこら辺に転がっていた酒瓶に口をつけて、そろそろここで飲むのは潮時かと考えていると、不意に客が訪れる。


 無意識に扉の方にアイアン達は視線を向けた。


 店に入って来たのは一人の少年。この雨の中、雨具も被らずに外を歩いてきたのか少年はずぶ濡れで呆然と扉の前に突っ立っていた。


 開け放たれた扉は閉められることなく、激しい雨音と少し肌寒い空気を店の中に運び込む。

 客が来たにも関わらず店主はその少年に見向きもせず、自分の身を守るようにカウンターの下で縮こまっている。片や少年は店に入ってから1歩も動かない。


 その異様な雰囲気の少年にアイアン達は見覚えがあった。

 それもそのはずだ。目の前の少年はヴィオラにオーダーメイドを依頼した張本人で、アイアンの怒りを買った少年なのだから。


「……」


 無意識にアイアンは言葉を失って少年の方を見る。


 以前会った時と明らかに何かが違う。

 前はただの底辺探索者、取るに足らない馬鹿な人間だとアイアンは思っていた。しかし、今は違う。


 ふと、少年の視線がアイアンに向く。


 濡れた前髪から見え隠れするその瞳に宿るのは明らかな敵意。

 その瞳に観られた瞬間にアイアンは確信する。この少年は自分達に報復しに来たのだと。

 いったい何に対する報復なのかは考えるまでもない。


「あの女、依頼主にチクったか……」


 アイアンは頬を歪ませてほくそ笑む。

 今までアルコールによってボヤけていた意識が一気に鮮明になっていくのが分かる。本能が目の前のゴミを捻り潰せと昂る。


 今すぐ殴り掛かりたいのを何とかアイアンは我慢していると、眼前の少年はポツリと口を開いた。


「……どうしてあんなことをした?」


「ああ?なんの事だ?」


 アイアンは態とらしく首を傾げて少年を煽る。しかし少年は態度を変えずに同じ質問をした。


「どうしてあんなことをした?」


「なんの話しをしているのか分からねぇなぁ?」


「どうしてあんなことをした?」


 少年は壊れた玩具のように繰り返す。

 全く面白みのない少年の反応に、アイアンは少年の元まで近づく。


「あの女が作る武器は俺にとって都合が悪いんだ。だからぶっ壊した、それだけだ。これでいいか?」


 そして肩を軽く掴んで耳元で態とらしく笑った。


 少年はアイアンの言葉を聞いても微動だにしない。

 再びアイアンと少年の視線が重なる。自分に向いた反抗的な眼がアイアンは無性に腹が立ち、彼は言葉を続けた、


「ザコの癖にあんま調子乗んなよ?お前なんて直ぐに殺すことだってできるんだからな?」


 所詮はレベル1〜3程度の底辺探索者。レベル5の自分にかかればこんなクソガキなんて一瞬で屠ることが出来る。


 アイアンはそう判断して強気に出る。

 しかし、アイアンの予想を裏切る事態が起きた。


「───殺すだって?」


 少年の言葉の後、アイアンの視界は廻転した。


「は?」


 気の抜けた声が口から出たかと思えば次の瞬間、アイアンはその巨体を宙に浮かせて雨が降る外へと投げ出された。


 予想外の出来事にアイアンの思考は停止する。その所為かまともに受け身も取れずに彼はぬかるんだ地面へと背中から叩き落ちた。


「ぐはっ!?」


 身体中の酸素が逆流して一気に口から吐きでる。


 依然として何が起きたのかアイアンは理解できない。遅れて痛みがやって来て、腹立たしい不快感が募る。


 何とか体を起こしたアイアンは急激に押し寄せてくる怒りに身を任せて、恐らく自身を投げ飛ばしたであろう少年に怒鳴り散らかそうとする。


「何してくれて─────っ!?」


 しかしそれは、見下ろすように目の前にたった少年を見て止まる。


 息を飲み、全身の昂りは一気に冷え切る。急激な寒気が襲いかかってきて、その場でじっとしている事が出来ない。アイアンは今すぐこの場から逃げ出したくて仕方が無くなる。


 一瞬にして彼が抱いた感情を一言で言い表すならばそれは『恐怖』だ。


「───その言葉、忘れるなよ?」


 刺し殺すような冷徹な少年の眼に射られたアイアンは今まで石のように固まっていた体を無理やり動かす。


「ひ、ヒィッ────!!!」


 情けない声を上げてアイアンは走り出す。


 行き先などは無い。ただ我武者羅に目の前の少年から少しでも逃げるために、彼は覚束無い足取りで走る。


 少年は逃げ出したアイアンを追いかけるためにゆっくりと歩き出す。


 雨は更に激しさを増していた。

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