第53話 降りしきる雨

 本日の探索を切り上げて、僕達は地上へと戻ってきていた。


「うわ、すごい雨だ」


「ほんとですね、土砂降りです」


 外はあいにくの雨模様。それもかなりの雨足で眼前に広がる〈セントラルストリート〉には人の気配が少ない。所々に大きな水溜まりができあがっている。


 今日は雨の所為もあって外は完全に暗くなっていた。いつも出迎えてくれていた茜色の空がないことに違和感を覚えながらも、僕達は大迷宮の入口で立ち尽くしてしまう。


 街灯の光が妙に映えて、あまり見ることのない幻想的な風景が迷宮都市の一角にできあがる。

 雨音が耳朶を打つ中、少しの間その光景を眺めて、たまに空を見上げて雨の様子を伺うが全く止む気配はない。


 暫くの間は雨足が弱まることもないだろう。これは覚悟を決めるしかないようだ。

 僕は隣で静かに景色を眺めていたルミネに声をかけた。


「雨も止みそうにないし、今日はこのまま解散しようか。換金はまた明日にでもしよう」


「ですね。テイクくんは雨具持ってますか?」


「ううん、持ってない。でも部屋までそんなに遠くないし走れば大丈夫だよ」


「そうですか?」


「うん」


 先程まで気落ちしていたルミネだけど、何とかいつも通りの様子に戻ってくれていた。彼女は心配そうに僕を見ると渋々納得したように頷いた。


 自分だけ雨具を被って帰るのが申し訳ないと思ったのだろう。

 ルミネの優しい気配りを有難く思いながら、僕はずぶ濡れになる覚悟を決める。


「それじゃあ今日はお疲れ様。明日もまた同じ時間に───気をつけて帰ってね、ルミネ」


「お疲れ様でした。テイクくんもお気をつけて。足元が悪いので転ばないように気をつけてくださいね」


「あはは。うん、そうだね、気をつけるよ」


 軽く手を振って一思いに外へと出る。瞬間、全身に激しく雨が降りかかり直ぐにずぶ濡れになってしまう。


 まだ外にでて数歩しか走っていないのに、足を止めてしまいそうな程の後悔が押し寄せてくる。しかし、ここで本当に足を止める訳にはいかないので、気を持ち直して前を向くと目の前から一人の女性が歩いてくる。


 雨具も被らずにその女性は力なく亡霊のようにユラユラとこちらへ歩いてきた。


 いったいこんな日に誰が───と思ったのも束の間、僕は見覚えのあるその女性に息を飲む。


 片口まで伸びた綺麗な紅色の髪は雨に濡れて艶やかに流れ、目のやり場に困る黒のタンクトップ姿、影の差すその均整の取れた顔立ちには生気が見られない。

 その女性───ヴィオラさんは顔を上げて僕の方を見ると、今にも壊れてしまいそうな悲しげな顔で微笑んだ。


 そんな彼女を見た瞬間、僕の体は無意識に動き出す。遅れて気がついたルミネも走ってくる。


「っ───!何してるんですかヴィオラさん!?」


「よう───テイク…………」


 僕たちが駆け寄るとヴィオラさんは無理をするように更に笑顔を貼り付ける。


 取り繕ったところでその笑顔が紛い物であることは言うまでもない。

 いったい何があったのか事情を聞こうとしたところで彼女は突然僕の胸に飛び込んできた。


 いきなりの彼女の行動に僕は驚くが、何とか態度に出すことなく受け止める。


「っ……ヴィオラさん?」


「─────」


 名前を呼んで見るが返事は無い。


 抱きとめたヴィオラさんの体はとても小柄で、僕の胸に顔を埋めて微動だにしない。反射的に触れてしまった彼女の体はどれだけ雨に打たれていたのかと思うほど冷たくて、何かを耐え忍ぶように強く僕の服を掴んで震えていた。


 強い雨に打たれる中、数分ほどヴィオラさんの様子を伺っていると彼女は不意に顔を上げて僕を見た。


 その顔はたくさんの涙と後悔や自責の念でぐしゃぐしゃになっていて、彼女は嗚咽混じりにぽつりと呟いた。


「……ごめん────」


「っ……」


「───ごめん……なさい……」


「何が……あったんですか?」


 悔しそうに何かに対して謝るヴィオラさんに僕は優しく問いかける。

 彼女は泣きじゃくりながらも何とか話し出す。


「アイアンに作成途中の武器を壊された……作り直すこと無理で、残っていた素材も全部アイツに持っていかれた……もうテイクの武器が作れなくなっちゃった…………本当に……本当にごめんなさい……!!」


 ヴィオラさんは悲痛な声を上げて泣き叫ぶと、力なく地面に崩れ落ちてしまう。


 彼女は何度も懺悔するかのように僕達に謝る。仕舞いには見たいをぐしゃぐしゃの地面に擦り付けてまで謝罪しようとする彼女を僕は静かに止めた。


「謝らないでください」


「でも……でも…………!!」


「ヴィオラさんは悪くありません」


 ヴィオラさんの顔をしっかりと見て、僕は力強く言った。

 そして何とかヴィオラさんの謝罪を止めさせて、僕はルミネに彼女を任せる。


「ごめんルミネ。ヴィオラさんが落ち着くまで一緒にいてあげてもらえる?」


「は、はい。それは全然いいんですけど……どこに行くんですかテイクくん?」


 ヴィオラさんの元へと駆け寄って雨具を着させてあげるルミネ。彼女は徐に立ち上がった僕を心配そうに見上げる。


 僕は務めて平静を装ってルミネに言った。


「ちょっと用事ができたから行ってくるよ」


「どこにですか?」


「……それはちょっと分からない」


 歩き出そうとする僕を引き止めるかのようにルミネは強く僕の服の裾を掴んで離そうとしない。


 何とか笑顔を作ってルミネの方を見て何とか離してもらうように説得しようとすると、彼女は今にも泣き出しそうな顔で僕を見た。


「テイ─────」


「ごめんね、ルミネ……」


 何かを言おうとしたルミネの言葉を遮って僕は少し強引に彼女の拘束から逃れるとゆっくりと歩き出す。

 もうこれ以上は正気でいられる自信がなかった。


 こんなにも怒りを覚えたのはあの時以来だ。本当はこんなことをしてもしょうがないことはわかっている。それでも彼女ヴィオラさんのあんな姿を見せられてじっとしていられるわけが無い。


 腹のそこがふつふつと煮えたぎり、無意識に全身が強ばっていくのがわかる。


 どうしてこんなことが起きないと思い込んで、僕は油断していたんだ。少し考えれば……いや、考えずともこうなることは予想できたはずだ。なのに僕はどうして………!


 浅はかな自身のこれまでの行動に腹が立つ。どうして彼女を1人にしてしまったのかと後悔する。どれだけ彼女の作業の邪魔になろうとも、僕は彼女のすぐ近くにいて警戒する必要があった。


「っ…………」


 激昂する感情とは裏腹に、思考は底冷えするぐらいに静かに落ち着いている。


 ───どれだけ悔やもうが後の祭り、もう全ては起きて、終わってしまったことだ。タラレバをいくつ並べようが無意味。ならば僕はどうする?


 降りしきる雨の中、ただ一人〈セントラルストリート〉を歩く。

 空は曇天、辺りを暗く覆い尽くして頼りになるのは街灯の光のみ。


 しっかりと前を見据えて道を歩いていく。

 考えるのは「どうしてこんなひどいことができるのか?」ということばかり。


 彼女がいったい何をしたというのか?


 どうしてこんな酷い仕打ちを受けなければいけない?


 女性だからというそんなくだらない理由でどうして夢を見ることが許されない?


 何故、邪魔をされる?


 偉ければどんなに極悪非道なことをしても許されるというのか?


「…………ふざけるな」


 そんなわけが無い。

 こんなことがまかり通っていいわけが無い。

 許されていいわけが無い。


 選択する必要がある。


 このまま権力に屈して、泣き寝入りするのか。それともこの不平等で理不尽極まりないこの悔いを晴らすのか。


 僕の選択は初めから決まっていた。


 激しさを増す雨の中、ずぶ濡れのまま僕はとある場所を目指す。

 そこは人の夢を平気で踏みにじるクズがいる元だ。

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