第52話 黒鉄の女神

 そこに陽の光は一切差し込まない。

 しかし真っ暗ということ訳ではなく、一部分だけが照らされるように明るかった。


 煌々と燃えたぎる炉の焔。無数の火花が宙を舞って、パチパチと弾けて霧散する。

 人の気配は無い。その鉄火場にいるのは一人の女性のみ。


 隔離されたような鉄火場は時間の感覚が曖昧で、今が朝か夜なのかも定かでは無い。

 それでも、「そんなこと知ったものか」と女性は無心で一つの鉄塊をハンマーで叩く。


 何十回と叩き続け、偶に炉の中に鉄塊を入れて高温まで熱する、そしてまた赤くなり柔らかくなった鉄塊を叩く。そんなことをもうかれこれ数十時間と続けている。


 その姿はまるでなにかに取り憑かれたようにも見えて、常軌を逸していた。


「…………」


 鉄塊を叩く度に甲高い音が鳴り響き、深紅の髪がふわりと揺れて焔の光に照らされる。


 身体中から大量に吹き出た汗。失った水分を取り戻すかのように時折、女性は傍らに置いてあった水筒を勢いよく煽る。


 食事は取らない。

 女性にそんなことをしている暇はなかった。何かを食べる暇があるのならば、今はただ無心に鉄を鍛え上げていたい。

 そんな思いが勝り、赤毛の女性は水分しか取らない。


 意外と空腹感は無い。

 体力はじわじわと減っていってるような気はしたが、疲れを感じることは無かった。

 集中力も時間が経つ事に増していく。


 ここまで気持ちが高ぶるのは久しぶりの感覚であった。


「ふっ……!」


 彼女が一つの武器にここまで執着したのは初めてのことであった。


 一個人に最高の武器を作ってあげたいと思ったのは初めての経験だった。


 その少年を思い浮かべて鉄を叩く度に思いが溢れてどうしようもなくなる。行き場のない溢れて今にも暴れだしそうな感情の激流は、そのまま目の前の鉄塊へと注がれていく。


 今までない手応えを彼女は感じていた。


「これならいけるかもしれない……!」


 まだ鉄塊を鍛え始めてから十数時間しか経ってしなかったが、この時点で彼女が鍛え上げてきたどんな物よりもソレは輝いて見える。


 ふと、小さい時に聞いた祖父の話を思い出す。


『武器ってのは人のココロでできてんだ。だから間違っても腐った気持ちで炉の前に座っちゃいけねぇ。どんな時でも最高潮で挑め、好きな男のことでも思い浮かべて発情するぐらいの気持ちで鉄をぶっ叩け』


 彼女は子供ながらに「この人は何を言ってるんだ?」なんて思ってしまったが、今ならこの言葉の意味がわかるような気がした。


 彼女は鉄塊を打つ度に確信していく。


 今なら作れるかもしれないと。

 まだ到底あの人が作るモノには敵わない、届かないけれど、その一端に指先一つ掛かるような気がした。


 この世のどんな宝石よりも美しく輝いて、立ちはだかるものを全て斬り伏せる最強の一振。色んな人に「無理だ」と「不可能だ」と「身の程をわきまえろ」と馬鹿にされ続けた。


 様々な苦難があった。

 思い出すだけで腹の底が煮えくり立つようなことを何度も経験してきた。その度に挫けそうになったが、彼女は諦め悪くここまで来た。


 苦しい過去を耐え抜いた先にようやく彼女の求めていた深淵の入口が見えようとしていた。


「──────」


 鉄を叩く音が響く。


 赤く熱せられた鉄塊はまるで宝石のように美しく。見るのもの目を一瞬で奪ってしまう。


 鉄を叩く音が響く。


 脳裏に浮かぶのは一人の少年。少し頼りのない笑顔が今はとても懐かしく思えて、


「────そうか」


 鉄を叩く音が響く。


 鉄を叩く度に思いがどんどん強くなっていく。どんどん気がついていってしまう。


 体が熱くなっていく。

 それは炉の熱気によるものなのか、はたまた別のモノによる精神的なものなかは定かでは無い。


 鉄を叩く音が響く。


 どれほどそうしていたのだろうか、不意に彼女は背後から人の気配を感じ取る。


 ここは彼女しか使わない、工房の中で最も草臥れて使い勝手の悪い炉だ。普段は工房の人間でも寄り付かないそんな鉄火場に人の気配とあれば直ぐに気がつくのも不思議では無い。


 後ろを振り返ろうとすると一瞬、嫌な感覚が背筋をなぞる。しかし、動き出した首は急には止まれずそのまま背後へと振り返る。


 そして彼女の視界に映ったのは一面を覆い尽くす炎の光に照らされただった。


「───え?」


 気の抜けた声と同時に異様に冷たい水が彼女と赤く熱せられた鉄塊にかかる。


 急な冷水に赤色に染まった鉄塊は驚いたように「ジュッ!」と音を出して、大量の煙を撒き散らす。


 それが蒸発した水分と言うことが一瞬理解できなかった彼女は慌てて鉄塊を炉の中に戻そうとするが、それを何者かによって阻まれる。


 勢いよく腕を掴まれてビクともしない。

 早く熱し直さなければ鉄塊が駄目になってしまう。分かっていても腕は力強く拘束されて動かない。


「一体誰がこんなことを?」と気が動転しながらも視界を何とか上に上げる。

 白い水蒸気が晴れて彼女の視界に映ったのは、見覚えのある醜悪な男の笑み。


 視界にそれが入った瞬間、彼女は息を飲んで思考を停止させる。


「っ────」


「何を一生懸命に作ってるんだぁ?」


 聞いただけで吐き気のする低い男の声。「どうしてコイツがここに?」の頭の中は混乱するが、いくら考えても答えは出ない。


 彼女に冷水をかけた正体は、この工房で工房長代理を務めるアイアン・ベリヨンド。

 アイアンはその酷く歪な笑みを更に歪ませると彼女の腕を無遠慮に持ち上げた。


「へぇ……こりゃあまた純度の高い〈鋼魔鉄〉をふんだんに使ってるな。それにまた腕を上げたかヴィオラ?

 こいつはダメだなぁ〜、実にダメだ───」


 アイアンは彼女が火箸で持っていた鉄塊を見てやれやれと呆れ顔を作る。

 そして底冷えする視線を彼女に向けてこう言った。


「────こんなのが表に出るのはいけねぇ。これは没収……即座にスクラップ行きだ」


「っ……や、やめて!!」


 抵抗虚しく、彼女の鍛え上げた鉄塊はアイアンに奪われる。


 アイアンは抵抗する彼女を勢いよく突き飛ばすと、奪った鉄塊を地面に置いて腰に据えていた大槌で鉄塊を粉々に砕き始めた。


「や……やだ…………やめてよ……………」


 何度も何度も力強く無慈悲に砕かれる鉄塊。もう二度と再生ができないようにとアイアンは念入りに鉄塊を砕いた。


 そしてサラサラな砂のように砕け鉄塊を見て彼女は力なく地面に座り込む。


「な、なんで…………」


 自然と彼女の瞳から無数の涙が頬を伝っていた。


 目の前の鉄塊を粉々にした張本人のアイアンの興味は既に鉄塊には無く。作業台に丁寧に置かれていた素材にあった。


「お!まだ良い鋼魔鉄が残ってんじゃねぇか。それにコイツは…………おいおいマジかよ!ヴィオラ、お前こんな上物まで手に入れてたのか!?」


 アイアンが手に持った素材を見て彼女はその表情を更に絶望の色に染める。


 彼が手に持っていたのは半透明の渦巻の形をした貝殻。しかしそれはただの貝殻ではなく。時価150万を優に超える、超が付くほどのレア素材だ。


「そ、それは本当にダメ!」


「ああ?誰に偉そうな口聞いてんだお前。これも没収だな」


「キャッ!!」


 彼女は何とかアイアンから素材を取り返そうとするが、軽々しく返り討ちにあってまた力弱く尻餅を着く。


「いやいや、こいつは大収穫だ。これで暫くは飲み代に困らねえな」


 アイアンは楽しそうに言うと残っていた素材を全て一つの袋にまとめて軽々しく背負う。そして「ありがとうな」と態とらしく言って鉄火場を後にした。


 それを為す術なく見ていることしかできなかった彼女は自身の情けなさ、無力さに心がどうにかなりそうになる。


 タガが外れたように涙が流れ続けて、その場にじっとしていては本当に心が壊れてしまうと判断した体は無意識に立ち上がって、外へと歩き出した。


 工房を出ると外は生憎の雨模様。しかも雨の勢いはかなり強く、地面はぐちゃぐちゃ泥沼化しており、出歩く人は一人もいなかった。


 雨具無しで出歩くには無理があるにも関わらず、彼女はぐしゃぐしゃな道をただひたすらに歩き始める。


 行先は無い。

 ただあそこでじっとしている訳にもいかなかった。


 気がつくと彼女────ヴィオラは珍しく人気の全くない大迷宮の入口の前へと来ていた。

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