第35話 退院

 天を仰いで僕は深く息を吸って吐いた。

 本日は快晴。青く澄み渡る空が今日という日を祝福してくれいると錯覚してしまうほどに気持ちが良かった。


「退院おめでとうございます、テイクくん」


 大きく伸びをした僕を見て隣のエルフ少女───ルミネはニコリと微笑む。


「……ありがとうルミネ」


 若干、彼女の眩しい笑顔にトラウマを覚えながらも僕は何とか微笑み返す。


 今日、僕は3日間という入院生活から晴れて開放された。ようやく僕はこの長く、嬉し恥ずかし苦しかった生活から抜け出せたのだ。


 本当にこの3日間は大変だった。


 入院期間中、僕の「看病」をしてくれると言ったアリシアとルミネは本当に1日もサボることなく、僕の看病を甲斐甲斐しくしてくれた。


 おはようからお休みまでの身の回りのお世話から、着替えやその他に必要な生活用品の買い出し、食事やお風呂などの介護などなど……それはもうベッタリとお世話をしてもらった。まるでどちらが僕の役に立てるか競い合うかのように。


 例えば、手をまだ上手く動かせない(?)僕のために2人が交互に食事を食べさせてくれたり。例えば、まだ一人で体を起こすことが難しい(?)僕のために2人が僕の汗で汚れた体を拭こうとしてくれり。例えば、夜は冷え込むから(夏)と2人が僕のベットに入り込んで添い寝してくれたりと。


 アリシアとルミネは僕の看病───基、お世話を全力でしてくれた。本当に2人にはお世話になったし、感謝もしている。しているのだが、如何せん少し───いや、かなり恥ずかしかった。


 たまに僕の様子を見に来た看護師やお医者さんが、甲斐甲斐しくお世話されている僕を見てニヤニヤとしながらとても生暖かい視線を投げかけてくるのだ。


 これがもう本当に恥ずかしかった。

 羞恥心に駆られてすぐに2人に看病をやめて貰いたかった。しかし、恥ずかしからと言って2人の善意を無碍にする訳にもいかず、僕はこの嬉し恥ずかしの3日間を耐え忍ぶしか無かった。


 そうしてそんな3日間も終わりを告げて今日、退院と相成った訳だ。

 正直、もう二度とこの治療院にはお世話になりたくない。色々と恥ずかしすぎて僕の精神が持たない。


「それじゃあ行きましょうか」


「あ、うん」


 着替えなどの荷物を持って、探索者協会が運営している治療院を僕達は後にする。


 退院の迎えに来てくれたのはこの状況を見てわかる通りにルミネ1人。アリシアも来たいと言っていたけれど、パーティーの方で用事があったので泣く泣く断念。こればかりはしょうがない。


 最初はパーティーの用事をサボって来るとか言っていたけど、そんなことされては僕が彼女のパーティーメンバーから反感を買いそうだったので丁重にパーティーの方を優先するように言った。


 アリシアはとても不満そうな顔をしていたけど、本当に彼女の中での優先順位はよく分からない。


 アリシアとのやり取りを思い返して首を傾げながら、僕達は今日も人でごった返している〈セントラルストリート〉を進む。

 退院して治療院を後にした僕達が向かっているのは探索者協会だ。


 なぜ宿屋に帰らず真っ直ぐと探協を目指しているのか? そもそもなんでルミネがお出迎えに来てくれたのか? その理由は探協直々に今回のジルベールの件でお呼び出しを受けていたからだ。

 ルミネが聞いた話では「報奨金の受け渡しをしたい」とのことらしい。


 隣を歩くルミネはいつになく上機嫌で、気持ちよさそうに鼻歌を歌っている。

 その美声に密かに耳を澄ませて僕達は探協へと赴いた。


 ・

 ・

 ・


 難なく探協へとたどり着いた僕達を出迎えてくれたのは、普段の親しげな雰囲気とはかけ離れたシリルさんだった。


 銀縁の丸メガネがトレードマークで、セミロングの綺麗な焦げ茶の髪を後ろで一つ結びにした彼女は出入口まで僕達を待ち構えて、完璧な角度で腰を折り曲げて綺麗にお辞儀をしていた。


「お待ちしておりました、テイク・ヴァール様、ルミネ・アドレッド様」


「し、シリルさん?」


「立ち話もなんのですので、どうぞこちらへ」


「あ、はい……」


 完全に仕事モードなシリルさん。しかも普段の探協でも僕に見せることの無いその一面に驚いてしまう。

 そんな僕の反応を無視してシリルさんは僕たちをとある一室へと案内してくれる。


「どうぞお掛けになってください」


「ありがとうございます……」


 依然として固い雰囲気のシリルさんに言われて高価そうなソファーへと腰掛ける。


 通された一室は見るからに僕たちみたいな低ランクパーティーには不釣り合いな豪華な部屋。壁にかけられた絵画や机やソファー、その他の調度品も一級で、見るからに高価そうだ。


 その部屋は所謂高ランクパーティーとの話し合いをする時などに使われる、VIP御用達の応接室であった。


 なぜ一介の探索者でしかない僕たちがこんな部屋に案内されたのかは、まあ今回に関しては考える必要も無いのだが…………まさかこんな立派な部屋に通されるとは思いもしなかった。


 情けなくも部屋をキョロキョロと見渡して、挙動不審でいると一人の女性職員が目の前に良い香りを放った紅茶を出してくれる。


「どうぞ」


「あ、お構いなく……」


「あ、ありがとうございます」


 これまたお高そうなティーカップに入れられて出てきて緊張してしまう。

 隣で紅茶を口に運ぼうとしていたルミネの手なんて軽く震えていた。


 女性職員は丁寧なお辞儀をすると部屋を出ていき、それを見ていたシリルさんが一つ咳払いをして話を切り出した。


「今回はお忙しい中、探協へとお越しいただき申し訳ありません。今回お呼びした件の説明は…………必要ございませんね?」


「は、はい」


「それではお手を煩わせるのも忍びないので変な前置きも程々に────」


 シリルさんは少しズレ下がったメガネをクイッと上げ直すと再び深く頭を下げた。


「────不在となっている探協長ガイウス・ルイズベルトの代わりといたしまして、探索者協会ディメルタル支部の全職員を代表してお礼を申し上げます。この度は犯罪者ジルベール・ガベジットの犯行の阻止、捕縛にご協力いただきまして本当にありがとうございました」


「い、いえいえ。元々は自分がまいた種と言いますか……そんなお礼を言われるようなことをしたつもりは……」


「いえ、今回の1件に関しましては完全にこちらの監督不行届でした。ジルベール・ガベジットの素行の悪さはこちら側も認知しておりました。それなのに適切な対応をしてこなかった私達に今回の責任はあります。本当に申し訳ありませんでした」


「…………」


 誠心誠意なシリルさんの謝罪に僕の思考は完全に停止してしまう。

 一向に頭を上げる気配のないシリルさんに、どうするべきかとあたふたしていると隣のルミネが口を開いた。


「たしかにその通りですね。もっとあなた達があの男に注意してくれていれば私の家族はあんな危険な目に会うことは無かったはずです」


 あからさまな嫌悪の感情。底知れぬ怒りが彼女の言葉には宿っていた。

 それを真正面から受けたシリルさんは本当に不甲斐ないと言わんばかりに奥歯を噛み締めて謝罪をした。


「っ……はい。本当にその通りでございます。こんな頭を下げたところで到底許されることではないですし、巻き込まれた御家族、ルミネ様のお気持ちも納得できるはずがないないのも承知しております…………」


「全くです。本当なら私はあなた達を許さない。けれど、今回はテイクくんや白銀の戦姫───アリシアさんのお陰で弟妹達には大きな怪我もなく無事に助かりました。なので文句の言葉も今のだけにしといてあげます。本当にテイクくん達に感謝してくださいね」


「寛大なお心に感謝致します…………今回は誠に申し訳ありませんでした」


 無意識になのだろうけど、ルミネは僕の手を上から強く握るとシリルさんから目線を外した。それでもシリルはしばらくの間頭を上げることは無かった。


 少しの間、無言の重苦しい雰囲気が部屋を支配する。

 今のやり取りを見て僕の心境は複雑だ。


 本当ならば今のルミネの言葉は僕に直接向けられてもおかしくないものだ。いや、向けられて然るべきなのだ。けれども彼女は僕に感謝して、気にする事はないと言ってくれた。逆にシリルさんに申し訳なくなる。協会の一員としての謝罪だとしても、彼女のこんな姿をこんな形で見ることになるとは思いもしなかった。


「……」


 どうすることもできずに湯気が弱まりつつあるティーカップの表面を不自然に眺めていると、シリルさんは静かに頭を上げて言葉を続けた。


「今回の不祥事の解決、そしてジルベール・ガベジットの捕縛に協力頂いた感謝の気持ちと致しまして、テイク様、ルミネ様、アリシア様の3名にはこちらから少しばかりですが報奨金を差し上げることになりました」


 そしてシリルさんの言葉と共に部屋の扉が開かれて、大きな2つの袋を持った職員が入ってくる。僕達の前にその2つの袋を丁寧に置くと職員は部屋を後にする。


 まじまじと大きく膨らんだ袋を見つめるとシリルさんが中身の説明をしてくれた。何が入っているのかは言うまでもない。


「どちらの袋にも300万メギル入っています」


「さっ……300万メギルッ!?」


 シリルさんの言葉に僕は思わず立ち上がり驚いてしまう。中身は分かっていたが、まさかそんな大金が入っているとは思いもしなかった。


「あのシリルさん……金額が間違っては───」


「いえ、ちゃんと正確な金額です。寧ろ私としてはこれでも少ないぐらいだと思っています」


 確認をしてみるがどうやら間違いではないらしい。改めて目の前の大金が入った袋を見て生唾を飲む。


 まさかこんな大金を自分が一括で手にすることになるとは思いもしなかった。高レベルの探索者となれば300万なんてのは一回の探索で軽々と稼げてしまう金額かもしれないが、僕はまだレベル2の底辺探索者だ、緊張してしまっても仕方がない。


「どうぞお受け取りください」


「は、はい……」


 シリルさんに促されて今まで感じたいことのない重量をしている袋を受け取り、大事に懐にしまう。


「改めまして、今回は本当にありがとうございました」


 お金を受け取った僕たちを見てシリルさんは再び深く頭を下げた。


 その後は特にこれといった話はなく。報奨金を受け取ってすぐに僕たちは応接室を後にした。

 探協を出るまでシリルさんはいつもの様子に戻ることなく、静々と探協を後にする僕たちを見送ってくれた。


 最後に「本当にありがとう」といつものシリルさんが言った気がするのは勘違いではないと思う。


 何となく振り返って探索者協会の建物を見上げていると、隣のルミネが服の裾を引っ張てきた。


「テイクくん、これからどうしますか?」


「えっと……今日は……というかしばらく休みにしようか」


「大迷宮には行かないんですか?」


「うん。体の方は問題ないけど、ジルベールとの戦いでナイフをダメにしちゃったんだ。だからまずは新しい武器を調達しなきゃ」


 太陽はまだ天高く登っていて、大迷宮に潜るには問題のない時間だ。でも今日のところは断念する。

 そんな僕の返答にルミネは少し期待した眼差しを向けてくる。


「そ、それじゃあ今から私の家に来ませんか?今回のことでちゃんとお礼もしたいし、弟妹達もテイクくんに会いたがってるんです」


「あー………ごめん。お誘いは嬉しいけど今日は遠慮しておくよ」


「そうですか……」


 僕の返答を聞いてルミネはあからさまに顔をシュンとさせる。それに僕の心がギチギチと締め付けられたのは言うまでもない。


 嬉しいお誘いではあったが今回は彼女のお誘いをお断りさせてもらう。

 心苦しいが、仕方ないのだ。

 ジルベールとの戦いを経て、色々と確認したいことが山積みなのだ。


 例えば、目が覚めてからずっと視界の右上に表示された〈〉と言う文字。

 これを僕は今すぐ確認したくてたまらなかった。


 入院生活中に確認しようとも考えたが、アリシアとルミネの対応をするのでそれどころではなかった。

 ようやく退院して、僕はこの表示の確認を一人でゆっくりとするために宿屋へと帰りたかった。


「本当にごめん。この埋め合わせは必ずするから」


「本当ですか?」


「うん。武器を新調するまでは大迷宮には行かないし、必ずまたお邪魔させてもらうよ」


「分かりました。お待ちしてます」


「ありがとう」


 渋々と言った様子で頷いてくれたルミネに感謝をして、僕達はその場で解散することにした。


「色々と準備が整ったら知らせに行くから、それまでは探索は休みってことで!」


「分かりました。それでは!」


「うん。じゃあね」


 互いに手を振って帰路へと着く。

 僕は全速力で間借りしている宿屋〈赤熊の窼〉へと走った。

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