第20話 トラウマ

 大迷宮から地上に戻ると空は茜色に染まっていた。太陽が最後の輝きを放つ。その光景は何処か儚げで、感傷的な気持ちになってしまう。


 あの後、僕達は少しの休憩を取ってから第6階層を後にした。

 過去のトラウマを清算し、仲間が死んだ地にて祈りを捧げる。それによって彼女の中にあった迷いや弱さが無くなったように感じた。


 実際、地上に戻る道中は持ち前のスキルによって今まで以上に後衛としての役目を果たして、なんの危なげもなくここまで戻ってくることが出来た。

 あの様子ならば一人でも大丈夫だろう。


「ふう……」


 大きく伸びをして外の空気を吸う。

 予想よりも長い時間大迷宮にいたのだと感じていると、先を歩いていたルミネさんがくるりと振り返って頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました」


「もう十分にお礼はもらいました。なので頭を上げてください!」


「いいえ、そういうわけにはいきません。テイクさんには本当になんてお礼を言っていいか……このご恩は一生忘れません。本当にありがとうございます」


 今日何度目か分からない彼女からのお礼の言葉。それでも言い足りないかのようにルミネさんは深々と頭を下げる。


 公衆の面前で年下の女の子に深々と頭を下げさせる探索者の男。

 字面だけ見れば状況は最悪だ。僕たちの間柄など知る由もない通行人たちは不審な眼差しを僕だけに向けてくる。


 感謝されるのは嬉しいが凄く居心地が悪い。できることならルミネさんには早く頭を上げてもらいたい。

 しかし、彼女からはそんな様子は全く見られない。本当に律儀な子だと思う。


「本当に気にしないでください。僕なんかがお役に立てたなら良かったですよ」


「っ……テイクさん………!!」


 から笑いをして謙遜をすると、ルミネさんは勢いよく下げていた頭を上げて僕の顔を見る。


 今の言葉のどこが彼女の涙腺を刺激したのかは分からないが、どうしてかルミネさんは今にも泣き出しそうな顔をしている。……というかもう泣いていた。


「うっ……ぐずっ……本当に、ありがどうございまず……!!」


「えぇ!なんで泣くんですか!?僕なんか変なこと言っちゃいました!?」


「いえ、違うんです……そういう訳じゃなくて……テイクさんが優しすぎてもうなんか……その優しさが嬉しくて…………」


 次第に流す涙の量が増えていくルミネさんを見て僕は狼狽えることしかできない。

 何も出来ない歯がゆい気持ちであたふたとしていると聞き覚えのある声が背後からした。


「おいおい、そこにいるのはもしかしてゴミ捨てしかできない無能のテイクかぁ〜?」


「っ!!」


 瞬間、今までの緩やかな時間が凍りつく。

 体は強ばり、嫌な汗が吹き出る。その声は僕の脳裏に今もベタりと媚りついて離れない嫌な声だ。


 歯車の狂った機械仕掛けのように首を声のした方へと向ければ、そこには僕をAランクパーティー〈紅蓮の剣戟〉からクビにしたリーダー、ジルベール・ガベジッドが楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。


「ジル、ベール……」


「ジルベール、だろぉ?なんだテイク、パーティーを抜けてから一週間も経たないうちに口の利き方を忘れたのか、オイ?」


 依然としてジルベールは笑顔を貼り付けたまま、後ろに侍らせていたパーティーメンバーを控えさせて僕に詰め寄ってくる。


「しかも女なんか侍らせやがって、随分と偉くなったもんだなぁ」


「いや……そんなつもりは……」


 本能が今すぐここら逃げろと警告を鳴らす。けれど、一向に体は指の先すら動こうとはせずにただ下を俯くことしか出来ない。


「誰が口答えしてもいいなんて言った?本当に口の利き方を忘れたらしいな、また教育が必要か?」


 目の前まで来たジルベールは僕の左肩を力強く掴むと耳元で冷たく言い放つ。


「ひっ!!」


 自然と口からは情けない声が出て、ジルベールのその一言で今までの辛く苦しい記憶の数々が呼び起こされる。


 呼吸がどんどん浅くなる。脈拍もどんどん激しくなって、心臓の鼓動がやけに耳元に響いて煩い。


「大迷宮から出てきたってことはお前まだ探索者やってんのか?今度はどのパーティーに寄生してお零れに預かろうとしてんだ?教えてくれよ」


 ジルベールがゴミ屑を見るような鋭い眼光で僕を射抜き、何か言っている。


「次はそこの女に寄生でもしようってか?随分と意地汚いな、そこまで行くと吐き気すらしてくるぜ。お前、自分が才能ないのまだ認めないわけ?」


 けれどその全てが上手く聞き取れない。ただ分かるのは僕が目の前の男よりも下の立場で、目の前の男の言っていることが全て正しいということ。


「いつまでも叶えられないゴミみたいな夢なんて追いかけてないで現実見ろよ?どれだけゴミが頑張ろうたって無理なもんは無理なんだよ」


 体の震えが止まらない。息が上手くできなくて、目の前の男が怖くて堪らなくて、今すぐここから逃げ出したくて、何もかもが苦しかった。


 でも何より苦しいのは───


「っ…………」


 ───何も言い返せず歯を食い縛ることしかできない自分が、何も出来ない自分が情けなくて、それが何より悔しくて苦しかった。


「相変わらず張合いがねぇな。男だったら何か言い返してみたらどうだよ?それとも殴られないと気合いが入らないか?」


 そう言ってジルベールは僕を嘲笑うと握りこぶしを作って振りかぶる。

 それを僕は見上げて、逃げることも出来ずにただ殴られるのを待つことしか出来ない。

「オラッ!」と怒気のこもった声と共に拳は振り下ろされる。


 しかし、それに一人の少女が割って入った。


「何なんですかあなた達!!」


「っ!?」


 視界一面に金糸雀色の綺麗な長髪が舞う。

 誰かなんてのは確認する必要は無い。それは今まで僕の横で泣いていたはずのエルフの少女だ。


「ああ?なんだアンタ?」


「「なんだ」はこっちのセリフです!いきなりテイクさんに詰め寄って好き勝手に言いたい放題……テイクさんは貴方が言うような人なんかじゃありません!!」


 いい所で邪魔が入った為、ジルベールは不機嫌そうにルミネさんを睨む。しかし、彼女は怯むことなく面と向かって大声で言い返す。


「チッ……」


 その反応がジルベールは気に入らなかったのか完全に思考を切り替えた。ルミネさんを敵と見なす。


「ルミネさん!」


「え?」


 それを感じとった僕は咄嗟に彼女を押しのけて再びジルベールの前に立つ。


 関係の無いルミネさんをこの話に巻き込むのは違う。それは僕にとって許容できることではなかった。だからどんなに怖くても僕は彼女をこの男から守る必要がある。


「おい、テイク。なんだその目は?」


「……」


 僕はジルベールの言葉に答えない。ただ今まで見ることの出来なかった男の目をじっと力強く射るばかりだ。


 そんな僕の反応が気に食わないのか、ジルベールは今まで楽しそうだった表情をどんどん歪ませて怒りに染め上げる。


「そうか……どうやら本当に痛い目を見ないと分からないらしい……」


 ジルベールは力なく呟くと腰に携えていた一本の剣を抜いた。


「キャアアアアアアアアアアア!!」


 そんな光景を見ていた一人の通行人の女性が悲鳴を上げる。その声は伝播していき、辺り一帯に混乱を産み始める。誰かの「衛兵を呼んでこい!」と言う焦った声が聞こえてくる。


 けれど目の前の激高した男にはどうでもいいことだった。


「っ!!」


 まさかジルベールが武器を抜くとは思わなかった。どれだけ気に入らないことがあっても一線を踏み越えなかった男が、今この瞬間にそれをあっさりと飛び越えた。


 咄嗟に僕は腰の〈不屈の一振ペルセヴェランテ〉を構えて臨戦態勢に入る。


 街中での武器の使用は言うまでもなく御法度。もしこのことがバレたり、怪我人や、あまつさえ死人を出せば探索者協会から厳しい罰則が下される。


 けれど状況が状況だ。このまま何もしなければ殺されるだけだ。正当防衛として許される事を願うしかない。


「もうお前死ねよ!!」


 怒鳴り声と共に振り上げられた剣が素早く襲いかかってくる。


 腐ってもAランクパーティーのリーダー、そしてレベル5の実力者と言ったところか。奴の放った斬撃は風切り音を鳴らして僕の脳天を切り砕こうとしてくる。


 到底躱すことはできない。仮に躱せたとしても後ろにはルミネさんがいる。結局のところ僕にはこの攻撃を自力で防ぎ切るしか選択肢はない。


 レベル2がレベル5探索者の攻撃を防ぐ。普通に考えれば実力差があって不可能だけど、今のジルベールは怒りに身を任せて剣筋が粗雑だ。単調で直線的すぎる。付け入る隙があるとすればそこだ。


 グッと〈不屈の一振〉を強く握り直してしっかりと振り落ちてくる剣を見る。

 そしてインパクトの瞬間にジルベールに向かって大声を上げた。


「ハァッッッ!!」


「うっ!?」


 耳を劈くような声にジルベールはビクリと体を震わせて硬直する。

 スキル【咆哮】による数秒間の硬直。このスキルは『格上の敵には効果が無い』が、無警戒のところに上手く使えばスキルは効いてくれる。


 その隙を僕は見逃さず、〈不屈の一振〉でピタリと止まった奴の剣を弾き飛ばす。

 ジルベールの剣は綺麗な弧を描いて地面に落ちて、そこで一連の攻防は終了する。


「なっ……なにが起きて……」


 スキル【咆哮】の硬直が解けたジルベールは何が起きたのか理解できずに呆然とする。

 そして直ぐに僕の方を見て、詰め寄ってこようするがそれは叶わない。


「おい!そこのお前たち何をしている!!」


 背後から銀色の甲冑に身を纏った都市の警備を務める衛兵が駆けつけたのだ。


「チッ……この借りは必ず返す。覚えてろよテイクッ……!!」


「そこのお前待て!!」


 忌々しげに僕に言い放ったジルベールは弾き飛ばされた剣を拾って走り出す。それを衛兵が追いかけようとするが、流石はレベル5と言ったところか直ぐに姿が見えなくなってしまう。


 それを呆然と見ていると一気に体の力が抜けて立てなくなってしまう。


「……あれ?」


「テイクさん!!」


「大丈夫かキミ!?」


 情けなく尻餅を付いた僕を見て、ルミネさんや衛兵が心配そうに駆け寄ってくる。

 直ぐに一人で何とか立ち上がろうとするが上手くいかない。


「テイクさん、私の肩を……」


「すみません。ありがとうございます」


 それを見かねたルミネさんが肩を貸してくれる。そのお陰で何とか立ち上がることが出来た。


 そして衛兵達から「いったい何があったのか?」と軽い事情の説明を求められ、さっきあったことを簡単に説明した。


 衛兵達はジルベールの名前を聞いて「またあいつか……」と愚痴を零すと、直ぐに僕たちを解放してくれた。

 どうやら街中での武器の使用は不問らしい。助かった。


 内心、罰がないことに安堵しながら僕はルミネさんに付き添われて少し休める場所へと移動をすることにした。

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