第9章 子ネコー兄弟

第389話 踊る魔法陣

 にゃんごろーはソワソワと落ち着きなく、お胸のもふ毛を肉球のお手々でもしゃもしゃした。

 そこは、初めて入るお部屋だった。

 魔法の気配が濃密なお部屋だ。

 魔法慣れしていない人間ならば、すぐに魔法酔いしてしまうだろう。

 けれど、魔法生物であるネコーにとっては、とても居心地のいいお部屋だった。


 魔女の小部屋。


 それが、そのお部屋の名前だった。

 魔法のお船である青猫号には、魔法仕掛けの秘密のお部屋がいくつかある。

 ここは、そんなお部屋の一つだ。

 魔法で隠された秘密通路を通らなければ、辿り着けない秘密のお部屋。


 そこは、ドーム型の小部屋だった。


 床はくすんだ乳白色で、淡く発光している。

 まあるく繋がった壁と天井は、夜の空のような、海の底のような濃紺。

 無数の星が瞬いている。発光微生物が浮遊しているようにも見えた。


 小部屋にいるのは、にゃんごろーと長老とマグじーじの三にんだけだった。

 三にんは、にゃんごろーを真ん中にして、壁際に並んでいる。

 ここで、待っているのだ。

 訪れを、待っているのだ。

 にゃんごろーは、ソワソワもふもふと訪れを待ちわびていた。


「ああー! はやきゅうー! はやきゅぅ、こにゃいかにゃー! はやきゅ、あいちゃーい! にゃしろぉー! にゃっ・にゃっ・にゃ・し・ろ♪ にゃ・し・ろ♪ ふぅー♪」


 にゃんごろーは、お手々を交互に上げ下げしながら、もふもふジタジタと地団太ステップを披露した。リズムに乗っている。なかなかに軽快だ。

 最後にシュタッとポーズを決めると、にゃんごろーはまた、お胸のもふ毛をわしゃわしゃとかき回し始める。


 にゃしろーは、にゃんごろーの兄弟ネコーだ。

 今は、にゃんごろーとは離れ離れに暮らしている。

 にゃしろーは、病気の治療のために長老の知り合いの魔女の元へ預けられているのだ。

 その、にゃしろーが、これから。

 魔女に連れられて、青猫号にやって来るのだ。

 予定が決まったのは数日前だったが、にゃんごろーがそれを知らされたのは、ついさっきの出来事だった。

 前もって伝えたら、色々なことが覚束なくなるに違いないという長老判断だった。決して、待ちきれなさが爆発して興奮した子ネコーの相手をするのが面倒くさかったからではない――――と長老本ネコーは主張していた。


「ああー! ま・ち・き・れ・にゃ・いぃぃん!」


 にゃんごろーは、頭にお手々をのせて、まあるく身を屈めた。お耳と尻尾が生えている、白が混じった明るい茶色のもふもふ団子の完成だ。

 もふもふ団子は、もふもふとお尻を揺らしている。尻尾が、ゆーらゆーらと泳いだ。

 大変に愛らしい。

 マグじーじは、つーるつーると自前の禿頭を撫でながら、デレリと顔を緩ませて、もふもふ団子を見下ろしている。

 長老は、真っ白いもふぁ毛をかき混ぜながら、喜びをはち切れさせている子ネコーを微笑ましく見つめていた。微笑ましくは思っていたが、同時に、このテンションを自分にぶつけられるのはちょっぴりどころではなく辟易してまうので、にゃしろー一時帰還情報を直前まで内緒にしておいて正解だった……とも思っていた。


「にゃっしろー! はやきゅ、あいちゃいよーう!」


 団子になっていた子ネコーが、もがっと立ち上がり、お手々を天井に突き上げながら雄叫んだ。

 その声が届いたのだろうか。

 乳白色の床に、青い文様が浮かび上がった。

 部屋の中央付近で、波線、曲線、直線、それから円形が浮かび上がっていた。それらが、複雑に組み合わさって、美しい模様を描いている。

 文様を通じて、魔女の小部屋に魔法の力が集まっているのが、感じられた。


 それは、訪れの合図だった。

 それは、訪れの魔法陣だった。


 床に描かれていた文様が、動き出す。踊り出す。

 床が、万華鏡になったようだった。

 青と白の、二色の万華鏡。

 何か意味があるようにも、なんの意味もないようにも思えた。


 集まってきている魔法の力もまた、波紋になって、揺らいでいた。踊っていた。

 炭酸水の泡が弾けるように、パチパチと魔法の力が弾ける。

 にゃんごろーは、歌も踊りも忘れて、その様に見入っている。魅入っている。

 長老とマグじーじは、にゃんごろーがうっかり飛び出したりしないように、両側からにゃんごろーの体を押さえていた。マグじーじは、そのためにしゃがみ込んでいる。

 訪れの魔法に巻き込まれると、大惨事が発生してしまうからだ。

 床に魔法陣が描かれたら、決してその上に乗ってはいけないと、小部屋に入る前に口を酸っぱくして子ネコーには言い聞かせてあった。

 にゃんごろーは、大事な言いつけはちゃんと守れる子ネコーだったし、長老もマグじーじも、その点は信用していた。

 とはいえ、今回はお久しぶりのにゃしろーとの逢瀬とあって、興奮と高揚のあまり、我を忘れて突撃してしまう可能性があった。あってはならない“もしも”を考慮しての対応だった。

 幸いにも、“もしも”の心配は杞憂に終わった。

 言いつけを守って……と言うよりも、その魔法の力が織りなす精密な美しさに圧倒されて、にゃんごろーは、ただただ立ち尽くし、魅入られて見入ってしまっていたからだ。

 そのにゃんごろーの目の前で。


 パチパチは、次第に激しくなっていった。


 ソーダ水の中に入ってしまったようだ、とにゃんごろーは感じていた。

 いろんな色のパチパチが見えた。

 それは、魔法生物であるネコーだからこそ見ることが出来る、魔法の発現であり、魔力の発露だった。

 青猫号で一番の魔法の使い手であるマグじーじであっても、感じることは出来ても、目で見ることは出来ない光景なのだ。


 線香花火が、七変化を続けている。


 そんな風にも、見えた。

 赤・白・青・黄・緑の火花が、パチパチパチリと弾けて消える。

 弾けて、消えて。弾けて、消えて。

 消えて、弾けて。弾けて、消えて。


 花火の、火花の、激しさに合わせて、魔法の力がギュギュっと中央に寄り集まっていく。

 魔法陣の上で派手に弾けていた魔法花火の火花が、ギュギュっと真ん中に寄せ集まって。


 パッチィーン!


 最後に大きく、魔法が弾けて、力が弾けて。

 そうして、小部屋の中央に。

 一つの人影と、一つの子ネコー影が現れる。


 魔女が子ネコーを連れて、青猫号を訪れたのだ。


 魔法のパチパチは消えていた。

 踊る魔法陣も消えていた。


 代わりに、そこには。


 青い作業服に白衣を羽織ったマグじーじよりも禿頭が輝かしい美しい人間の女性と、白黒ブチ模様の賢そうなお顔をした子ネコーが、立っていた。


 魔女の小部屋。

 そこは、魔女が青猫号を訪れるためのお部屋だった。

 青猫号の精霊の許しを得て、特別に用意されたお部屋だった。


 魔女は、お船の精霊の友達だったのだ。

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