第388話 お空とお船と白いリボン(後編)
青い空を背景に、ハタハタと棚引く大きな白いリボン。
そのリボンの端っこには、通りすがりの鳥のお粗相の後が、しっかりと刻まれている。
何とも、衝撃的な事件だった。
みんな、まだ、あんぐりとお口を開けたままだ。
替えのリボンもたくさん用意してあるから汚れても大丈夫だとナナばーばは言っていた。
だがしかし。だがしかし、なのである。
どうして、よりにもよって、なのである。
そうは言っても、お披露目の儀式の真っ最中にピチョンされてしまうのは、さすがに、さすがに、なのである。
にゃんごろーは、もふっとお手々を上げ、またもふっと下した。
何と言っていいものか、言葉が見つからない。
せめて、これが明日なら。
早速、替えのリボンが役に立ったね――――なんて、笑って言えたと思うのだ。
ピチョンで汚れたリボンは、洗えば綺麗になるよね、って心から言えたはずだのだ。
だけど、けれども。
今日、今、この時、このタイミングは、ない。
さっきまで、あんなに楽しかったのに、にゃんごろーは悲しい気持ちになった。
みんなのおそろいを台無しにされたようで、とても悲しい気持ちになった。
残念だったね――――の一言では片付けられない。
元気に揺らいでいた尻尾は、しおしおに垂れ下がった。
リボンを見上げたまま、しょもんと肩を落とす。
気持ちは、もしょもしょだった。
もしょもしょとがっかりの沼に沈みゆくにゃんごろーをザッパンと掬い上げて救いあげたのは、ミルゥだった。
「…………ふっ。ふはっ、あっはっはっは! あは! あははは! なにこれ! すっごいタイミング! こんなことって、ある? ね、狙ったわけでもないのに! と、通りすがりに、ピシャンって! ピシャンって! あは、あはははは! おっかしい!」
「……………………」
にゃんごろーは「ポカン」のお顔でミルゥを見上げて見つめる。
空気を読まない笑い声は、空気をぶち壊す笑い声でもあった。
台無しを気に病むことなく、カラリと笑い飛ばすミルゥ。
お日様ミルゥの笑顔に照らされて、にゃんごろーの心のもしょもしょ雲がササーっと消えていき、心がぱあっと晴れ渡る。
ミルゥの笑い声を聞いている内に、にゃんごろーまで楽しくなってきた。
ミルゥは涙を拭いながら、本気で笑っている。
子ネコーも釣られて笑い出した。
「にゃ、にゃふっ。にゃふふふふふ! トリしゃんが! トリしゃんが、ピシャーンだっちぇ! にゃふ、にゃふふ! おかしーね! にゃふふふふ!」
「ねー! あ、そうだ! ねえ、にゃんごろー! 早速、おリボン交換の儀式、やらせてもらっちゃえば? どうせなら、にゃんごろーが昇らせたおリボン見ながら、おやつを食べようよ! きっと、その方が、おやつも美味しく感じるはずだし!」
「はっ!? しょ、しょれは、いいかんがえ! ミルゥしゃん、てんしゃい!」
すべてを吹っ飛ばしたミルゥは、一片の曇りも打算もない笑顔をにゃんごろーに向けて、思い付きを告げた。
それは、場の空気をよくしようとか、子ネコーの気を引き立てようとか、そういう気遣いとか良い意味での打算が一切含まれない、本当に本当の純粋なる思い付きだった。そして、それが故に、子ネコーの心をがっしり捉えた。
本物の笑顔だからこそ。素の思い付きを本気で楽しもうとしているからこそ。
それは、もしょもしょ子ネコーに晴れ間をもたらした。
にゃんごろーはパッとお顔にお日様のお花を咲かせ、素晴らしいアイデアをもたらしたミルゥを褒め称えると、クリッと三人衆にお顔を向けた。ピッと片方のお手々を上げたにゃんごろーは、元気にハキハキとおねだりをした。
「じーじ! ばーば! おリボン、よごれちゃっちゃから、こうかん、しよう! にゃんごろー、やりちゃい! しょれで、しろいおリボンが、いい!」
子ネコー以上に打ちひしがれていた三人衆も、たちまち息を吹き返し、直ちに替えのリボンの手配を始めた。
ナナばーばが、新しいリボンを取りに走り、その間に他のメンバーはポールの周りへ集まる。ポールにはロープが渡されていて、リボンはロープに取り付けられていた。
マグじーじとトマじーじが、ロープを手繰り下ろして、ロープからリボンを取り外す。ちょうど、取り外しが終わったところで、おニュウリボンを手にしたナナばーばが息を弾ませながら戻って来た。
ナナばーばも参戦して、すぐに新しいリボンが取り付けられた。
後は、リボンを括りつけたロープを引っ張って、リボンを空へと昇らせるだけだ。
いよいよ、にゃんごろーの出番だ。
一番大事な任務は、にゃんごろーとミルゥのふたりに任された。
にゃんごろーとしては、ひとりでやってみたい気持ちもあったが、ミルゥから「おそろいのリボンだから、ふたりでおそろいの仕事をしよう」誘われて、二つ返事で了承した。誘ったのが長老だったならば、「えー」と不満をもらし「ひとりでできるもん!」とごねたかもしれない。しかし、ミルゥとの共同作業ということなら、むしろ大歓迎だった。
「それじゃあ、いくよ! にゃんごろー!」
「はい!」
「そーれ!」
「しょーれ!」
ふたりは仲良くロープを掴み、ミルゥの掛け声に合わせて、掴んだロープを下へと引っ張る。「そーれ!」、「しょーれ!」と引っ張る度に、リボンはポールを昇っていく。
にゃんごろーは、夢中でお手々を動かしていたが、昇っていくリボンに意識を持っていかれていたため、実際にロープを操っているのはミルゥだった。ミルゥは、にゃんごろーのお手々の動きに合わせて、慎重にロープを引っ張り、リボンを昇らせていく。
そして、ついに。
青空を泳ぐリボンが復活した。
にゃんごろーは、空に向かって両方のお手々を大きく振りながら、叫んだ。
「おーい! みんにゃー! みえちぇるかー!? おしょろいのー! おリボーン!」
子ネコーの叫び声は、リボンを越えて、お空の上まで、高く高く駆け上っていく。
お空からの返事は、なかった。
けれど、子ネコーは嬉しそうに、満足そうに、笑っている。
にゃんごろーは、最後にもう一度空に向かって手を振り、満足のお顔で「むふん」と息を吐き出すと、今度はクリッとミルゥへお顔を向けて二パッと笑った。
「ミルゥしゃん、ありあちょー!」
「…………え? ううん! 私も、にゃんごろーと一緒にリボン上げ出来て、楽しかったよ! こっちこそ、ありがとう!」
子ネコーの尊いイベントに感じ入っていたミルゥは、突然の予期せぬ「ありがとう」に虚を突かれたが、すぐにリボン上げ共同作業のことかと思い至り、こちらこそとお礼を返す。しかし、にゃんごろーの「ありがとう」は、そこがメインではなかったようで、子ネコーは、わちゃわちゃっとお手々を振りながら、「それもそうだけれど、そうではない」と「ありがとう」の理由を伝えだす。
「あ、えちょとね。しょれも、ありがちょーなんだけろ、しょれじゃなくちぇ、えっとね」
「うん?」
「トリしゃんが、ピチョンしちゃ、ときのこちょ!」
「う、うん?」
グルグルグルー、わちゃわちゃわちゃーっとお手々を動かしながら、一生懸命にお話してくれるにゃんごろーに見惚れつつ、ミルゥは首を傾げた。
一体、それのどこに、お礼を言う要素があったのだろうか、と首を傾げる。
「あのとき、ミルゥしゃんが、わらってくれちゃから、かなしいが、たのしいになっちゃ! ミルゥしゃんの、おかげ! らから、ありがとう、にゃの!」
「…………え? ええ? えっと、うん。にゃんごろーの役に立ったなら、よかったよ!」
特に深い意味も浅い意味もなく、ただただ思った通りに行動しただけだったミルゥは、思いもよらぬところでお礼を言われて面食らったけれど、変に遠慮したり謙遜したりせず、結果的に役立ったならそれでよしとばかりに胸を張って、子ネコーからのお礼を受け取り、見事にミルゥ道を貫いた。
それは、ミルゥの良いところであり、悪いところでもあった。
だが、良かろうが悪かろうが、ミルゥのミルゥらしさは、にゃんごろーとは相性が良かった。
「ミルゥしゃんは、しゅごいにゃぁって、にゃんごろーは、おもう! ミルゥしゃんは、やっぱり、おひしゃま! にゃふふ!」
「えー? もー、にゃんごろーったらぁ」
にゃんごろーは、ミルゥのミルゥたるところを手放しで褒め称えた。
たちまち、ふたりの世界が出来上がる。
「そんなことより、そろそろ、おやつにするのじゃ!」
「はっ!? しょうらっちゃ! とくべちゅな、おやちゅー♪」
「ふふ。楽しみだね!」
ナナばーばに睨まれて比較的おとなしくしていた長老が、さすがに待ちきれなくなっておやつを催促すると、お豆腐な子ネコーも目の色を変え、出来たばかりのふたりの世界はフッと揺らいでみんなの世界と同化した。
ミルゥは、原因の長老にもお相手である子ネコーにも、眉をひそめたりはせず、全力でふたりにのっかった。
ふたりの世界も尊いものだが、お豆腐に夢中な子ネコーもまた、素晴らしく尊いものだからだ。
子ネコーのために我慢しているわけではなく、それはそれで幸せを摂取できるのだ。
まあ、そういうところも全部含めて、つまるところ。
ふたりは、相性バッチリ、お似合いのふたり、ということなのだろう。
にゃんごろーはミルゥの太陽で。
ミルゥは、にゃんごろーのトマトの女神様でお日様なのだ。
ちなみにではあるが、この日のおやつは、いろんな色の砂糖衣で彩られた、リボンの形のクッキーだった。
どれも、綺麗で可愛いけれど、にゃんごろーとミルゥの一番のお気に入りには、当然のごとく白い砂糖衣で飾られたおリボンクッキーが選ばれた。
白いおリボンクッキーは、ふたりの「おそろいの大好き:お菓子部門」で、栄えある一等賞を見事、獲得したのだった。
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