第387話 お空とお船と白いリボン(前編)
とてもいいお天気だった。
晴れ渡り、澄み渡った青空。
にゃんごろーが、ミルゥから貰った、ミルゥとおそろいの白いおリボンを風に攫われ、お空の彼方にキラリしてしまった時と同じくらいに、蒼が綺麗で気持ちの良い空。
その空に。
棚引く白雲のように、リボンがはためいている。
大きな白いリボンが、ハタハタと風に吹かれ、止まったまま泳いでいる。
「ふわぁああああああああ……」
子ネコーの歓声が、空へと舞い上がり、リボンと戯れ合い、そのまま空へ溶けていった。
場所は、あの日と同じ、青猫号の後部デッキだ。
後部デッキの船室側、向かい合って右の手すりの際に、ほどほどに背の高いポールが新設されていた。船室の、二階部分まで届く高さだ。
そのポールの天辺で、大きな白いリボンが、旗のように、はためいて棚引いているのだ。
それは、何とも嬉しい、サプライズプレゼントだった。
贈り主は、残念ながらミルゥではない。
今回、ミルゥは、にゃんごろー同様、贈られる側だった。
サプライズの贈り主は、トマじーじ、ナナばーば、マグじーじの、青猫号の最高責任者でもある三人衆だった。
それは、それは、見事なサプライズだった。
三人衆は、しばらく前から計画し準備を進め、サプライズイベントが最高に映えるお天気の到来を待ちわびていた。
三人衆は、何一つ、にゃんごろーに気取らせることはなかった。
実に上手に隠し通した。
青猫号の最高責任者という立場は、伊達ではないのだ。
計画は、用意周到だった。
何も知らされていないのは、にゃんごろーとミルゥのふたりだけだった。
天気予報を元に日取りを決めると、三人衆は持てる権力を使って、自分たちとミルゥ、それから記録係として抜擢したクロウの仕事の調整をした。
その上でなお、最終決行を確定したのは、朝、実際に空模様をたしかめてからだった。少しでも、今後の天気に不安があれば延期するつもりだったが、無事に本日結構と相成った。
結構が決まると三人衆は、関係者一同にこっそりと連絡をした。
そして、いつも通りに和室にて朝食を食べ終えると、仕事に行く振りをして、にゃんごろーとしばしのお別れをした。
いつもなら、ここでにゃんごろーたちも和室を撤退して、ネコー部屋へ戻ったりサンルームに遊びに行ったりするのだが、長老が「今日は、和室でおやつを食べたいから、おやつの時間まで、和室でゴロゴロするのじゃ」と言い出したので、にゃんごろーとミルゥ、長老とクロウの四にんは、そのまま和室へ残ることになった。にゃんごろーもミルゥも、また長老の気まぐれが発動したのだろうと、さして気にはしなかった。
にゃんごろーもミルゥも、ふたりでいちゃいちゃ出来るのであれば、場所はどこでも構わないのだ。
おやつの時間になると、仕事へ出かけたはずのナナばーばがやって来て、「特別なおやつを用意したから、一緒に外で食べましょう」と誘ってくれた。
にゃんごろーは、一も二もなく誘いに応じた。
特別なおやつなどと言われては、お豆腐子ネコーとしては飛びつかざるを得ない。こと食べ物が絡んだ場合、それは時に最愛であるミルゥよりも優先されるのだ。
先導するナナばーばの後ろを、にゃんごろーは、るんるんたったと小躍りしながらついて行った。今日のナナばーばは、紺色の和装だった。背後の浮かれた気配を感じ取っているのか、しゃんと伸びた背筋は、柔らかく笑っているようだった。
デッキへと続くドアの前まで来ると、ナナばーばは、「びっくりさせたいからお目目を瞑っていてね」と言って、にゃんごろーをひょいと抱き上げた。
にゃんごろーは、一体どんな素敵なおやつが待っているのかとドキドキしながら、言われた通りにお目目を閉じて、ナナばーばに運んでもらった。ミルゥへは、特に指示はなかった。何も言わなくても、どうせ、にゃんごろーから目を離すはずがないと思われていたからだ。その通りだった。
ナナばーばは、デッキから地上へ渡されたスロープを下りて行った。
きっと、ネコーたちの住処がある森の手前の空地へ行くのだ、とにゃんごろーは予想した。そこは、にゃんごろーが初めて青猫号へ来た時に、コーンスープを振る舞ってもらった、思い出の場所だった。
潮の匂いと森の匂いが混じり合う場所で、ナナばーばは足を止めた。そこで、くるりと体の向きを変え、にゃんごろーの体を斜めに傾げた。にゃんごろーのお顔が上を見上げる角度だ。「おや?」と思ったところで、お声がかかった。
「さ、にゃんごろー。もう、お目目を開けてもいいわよ」
「は、はい!」
特別なおやつのお披露目にしては何かがおかしいような?――――とにゃんごろーは不思議に思ったけれど、少々の困惑が混じったお返事と共に、言われた通りにお目目を開けた。
そして――――――――。
先ほどの歓声に繋がるわけなのである。
ナナばーばは、「はわはわ」と感激中の子ネコーを、ぽふんと地面に降ろした。
にゃんごろーは、足裏の肉球が地面と「こんにちは」をしたことにも気づかないまま、風を受けて止まったまま泳いでいる白リボンを見上げている。お口は「ふわあ」と開いたまんまだ。
「私たち三人から、にゃんごろーとミルゥへのプレゼントよ」
「……………………ん? しゃんにん……?」
お耳の上から降ってきた声に、にゃんごろーは少し遅れて反応した。三人とはどういうことかと振り向くと、ナナばーばの両隣りに、バラバラにお仕事へ向かったはずのトマじーじとマグじーじの二人がいた。
発案がトマじーじで。
ポールやリボンの手配をしたのがナナばーばで。
設置を手掛けたのがマグじーじなのだと、ナナばーばが教えてくれた。
発案者からの発表でないところに三人の力関係が垣間見えるが、子ネコーにはどうでもいいことだった。
「これなら、お空にいるみんなからも、よく見えるだろう? これはね、お空とお船の両方にいる、みんなのリボンなんだ」
「…………おしょらと、おふねの、みんなの、おリボン」
ナナばーばにばかり美味しいところを持っていかれてたまるかと、仕立てのいいスーツに身を包んだトマじーじが、身を屈めて、にゃんごろーに話しかけた。にゃんごろーのお顔が、トマじーじに向けられる。にゃんごろーは、お目目をハチハチしながら、トマじーじの顔と、その向こうに見える青空を見つめた。
お次は、ナナばーばだった。譲らない、とばかりにズイとトマじーじを押しのけて、ナナばーばは、にゃんごろーにだけ優しい笑顔を向けた。
「ミルゥとのおそろいのリボンは、お空で永遠のおそろいになってしまったでしょう? だから、新しいみんなのリボンは、何度でも生まれ変わるリボンにしたの! うふふ! 今、空でハタハタしているリボンだけじゃないの! 白いリボンも、何本も用意したし、他の色や、模様が入ったリボンもあるのよ! 失くしても、汚れても、破れても、まったく問題ないわ! いくらでも、交換できるの!」
「なんなら、毎日、違うリボンにも出来るからのー。にゃんごろーがよければ、毎日、今日のリボンを選んで、一緒にお空に昇らせるお仕事をしようなー?」
「…………え? えええええ!? や、やりちゃーい!」
ナナばーばが、子ネコーからの個別感想を貰う前に、待ちきれないマグじーじがしゃしゃり出て来て、ナナばーばはユラリと般若の気配を立ち昇らせたが、子ネコーが飛び上がって喜んでいる姿を見て、すぐに引っ込めた。
ちなみにこの時、「にゃんごろーとミルゥへのプレゼント」などと言われた割には、その後真正面からスルーされた上に、おそろいの白リボンエピソードを上書きされそうになったミルゥは、「むぐぐ」と盛大に眉間に皺を寄せまくっていたが、お空にいる子ネコー兄弟のことを持ち出されては文句も言えず、しかも、にゃんごろーが大喜びしているので、泣く泣く引き下がる一幕が背後でひっそりと繰り広げられていたが、まあこれは余談である。
「トマじーじ、ナナばーば、マグじーじ。さんにんちょも、ありがちょー! にゃんごろー、うれしい! ちゃしかに、これは、おしょらからも、おふねからも、よーくみえりゅ! しゅごい! しゅてき! しゅばらしい! パチパチパチ!」
にゃんごろーは、改まって三人衆に向き直ると、ペコリともふ頭を下げて、お礼を述べた。頭を上げると、今度はお手々をサッと前に出して、お口で「パチパチ」言いながら、ポフポフと肉球拍手を送る。
三人衆は、だらしなく頬を緩めた。
子ネコーはなおも、可愛いを発信した。
「にゃふふ! おしょらと、おふねの、いっしょの、おリボン。…………はっ!? ちゅまり! これも、まちゃ、おしょろい? おしょらと、おふねの、あちゃらしい、おしょろいの、おリボン! たくしゃんあるから、なくしちぇも、だいじょーむにゃ、おしょろいの、おリボン! ふっわぁー♪ ふわっ・ふわっ・ふわっ・ふっふぅー♪」
厳密に言えば、それは“おそろい”ではないのだが、子ネコーは無邪気に独自見解を述べ、「我ながら、これはいい考えだ」と言わんばかりに踊り出す。
子ネコーによる“おそろい拡大解釈”に異を唱える者は、誰もいなかった。苦笑いを浮かべる者が一名と、早くおやつにしてほしいと切ないお顔をしている者が一名いたが、残りは子ネコーの新発見に感銘を受け、もふもふダンスの愛らしさに目と心を奪われている。歌に合わせて、自然と手拍子が始まった。踊りも、より一層盛り上がる。
しかし、最高潮に盛り上がったところで、子ネコーダンスは突然の終幕を迎えた。
ピューイ――――。
と、海側の空から鳥の鳴き声が聞こえてきたのだ。
特に獰猛な気配は感じられない、よく見かける海鳥の普通の鳴き声だったが、臆病(本ネコーは慎重派なだけだと主張している)な子ネコーは「食べられちゃうかも!?」と過敏に反応し、もふもふダンスはビクリと終了した。
キュッと身を竦めて動きを止めたにゃんごろーは、ビクビクしながら声のしてきた方をそっと見上げ、それから、「なあんだ」と緊張を解いた。
思ったよりも、小さな鳥だったからだ。
鳥は、青猫号の方へ飛んできている。
けれど、あれならば、にゃんごろーが食べられてしまう心配はないだろう。それに、ここには長老もミルゥもいるのだから、たとえ襲い掛かられたとしても、ごはんにされてしまうのは、にゃんごろーではなくて鳥のほうだと思い至り、もふっとリラックスする。
安心したことで、軽口をたたく余裕すら生まれた。
「にゃふふ。トリしゃんも、おリボンを、みにきちゃのかなぁ?」
しかし、笑っていられるのも、そこまでだった。
鳥は、リボンを見学しに来たわけではなかった。
一瞥すらせずに、素通りして行った。
代わりに、ピチョンと落とし物をしていった。
鳥から落ちてきたソレは、スッと線を描いて、はためくリボンの端に着地する。
みんなの顔が、「あ」の形で固まった。
鳥は、そのまま森方面へ消えて行ったが、誰も行方を追おうとはしなかった。
それどころではなかった。
大事件発生だった。
お披露目中の、お空とお船のおそろいリボンは、通りすがりの鳥のトイレにされてしまったのだ。
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