第386話 ミルゥさんとエビさん(後編)
新しいおやつが届くまでの間、残されし者たちが集う和室では、いつものネコー劇場が開催されていた。
きっかけは、長老の食い気にまみれた何気ない思い付き発言だった。
「はっ!? そうじゃ! 身の方が、あれだけスカスカの残骸状態ということは、身から逃げ出したエビの美味しさは残らず茹で汁の方に残っているということじゃな!? となると、さぞや、美味しいエビスープが! となると、なるとのグルグルじゃ! 残骸をすり身にして、茹で汁と混ぜれば、エビ復活もあり得るのじゃないかいの! の?」
「な、なるほりょ! エビしゃんが、ぬけがらだったぶん、おダシーのほうに、おしいしいのが、ぜんぶ、はいっちぇるってこちょらね? ほうほう、ほほほぅ♪ ほほっほぅ♪ これは、きちゃいが、できしょーらね! エビしゃんは、おダシーのなかに、かくれんぼちゅうってことか! ふふふ♪ みーつけちゃ♪」
その思い付きは、食いしん坊でお豆腐なネコーたちの心と腹に希望の灯をともした。
早速、もふもふと身をくねらせ、小躍りを始める子ネコー。
長老はお目目を輝かせ、ジュルリと口元を光らせる。
しかし、希望の灯は、ジュッと呆気なく消えた。
犯人が自供したのだ。
灯りを消したのは長老の涎ではなく、ミルゥの涙だった。
「ごめんなさい。茹で汁は、捨てちゃった……」
「ほ!?」
「にゃ!?」
自白と共に、ミルゥは正座で俯いた。膝の上で握りしめた拳の上に、雫が落ちていく。
希望に浮かれてもふぁもふぁしていた長老のもふぁ毛が、驚愕にピシッと逆立った。
にゃんごろーは、喜びの小躍りから、動揺のあわあわ踊りへぎこちなくチェンジする。
長老は「捨てちゃった」に反応し、にゃんごろーはミルゥの涙に動転した。
ミルゥは、エビ残骸のようにキュウウウウと縮こまる。
茹ですぎに茹ですぎたエビのように縮こまって、しょっぱいお水で拳を濡らしていく。
「ゆ、茹で汁は、いらないと、思ってぇえええっ」
「なんと、もったいないことを……」
「みょっ、みょー! ちょーろーは、ひとのこちょ、いえないでしょ! ちょーろーだって、おりょーりのまほー、ヘタヘタのくしぇに!」
「な、何をー!? この子ネコーめ! 長老が同じことをしたら、『せっかくのエビさんを無駄にしてー!』とか、ブリンブリンに怒るくせに! ミルゥにばっかり肩入れしおって!」
「とーぜんれしょ! ミルゥしゃんと、ちょーろーは、ちがーうみょーん」
ミルゥの叫ぶような告白に、長老がおとな気なく本音を零して、にゃんごろーがそれに反発し、森のネコー戦争が勃発した。
怒れる長老のご指摘は、もっともだった。同じことをしたのが長老だったのなら、にゃんごろーは「期待が裏切られた!」と騒ぎ立て、失われてしまったエビの弾力の代わりとばかりにプリプリとご立腹したに違いないのだ。しかし、にゃんごろーはご指摘を受けて反省するどころか、「当然」宣言をして、プーイとお顔を背けた。
長老は「ぐぬぬ」と子ネコーを睨みつけるが、子ネコーはどこ吹く風で、ツン顔を崩さない。
慌てたのは、おかげですっかり涙が乾いてしまったミルゥだ。己の仕出かしのせいで、ネコーたちが仲たがいを始めたとあっては、居ても立っても居られない。とはいえ、諍いの原因である立場で何と言って仲裁したらいいものやらで、オロオロするばかりだ。
カッ! カカッ!――――と。
もふぁもふぁ白毛ネコーと、もふもふ白混じり明るい茶色子ネコーが睨み合う。
もしや、このまま取っ組み合いの大げんかに発展してしまうのでは、と懸念してミルゥは中腰になったが、杞憂に終わった。
「おっまたせー!」
威勢のいい声と美味しそうな匂いと共に、ムラサキが再登場したからだ。
その手には、新生した四人分のおやつをのせたお盆がのっている。
ネコーたちは歓声を上げてこれを歓迎し、ミルゥはすごすごと脇へ避けた。避けつつも、ちゃっかりとにゃんごろーの隣の席へ移動して、ちゃっかりかりと腰を落ち着ける。
「はい、どーぞ! エビの抜け殻はー、ミルクと一緒にミキサーでガーってして、コロッケの一部として生まれ変わりました! エビの味どころか、気配すら感じられないけれど、ちゃんと残骸も入ってます! どーぞ、召し上がれー。あ、まだまだアチチだから、気をつけてねー!」
ムラサキは元気よく説明しながら、ちゃきちゃきと配膳していく。ほどほどの大きさのコロッケが一つのったお皿とフォーク、それから麦茶の入ったグラスだ。配膳が終わると、ムラサキは長老の隣に座った。ミルゥの正面でもある。
子ネコーの「いたらきみゃ」の合図で、一部……というか一人を除いて、賑やかで和やかなおやつタイムが始まった。
「むぐっ、ふがっ、アチチチチッ」
「ふっふっふー。ふっふっふー。…………あむっ。んっ、んむっ、アチ、アチチ……。んー、れも、おいしい! おジャガのほっこりに、レーコンちょ、パシェリィが、いいかんじに、かちゅやくをしちぇりゅ。ちゅまり、おいしい!」
ながらくお預けを食らっていた長老は、獣のようにコロッケに齧り付き、早速お口の中を火傷した。ムラサキの忠告は役に立たなかったようだ。
にゃんごろーは、そんな長老を横目に見ることすらせず、慎重に一口サイズに切り分けたコロッケに息を吹きかけ、すこうし熱を冷ましてからお口の中へご招待する。まだ、少しだけ熱かったけれど、火傷をするほどではなかった。
ジャガイモのコロッケには、ベーコンとパセリが混ぜ込まれていた。どちらも、ジャガイモのほっこりを引き立てつつも、ほっこりに負けないように、美味しく活躍しているようだ。
「うーん? れも、やっぱり、エビしゃんは、みちゅからないねぇ。ふふふっ♪ ミルゥしゃんのエビしゃんは、かくれんぼーが、とくいみちゃいらね?」
「あはは、ホントだねー!」
「……ぐ、う、うん。そう、だね」
コロッケを飲み込んだにゃんごろーは、ミルゥに向かって無邪気に笑ってみせた。嫌味を言っているのでも、慰めようとしているのでもなく、素直な感想のようだ。
他意のない、子ネコーらしい感想なのだ。
追従したムラサキの笑顔からは、大いに他意が感じられたが、ミルゥは何も言い返せず、無理矢理に笑顔を作った。にゃんごろーに応えるためだけに。
ムラサキは笑顔のまま、ミルゥに話しかけた。にゃんごろーの心とお口が、コロッケに戻ったのを確認したうえで、ミルゥにだけ話しかけた。口調はさりげなく優しいけれど、内容はチクチクと攻撃的だ。
「料理なんかしたことないんだからさ。せっかく、お料理のプロたちがアドバイスをしてくれてたんだから、ありがたく受け取っておけばよったのに。耳を貸さずに一人で突っ走って。なら、せめて、練習とかすればいいものを、ぶっつけ本番で買ってきたエビを全部残骸にしちゃうとかさー。にゃんごろーを喜ばせたかったのは分かるけどさ、もっと、自分の力量を考えなよ。ぬか喜びさせて叩き落すとかさー。これ、にゃんごろーにがっかり耐性があったから、こんなもんで済んだけど。そうでなきゃ、普通に子ネコー大泣き案件じゃない? 大体さ。サッと茹でるだけでいいって言われたのに、なんであんなに執拗に茹で上げてたの? このエビはもうすでに残骸だってラインを越えてからも、鬼気迫る形相でジッとエビの美味しさが死んでいくのを見つめてたよね? あれ、なんだったの?」
同席している子ネコーに不信感を与えないよう、口調だけは優しかったが、内容は塩と砂糖を間違えたアイスクリームのように、冷たくて塩辛い。
失敗塩塩アイスを口に突っ込まれたミルゥは、グッと喉を詰まらせつつも飲み下し、質問に答え……否、言い訳…………否否、言い訳にもなっていないミルゥの真実を語り始めた。
「う、ううぅ……。自分の力だけで作ったエビ料理を、にゃんごろーに、食べて欲しかったんだもん……。茹でるだけなら、簡単だし、教わったり、練習しなくても、余裕でイケると思って。愛情を込めれば、美味しくなるに決まってるって思って……それで、それで、うぅぅ~。あんなに、愛情を込めたのに、どうしてぇ~?」
「え? あの鬼気迫る形相……愛情を込めてたんだ……。あー、そう……」
ミルゥは髪を振り乱して嘆き、ムラサキは顔も声も引きつらせた。
どうやら、愛情を込めようと一心不乱になるあまり、肝心の美味しさが犠牲になってしまったようだ。見るからに美味しくなさそうなエビの残骸を自信満々にすすめてきたのは、これだけ愛情を込めたのだから美味しくないわけがないという思い込みからだったのだ。きっと、その時のミルゥの視界には、思い込みフィルターがかかっていたのだろう。
奇行の原因を察したムラサキは、匙を投げた。
なんだかんだで、事態は丸く収まったのだ。ならば、もう、暖簾に腕を押すのはよそうと諦め、コロッケの攻略に取り掛かる。
代わりに、コロッケを食べ終えた長老が参戦してきた。
「なるほどのぅ。ミルゥの愛情を詰め込んだせいで、エビの美味しさが茹で汁へと押しやられ、その肝心の茹で汁も、ミルゥによって捨てられてしまったということじゃな?」
「えええ!? しょーゆうこちょらったの? あれが、ミルゥしゃんの、あいじょうのおあじ。…………あいじょうって、おいしくにゃいんだねぇ。…………はっ!? ま、まっちぇ!? もしかしちぇ、これが、あいじょうを、ためしゅってヤチュ? にゃんごろー、あいじょーを、ためされちぇちゃ? がんばって、じぇんぶ、たべないちょ、いけなかっちゃ? はわ、はわはわ! ろーしよう? ミルゥしゃん、にゃんごろー、しっかく、しちゃった?」
そこへ、コロッケはまだ食べかけだが、ちょうど麦茶で一息ついていたにゃんごろーも話に加わり、ひとりで勝手に子ネコー理論を展開し、大慌てで縋るようにミルゥを仰ぎ見る。
ミルゥもまた、慌てた。大いに慌てた。
長老のお言葉が極太の矢となって心に突き刺さっていたが、痛みに呻いている場合ではないし、子ネコーの「愛情って美味しくないんだね」発言に打ちのめされている場合でもなかった。
「ちー、ちちちち、違う、違うから! にゃんごろー、愛情を試すとか、そんなことしないから! にゃんごろーは、いつだって、大合格だよ! 大失敗して、大失格なのは、私の方だから! お料理、初めてなのに、誰にも教わらないで、練習もしないで、本番して、大失敗しちゃったの!」
「え? しょ、しょーなの? しょ、しょか、にゃんごろー、かんちらい、しちゃった。にゃんごろーが、ミルゥしゃんのしっかくじゃ、ないなら、よかっちゃ。あ、れも! ミルゥしゃんも、しっかくじゃないよ!」
「う、うう、にゃんごろぉー……」
ミルゥの必死の弁明が通じて、にゃんごろーは勘違いを認め、「ほわっ」と笑顔になった。しかし、その後、キリッとお顔を引き締めて、ミルゥに厳しく優しく物申す。
にゃんごろーは、さらに子ネコー流のお説教を続けた。
「にゃんごろーも、しっぱいは、とくい。れも、しっぱいしちゃら、ちゃんとおそわっちぇ、れんしゅうしちぇ、また、ちょーしぇん、しゅればいい! ね?」
「にゃんごろー……うん。そうだね。次は、そーする。上手に出来たら、また、食べてくれる?」
「もちろん!」
「ありがとう、にゃんごろー」
にゃんごろーの前では、ミルゥの暖簾ぶりも廃業だった。
子ネコーの言葉は、ミルゥの胸の中にシュワシュワと浸み込んでいった。何の反発もなく、ミルゥは言葉を受け入れ、素直に頷いた。
いいシーン……のようでいて、実はそうでもなかった。
ミルゥは、にゃんごろーよりもお姉さんだし、若手とはいえ青猫号で働く立派なクルーなのだ。立場的には、一応。
子ネコーに教えを受けて、練習の大事さを知るクルー。
その残念さに、ムラサキは乾いた笑みを浮かべる。
どうして、にゃんごろーはこんなのがいいんだろう?――――とムラサキが失礼なようなそうでもないようなことを考えていたら、長老が空気を読まずに長老流を貫いた。いや、出だしはちょっぴり、いい話っぽかったが、最終的に長老流になった。
「ミルゥよ。人にもネコーにも、得手不得手というものがあるのじゃ。にゃんごろーを喜ばせたいならじゃ。別に、下手くそな手料理を披露する必要ないのじゃ。にゃんごろーは、ミルゥがにゃんごろーのために買ってきてくれたというだけで喜ぶ。お料理をするのは、別にミルゥでなくてもいいのじゃ。ミルゥが買ってきてくれたものを、お料理が上手な者に美味しく料理してもらって、それをミルゥと一緒に食べることが出来れば、それが一番幸せなのじゃ。長老は、御相伴に預かるなら、そっちの方がいいのう。というわけで、次はそういう感じで、リベンジを頼むのじゃ!」
「う……。でも、そっか。手料理に……っていうか、自分一人の力でって、辺に拘り過ぎて、にゃんごろーに喜んでもらいたいってところが、一番大事なところが疎かになってたんだね」
「うむ。ちょっと、愛情が空回っていたようじゃの! なに、長老は、最終的に美味しいものが食べられさえすれば、文句はないからの! 次は、本当に頼むぞい?」
「はい! 長老さんにも満足してもらえるように、精進します!」
長老のお言葉は、ミルゥのためを思ってのことではなく、長老自身の食い意地を満たすためのものだった。しかし、ミルゥがお言葉を前向きに捉えたため、結果的には、いい話になったかもしれない。
けれど、ムラサキの顔から乾いた笑みが消えることはなかった。前向きなようでいて、どこかふわっとした決意のせいで、練習の大事さが吹き飛んでしまっているのではないか、と思ったからだ。
しかし、ここで。
にゃんごろーが、前のめりに身を乗り出してきた。
長老にいいところを持っていかれてたまるか……とかいうことではなく、純粋ににゃんごろーとしての要望というかお気持ちを伝えただけだったが、だからこそ、ミルゥには刺さった。
「あ、ミルゥしゃん、ミルゥしゃん! にゃんごろーは、どっちも! りょうほうちょも、いいちょおもう! おいしいのは、もちろん、たべちゃいけど! おいしくない、あいじょうも、ミルゥしゃんのあいじょうにゃら、ちゃんと、たべりゅからね! らいじょーぶ! にゃんごろー、ちょーろーで、なれちぇるから! でも、ちゅぎは、もっちょ、やわらかいほーが、いいにゃ!」
「…………う、うう…………う、うん! 分かった、任せて! 今度はちゃんと練習してからにするから! ちゃんと、味見もして、美味しくできたら、食べてもらうようにする! あ、それとは別に、美味しいお土産も、また買ってくるね」
「うん! ありあちょー、ミルゥしゃん!」
「にゃんごろー…………」
美味しいものは美味しいもので食べたいけれど、ミルゥの美味しくない愛情手料理も、それがミルゥの愛情ならば食べてくれるという。それは、嬉しい。嬉しいが、美味しくないことが前提な上に、チクリとするつもりはまったくないと思われる、子ネコーからの顎へのダメージ回避要望は、ミルゥの心をザクリと刺した。
ミルゥは、その痛みをきちんと受け止めた。
受け止めた上で決意を新たにし、にゃんごろーと見つめ合い、笑い合う。
その隙に、長老が手つかずだったミルゥのコロッケを失敬したが、唯一それに気づいたムラサキは、黙ってそれを見逃した。
今回、大いに振り回されたムラサキとしては、ミルゥが割を食うのは別に構わないというか、むしろ推奨したいところだった。
何はともあれ、子ネコーは笑っている。
ならば、それでいいのだ――――とムラサキは麦茶を飲み干した。
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