第385話 ミルゥさんとエビさん(中編)

 いつまでも、エビの残骸と見つめ合っているわけにはいかなかった。

 もちろん、残念な気持ちはある。

 大好きなエビさんを大好きなミルゥがお料理してくれるなんて、期待しかなかった。

 だからこそ、がっかりと沈む気持ちはある。

 しかし。しかしである。


 ミルゥ本人は、美味しいエビ料理をにゃんごろーに振る舞っているつもりなのだ。

 そして、にゃんごろーが食べるのを、にゃんごろーが美味しそうに食べるのを、今か今かと待ちわびているのだ。


 となれば、ミルゥを愛する者として、にゃんごろーが取る行動は、一つだ。

 にゃんごろーは覚悟を決めて、「とう!」とエビの残骸の一つに、フォークを突きたて……ようとして、ふと気づいた。器ごと貫く勢いでもって突撃せねば、歯もフォークも立たないのではないかと。というか、下手をすると小鉢がガッシャンして大惨事になるのではないかと思い当たる。では、どうするべきか?

 少し考えてからにゃんごろーは、残骸の一つをフォークの先でそっと掬い上げた。

 大成功だ。

 …………しかし、お顔の高さまで持ち上げたソレは、どう贔屓目に見ても大失敗の一品にしか見えなかった。

 それでも、この残骸はミルゥの心づくしなのだ。

 一口も味合わずに撤退するなど、にゃんごろーにはあり得ない。

 にゃんごろーは、お目目を閉じた。

 覚悟を決めて、フォークをお口の中に差し入れる。

 にゃんごろーは、せめてエビの残り香だけでも探り当てようと、お目目を閉じたまま、もっぎゅもっぎゅと探るように咀嚼する…………が、しかし。

 どんなに注意深く探しても、エビがエビであった証を見つけることは出来なかった。エビの持ち味であるプリッとした弾力も完全に損なわれ、もはや別物の無駄に力強い歯ごたえだけが感じられる。美味しさもエビらしさも、何処にも見つからず、顎への疲労感だけが積み重なっていく。

 かつてエビだったものを飲み下したにゃんごろーは、ゆっくりとお目目を開けた。しかし、ミルゥを目を合わせることが出来ない。なるべく穏便に味の感想を伝えなければ――――と、小さな頭をフル回転させる。


「ど、どうかな?」


 考えがまとまらない内に、ミルゥからおずおずと尋ねられ、にゃんごろーはビクゥッと身を竦ませる。

 ミルゥに気を遣って答えられないにゃんごろーの代わりに、一口も食べていない長老が、あっさりとミルゥをバッサリした。


「どう……もなにもじゃ。見るからに、スカスカの出がらしではないか。エビの旨味を最後の一滴まで残らず搾りつくして、最大の持ち味であるプリプリ感を完膚なきまでに叩きのめした、今世紀最大のポンコツ料理じゃろうが」

「しょっ、しょんにゃこちょ、にゃいもん! ちゃんと、ちゃんと…………ん、んみゅ……あ、しょう! エビしゃんの、ぬけがらの、おあじがしちゃ! しょれに、ホラ! おくちの、うんどうにも、なりゅ!」

「…………え? え? どういうこと? 抜け殻? お口の、運動? そ、そんなはず……。だって、あんなに愛情を込めて作ったんだから、失敗するわけが……」


 長老が呆れたお顔で言い放つと、何が何でもミルゥを庇いたいにゃんごろーがすかさず反論した。…………が、精一杯のフォローは、長老の包み隠さない本音よりも鋭くミルゥを切り裂いた。ミルゥの瞳に、薄く熱い膜が張る。

 にゃんごろーは「きゅぉオオオオオ」と身を捩ったが、長老は埒が明かないとばかりに――――。


「ミルゥよ、口を開けるがよい!」

「…………え?」

「とりゃ!」


 魔法を使ってエビの残骸たちを宙に浮かし、空いたミルゥの口中へ突撃を命じた。

ミルゥの口の中に、次から次へと身を投げていくエビの残骸たち。ミルゥは目を白黒させた。


「さあ! 自らが仕出かしたポンコツの味、その身でとくと味合うがよいぞ!」

「むぐ……うぐ……」


 窒息させたいわけではないので、エビの残骸は、ちゃんと咀嚼が出来る余地を残してほどほどに突っ込まれた。

 ミルゥは目の白黒を続行したまま、口を動かし始める。まさか、吐き出すわけにはいかない。詰め込まれた以上は、噛み砕いて飲み下すしかない……のだが。

 数が多いせいもあってか、身投げしてきたわりに、残骸たちは激しい抵抗をみせ、咀嚼は難航を極めた。

 エビ残骸の咀嚼は難航を極めたが、にゃんごろーの言葉の意味は、身を持って深く噛みしめることが出来た。

 なるほど、お口の運動とは、こういうことか――――飲み下した後でさえなお感じる顎への絶え間ない負荷が、体よりも心に堪えて、滂沱の涙を流す。


「う、ううぅ。美味しくない。味はスカスカなのに、歯ごたえはギチギチで、顎を鍛えるためだけの何かみたい……。そういう特殊な拷問とかに使えそう……」


 成長途中の子ネコーの顎へ過大なる負荷を与えてしまった事実だけでなく、そのあまりの美味しくなさも涙を生み出す原因だった。

 不味いというよりも、とにかく美味しくない。

 正しく、抜け殻の味だった。

 スカスカで、味も素っ気もない。

 ただただ、顎に負担をかけるだけの何か。

 顎の運動のしすぎで、鍛えるを通り越して顎を壊しそうだ。


「ごめ……ごめんねぇ。にゃんごろー……。あんなに、期待させといて、わた……私、こんなに美味しくないものを、食べさせちゃって……。う、うぅ、がっかり、したでしょ?」

「にゃー! にゃにゃにゃにゃにゃー! にゃかないで、ミルゥしゃん! だいじょーぶ! らいじょーるだよ、ミルゥしゃん! にゃんごろー、こういうの、ちょーろーで、なれちぇるから!」

「う、うぅ……?」


 ぺしょぺしょに萎れるミルゥを、にゃんごろーは必死に慰める。でも、それはミルゥを慰めるためにでっち上げた出まかせではなく、子ネコーなりの真実にして本心だった。

 ミルゥは、長老で慣れているから大丈夫とはどういうことか、と目を擦りながらにゃんごろーを見つめた。

 にゃんごろーは、もふもふとお手々を動かしながら、一生懸命に説明をした。


「あのね! ちょーろーもね、おりょーり、へたくしょ、なの! だから、にゃんごろー、おりょうりの、がっかりは、なれちぇるの! しょれに、えっと、おふねに、きてからは、おいしーものばっかり、だったから、ちょっと、なつかしいかんじ……なつかしい、おあじがしちゃ! だから、だいじょーびゅ! ミルゥしゃん、げんきだしちぇ!」

「にゃんごろー……」

「にゃんごろーよ……」


 ミルゥと長老は、微妙な顔で子ネコーを見つめた。

 懐かしいお味と言えば響きはいいが、美味しくないことにかわりはないわけで、おまけに、お料理に期待してがっかりすることに慣れているから大丈夫と言われても、とてつもなく複雑である。子ネコーが思いのほかダメージを受けていないことは喜ばしいが、それはそれとして複雑である。

 引き合いに出された長老の方も、養い子ネコーが、意外と“おとな”な対応をしている理由が、自らの料理の下手さにあると言われて、微妙というか、しょっぱいお顔だ。


 なんというか、顔つきだけでなく、絶妙に微妙な雰囲気になった――――が。


 パン!――――という柏手一つで、部屋中に充満する微妙さを打ち払ったのは、それまでミルゥの背後で神妙に控えていたムラサキだった。

 ミルゥの背後で「ごめんね礼拝」を続けつつ、タイミングを見計らっていたのだ。

 しかし、ムラサキがここぞとばかりに発言をする前に、長老が強引に割り込んだ。


「うむ! 食堂の方で、別のおやつを用意してくれているのじゃろう? 任せたぞ、ムラサキ!」

「もー、長老さんってばー! 私のセリフ、奪わないでくださいよー! それと、残念ながら、不正解です!」

「な!? なんということじゃ!? こうしちゃおれん! 食堂に突撃じゃ!」

「落ち着いてください。ちゃんとしたおやつは準備中です」

「ん? どういうことじゃ?」


 それまで主役だったにゃんごろーとミルゥは、長老によりあっさりと脇役に追いやられた。ポンポンと小気味よく交わされる長老とムラサキの応酬劇は、テンポが良すぎて口を挟む隙間がない。もっとも、ふたりは展開についていけず完全なるポカン状態で、隙間だけでなく、口を挟む余裕もなかった。

 海猫クルーで魔法整備班に所属しているムラサキは、長老と一緒に仕事をすることも多いので、長老対応にも慣れているのだ。海猫クルーのボスであるマグじーじの指導の賜物でもあるのかもしれない。

 さて、一度は長老にしてやられたムラサキだったが、反撃とばかりにニヤリと笑った。ニヤリ顔で、にゃんごろーの前の残骸料理にピッと人差し指を向ける。


「ふっふっふー。ミルゥの計画を聞かされた時から、こうなることは、予想済みですからね! それで、ほら! いくら失敗とはいっても、ソレはミルゥがにゃんごろーの為に作った初めての手料理でしょう? すでに失われてしまったエビの持ち味を生かすことはさすがに無理ですが、その残骸を再利用したアレンジおやつを準備中です! というわけで、ソレは、一旦回収しますねー! では、みなさん、もうしばらくお待ちください!」


 怒涛の勢いでまくし立てると、ムラサキはエビの残骸セットをお盆の上に回収し、食堂へと撤退していった。

 さしもの長老も、これには唖然のお顔だ。

 ムラサキ及び食堂クルー一同は、ミルゥを神聖視しているにゃんごろーや、にゃんごろーを通じての付き合いしかない長老よりも、ミルゥのことを分かっていた。だから、これは「どうせ言うても聞きやしないのだから、ミルゥの自己満足に巻き込まれた子ネコーのためにも、せめて事後のフォローは完璧にしよう」という、ある種の諦めと悟りの境地から突貫で考案された作戦だった。

 ミルゥは、何とも言えない顔で、ムラサキが消えていった和室の入り口を睨みつける。

 本人に何の断りもなく、端から失敗を見越して動いていたらしきことに物申したいという気持ちが、胸いっぱいに渦巻いている。とはいえ、それが食いしん坊のネコーたちをがっかりさせないためだと思うと、文句も言えない。そもそも、がっかりさせたのは、他でもないミルゥ自身なのだ。

 ミルゥは、複雑だった。

 しかし、ネコーたちは、いつも通りに切り替えが早かった。


「うむ、まあ、細かいことはともかくじゃ。今日もちゃんと美味しいおやつが食べられそうで、何よりじゃの」

「ね! ちゃんと、ミルゥしゃんのおりょうりを、アレンジーしてくれるって! ミルゥしゃんのおりょうりが、おいしく……もっと、おいしくなるって、こちょらよね? ふふ、よかったね! ミルゥしゃん! いっしょに、おやつ、たべようね! ミルゥしゃんのエビしゃんりょうりの、アレンジーおやちゅ! たのしみ! ね?」


 子ネコーは、オレンジーにも聞こえる発音でミルゥに笑いかけた。一片の曇りもない笑顔である。

 合間に挟まれた小さな気遣いが、むしろ胸を刺したが、ミルゥはそれをグッと堪えた。

 ミルゥとしては複雑だが、子ネコーは単純に喜んでいる。

 残骸を再利用して美味しいおやつに生まれ変わるのなら、ミルゥの心づくしが無駄になることなく美味しいおやつも食べられて一挙両得、問題一気に大解決くらいに思っているのだ。

 何となく、それが分かったから、ミルゥもまた笑うしかなかった。


「う、うん。そう、そう……だね。楽しみ、だね。うん……」


 精一杯の笑顔を貼りつけて、ミルゥは子ネコーに頷いた。

 声が少し震えてしまったのは、まあ、仕方がないことだろう。

 

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