第383話 本当のおそろい
せめて、画用紙の中だけでもおそろいの白リボンを残そうとお絵描きに勤しんでいたにゃんごろーは、部屋の外から聞こえてくるけたたましい足音にハッとお顔を上げ、いそいそと立ち上がった。
リボンのことを詫びなければとキリ、と引き締めたお顔は、すぐにゆるゆると綻んでいった。
足音の激しさは、ミルゥが怪我無く元気で帰ってきた証である。『白リボンを失くしてごめんなさい』をしなくてはならないのは分かっているが、ミルゥが無事で帰って来てくれたことが嬉しくて、再会が嬉しくて、引き締めねばという意思に反して、お顔はほろほろと緩んでしまうのだ。
だが、まあ。なにはともあれ、まずはお出迎えである。
にゃんごろーは、ドアから少し離れた場所で、サッとお迎えのポーズをとった。突撃に備え、身を屈めて両手を前に突き出し、片足を後ろに下げる。
突撃……といっても、これまでに吹き飛ばされたことはない。ないのだが、あまりの勢いに防衛本能が働いて、これがにゃんごろーのミルゥお迎え定番ポーズになっていた。
けたたましい足音はどんどん近づいてくる。
この後は、ミルゥに抱きしめられてもみくちゃにされながら、「おかりなさい」と「ただいま」の挨拶を交わし合って、そうして落ち着いたところで、「ごめんなさい」タイムに突入する予定だ。許してもらえるまで何度でも「ごめんなさい」をして、それから。新しい“おそろい”をふたりで探そうとご提案をするのだ……と子ネコーは気合を入れる。
しかし、その気合はあっさりと空回って消えた。
ババーンと登場したミルゥは、いつかの再現のように見事なスライディング土下座をかましたのだ。怒り狂うイノシシのごとく怒涛の勢いなのに、にゃんごろーに激突する直前でピタリと止まったのは、子ネコー愛のなせる業なのだろう。
しかし、前回の再現はここまでだった。
前回は、「おかえりなさい」を言いかける余地くらいはあったけれど、今回はいきなり大号泣だった。
にゃんごろーは、もふもふほっぺに両手をあてて「ひゃおう!?」ともふ毛を逆立てた。
にゃんごろーが「ごめんなさい」をする前に、ミルゥが誰かから「白リボンスルーン事件」のことを聞いて、おそろいがなくなってしまったことを嘆き悲しんでいるのだ……と勘違いをしたからだ。
「ミ、ミミ、ミルゥしゃん……っ。ご、ごめ、ごめんにゃしゃいぃぃぃいっ。にゃ、にゃにゃ、にゃんごろー、ぽんこっちゅぅで、おリボンが、シュルンで、おしょろいが……はぅ、あぅ、ごめんにゃしゃいぃいぃいぃぃぃっ」
「落ち着け、ちびネコー。勘違いするな。ほれ、見てみろ。チョーカーの紐は見えるけど、リボンは見えないだろ?」
「ふ、ふぇ…………? あ、ほんちょら。ん? んん? え? ちゅまり、どーゆーこちょ?」
見届け人としてネコー部屋に残っていたクロウが、取り乱す子ネコーの頭の天辺をズンズンと強めに突いて、それからその指をうつ伏せるミルゥの首元へと向ける。にゃんごろーはクロウの指先を追いかけ、赤毛の隙間から見える茶色い紐へと視線を注ぎ、「あれ?」と首を傾げた。
朝、仕事へ赴くミルゥをお見送りした時には、紐に添わせるように白いリボンが巻き付けられていたはずだった。そのリボンが見当たらない。
そして、ミルゥは土下座で泣きじゃくっている。
にゃんごろーのもふ頭の中に、ふ……と、とある一つの可能性が思い浮かんだ。にゃんごろーは、「もしかして?」のお顔をクロウへ向ける。
クロウは、苦笑いと共に頷いた。
「ミルゥも、何かポンコツをしたんだろ。でもって、白いリボンは、本当の意味で“おそろい”になったってワケだ」
「ほんとうの、おしょろい……?」
「そ」
にゃんごろーはクロウを見つめ、ぱちくりぱちちとお目目を瞬いた。
本当のおそろいという言葉が、胸の中でポムンポムーンと跳ね回っている。やがて言葉はバラバラに崩れて、にゃんごろーの胸の中に溶け込んでいった。
「しょっか……。にゃんごろー、ぽんこっちゅぅ、しちゃったけど、ミルゥしゃんも、ぽんこっちゅぅをしちぇ、おしょろいになっちゃ。しょしちぇ、おリボンも。にゃんごろーのおリボンは、おしょらにとんでっちゃったけど、ミルゥしゃんのおリボンも、どこかにいっちゃって、おしょろいに、なっちゃ。ほんとうの、おしょろいに、なっちゃ。しょーゆーこと?」
「そーゆーことだ」
ミルゥのポンコツに思いを馳せ、クロウは神妙な顔で頷いた。チョーカーの紐に巻き付けていたはずなのに、チョーカーは無事でリボンだけなくすとは、一体どんなポンコツを仕出かしたのかと思うが、最終的には「まあ、ミルゥだからな」で納得した。
にゃんごろーの方は、にゃんごろーのポンコツをミルゥに伝えて、早く本当のおそろいを共有したくて、ミルゥを宥めようと、赤毛を肉球で撫でかき回し、一生懸命を話しかける。
「ミルゥしゃん! ミルゥしゃん! なかないで! にゃんごろーも! にゃんごろーもなの! にゃんごろーもぽんこっちゅぅで、おリボンシュルーンで、ごめんなしゃいだっちゃの! だけど、だから、おリボンは、ほんとうのおそろいになっちゃの! だから、ねえ、ミルゥしゃん! なかないで! ね?」
「う、うぇ……? うう、ぐすっ、ふぇええ?」
にゃんごろーの一生懸命を感じ取ったのか、ミルゥは泣きじゃくりながらも顔を上げた。にゃんごろーは、ミルゥの濡れた顔に肉球を押し当て、ふにふにしながら、もう一度、“おそろい”を伝えた。
「にゃんごろーもね、ぽんこっちゅぅをしちぇ、おリボン、かぜが、ひゅるんって、おそらに、つれていっちゃたの」
「…………え? にゃんごろーの、リボンも……?」
「しょー。ミルゥしゃんのおリボンは……?」
「わた、わた……しの、は、も、燃えちゃったの。お守りの石も、割れちゃった」
「え!? ええええええ!? ミ、ミミ、ミルゥしゃんに、おけがは、にゃいの?」
「うん。石が、守ってくれたから、私は、大丈夫」
「しょっかぁ、しょっかあ……。よかっちゃぁあ。ミルゥしゃんが、ごぶじで、ほんとうに、よかっちゃ」
にゃんごろーは、ミルゥの顔をもみくちゃにした。
クロウは、一体どんなポンコツをしたのかと遠い目をしている。ミルゥは白リボン焼失の原因が自らのポンコツにあると自白したりはしなかったけれど、白リボン焼失がミルゥのポンコツのせいであることは、クロウの中では確定事項なのだ。
「ふふ。おしょろいに、なっちゃったね」
「おそろい?」
「しょー。おしょろいの、ぽんっこっちゅぅ」
「ぽんこっちゅう……? ん、ふふ。可愛い」
「にゃふふ」
語感の可愛さに惑わされて、ミルゥはふにゃッと笑った。“ぽんこっちゅぅ”とはポンコツのにゃんごろー語であることには、気づいていないようだ。
ミルゥが笑ってくれたことが嬉しくて、にゃんごろーも笑った。
「おリボンも、おしょろいになっちゃ。ほんとうの、おしょろい」
「本当のおそろい?」
「しょー。にゃんごろーのおリボンも、ミルゥしゃんのおリボンも、おしょらにいっちゃった。おしょらで、おしょろいになっちゃ」
にゃんごろーは、ミルゥのほっぺからお手々を離し、「わっ」と天井へ向けた。天井を突き抜けた、お空へと向けた。
風に飛ばされて空へと旅立った、にゃんごろーのおリボン。
焼失によるご臨終で、“お空”へと旅立った、ミルゥのリボン。
お空の上で、二つのリボンは永遠のおそろいとなったのだ。
ミルゥは呆然とした顔でにゃんごろーを見つめた。それから、天井のその先を見上げ、何やら考え込み、またにゃんごろーへと視線を戻し、パチリと瞬きを一つ。
「そうか。リボンは二つとも、お空で預かっていてもらってるってことなんだね。それなら、もうなくならないし、ずっとずっと、おそろい。安心安全な、本当で本物のおそろいってことだね?」
「しょ、しょー! おしょらのうえなら、もう、なくにゃらない! あんしんで、あんぜんな、おしょろい! ほんとうで、ほんもの! ミルゥしゃん、あたまいー! しゅごい!」
涙が乾いてしまえば、ミルゥもどこぞの子ネコーと似たり寄ったりのお気楽現金人間だった。
そのご都合すぎる変わり身の早さにクロウはひび割れた笑いを漏らしたが、子ネコーは大喜びでミルゥを褒め称える。
確かに、お空に旅立ってしまったリボンは、もう二度と無くなることも亡くなることもない。
ふたりが覚えている限り、安心安全な場所で、永遠におそろいだ。
本当で本物のおそろいだ。
――――だが、とクロウは思う。
白いリボンも確かにおそろいになったが、それよりも、何よりも。
「おまえらふたりが、もう、おそろい同志のふたりで、本物のおそろいなんだよ……」
ふたりが聞いたら喜んだかもしれない。が、ふたりともおそろい談議で大いに盛り上がっていたため、クロウの呟きは呆気なく掻き消された。
ちなみにではあるが、もちろん。
その呟きは、ふたりを褒めたわけではない。
ぽんこっちゅぅ的な意味である。
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