第381話 ほこららがペショリ

 子ネコーは、お耳の上までお手々を伸ばした。俯いていたお顔を上げて、零れ落ちる涙はそのままに、伸ばしたお手々の先を見つめる。

 子ネコーは、もふもふお手々のその先に、いなくなってしまった白いリボンの幻影を追いかける。


 ホロリポロリと涙が零れ。

 ホツリポツリと言葉が落ちる。


「おリボン、すごくうれしかったの。おまもりぃのいしの、おれいだって、いわれて。いしをつくるまほうを、がんばった、あかし、みたいで。ごほうび、みたいで。ほこほこ……ほこ……?」

「誇らしい?」

「あ、そう、しょれ。ほこらら……だった。おそろいなのも、うれしかった。ミルゥしゃんと、はなれてても、いっしょみたいれ、おリボンで、ちゅながってりゅみたいで、うれしかったの」

「うん」


 クロウは子ネコーをもふりながら、静かな口調で助け舟を出し、相槌を打つ。

 にゃんごろーの口調は、しっかりとしていた。クロウは、にゃんごろーに子ネコーらしさを求めたりはしない。だから、クロウとふたりきりの時は、魔法の練習も兼ねて、なるべくちゃんと発声魔法を使うようにしているのだ。たまに言葉が怪しくなっても、クロウはにゃんごろーの言いたいことを上手にくみ取って、正しい言葉を教えてくれたりするので、とてもありがたかった。お豆腐に関しては、にゃんごろーが先生だが、言葉遣いについてはクロウが先生なのだ。


「うれしくて、みんなにも、みてほしくて。おしごとの、じゃまをしないように、きをちゅけて、じゅっと、おふねのなかを、おしゃんぽしちぇちゃの。しゅれちがうときに、にあっちぇるって、ほめてもらえちゃりもしちぇ、しょれだけで、しゅごく、うれしくちぇ……」

「うん」

「まどからね、おそらが、みえちゃの。しょーしちゃら、おそらにいる、きょーだいのことを、おもいだして、みんなにも、みてほしくなっちゃの。きょーは、すごく、きれいなおそらだったから、きっと、みんなからも、よきゅ、みえるちょ、おもっちぇ」

「うん」

「レッキに、ひとりでいくのは、はじめちぇらから、こわかっちゃけど。れも、どーしても、おそらのみんなにも、みてほしくちぇ。だから、がんばっちゃ。ミルゥしゃんのおリボンから、ゆーきを、もらっちぇ、にゃんごろーは、『えい!』ってしちゃ!」

「そうか。頑張ったな」


 リボンから勇気をもらって、お空のみんなにリボンとリボンを結んだにゃんごろーの晴れ姿を見てもらおうと、ひとりでデッキに立った時の高揚感が、子ネコーの胸の中にほろ苦く蘇る。

 あの時の気持ちを、にゃんごろーは、まだちゃんと覚えている。

 けれど、その気持ちこそが、今は胸を締め付けてくる。

 にゃんごろーは、込み上げてきた何かを「くっ」と飲み込んで、お話を続けた。

 頭を撫でるクロウの指の動きに励まされ、胸の内をとろとろと吐露していく。


「ひとりで、だいぼーけん、しちゃったの。ほこほこの、ほこららで、うれしかっちゃ」

「うん」


 誇らしいは、「ほこらら」で定着してしまったようだ。クロウは、新しいにゃんごろー語を忘れないように心に書き留め、でもここでは触れずに先を促した。


「おリボンがね、シュルンって、ひもになっちゃったの」

「あー、解けちゃったか」

「うん。ひらひらして、ほそなぎゃい、おさかなさんが、おそらを、およいでいるみたいれ……。しょれれ、だから、みんなにも、よくみえるようにって……」

「ああ。リボンを持ったまま手を上げて、空からよく見えるようにしてやったんだな?」

「うん。みんなも、『わー!』って、よころんでるかなって、よろこんでちゃら、いいなって……。あのときは、あのときまれは…………」


 にゃんごろーは輝かしく煌めいていた時間を、しんみりと大事そうに語る。結果はどうあれ、切り取ったあの瞬間は、確かに眩く煌めいていた。嬉しさと誇らしさで胸がはち切れそうだった。

 それが悲劇を呼んだのだとしても、子ネコーは、その瞬間まで否定するつもりはなかった。あの時間は、とても素晴らしいものだった。

 ミルゥのリボンが、“お空”のみんなとにゃんごろーを繋いでくれたように感じられた。“お空”から身を乗り出して、泳ぐリボンを覗き込んでいる兄弟たちの姿が、見えたような気すらした。

 クロウは、無言でにゃんごろーを撫でる。

 にゃんごろーも、最後に少し声を震わせて、その後は、そのまま黙り込む。

 やがて、にゃんごろーは掲げていたお手々をそっと下した。見上げていたお顔も下を向き、広げた肉球のお手々の上に視線が落ちる。

 視線と一緒に、水滴も落ちてきた。


「かぜが、ビュッってふいちぇ、おリボン、にゃんごろーのおててから、シュルンって、にげていっちゃったの……」

「うん……」


 重ねて落ちてきた子ネコーの震える声は、熱を帯びていた。

 降り出したばかりの雨のように、水滴が落ちてくる。

 そのまま、泣きじゃくるのではないかと思われたが、子ネコーは涙と共に反省の言葉を零した。


「にゃんごろーが、いけなかっちゃの。おそとで、かぜがふいちゃら、とんでっちゃうって、わすれちぇた……」


 お外で細長いものをひらひらさせたら、風で飛ばされてしまうかもしれない。そんな簡単なことを忘れていた自分が悪かったのだ、と子ネコーは素直に反省をした。

 クロウは「へえ?」と目を見開き、俯く子ネコーの頭を見下ろした。子ネコーがちゃんと問題点を理解していることに素直に感心した。

 しかし、グスンと鼻を啜り上げながら続いた問題への対策は、クロウが思っていたのとは少々違うものだった。


「もっと、ちゃんと、まほうで、ちゅかまえちょくべきらっちゃ。あちょ、にげちぇも、もどってくりゅように、まほうで、しっかりちょ、ちゅないどく、べきらっちゃ」

「な、なるほど……」


 そもそも、ひらひらをするべきではなかった……ではないのだな、とクロウは思ったが、余計なことは口にしなかった。長老の二の舞は、御免だからだ。


「みんなといっしょに、おさかなひらひらがみれちゃのは、よかっちゃ。こうかいは……にゃ!」

「そっか。みんなとひらひらに後悔はないから、風がビュッとなってスルッとなった時の対策をするべきだったってことか」


 みんなとひらひらを共有した時間が大事だから、そこを否定したくないというにゃんごろーの思いを、クロウは察した。察して、「そもそも」を口にしなくてよかったと胸を撫でおろした。

 後悔はないとお顔を上げて力強く言い切ったにゃんごろーは、クロウに気持ちを分かってもらえて「うん」と頷いた後、ぐしゅっとお顔を歪める。


「うん。しょれは、よかっちゃ。こうかいは、にゃー!……だけど、でも。にゃんごろーは、まほうをしっぱいしちゃった。まほうを、まちがえちゃ」

「間違えた?」

「うん……。にゃんごろー、おリボンじゃなくて、にゃんごろーにまほうを、ちゅかったの。まほうで、おリボンをおいかけちぇ、ジャーンプしちぇ、うう……おリボン、おててで、パシってしちゃのにっ…………。おリボン、シュルンってにげちゃった。にゃんごろー、ちゅかまえられなかっちゃ。あのとき、おリボンにも、まほうをちゅかっちぇれば……くぅううっ。にゃんごろーの、おばかっ! しぇっかく、ミルゥしゃんが……ミルゥしゃんとおしょろいの……なのに……ううう……グシュン……」


 にゃんごろーは、パシパシッとお目目にお手々を当てた。

 失敗が悔しくて。おそろいを失くしてしまったことが悲しくて。ミルゥに申し訳なくて。

 もふりと丸めた背中が、小さく震える。

 クロウは、「なるほど、あの大ジャンプは、やっぱりそういうことか」と頷きながら、震えるもふもふを撫でる。子ネコーが自分の身長よりも高いデッキの手すりを乗り越え空を飛んだのは、魔法の力を使ったからだったのだ。これで、そうじゃないかと思っていたことへの確証が取れた。そして、確証が取れたことで、子ネコーに物申したいことが出来た。

 とはいえ、今は慰めの言葉をかけるべきだろう……と思いはしたものの、「いや、待てよ?」とクロウは口を噤んで考え出す。

 子ネコーは、反省と後悔の泥沼に自ら沈んでいこうとしている。

 今、慰めの言葉をかけたところで、それは丸めたもふ毛にポコポコと跳ね返されるか、もふ毛の間をスルスルとすり抜けて行ってしまうのではなかろうか?

 クロウは天井を見上げ、しばし逡巡したが、目線を子ネコーに戻したときには、心が決まっていた。

 クロウは、子ネコーに物申すことにした。

 何となく、それをするなら今だと感じたのだ。

 子ネコーとは長い付き合いというわけではないが、それでもクロウは学んでいた。

 対子ネコー時には、理屈よりも直感を信じたほうが上手くいくことが多い、と学んでいた。

 クロウは直感が命じるまま、言葉を口にのせた。


「ちびネコー。おまえの今日一番の失敗は、リボンじゃなくて自分自身に魔法を使ったことじゃない」

「う……ふ……ほ、ほぇ……? ろ、ろーゆう、こちょ?」


 それまでずっと俯いたまま自分語りをしていた子ネコーが、ぐっしょりしたお顔でクロウを仰ぎ見た。

 クロウも、そのぺしょぺしょになったお顔を見返す。

 直感の赴くままに突き進もうと決意はしたものの、「これ、下手すりゃ、泥沼への沈没方向へダメ押しちまう可能性もあるよな?」という不安はあった。

 けれど、とりあえず。

 子ネコーの意識を釣り針に引っかけるところまでは、成功した。

 後は、臨機応変に対応し、釣り上げるだけだ

 つまり、ここからが、正念場だった。

 クロウはぺろりと唇を嘗め、手探りの子ネコー釣り上げ作戦へと乗り出した。


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