第378話 にゃんごろーと白いおリボン

 ひゅるんと風が吹いた。

 ひらひらと棚引いていた白いリボンは、スルンとお手々を抜け出していった。

 勝手にお空へ遊びに行こうとする白リボンを、子ネコーは呼び止め、追いかけ、「とう!」とジャンプを決める。

 子ネコー渾身のジャンプだった。

 無意識に魔法の力も使っていた。

 お爪の先が、リボンの端をハシッと捉えた。

 子ネコーのお目目が「やった!」と輝く。

 しかし。

 お爪はリボンの表面をツルンと滑り、リボンはそのままお空へと逃げて行く。

 子ネコーのお目目が、「え?」と大きく見開かれた。

 綺麗に晴れ渡った真っ青な空をひらひらと泳ぎ行くリボンを呆然と見つめながら、子ネコーの体は、お尻から落下していった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 青猫号に居候中の子ネコーは、大抵いつでもご機嫌なのだが、その日は、とりわけご機嫌だった。

 昨日の夕方。

 お仕事から帰って来たミルゥにお土産を貰ったのだ。

 お守りの石のお礼だと言われて、真っ白いリボンを貰ったのだ。

 初デートでプレゼントしたお守り石は壊れてしまったけれど、にゃんごろーはミルゥのために早速新しいものを拵えた。二つ目のお守り石は、綺麗な緑の石だった。ミルゥの瞳の色であり、トマトのヘタの色であり、キュウリの色だった。二つ目は既にお役目を全うし、今は三つ目の石がチョーカーに納まっている。三つめは、二つ目とは少しだけ色合いが違う緑の石だ。

 お日様の石は特別な石だから、お絵描きの中だけに記念として残しておこうと、ミルゥとふたりで話し合って決めていた。

 だから、三つ目がいつ壊れてもいいように待機中の四つ目と五つ目も、少しずつ色合いの違う緑だった。

 緑は、にゃんごろーが大好きなミルゥの瞳の色で、トマトのヘタの色で、キュウリの色だからだ。つまり、大好きがいっぱいなのだ。

 ミルゥのためのお守り石作成は、にゃんごろーが好きでやっていることだった。ミルゥの役に立てることが嬉しくて、好きでやっていることだった。魔法の修行を兼ねてのことでもある。ミルゥの仕事の手助けをすることは、クルーの仕事の手助けをしているようで、クルーの一員になった気分を味わえたりもした。すごく、誇らしい気分だった。

 それだけで十分満足していたのに、その上さらにお礼の品をプレゼントしてもらえるなんて、そんなそんな、嬉し恥ずかし申し訳ないと、にゃんごろーは、ついつい遠慮をしてしまった。


「しょ、しょしょ、しょんにゃ! お、おお、おれいにゃんちぇ、いいのにぃ! みょー、ミルゥしゃんてばー! う、うう、うれしいけりょ、しょんにゃの、もうしゃーにゃー!」


 にゃんごろーは、照れ顔で俯きながらお手々をパタパタと振った。「あらあら、そんな。申し訳ない」という気持ちも、もちろんあるが、嬉しすぎての照れ遠慮の側面の方が強かった。

 子ネコーの素振りの愛らしさに、ミルゥは「ぐっ」と喉を詰まらせたが、元より遠慮に遠慮するような質ではない。好意の押し売りは得意な方だった。それは時に失敗を呼ぶが、今回においては大正解だった。


「もーう、にゃんごろーったら、遠慮なんてしないの! ミルゥさんもね、にゃんごろーにお守りチョーカーをプレゼントしてもらって、すっごく嬉しかったから! だから、私も、にゃんごろーに何かプレゼントしたいなって、ずっと思ってたの! それで、仕事が早く終わったから立ち寄った街で、このリボンを見つけて、これだ!――――って思ったの! この白、純真で純粋なにゃんごろーにピッタリだって! これ、絶対ににゃんごろーに似合うと思うの! あ、そうだ! おそろいしようと思って、ミルゥさんの分も買っちゃったんだ! だから、一緒に、おそろいしようよ! ね?」

「お、おおおおおお、おしょろい? わ、わわ、わかっちゃ! ミルゥしゃんが、しょーゆーなら、おしょろい、しゅる! ありがちょー、ミルゥしゃん!」


 にゃんごろーは、あっさりと折れた。

 ついつい遠慮が発動してしまったものの、嬉しいことは嬉しいのだ。おそろいしたいなんてお誘いされたら、断るなんて出来るはずもない。にゃんごろーだって、おそろいはやってみたい。ミルゥのお願いを叶えるためというのは、前言撤回のちょうどいい大義名分にもなった。

 こうして、にゃんごろーの首元に、白いリボンが巻かれた。

 ミルゥは、にゃんごろーからもらったチョーカーの茶色い紐に這わせるようにリボンを巻きつけ、蝶々むすびの下から緑のお守り石が顔を覗かせるようにした。

 おそろいの完成だ。

 白いリボンは、ミルゥのチョーカーにはよく合っていた。最初から、そういう風にデザインされた一品のようだった。

 しかし、にゃんごろーに似合っているのかというと、若干微妙だった。イメージ的には、確かによく似合っているのだが、なにせ、にゃんごろーの体毛は白が混じった明るい茶色なのだ。特にお腹の辺りは、白が多めだ。真っ白ネコーの長老よりはマシなのだろうが、似合うかどうか以前に、なんというかちょっと、同化しているように見えた。

 まあ、なんにせよ、おそろいはおそろいである。


 おそろいリボンを身に着けた姿を、ミルゥとふたり、並んで鏡に映してみれば。

 喜びは、じわじわじわんと滲むように溢れ出てきた。


 考えてみれば、ミルゥから何か形に残るものを貰ったのは、これが初めてだった。

 これまでにも、お土産を貰ったことはある。でも、それはジャムとかお菓子とか、食べられるものばかりだった。当然、食いしん坊ネコーの長老が黙っているはずもなく、にゃんごろーも独り占めをするよりは、みんなで楽しみたいタイプのお豆腐食いしん坊だったので、にゃんごろーへと言いつつも、みんなへのお土産も同然であった。

 そうと気づくと、より一層喜びが込み上げて来て、にゃんごろーは「大事にしよう」と固く心に誓った。それが、フラグになるとも知らずに…………。


 昨日は、汚してはいけないからと、ごはんとお風呂の時を除いて、ずっとリボンをつけたまま、ミルゥといちゃいちゃして過ごした。

 今日も、朝ごはんを食べ終えてから、ミルゥにリボンを結んでもらった。ミルゥの首元にも、チョーカーと合体した形でリボンが巻かれていた。にゃんごろーとミルゥが手に手を取り合っているようで、嬉しかった。

 にゃんごろーは、むんとリボンを見せびらかすように胸を反らして、仕事に赴くミルゥをお見送りした。ミルゥは、石に指を這わせることで、それに応えた。

 ミルゥがいなくなっても、おそろいのリボンを通じてミルゥと繋がっているようで、嬉しかった。

 にゃんごろーは、意味もなく胸を反らしたり、いきなりお顔をお手々で隠しながらしゃがみ込んで「にゃふー!」と叫んだり、「にゃふふふふぅ」と笑い出したりと大忙しだった。長老は気味悪がって、「ひとりで遊んでおれ」とどこかへ逃げてしまった。お仕事の邪魔をしなければ、船内を自由に出歩いてもいいと許可をもらっているので、にゃんごろーはひとりで船内をうろついた。お仕事の邪魔をしないように、にゃんごろーから声をかけたりはしないが、通路をすれ違う人にリボンを見せびらかすだけで心は浮き立った。「似合ってるよ」と声をかけてもらった時には、嬉しさのあまり「にゃふにゃふ」と笑み崩れた。


 デッキに出てみようと思ったのは、窓から気持ちのいい青空が見えたからだった。

 にゃんごろーひとりでデッキへ出たことはなかった。

 デッキの上は、一応、船内である。長老からも、デッキまでなら出てもいいと言われていた。スロープで地上に降りてしまえば、そこはもうお外だけれど、デッキはギリギリ船内なのだ。

 けれど、臆病者の子ネコーにとっては、おひとり様デッキは、お外だった。建物のお外は、お外なのだ。大きな鳥に見つかったら、攫われてごはんにされてしまうかもしれないのだ。にゃんごろーには、森の獣や鳥に襲われてお空へ旅立ってしまった兄弟がいたため、自分も同じ運命を辿ることを殊更恐れていた。

 だけど、今日は。

 お空があんまりにも綺麗だったから、お空にいる兄弟たちのことを思い出して、兄弟たちにも見て欲しくなったのだ。

 窓ごしじゃなくて、ちゃんと、よぉく、見て欲しいと思ったのだ。

 おそろいのリボンは、ミルゥとのつながりの証だった。

 リボンそのものが、リボンをお空の兄弟に見せたいという気持ちを後押ししてくれた。ミルゥと繋がっているのだと思うと、勇気が湧いてきた。

 いつかは、ひとりでもお出かけできるようにならねばならないのだ。

 ならば。

 一にゃー前の子ネコーとして、今こそ、偉大なる一歩を踏み出すのだ!――――とにゃんごろーは自分を奮い立たせた。


 その一歩が、思いもよらぬ悲劇を呼び寄せるとも知らずに――――。

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