第376話 反省は大事でしょ?

 ホロコロリン……と雫は、煌めきながら床に落っこちた。

 それが視界の端に映ったのか、それとも気配を感じたのか、ひれ伏してうつ伏せていたミルゥが、ビクウッと体を震わせた。

 自らの迂闊さのせいで、愛する子ネコーを泣かせてしまったと思ったのだ。

 もらったばかりの大切で大事な“お守りお日様チョーカー”だった。

 魔獣退治という危険な仕事へ赴くミルゥの身を守ってくれますようにという子ネコーの願いが込められたお守りの石。子ネコーがミルゥのために作ってくれた、お守りの魔法石。

 愛する子ネコーからの初めてのプレゼントだった。

 なのに、デビュー初日で、呆気なく散ってしまったのだ。

 警告を警告として正しく受け止め慎重に行動をしていれば、散らなくてすんだかもしれなかった。

 すべては、浮かれミルゥが調子に乗り過ぎていたために起こった惨事だった。

 ミルゥにも、その自覚はあった。だから、込み上げてきた熱いものをグッと飲み込む。

 泣きたいのは、悲しいのは、泣いてもいいのは、迂闊な自業自得である自分ではなくてにゃんごろーなのだ……とすでに涙でぐしょぐしょの顔で自らを戒めた。

 適度に事実を端折ったクロウの話は、耳には入っていたけれど、頭には入っていなかった。だから、ミルゥはクロウによって自らの迂闊な真実がすべて詳らかにさたのだと勘違いをし、自分はこれから涙の断罪を受けるのだと思い込んでいた。


 しかし、子ネコーは――――。


 震えているミルゥの頭の上に、ポフン、ポフンと二つのお手々を優しくのせた。そして、柔らかな肉球で、ポンポンと優しくトマトのような赤毛頭を叩く。

 宥めるように、慰めるように、優しさと慈しみを込めて、トマト頭をポンポンする。


「ねえ、ミルゥしゃん。おまもりぃのいし、こわれちゃったんらね?」

「うん……うん……ごめん……ね」

「ミルゥしゃんに、おけがは、なかっちゃの?」

「うぐっ……ぐすっ、う、うん……。私は、大丈夫。石が、守ってくれた、から……。石は、私を守って、割れちゃったけど、私っ、私は……何ともなくて……っ。ごめん……ほんとに……ごめんねぇ……」


 うつ伏せるミルゥの顔の下に、水たまりが広がっていく。涎ではない。涙だ。

 石は完全パリ―ンしてしまったのに、自分は傷一つ香害一つないのが心苦しかった。それも、警告を無視して、森の天然悪戯トラップに自らちょっかいをかけに行って返り討ちにあった結果のパリ―ンなのだ。ひれ伏すミルゥの背中を、罪悪感という名の巨石がズズンと圧迫する。このまま押し潰されるべきなのだ、と本気で思っていた。

 けれど、子ネコーは断罪の天使などではなく、ひたすら可愛い天然天使だった。

 ミルゥの涙は後悔と罪悪感の涙だったけれど、子ネコーの涙は感謝と喜びの涙だったのだ。

 子ネコーはポンポンを止めて、トマト頭をくしゃくしゃと掻き混ぜた。しょうがないなぁ……というように。とても優しい手つきで、愛おしそうに。


「もーう、ミルゥしゃんってば。おまもりぃのいしを、きにいっちぇくれちゃのは、うれしいけど、でも! しょこは、ごめんじゃなくちゃ、ありあちょーでしょ!」

「ふぇ……?」


 ミルゥは、ようやく顔を上げた。

 子ネコーはお目目をキラリとさせながらも、愛おしさと喜びが満ち溢れまくりのお顔で笑っていた。残念ながら、後悔と罪悪で視界が滲みまくっていたミルゥは、あどけなさ中にも、一にゃー前ぶりを垣間見せる、子ネコーの成長の、その一瞬の煌めきを見逃してしまった。

 けれど、子ネコーは怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないということには気づいた。子ネコーのお顔は見えなくとも、喜びの波動は伝わってきたからだ。

 子ネコーは、ミルゥよりもよっぽど“おとな”だったようだ。

 子ネコーは、ミルゥの様子やクロウの端折り話から、子ネコーなりに何かを理解したのだろう。

 にゃんごろーは、べしょべしょのミルゥに説教を始めた。


「ミルゥしゃん。にゃんごろーはね、ミルゥしゃんがおけがをしちゃら、ちゅらくて、かなしいきもちになりゅの! いーい? いしが、ぶじでも、ミルゥしゃんがけがしちぇかえっちぇきちゃら、いみがにゃいんだからね!」

「にゃんごろー……」

「おししゃまのいしは、おまもりぃのいし、にゃの! パリ―ンしちゃっても、しょれで、ミルゥしゃんが、ごぶじだったにゃら、しょれは、ちゃんとおやくめを、はたせちゃってこちょれしょ! だから、ごめんじゃなくて、ありあちょーでしょ! あ、にゃんごろーも、まだおれいを、いっちゃなかっちゃ。はんしぇい! おひしゃまいししゃん、ミルゥしゃんをまもってくれちぇ、ありがちょうごじゃーましちゃ!」


 にゃんごろーは、お説教の最後に、そう言えば自分もお礼を言っていなかったと反省をし、立派にお役目を果たしたお日様石に感謝の気持ちを伝えて、もふりと頭を下げた。

 ミルゥはグッと喉を詰まらせ、袖口で乱雑に涙を拭うと、無理矢理に笑顔を作った。


「……………………。うん、そっか、そう、だね。うん。お日様の石さん、私を守ってくれて、ありがとう! にゃんごろーも、ありがとう! 私が無事だったのは、お日様の石と、お日様の石を作ってくれた、にゃんごろーのおかげだもんね! 石も、にゃんごろーも、ありがとうね!」


 そうは言ってもな、やらかしへの悔恨と懺悔したい気持ちを押し込めて、ミルゥはお守りのお日様石と贈り主のにゃんごろーに、強張った笑顔でお礼を言った。

 子ネコーの反省が、眩しかった。

 クロウの誘導話は脳内を素通りしていったので、子ネコーが認識している真実がミルゥの思っているソレと違っている可能性については、まったく思い当っていない。やらかしは、にゃんごろーの優しさにより見逃されたのだと思っていた。それはそれで、居たたまれない。いっそ、断罪してほしかった。

 しかし、それはミルゥの事情、ミルゥの勝手な押し付けだ。忸怩たる思いではある。でも、それはミルゥの問題であり、ミルゥが自分で反省し、今後に生かしていかなくてはならないことなのだと、ミルゥは子ネコーから教わった。

 だから、渦巻く思いを飲み込み押し込め、子ネコーが望む通りにしたのだ。居たたまれなさすぎて、感謝よりも先に謝罪一点張りになってしまっていたが、助けてもらったことには間違いないのだ。石にも、にゃんごろーにもちゃんとお礼を言うべきだったと、今さらながらに反省した。


 ――――そんなふたりの様子を見て、クロウもまた、反省していた。

 子ネコーのお目目キラリが大惨事の合図ではないことには早々に気づいて、後は子ネコーに任せた方がいいと判断して傍観役に徹していた。その判断に間違いはなかった。

 クロウが反省しているのは、そこではなかった。

 子ネコーが傷つかないようにと真実の誘導を試みたけれど、余計なお世話だったかもしれないな、と今は思っているのだ。

 きっと、この子ネコーは、ミルゥのやらかし真実を知っても、ミルゥが無事ならそれでよしと、石が一日でパリンしたことよりも、ミルゥの無事を喜んだだろうなと思えたのだ。

 ちゃんと真実を明かして、ミルゥのやらかしについても、にゃんごろーから説教してもらった方がミルゥのミルゥであるところが改まったかもしれないな――――と。

 クロウは、そっち方面に反省していた。


 まあ、それでも。

 何はともあれ、これにて一件落着――――とは、残念ながらいかなかった。

 当事者であったクロウですらすっかり忘れていたけれど、もう一つ、解決しなければならない問題があったのだ。


 ミルゥが持ち帰ったネコーの悪戯が、最後の一幕を提供してくれたのは、この後割とすぐだった。


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