第375話 その時、何が起きたのか?
「ふ、ふふーん♪ にゃんごろーの加護に加護されちゃってる私にはー、ネコーの悪戯なんて恐るるに足らずー♪ ちゅーかー、魔法の花なら魔法石の材料として、いいお土産になるかもっ♪ ふっふふーん♪ お守りのお礼に摘んで帰ろーうっと♪」
鼻歌でも歌いそうな……というか、もうすでに半分歌いながら、ミルゥは近くの森へピクニックに来たかのような気軽さでしゃがみ込み、雑草や落ち葉に埋もれつつも小さなお顔を健気に覗かせている可憐な白花へ手を伸ばす。
制止の呼びかけが音を結ぶ前に、指先は細い茎に触れ、そして――――。
クロウの警告は、浮かれ調子なアダとなって返された。
実際に何が起こったのか、というと。
まず、ポフンと軽い破裂音が響いた。
それから、パリーンとガラスが割れるような音。
続いて、爽やかな甘い香りが、さあっと広がっていく。
思いがけない贈り物に、クルーたちの心はホワンと緩んだ。
今回の悪戯は不発だったのだ……とクルーたちは和みつつ考えた。きっと、これも子ネコーのお守りのおかげかもしれないと、感謝の気持ちと居たたまれない気持ちを同時に味わった。
さあっと来てホワンとなる前に聞こえた二つの音の意味を理解して、相反する二つの気持ちを味わった。
ポフンは、悪戯が発動して香りが巻き散らかされた音で。
パリ―ンは、子ネコーの真心が果たさなくてもいい役目を果たして砕け散った音だった。
悪戯が可愛らしい結果に終わり、致命的な何かが起こらなかったことに心から感謝した。感謝しつつ。
しょうもない慢心と軽率さで自ら事故を引き起こした浮かれ者のために、初デビューも間もない内に、散らなくてもいいところで呆気なく散ったお守り石と、その作り手である子ネコーに、やるせなくも居たたまれない気持ちを抱いた。
諸悪の根源は、摘み取ったばかりの花を手にしたまま、固まっていた。
実行犯であるミルゥにだけ、特別な悪戯が執行された結果……というわけではない。
調子に乗ってとんでもない事態を引き起こしてしまったという自業自得な現実を受け止めきれず、無意識にして自主的に時を止めてしまっているのだ。
クルーたちの方は、早々に気持ちを切り替えた。
起らなければいいなと願ってはいたけれど、どうせこうなるんだろうなと思っていた結果でもある。
うっかりミスかお調子ノリの末か、辿る経路はともあれ、“浮かれ”からくるパリ―ンは滲み出る諦念と共に予想されていたことではあった。
だから、立ち直りは早かった。
こうなった以上は、サクッと調査を終わらせ、当初の予定通り子ネコーのご機嫌を取るための美味しくて珍しいお菓子を買いに行く時間を確保しようと、目配せを交わすまでもなく全員が心を一つにし、動き出……そうとした。
しかし、ネコーの悪戯が仕掛けたのは、不発に終わった可愛い系悪戯なんてものではなく、本物のトラップだった。
緊張していたクルーたちの心をホワッと緩めた爽やかにして甘い香りは、それ自体がトラップだったのだ。油断させてからの二段構え的な、実に質の悪いトラップだった。
それが致命的な結末を呼び寄せなかったのは、空猫クルーたちが魔獣退治の専門家だったからだ。
浮かれ事件は森へ入って早々に起こったため、まだ入り口付近の浅いエリアにいた。それまで、気配はなかったし、それがここら辺りで活動をしているような痕跡だって見つからなかった。
本当にまったくの不意打ちだった。
死角から風の刃が飛んできたのだ。
狙われたのがクロウだったなら、避ける間もなくあっさり切り刻まれていたことだろう。
幸いにして、ターゲットにされたのは手練れの魔法剣士だったため、事なきを得た。首筋を狙ってきたソレを、魔法剣士は魔法を帯びた剣で受け止めた。風の刃はフッと呆気なく霧散した。
襲撃者は逃げも隠れもせず堂々と姿を現した。
ダンスを踊っているかのような個性的なうねりを見せる太い枝を伝い下りてきたのは、黒々とした短い羽根を背中から生やした豹のような魔獣だった。
魔獣は、興奮していた。
目はギラつき、ハアハアと息を荒くし、泡のような涎を垂らしている。子ネコーや長老ネコーの思わず苦笑してしまう涎とは違う、獰猛さが滲み出ている涎だ。死角からの襲撃は、狙ってやったわけではなく、偶々そうなっただけのようだ。
いずれにせよ、ミルゥを除くクルーたちは理解した。
悪戯がまき散らした香りには、人の心を和ませて緊張や警戒心を薄れさせるのと同時に、魔獣を引き寄せ興奮させる作用があるのだと。
それはターゲットの魔獣ではなかった。人に害を及ぼすならば討伐対象となるが、人里離れた森で自給自足を営んでいる分には手を出さないというのが、青猫内では暗黙の了解となっていた。しかし、こうも興奮していて、向こうがヤル気とあっては迎え撃つしかなかった。
クルーたちの鼻には、もう匂いは感じられなかったが、おそらくあの匂いは髪の毛や服に染み付いてしまっているのだろう。それを何とかしないことには、魔獣の興奮は治まらないはずだし、魔獣をあしらいながら匂いを何とかするのも難しいため、浮かれ者のお調子ノリに巻き込んでしまったことを心で詫びつつもクルーたちは割り切って仕事をこなした。
片をつけると、クルーたちは一旦森の外へ出ることにした。
匂いを纏わりつかせたまま森の中を進んでは、いつまた次の魔獣に襲われるか分からないし、そうなったらもう調査どころではないからだ。
ミルゥはまだ呆けたままだった。
そして、未だに摘み取った“ネコーの悪戯”を手にしたままだった。
お手元の“ネコーの悪戯”の処遇について軽く議論したのち、そのままミルゥごと回収することが決定した。
魔獣は、呆けたままのミルゥには、まるで興味を向けなかった。恰好の獲物であるにも関わらず、だ。おそらく、ミルゥは子ネコーの加護により匂いの浸食から守られているのだろうと結論付けた。ならば、下手に手放して刺激を与えるよりも、加護続行中のミルゥが手に持っている方が安全だろうと判断されたのだ。ミルゥごと回収した“ネコーの悪戯”は、長老に丸投げする予定だった。自身も悪戯者だからか、長老は“ネコーの悪戯”と大変に相性がいいのだ。
後は、匂いを何とかして、子ネコーへの手土産をどこかで手に入れて、今日のところは引き上げるつもりだった。ネコーの悪戯を抱えたままでの調査は、危険すぎるからだ。
しかし、悪戯は結果的に三段構えとなった。
森の外で、ターゲットの魔獣が待ち構えていたのだ。
風の魔法を操る大型鳥魔獣。大鷲くらいのサイズだ。
最近になって、遠く離れた人里まで遠征を行うようになったため討伐対象となった魔獣だった。
魔獣は、森を出て少し離れたところにある岩場に降り立ったまま、こちらを睨みつけていた。ビリビリ震えがくるような、凄まじい眼圧だ。
しかし、クルーたちは慌てず騒がず冷静にこれを対処した。
そもそも、森を出る前から、待ち伏せには気づいていた。大型魔獣故の奢りか、鳥魔獣はまるで気配を隠していなかったからだ。多少距離があっても、少しばかり狙いが狂っても、自慢の風魔法で獲物を仕留める自信があるのだ。森の中で出会った豹魔獣とは桁違いの魔法を繰り出してくることは、事前情報として知らされていた。なので、調査中に運よく遭遇した場合の対応策などは、予め検討済みだった。
加えて、何となく、こうなる可能性も念頭に置いていた。慣れから来る予測だった。ネコーの悪戯どうこうよりも、ミルゥが発端となったアレソレは、いい意味でも悪い意味でも一筋縄ではいかないことが多いからだ。
クルーたちは、凪いだ気持ちでいつも通りに魔獣を処理し、体や衣服に着いた匂いを処理した。近くの小川で身を清め、魔法系クルーにも尽力してもらって、匂いを落とした。
魔獣の処理は手慣れたものだったが、匂いの処理には手間取った。
最終的な匂いチェックは、お守りのおかげで一人無傷だったミルゥではなく、移動用の卵船で留守番をしていた操縦士にしてもらった。
綺麗になった体で話し合った末、子ネコーへの手土産は次回へ持ち越されることになった。
完全に匂いは落としたはずだが、万が一の事態があってはならないからだ。人には感じ取れない僅かな匂いの痕跡から、買い物に寄った街に被害が出るようなことがあってはならないのだ。
それに、ターゲットの魔獣を討伐出来たことで、本当にあった残念な事実を、心の落としどころが見つけられそうなそれっぽいストーリーに捏造できるネタを手に入れられたことも大きい。
せっかく作ったお守りがたった一日で無駄散りしたとあっては子ネコーもがっかり悲しむだろうけれど、お守りのおかげでミルゥは助かり危険な魔獣も早期討伐できたというストーリーに誘導して、にゃんごろーのおかげだと褒め称えれば、また気持ちの持ちようも違ってくるだろう。がっかり事案も前向きに捉えられる可能性が高いというものだ。
誘導役は、話し合うまでもなく暗黙の了解的にクロウに決定していた。頼まれるまでもなく、クロウもそのつもりだった。
帰りの道中で、子ネコー向け誘導話を考え、そして。
今に至る――――というわけだ。
クロウは駆け足で回想を終わらせた。
魔獣討伐のあたりの解像度が低いのは、直接関わってないからだ。元々後方支援タイプのクロウはこの時、討伐の補助よりも我に返ったミルゥがトチ狂って更なる災厄を巻き起こさぬように見張る役を仰せつかっていたのだ。
駆け足になったのは、子ネコーが咀嚼消化を終えた素振りを見せたからだ。
クロウは慎重に子ネコーの様子を見守る。
一部どころではなく話を端折ったクロウの断片事実誘導により、都合のよいストーリーに変換してくれたのかどうか。クロウの目論見通りに変換したとしても、それをどのように捉えたのか。都合のよいストーリーが上手い事捏造されていたとしても、口当たりがよくなっただけでお守りのお日様石が壊れてしまったことには違いないのだ。
慎重に経過を見守り、場合によっては子ネコーの気持ちが上向くように口を挟む必要がある。
しかして――――。
子ネコーの瞳が、キラリと光った。
子ネコーのお目目に浮かんだ一滴を見てクロウは…………フッと肩から力を抜いた。
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