第373話 救いの神にお任せします

 ミルゥが立てたフラグは、翌日には早速回収された。

 諸悪の根源であるミルゥは「どうしてこんなことに!?」と深く嘆いた。

 しかし、ミルゥをよく知る空猫クルーたちにしてみれば、それはただの予定調和だった。


 その朝、ミルゥは浮かれていた。とんでもなく浮かれていた。

 濃紺のスッキリしたラインのインナーの上に、背中に青猫が描かれた薄い水色のジャケットを羽織って、首元には昨日もらったばかりのお日様チョーカー。お日様石は、控えめなようでいて燦然と輝いていた。

 クルーの仕事着とお日様石は、不思議とよくマッチしていた。

 朝食を楽しんだ後、ミルゥとにゃんごろーは、ふたりだけの世界を創り上げ、「いってきます」と「いってらっしゃい」の挨拶を交わし合った。名残を惜しみながらも、ミルゥは意気揚々と空飛ぶ卵船へと乗り込んだ。

 仕事先へ向かう道中、ミルゥはずっと上機嫌だった。

 首元のお日様石を指でなぞりながら、子ネコーからの素敵な贈り物の自慢をしまくった。お守り効果で大活躍して作戦大成功で早く仕事が終わったら、子ネコーに美味しいお菓子を買って帰ろうと机上の予定を語りまくった。

 浮かれ上機嫌のミルゥとは裏腹に、同乗しているクルーたちは完全なるお通夜モードだった。大往生のお通夜モードではない。志半ばで逝ってしまった大切な人を偲ぶお通夜モードだ。

 ミルゥ以外のクルーたちは、この後起ることを正しく予知していた。

 クルーたちは沈痛な面持ちで心に誓った。

 手早く仕事を片付け、子ネコーを慰めるための美味しくて珍しいお菓子を買って帰ろうと――――。


 何があったのかなんてことは、あえて言うまでもないかもしれないが、そこをあえて言うならば――――。

 お守りとしてプレゼントされたお日様石は、一日どころか半日を待たずして、その役目を終えた。

 本命の危険な魔獣からミルゥを守るためではなく、ミルゥの浮かれ軽率が引き起こした事態からミルゥを守るために、華々しくその短い生涯を散らした。



 ミルゥを送り出したにゃんごろーは、そわそわと落ち着かない一日を過ごしていた。

 ミルゥの帰還が待ち遠しくてたまらなかった。

 いつも以上に待ち遠しかった。

 お守りをプレゼントしてから行く、初めてのお仕事なのだ。にゃんごろーが作ったお日様石を身に着けて“お仕事を頑張るミルゥさん”を想像するだけで、誇らしくも気恥ずかしい気持ちになる。お守りが、ちゃんと役目を果たしてくれるか心配になったりもした。お守りの効果が現れず、ミルゥが怪我をして帰ってきたらどうしようと考え出すと、とにかく落ち着かなくて、立ったり座ったりを延々と繰り返したりした。

 その日はネコー部屋に引きこもり、お絵描きをして過ごす予定だった。初デートの記憶が鮮明なうちに、お絵描き帳にしたためるつもりだったのだ。しかし、予定は本当に未定だった。いつもなら、クレヨンを握ればスッと集中できるのに、この日は画伯モードになり切れなかった。昨日のデートを思い出すということは、ミルゥのことを思い出すということで、ミルゥのことを思い出すと、お仕事中のミルゥの安否が気になってしまうのだ。

 結局、お絵描きは遅々として進まず、にゃんごろーは屈伸したり床の上をゴロゴロしたり、窓の外を流れる雲を見て、ミルゥの笑顔やトマトの顔を思い出し、「はふぅ」とため息を吐いて過ごした。


 ミルゥご帰還は、思っていたよりも早かった。

 通路から、ドタバタと騒々しい足音が聞こえてきて、にゃんごろーはパッとお顔を輝かせる。

 激しい疾走音は、ミルゥご帰還の合図だ。

 にゃんごろーは、立ち上がって、ドアから少し離れたところでお迎えのポーズをとった。サッと両手を開いたお迎えポーズは、抱っこおねだりのポーズでもあった。

 再開を喜び熱い抱擁を交わし合う(にゃんごろーが一方的にもみくちゃにされるともいう)のは、ふたりの「ただいま」と「おかえりなさい」の儀式なのだ。

 疾走音がドアの前で止み、間髪入れずにドアが開いた。


「おかえりにゃ……」

「にゃんごろー! ごめんね!」

「……しゃぁああああああああいー?」


 にゃんごろーの喜びに溢れた「おかえりなさい」は、姿を現すなり滑り込み土下座謝罪をかましたミルゥによって、驚愕と混乱に彩られた。

 にゃんごろーは、開いた両手を上に向けたまま、ミルゥのつむじを見下ろし、お目目をハチハチさせた。

 混乱のまま、コテリとお首を傾げた子ネコーは、ゆっくりと抱っこ待機していたお手々を下すと、なぜか自らも「ははー」とひれ伏し、“ひれ伏しにゃんごろー”となった。

 土下座謝罪ごっこや、土下座懇願ごっこは、長老とよくやる遊びだった。その時は、いつもにゃんごろーがひれ伏し役だった。

 だから、思わぬ事態に混乱したにゃんごろーは、つい慣れ親しんだ役に扮するべく体が勝手に動いてしまったのだ。


「ごめんねぇ! にゃんごろぉー!」

「は、ははーっ! ははーっ!」

「本当に、ごめんねぇ!」

「ははーっ!」


 涙声で平身低頭を続けるミルゥと、待ちに待った感動の再会を派手に蹴っ飛ばして始まった女神様の謝罪攻勢に取り乱してどうしていいか分からず、なんだか分からないままにひれ伏し続けるにゃんごろー。

 ある意味、いいコンビなふたりである。

 …………が、放っておくといつまでも終わりそうもない。

 実は、部屋の中にいた長老は「やれやれ」のお顔で、どうしたものかと胸のもふぁ毛をわしゃわしゃとかき混ぜた。

 ミルゥの身に何が起きたのかは、聞かなくても大体予想は出来た。

 にゃんごろーがミルゥにプレゼントしたお守りお日様石は、ご臨終なさったのだろう。

 長老はその年の功でもって、さらに鋭く見抜いていた。

 お日様石は、今日の任務の討伐対象である魔獣との戦いでピンチに陥ったミルゥを守るために華々しく散ったわけではなく、ごくしょうもない理由で壊れてしまったのだろうと。

 だって、ミルゥは謝罪を繰り返すばかりで、一度も感謝の言葉を口にしていない。

 たとえ、お日様石が壊れてしまったのだとしても、それがミルゥを守るためであったのならば、「ごめんなさい」だけでなく、「ありがとう」が出てくるはずなのだ。「ありがとう」も出てくるはずなのだ。「ごめん」と「ありがとう」の合わせ技になるはずなのだ。ミルゥならば、そうするだろうと分かるくらいには、長老もミルゥのことを知っているのだ。

 だから、長老は鋭く見抜いたのだ。

 お日様石ご臨終の裏には、何かとてつもなくしょうもない真実が隠されているのだと。

 首から外してみんなに見せびらかしている最中に手が滑って落として割ってしまったとか、そういうしょうもない類のミルゥのポカミスによるご臨終なのではないかと長老は疑っていた。

 さすがにそれは、子ネコーもがっかりするだろうと長老はひっそりとため息を吐いた。

 本音を言えば、そろそろふたりの平身低頭合戦を止めさせたかった。しかし、口を挟むのは躊躇われた。

 取り乱しているのがにゃんごろーだけならば、いかようにも肉球の上でコロコロする地震がある。しかし、今回はミルゥまでもがこの有様なのだ。にゃんごろーだけではなく、ミルゥの面倒まで見なければならないとなると、ちょっと荷が重い。にゃんごろーは肉球でコロコロ出来ても、ミルゥの扱いについては素人なのだ。

 こんな時に限って、ネコー部屋には、他に誰もいなかった。

 せめて、ミルゥと共に任務に出向いた事情を知っているクルーが助っ人に来てくれないものかと胸毛わしゃわしゃを激しくした時、救いの神が現れた。

 通路から、ミルゥに比べると大分お淑やかな駆け足音が聞こえてきたのだ。

 駆け足は、ネコー部屋へと近づいてくる。

 長老は期待を込めてドアを見つめた。

 願いが通じたのか、足音はネコー部屋の前で止まった。

 自動ドアがシュンと開く。


「はぁっ、はぁ……っ。くっ、し、仕事終わりの、全力疾走は、こたえる……ぜ……」


 倒れ込むように部屋に入ってきたのは、息も絶え絶え、満身創痍のクロウだった。

 長老は、パ・パ・パ・パ・パァアアアアッとお顔を輝かせた。

 クロウは確か、ミルゥと一緒の任務に就いていたはずだからだ。

 つまり、クロウは詳しい事情を知っている。

 おまけにクロウは、にゃんごろーあしらいが上手く、ミルゥの取り扱いにも慣れている。

 クロウは、にゃんごろーの助手であり、ミルゥの同僚なのだ。

 そして、何が起きたのかを知っている。

 つまりは、適任である。

 長老にとって、正しく救いの神だった。

 面倒くさい役目を押し付ける相手として、まさに適任だった。


 長老は、そそっとお部屋の奥へと引き下がり、後のことはクロウにお任せすることにした。

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