第372話 さよならのお日様

 にゃんごろーの本日二度目の一斉一大イベント。


 ―――――とくれば、サンルームが黙っているはずもなかった。

 もちろん、長老もだ。

 ふたりはガッチリと手を組み、にゃんごろーのサポートを始めた。

 にゃんごろーのことをよく知る長老のお助けアイデアを部屋の主であるサンルームが実行するのだ。

 お別れはまだしないけれど、お別れの挨拶を先にするというにゃんごろーのために、ふたりはまず、お別れの演出をすることにした。

 それは、デートの演出としてはいささか微妙だったが、子ネコーの心はバッチリと掴んでいた。そして、子ネコーが喜べばミルゥも幸せになれる。

 つまり、二人の作戦は大成功だった。


 黒子コンビとして手を組んだふたりは、一体何をしたのか――――?

 黒子たちの暗躍など知る由もない主役のふたりへと舞台は戻る。



 さて、その時――――いや、黒子大成功の少し前。

 黒子作戦が、いざ始動!――――という、その時。


 にゃんごろーとミルゥは、見つめ合っていた。

 雲絨毯の上で、見つめ合っていた。

 ミルゥは雲絨毯にひざをついたままだ。

 にゃんごろーが少しだけ見上げる形になるけれど、ふたりの目線は近い。

 おひげを震わせながら、にゃんごろーは愛しい人の名前を呼んだ。


「ミルゥしゃん……」

「うん……」


 そして、ミルゥが応える。

 一度キュッとお口を閉じて気を入れ直したにゃんごろーが、「いざ!」とばかりにお口を開いた、まさに、その時――――。


「…………ふぁ?」

「え?…………わ!」


 ふたりの横合いから、赤い光がさあッと差し込んできた。

 にゃんごろーからすると右手で、ミルゥからだと左側だ。

 赤く染まった互いの姿を見て、ふたりは同時に、お顔を右または左へ向ける。


「ふわぁああああああああっ!? しゅ、しゅごぉおおおおいぃぃぃぃい!」

「え!? ええー!? せ、世界……いや、お部屋が、にゃんごろー仕様になってるぅ!?」


 喜びと感動に満ちた驚愕と、正真正銘の驚愕が、重なり合って響き合った。

 雲絨毯の端っこが、ズズイと奥の方まで伸びていた。

 そうして、伸びた雲絨毯の端っこへと沈みゆく夕日……のようによく熟れた巨大トマト。天辺には緑のヘタもちゃんとあるけれど、その輪郭は滲むようにぼやけている。

 そうして、滲む輪郭から溶け出したトマトの赤が、空模様と雲絨毯をトマト色に染め上げているのだ。まるで、トマトジュースをぶちまけたように。鮮やかに。


「はわ! ほわ! ふわ! にゃー! トマ! トマ! トマ・トマ・トマ! トマト、トマトが! くものむきょーに、しじゅんでいきゅぅー! さよならのおひしゃまみちゃいに!」

「う、うん。トマトのお日様が雲の向こうに沈んでいくねぇ。や、やるな、サンルーム。にゃんごろーの心を、こんなにがっちりと掴むとは。だが、グッジョブ!」


 トマトマ太陽が夕日のごとく雲の向こうへ沈みゆく様を見て、にゃんごろーは大興奮だった。

 もふもふ・タシタシと軽やかな足踏みに合わせて、尻尾も踊っている。

 ミルゥはにゃんごろーに賛同しつつ、サンルームを褒め称え、グッと親指を立てた。

 思わぬ方向からのサンルームのもてなしだった。

 これがただの夕日なら、ロマンチックなお別れ演出なのだが、トマトの夕日は子ネコー風味過ぎて、お別れのムードとは程遠い。

 実際、にゃんごろーは大はしゃぎしすぎで、トマ日没前のキリ顔も、大事なお話前のほんのり厳粛な雰囲気も、お空の彼方、明日の彼方へ吹き飛んでいる。

 はしゃぎすぎて、お別れイベント前にネムネムゥに襲われてしまうのでは?――――とミルゥは少し心配になったが、にゃんごろーは意外とすぐに静まった。

 足踏みを止め、チラ、と一度ミルゥの方を見てから、「ほぅ」とため息をつく。


「ちゅまり、やっぱり、ミルゥしゃんは、トマトのめがみしゃまで、おひしゃまのようなひちょってことだよね……? さしゅが、ミルゥしゃん……。はふぅ……」

「へ? え? そ、そんな、トマトの女神様でお日様のような人だなんて、て、照れるぅ」


 それは、トマトマ夕日にトマトの女神であるミルゥを重ね合わせ、改めてその素晴らしさに感銘を受けたが故の感嘆のため息だった。

 ミルゥは照れつつも、子ネコーからの称賛を謙遜することなくまるっと受け入れた。

 それはミルゥのいいところでもあり、悪いところでもあった。

 ともあれ、突然の予告なきトマトマ夕日の出現で、子ネコーのお守感満載だった雰囲気は、またデートっぽさを取り戻した。ちょっとだけ取り戻した。

 にゃんごろーは、沈みゆくトマトからお目目を離し、トマトに照らされたミルゥと、その首元を彩るお日様石を見つめた。

 にゃんごろーがミルゥを想って作った石。

 にゃんごろーがミルゥにプレゼントした石だ。

 お日様のようなミルゥに、とてもよく似合っている。

 トマトマ夕日のトマト色の光を照り返すお日様石は、本物のお日様のようだ。

 そして、トマト色の染まって光るミルゥもまた、もう一つのお日様だった。

 本当に、大変よくお似合いだった。

 ミルゥにお似合いの石を上手に作れたことが、誇らしかった。

 トマトマ夕日のおかげで、緊張はいい感じに解けていた。

 言葉は、気負うことなくストンと出てきた。


「ミルゥしゃん。そのいしはね、おまもりぃのいし、にゃの」

「おまもりぃ…………あ! お守りってこと?」

「しょー!」


 ミルゥが大正解を言うと、にゃんごろーは二パッと笑って、両手をお空に向けた。

 ミルゥは、にゃんごろーを見つめたまま、首元の石にそっと指を這わせる。


「ミルゥしゃんは、おしごとで、いちゅも、きけんにゃまものちょ、たたかっちぇるでしょ? でも、にゃんごろーは、ごぶじをおいのりしちぇ、『いってらっしゃい』をしゅるしか、できにゃいから、だから、にゃんごろーのかわりに、ミルゥしゃんのことを、おまもりぃしちぇくれましゅようにっちぇ、おいのりしながりゃ、このいしを、つくっちゃの!」

「…………にゃ、にゃんごろー……」


 にゃんごろーは、お手々をお空に向けたまま、胸の内を語った。一生懸命語った。どうして、なんのためにこの石を作ったのかを、ミルゥにお伝えした。

 ミルゥは目を潤ませた。

 胸の奥の方から、暖かいナニカがじぃんと広がっていく。胸の奥にしまってあった、トロミのある熱い液体が入ったカップが倒れて、中の液体がゆっくりと広がっていくように、じんじんと胸が熱くなっていく。

 胸に灯った熱が消える間もなく、にゃんごろーは無邪気な追い打ちをかけてきた。


「おしごとの、じゃまじゃまになるちょきは、しょーにゃにゃ……んん、しょ、しょーがにゃいけりょ、れも。しょーじゃないちょきは、そのいしを、つけていっちぇね! にゃんごろーのかわりに、わるいまほーから、ミルゥしゃんを、まもってくれる、ハズだから!」

「にゃんごろー、ありがちょー……。邪魔になんか、ならないよ。毎日、毎日つけてく! 絶対! ぐすっ。ありがとう、にゃんごろー。すごく嬉しい。大事にする。大事に使うからね! ミルゥさんの、一生の、宝物だよ!」


 『しょうがない』が上手く言えないというアクシデントには見舞われたものの、伝えたかったことを、ちゃんと全部最後まで伝えることが出来た。

 やりきった達成感に包まれながら、にゃんごろーはミルゥを見つめる。お手々は、お腹の前に戻されていた。

 ミルゥは涙でグショグショになりながら、それでもにゃんごろーに笑いかけた。

 ミルゥが『宝物だよ』と言ってくれたことが嬉しくて、にゃんごろーは照れくさそうに俯く。

 それがまた可愛くて、ミルゥは泣き笑いながらにゃんごろーを抱きしめ、もみくちゃにした。雲絨毯にぽすんと倒れ込んで、ふたりして転がり回る。にゃんごろーはミルゥの手の動きがくすぐったくて、転がるミルゥの腕の中で、笑いながら暴れ出す。

 それから、ふたりは全力で戯れ合いを続け、案の定――――。

 力尽きた子ネコーは、ネムネムゥに捕まって、お昼寝の国へと連れ去られた。


 さて、お別れの挨拶が最終的にどうなったのかというと――――。

 どうやら、トマトマ夕日が食べてしまったようだった。


 とはいえ、この日のデートは、初デートは幸せに包まれたまま、終わった。

 そう、この日のデートは…………。


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