第310話 もふもふアセアセ、もふもふピッピッ。
パチ、とにゃんごろーは瞬いた。
そこは、お空の上だった。そうとしか、見えなかった。
透明なようでいて見通せない蒼。
遠くで薄っすらと棚引く白い雲。
光の加減か、蒼は時折、水色とも空色ともいえる色にくすんで輝く。
澄んだ空気は肌寒いが、子ネコーのもふ毛には関係なかった。
その蒼の中で、にゃんごろーはプカプカ浮かんでいた。
いつものにゃんごろーだったなら、浮遊遊戯を楽しんではしゃぐなり、覚束ない足元を怖がるなりしただろう。
けれど、この時、にゃんごろーは。
ハチ、と瞬きながら、目の前に存在する“空”に心を奪われていた。
その空もまた、ジジッとにゃんごろーを見つめている。こちらは、ただの一度も瞬くことがなかった。
空を宿した不思議な玉をそのままはめ込んだような瞳と、にゃんごろーは見つめ合っていた。
透き通るような白い肌は、時折本当に透けて見える。その肌にピッタリと貼り付くようなスーツは、光沢を帯びた白。ミルキーな白銀にも見える、光沢を帯びた白。蒼い空の中で海藻のように揺らめく水色の髪。その髪の毛も、ピタピタスーツ同様、人工的な光沢を纏っている。
にゃんごろーと見つめ合っているのは、以前にゃんごろーが魔法の通路の壁の向こうで見かけた少女だった。ここと同じ、空を思わせる空間で膝を丸めて眠っていた少女。
――――おふねのせいれい。
たっぷり見つめ合ってから、もふ毛に包まれた小さな頭の中に、その言葉が浮かんできた。浮かんできた言葉が脳みそにじっくりと染みわたっていって、そこでようやくにゃんごろーは、とある重大なことに気がついた。
にゃんごろーは「ひょおーっ!」と身を竦ませ、それからピシッと背筋を伸ばし、ピッと敬礼する。本来ならば直角お辞儀をしたいところだったが、それをするとお船の精霊に頭突きをかましてしまいそうだったのでギリギリのところで自重した。
「おー、おおおおお、おはよーごりゃいまぁはりめましちぇえおりゃましちぇましゅう!あー、あわあわ、もー、ももー、もりのネコーのこのぉ、にゃんごろーれしゅうぅう! とちゅれんおりゃましちぇえ、ごみぇんにゃしゃーあ! にゃ、にゃかよきゅおともらちにぃ、にゃっ、にゃっ、にゃあー!」
突然お邪魔をしたも何も、そもそもにゃんごろーに押し掛ける意思があったわけではなく、どちらかといえば連れて来られた立場ではあるのだが、そんな考えは微塵も思い浮かばないようだ。恐縮・混乱・大慌てのにゃんごろーは、お休み中の女の子のお部屋に突然押し入った無礼を詫びねば、でもまずはご挨拶をせねば、嫌われたらどうしよう、お友達になりたい…………という、心中で絶賛渦巻中の諸々を捲し立てながら、もふもふピッピッと右手と左手で激し忙しく交互に敬礼を繰り返す。
とりわけ、嫌われたらどうしようの恐怖が大きすぎて、眠っていた精霊が目を覚ましているという事実への嬉しいびっくりは、スパンと弾け飛んでいた。
お目目も頭もグルグルで、もふもふアセアセ右左と忙しいにゃんごろーとは対照的に、精霊は、ただ静かに佇んでいる。にゃんごろーを見つめる瞳には空が映し出されるばかりで、感情らしきものは見当たらない。
まるで、少女を模した人形の前で、子ネコーが一人芝居をしているようだった。
けれど、その“空”に、鳥の影のような何かが過った。
精霊少女は子ネコーに向かって、スッと片手を差し出した。その手の上には、透明なキューブが載っている。透明の中には、ツヤツヤプリッと今が食べごろなハマグリの蒸し焼きが閉じ込められており、挑発的に涎を誘ってくる。
「これ、あなたが作ったのでしょう?」
「ほえ?」
甘く冷たく透き通り、それでいてどこか柔らかい声が、子ネコーの中で渦巻いていた混沌をシャパッと洗い流した。
精霊少女が言う通り、それはにゃんごろーが作った魔法石だった。
和室に置いてきたはずの魔法石が、どうしてここにあるのだろう、と不思議に思ったにゃんごろーは首を右に傾げる。
それを了承と捉えたのか、たんに待ちきれなかったのか、精霊は静かにグイグイと話を進めてきた。
「そうよね? あなたと同じ、魔法を感じる」
「おんなり、まひょー?」
「ねえ、あなたにお願いがあるの」
「お、おねらい?」
一方的に話を進められて、何が何やら状態のにゃんごろーは、マゴマゴと精霊のセリフを繰り返す。繰り返してはいるものの、精霊の意図を何一つ理解してはおらず、それはただの山びこにすぎなかった。
子ネコーを置き去りにしたまま、精霊はすべてリハーサル通りですよねと言わんばかりの滑らかな口調で要求をしてきた。
「これ、私にちょうだい?」
「ほ…………え?」
疑問形ではありながら断られることを想定していない、すべて打ち合わせ通りですと言わんばかりの静かにして強引な要求だった。
にゃんごろーは、ハチと瞬き、首を左に倒した。
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