第281話 命尻尾は大事ですから!

 長老が「にゃっ、にゃっ、にゃっ」とお手々を振ると、普通の通路と魔法の通路の境界線ならぬ境界枠は、シュンシュンシュンッと小さくなっていき、ピチョンと閉じた。

 落ち着いたアイボリーが見えなくなる代わりに、扉のようなものが現れるのかと思っていたキラキラ組は、高揚感に彩られたびっくりの叫び声を上げた。


「えぇー!?」

「はわわわわぁー!?」

「……………………! なるほど、確かにこれは、魔法の通路ですねぇ」


 閉じた枠は、扉に変わったりしなかった。

 枠があった場所の、そのまた向こうまで続きが生まれていた。

 魔法の通路の続きだ。

 ついさっきまで、長老がいる場所の向こうには、アイボリーの床と壁があったのに。魔法の通路を縦軸とするなら、長老の向こうにはアイボリーの見慣れた通路が横たわっていて、通路一本分の幅の向こうに壁が見えていたのに。

 今は、見通せるのに、見通せない。

 長老の向こうには、青い壁と仄かに白く光る天井と床が、真っすぐに続いていた。長老がいる場所の少し向こう側までは、天井と床が優しく照らしてくれているが、その先は、明日に変わる間際の空のように、先に行くほどに暗くなっていく。

 日常と非日常の境界線が消えた代わりに、昼と夜の、今日と明日の、曖昧な境界が生まれたようにも思える。

 姉妹ネコーがトトッと駆け出して、長老の隣に並んだ。長老、キラリ、キララの順で横並びだ。境界枠を閉じる時に、気を利かせたクロウが脇に避け、壁際にいるカザンの隣へ並んだため、ふたりを遮るものは何もなかった。

 みんな微笑ましく姉妹たちの様子を見守っている。

 慌てたのは、にゃんごろーだ。にゃんごろーは、長老の魔法で閉じていく枠を見て、「しまった。閉じる役もやらせてもらえばよかった!」と思い付き、悔やんでいたのだが、最早それどころではない。


「ま、まっちぇー。にゃんごろーもー!」


 このままでは仲間外れにされてしまうと思ったにゃんごろーは、慌ててふたりを追いかける。にゃんごろーも一緒に並びたかったけれど、長老のお腹に貫禄があり過ぎて、滑り込める隙間がなかった。キララとキラリがもう少し詰めてくれれば、にゃんごろーひとりくらいは何とかなりそうだが、ふたりとも通路の向こうに見入っていて、にゃんごろーがいることに気づいていない。

 相手が長老だけならば、強引に体を押し込むところだけれど、女の子ネコーを無理やり押しのけるなんて乱暴な真似は、にゃんごろーには出来なかった。


「にゃんごろーもぉー…………」

「仕方ないのぅ。ほれ、場所を代わってやるわい」


 困り果てたにゃんごろーが、お耳と尻尾をペショリとさせながら情けない声を漏らすと、長老が場所を譲ってくれた。にゃんごろーはパァーッとお顔を輝かせた。長老の気が変わらない内にと、もふっと素早い動きで、小さな体を空いた場所へ滑り込ませる。


「勝手に走ったりしてはいかんぞー?」

「うん! わかっちぇる! ありあちょー、ちょーろー!」


 念のためにとにゃんごろーの尻尾を掴みながら、長老が注意を促すと、にゃんごろーは元気よくお返事をして、感心なことにちゃんとお礼も伝えた。親しき仲にも礼儀ありなのだ。

 それを見たミフネが、「ふむ」と頷いて姉妹たちの後ろに忍び寄り、ふたりの尻尾を軽く握った。断りもなく女の子ネコーの尻尾を掴んだりしたら、キラリはともかくキララには怒られるんじゃないかとクロウは心配したけれど、杞憂に終わった。ふたりとも、通路の向こうへと目を凝らすのに夢中で、緩く捕獲されてしまったことに気づいていなかった。


「三にんとも、ゆっくりと前に進んでごらん。走ってはいかんぞ」

「うん!」

「はい!」

「は、はい」


 尻尾を掴まれたことには気づかなくても、探検を許可する言葉は、しっかり、ちゃっかり聞こえたようだ。

 元気よくお返事をした三にんは、言われた通り、ゆっくりと前に向かって歩き出す。


「わー。もしかして、わたしたちが進むのに合わせて、照明も、どんどん先へ進んでいってるぅ?」

「しょー! ありゅくのにあわしぇちぇ、あかりゅくしちぇくれりゅの! にゃんごろーたちら、いりゅちょころのまわりらけを、あきゃるくしちぇくれりゅの! まひょーのちゅーろらから!」

「なるほどー。それは、魔法の通路だねぇ」


 進んでも、進んでも変わらない景色にキララが言及すると、にゃんごろーが、まるで自分がこの魔法を開発しましたといわんばかりに、自慢そうに答える。子ネコーらしいふたりのやり取りは、見守る者たちの心を和ませた。

 キラリの方は、魔法オタクというだけあって、もう少し深い考察と質問をしてきた。

 それまで、きゃわきゃわしていたにゃんごろーとキララも、キラリの話が始まると静かに耳を澄ませる。


「この通路は、一体、どこまで……? あ、も、もしかして。こ、この通路の、な、中は、お船の中であって、お船の中ではない場所、なんですか? で、出口も、探せばどこかにあるわけじゃなくて、ま、魔法を使って、自分で作らないと、いけない…………?」

「おお、そうじゃ。よく分かったのー。大正解じゃ。まあ、ここがどういう場所なのかは、そもそもよく分かっとらんのじゃがのー。まあ、そういう感じじゃのー。たぶん。ほいでもって、出口を自分で作らんといかんから、新米クルーや、ここの魔法と相性の悪いもんが一人で中に入ると、出口が作れなくて迷子になってしまうというわけじゃ」

「な、なるほど。そうなんですね」

「へー。そういうことだったんだー」

「キラリ、しゅごーい。らいしぇーきゃい、らっちぇ。しゅろいねぇ」

「そ、そんな…………」


 キラリの質問には、長老が答えた。

 ざっくりとしつつも新情報を織り交ぜた長老の説明にキラリが頷くと、キララも続いて頷いた。にゃんごろーは、大正解をしたキラリを褒め称えた。キラリは、恥ずかしそうに俯いて、モジモジと体を揺すり、お尻の辺りに違和感を覚える。「なんだろう?」と振り向いて、尻尾を掴まれていることにようやく気付いた。


「え? ミ、ミフネさん? ど、どうして、尻尾を掴んでるんですか?」

「んん? あ、ホントだ! あら、やだ! わたしもじゃない?」

「はい。長老さんからご指示いただきまして、迷子防止の対策ですね」


 尻尾を緩く捕獲されていることに、ようやく気付いた子ネコーたちに、ニコニコ顔のミフネがシレッと事後報告をした。

 姉妹たちは「むぅ」と不服そうだが、長老からの指示と聞いて押し黙る。それに、尻尾で捕獲されているのが自分たちだけなら断固反対するところだが、チラと様子を窺えば、にゃんごろーも長老に尻尾を握られている。しかも、そのことを特に気にしていなそうだ。


「みょっほっほっ! 迷子防止の命綱、ならぬ命尻尾じゃな!」

「しょー! いにょーしっぴょ! これれ、あんしん! にゃっはっはっ!」


 長老が高らかに笑うと、にゃんごろーもそれに続いた。

 にゃんごろーは、前回の見学の時にも、長老にうまく丸め込まれて尻尾を手綱代わりに握られていたのだ。おまけに、尻尾を握られていたことは事実として覚えているけれど、うまいこと丸め込まれた件はすっかり忘れてしまっている。おまけのついでに、命尻尾という言葉を、なんだかすごく気に入ってしまった。

 だから、抵抗なく長老からの命尻尾を受け入れ、命尻尾を啓もうする長老のお手伝いをしたのだ。

 その甲斐あって、姉妹たちも命尻尾を受け入れた。しかも、渋々ではない。積極的にだ。


「あはは! いにょーしっぽ! これ、いにょーしっぽなんだ! それなら、仕方ないわね!」

「い、いにょーしっぴょ。ふ、ふふふ。面白い」


 にゃんごろーが受け入れたなら仕方がないと思ったからではない。

 にゃんごろー同様、「命尻尾」を気に入ってしまったからだ。

 偶々なのか、狙っていたのか分からない。

 だが、間違いなく、これは長老のお手柄だった。

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