第149話 只今、理性逃亡中!

 もふっとしたお顔の前には、フォークに刺したミニトマトがあった。

 最後のミニトマトだ。

 最後はミニトマトで締めくくろうと、大事にとっておいたミニトマトだ。

 手に入れたばかりの宝石を鑑賞するかのように、にゃんごろーはうっとりとしたお顔でミニトマトを見つめた。

 実際、にゃんごろーにとって、キラキラドレスをまとったミニトマトは宝石も同然だった。

 けれど、それは。

 眺めるだけの宝石ではない。

 お口に招き入れて味わうことで、真価を発揮する宝石なのだ。


 にゃんごろーはパカリとお口を開いた。

 とても名残惜しいが、何時までもこうしているわけにはいかない。何より、にゃんごろーのお腹が、もっと寄越せと騒いでいる。


「まちゃ、あおうね」


 そっと呟くと、にゃんごろーは最後のミニトマトとゴールインした。

 目を細めて、ゆっくりじっくりとミニトマトを味わい、惜しみながら飲み下す。

 満足のため息をつきながら、にゃんごろーは空っぽになったお皿を覗き込んだ。

 遠い昔を懐かしむようなお顔だ。

 在りし日のサラダ姫の姿を思い出しているのかもしれない。

 今は、にゃんごろーのお腹の中だ。

 ドレスで汚れたお口の周りをペロペロしながら余韻に浸るにゃんごろーだったが、突然、弾かれたようにお顔を上げた。

 いい匂いが漂ってきたからだ。


「ニャポリタン、お待たせしましたー! まずは、ネコーさんたちの分からになりまーす!」


 にゃんごろーのお目目が宝石のように輝いた。キラキラドレスのミニトマトにも負けない宝石ぶりだ。「きゅるぅーん」とお腹が催促してきた。涎が溢れそうになったが、おとなのお店で、はしたない真似は出来ない。にゃんごろーは、慌ててゴックンした。

 ソワソワしながらも、お行儀よくせねばと背筋をシャキンと伸ばす。まっすぐに伸ばしても、子ネコーの背中からは柔らかさが感じられた。

 体は真っすぐ前に向けつつも、お顔をぐるりと動かして、店員がテキパキと配膳していく様子を追いかける子ネコーたち。

 店員はまず、長老を黙らせた。それから、にゃんごろー、キララの順に配膳していく。

 精一杯かしこまっていたにゃんごろーだったけれど、目の前にお料理を置かれた途端、前のめりでお皿を覗き込んだ。

 白いお皿の中に、赤のようなオレンジのようなお色の細長いものが渦巻いている。キノコやお野菜、それからウィンナーの姿も見えた。

 にゃんごろーにとって、ウィンナーはご馳走だ。長老の孫ネコーで旅ネコーでもあるソランが、「これなら焼くだけでも美味いから」と言って、お土産に持ってきてくれたことがある。焼くだけといっても、長老に任せたら真っ黒焦げになりかねないので、ソランが焼いてくれた。ソランの旅話を聞きながらの、ちょうどよい塩梅に焼けたウィンナーは格別の美味しさだった。思い出しながらにゃんごろーは、ペロリとお口の周りを嘗めた。まだ、微かにドレッシングのお味が残っている。

 ネコー用のニャポリタンは、猫舌向けに少し冷ましてあるのか、湯気は控えめだ。けれど、それでも、いい匂いが小さなお鼻に届いてくる。バターの匂いだ。

 スープとサラダで少し落ち着かせたとはいえ、まだまだ空腹の胃袋には暴力的な香りだ。バターの美味しい匂いが、にゃんごろーの胃袋をがしぃッと掴んでユサユサしてくる。

 早く、味わってみたくて堪らなかった。でも、今はまだ、我慢だ。

 溢れて止まらない食欲とお豆腐心を、にゃんごろーは必死で押さえつける。

 今はまだ、我慢の時なのだ。

 だって、みんなのお料理がまだ届いていない。

 そう思って必死に我慢していたのに、信じられないことが起こった。

 理性が遠くへ旅立ったままの長老が、「我が道を行く!」宣言をしたのだ。それは、「みんなを置いて先に行く!」宣言でもあった。


「うむ。せっかくのお料理が冷めてしまっては、いけないからの。先に、いただくとしようかの。それでは、いただきます!」

「あ! こりゃ! せめて、お客さんたちの返事を聞いてからにせんかい!……って、まったく、こいつは……! 猫舌のくせに、何が冷めてしまってはいけないからじゃ……! 本当に、まったく! 仕方のない奴じゃわい!…………あ、そうじゃ。にゃんごろーとキララちゃんも、よかったら先に食べ始めてもらってかまわないからのー?」


 野生の長老は、一方的に宣言するなり、みんなの返事を聞こうという素振りすら見せずに、手にしたフォークをニャポリタンのお皿へと突撃させた。マグじーじは目をクワッとさせて無作法を叱りつけたが、こんなことは慣れっこなのだろう。文句を言いつつもすぐに諦めて、子ネコーたちに微笑みかける。

 マグじーじに「先に食べてもいい」と言われて、にゃんごろーは心が揺らいだ。けれど、おとならしくしていようという誓いを蹴飛ばして長老のようになってしまう前に、キララが「待ちます」宣言をしてくれた。


「ううん。みんなの分も、もうすぐ来ると思うし、待ってます!」

「…………う、うん! にゃんごろーも!」


 長老サイドに傾きかけていたにゃんごろーは、「はっ!」としたお顔でキララに倣った。

 揺れ揺れのちガッタン直前だったにゃんごろーは、迷うことなく「待ちます!」宣言をしたキララのことを、「えらいなぁ」と思った。

 キララがいてくれて、よかったと思った。


 同時に、キララに対して。

 申し訳なく思った。そして、恥ずかしく思った。


 キララは、こんなに“おとな”なのに。

 うちの長老ときたら…………。


 などと考えたのかどうなのか。

 にゃんごろーは、きゅぅんと小さく身を縮めた。

 元々小さい体が、さらに小さく丸まった。

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