第50話 約束
女王との戦いから半年後。王国は普段の平穏を取り戻し、穏やかな日々が続いていた。その日もグレイはいつもと変わらず、早朝から大剣で素振りをしていた。
「相変わらずだね、おにいーさん」
ふと声が響いて、楽しげに笑う1人の少女が姿を現す。
「ヴィヴィアか」
グレイは剣を止め、少女を見る。
「お兄さん、まだその甲冑着てるんだ? もうそれの役目は終わったんだし、脱いじゃえばいいじゃん。暑苦しいし」
「確かにそうなのだが、これを脱ぐと……目立つからな」
「……普通は、そんな甲冑を着てる方が目立つんだけどね。やっぱりそういうところは、アリカ ブルーベルだ」
呆れたように、ヴィヴィアは笑う。
「それに、落ちた英雄が騎士団の団長を務めているとあっては、また問題が起こるだろう?」
「どうかな。その辺りは、あの女王様がうまく取り計らってくれるんじゃないの? あの女は、そういう扇動が1番得意だからね」
「…………」
あんな騒動があった後でも、女王は退位せず、その座に座り続けている。というのも、当の本人はその座を退き、罪を償うと言ったのだが、800年ものあいだ王座に座り続けた彼女の代わりを務められる人間が、どこにもいなかった。民衆の人気も実務的な能力も含め全ての能力で、彼女に並ぶ者はいない。
白騎士の力も未だ健在であり、神とは言えずとも、それに近い力を彼女はまだ持ち続けている。そんな彼女の代わりは、簡単には見つけられない。
「しかし私がいずれ、あの少女にも人の生きる痛みというものを教えてやる」
グレイの言葉には、強い意志がこもっている。
「それってつまり、不老不死から彼女を解放してやるってことでしょ? 相変わらず優しいね、お兄さんは。あんなことをされても、見捨てたりしないんだからさ」
「私はただ、そうあるべきだと思ったことに全力を注ぐだけだ」
「……ま、お兄さんになら、できるよ。あの女を泣かせられるのは、お兄さんだけだからね」
ヴィヴィアは空を見上げる。今日は朝から暑いくらいの日差しで、雲一つない快晴だ。
「お前たち教会の神の方は、どうなった? あれの振りまく呪いは、依然として止める手段はないのだろう?」
「まあね。あの戦いで顕現しちゃった神は、ボクらで何とか対処したけど、大元の方はどうにもならないね。まあ、あれがいないと教会の治癒術は使えないんだし、殺しちゃう訳にもいかないけど」
「大丈夫なのか? 教会の方は」
「問題ないよ。なんせ教会には、このボクがいるからね」
えへんと胸を張るヴィヴィアを見て、グレイは真面目に頷く。
「そうか。まあ、お前がそう言うのなら、そうなのだろう」
「そんな真面目な声で言われると、反応に困るな」
ヴィヴィアは小さく咳払いし、言葉を続ける。
「それより、四大貴族がまた揉めてるらしいね? 特にグロキシニアとルドベキアがバチバチやってるみたいで、騎士団内にも派閥ができちゃってるみたいじゃん」
「その程度は問題ない。寧ろ、あれくらいの緊張感がないと腑抜ける人間が出てくる」
「なんだ、やっぱりわざと放置してたんだ」
ヴィヴィアは笑う。その笑みは普段とは違い、どこか優しい笑みだ。
「……ヴィヴィア。お前に、訊きたいことがある」
「なにさ、改まって」
「いきなりこんなことを言われて、困るかもしれないが……。お前と女王と……ハルトは、この世界とは別の世界から来たのか?」
「────」
ヴィヴィアは一瞬、息を呑む。
「……さて、どうかな。今更、そんなことを知っても意味はないし、答えがどうであれ、ボクらは今ここで生きるしかないからね。どんな産まれだろうと、ボクらはボクらの世界で生きるしかないんだよ」
とても静かで、それでいて芯の強さを感じさせるヴィヴィアの瞳。
「……そうだな」
その瞳に何かを感じ、グレイはそれ以上の追求はしない。吹きつける風が、暖かな空気を運んでくる。
「では、代わりに別のことを訊こう」
「なんだ、まだあるの? お兄さんってば、ボクに興味深々だね?」
ふざけたように甲冑を叩くヴィヴィアを無視して、グレイは続ける。
「お前は結局、何がしたかったんだ? 私を処刑し、私に力を貸し、女王とまで敵対したお前の真の目的は、何だったんだ?」
「……あはっ。そんなことが聞きたいんだ。というか、お兄さんでもボクの考えって分かんないんだね。……なんかちょっと、嬉しいよ」
「何を喜ぶことがある」
「憧れの人間に認めてもらえて、嬉しいくない奴はいないよ。……そうだな。結局、ボクの目的はそれだけなんだよ。……うん、それだけなんだ。いろいろやって、頑張ったのは、その言葉が聞きたかったから、かな」
ヴィヴィアがグレイの兜に手を伸ばす。兜の奥にある眩い、黄金の瞳。いつだって揺らぐことのない、美しい魂。決して折れない剣。
ヴィヴィアはその目を、愛おしそうに見つめる。
「……やっぱりお兄さんは、いい男だな。アリカ ブルーベル……いや、グレイは、こうでないといけない」
それだけ言って、ヴィヴィアはグレイから距離を取る。一瞬見えた、今までとは別人のような瞳。その瞳の色を知っているグレイは、それ以上なにも言わない。
「さて、ボクはもう行くよ。教会の聖女様は、こう見えて忙しいからね」
「そうか。……ああ、そうだ。近いうちにお前と私と3人で話がしたいと、女王から言伝を預かっていた」
「そ。なら、空いてる時にでも連絡するよ。あの女には、またあの懐かしいクッキーでもご馳走してもらうとするかな」
バイバイと軽く手を振って、その場を立ち去るヴィヴィア。そんなヴィヴィアと入れ替わるように、別の少女が現れる。
「ノアか。今日は早いな」
「早いのは貴方の方でしょ? またろくに眠りもせず、素振りばっかりしてたんでしょ? いい加減にしないと、身体壊すわよ?」
白い髪を風になびかせて、ノアは笑う。
「私はそんなにやわではない。……それよりお前の方は、大丈夫なのか? 女王にやられた傷は、まだ痛むのか?」
「そんなのとっくに治ってるわよ。聖女さんが直々に治癒してくれたしね。それに、女王……あの人は、もともと私を殺す気がなかったようだし……」
ほんとムカつく、いつか絶対やり返す。と、ノアはふざけたように笑う。
「今日は狭間への調査だったな。最近は天使の出現も落ち着いて来ているし問題はないと思うが、油断はできない」
「そうね。いつまた、あの色持ちの天使の時みたいなイレギュラーが発生するか分からないしね」
ノアは木々の影の上をゆっくりと歩きながら、言葉を続ける。
「でも、ロウとかユズも、かなり戦えるようになってきたわね。やっぱり貴方が居るだけで、騎士団の空気が引き締まる」
「怖い副団長がいるからかもしれないぞ?」
「なにそれ、私は怖くなんてないわ」
和やかに笑う2人。小さな小鳥が山の方へと飛んでいき、木々が風に揺れる。
「おーい! グレイさーん! ……って、あ。ノアさんもいるっスね! ちょうどいいっス!」
「おい、走るなよ。子供じゃねぇんだからよ」
そこに、ロウとユズの2人がやって来る。
「今日は騒がしいな」
グレイはそんな2人を見て、呆れたように息を吐く。
「朝らから悪いな、グレイ。でもちょっと今日は、2人に大切な話があるんだよ」
「そうっス! このあたしが、わざわざ早起きして来たんスよ? 褒めて欲しいっス!」
「……うるさいわね。なに? この前、ユズが訓練サボってケーキ食べてたこと、ようやく謝る気になったの?」
「ち、違うっス! それはちょっと、多めに見るところっス!」
慌てて弁明するユズを見て、ノアは楽しそうに笑う。ロウは騒がしいユズの頭を軽く叩いて、口を開く。
「んな、どうでもいいことじゃなくてよ、今日の狭間の調査。女王陛下が特別に、ナインガードの人間を派遣してくれることになったんだよ」
「……ナインガード? まさかまた何か、問題が起こったのか?」
鋭くなるグレイの眼光を見て、ロウは違う違うと首を横に振る。
「そうじゃなくて。ナインガードの人とか教会の聖天戒の人が、しばらく騎士団の業務を手伝ってくれることになっただよ」
「……意味が分からないわ。そんな報告、私のところには上がってきてないんだけど……?」
訝しむノアを見て、ロウとユズは楽しそうに笑う。
「ふっふっふー。ノアさん、驚いてるっスね」
「だな、珍しい」
「……なによ。まさか、報告し忘れてたってことを、わざわざこんな時間に言いに来たの? ……なるほど、反省してるから私に怒られたいって言うのね」
「あー、違うっス違うっス! そうじゃなくて! グレイさんとノアさんに、ちょっとは休めと言いに来たんス! 2人ともこの半年間、1日だって休まず頑張ってきたんス! ここらで少し、休むべきっスよ!」
「そうだそうだ。あんまり働きすぎると、部下が気を遣うんだよ」
「貴方たち……」
ノアが真っ直ぐにユズとロウを見る。2人はそんなノアに、照れたような笑みを返す。
「つーわけでよ。俺らじゃ頼りねぇかもしんないけど、いろんな人に手伝ってもらえるよう頭を下げたから、2人はこれから休暇だ」
「これは、騎士団全員で起こしたクーデターっス。2人は大人しく追い出されて、しばらくのんびり旅でもしてこればいいんスよ」
「そうそう。真面目すぎると、これからもこんな反乱を起こされることになるからな? 偶にはゆっくり休んでこいよ」
「というわけで、あたしたちは今から教会の人と会議があるんで、もう行くっス。2人はちゃんと、楽しんで来ないとダメっスよ?」
ロウとユズは言いたいことだけ言って、この場から立ち去る。残されたノアは、伺うようにグレイを見上げる。
「……クーデター、起こされちゃったみたいだけど、どうする? 団長さん」
「従うしかないだろう? あいつらはああ見えて、怒らすと怖いからな」
グレイは兜を外す。するとまるで魔法のように黒い甲冑が消える。眩い黄金の英雄が、優しい目でノアを見る。
「準備をしようか? ノア。休暇というのは、思いのほか早く時間が流れるものだ」
「うん。せっかくのお休みなんだし、思いっきり楽しまないと損だもんね?」
「ノアはどこか、行きたい所があるのか?」
「どこでもいいわよ。貴方と……グレイと一緒なら」
2人はまるでただの少女と青年のように笑って、ゆっくりと歩き出す。陽の光は眩く、音もなくそんな2人を照らし続ける。
決して折れない剣になりたいと祈った英雄の想いは、今も変わらず彼の胸に在り続ける。そしてそれは多くの人間へと伝播し、いつまでも変わらず残り続ける。
──決して折れない剣は、確かにこの胸の内にある。
「いい天気だな」
と、グレイは初めて、肩から力を抜いた。
ギャルゲーのチート主人公だったはずなのに、転生してきたモブにヒロイン全員を寝取られ全てを失ってしまったので、最悪の悪役になって復讐します 式崎識也 @shiki3
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