第49話 少女の願い



 マリア フリージアという女王に転生する前、少女は誰より孤独だった。



 少女は幼い頃から、重い病に冒されていた。病院と家を往復するだけの生活。学校にもろくに通えず、1日のほとんどを部屋の中だけで過ごす。


 そんな自分のせいで、両親はいつも喧嘩ばかりし、友達もおらず、ゲームと漫画だけが彼女の孤独を癒した。幸いにも彼女の家は裕福であり、頼めばなんでも買って貰えた。


 ゲームも本も服も化粧品もなんでもあって、でもなに1つとして手に入らない生活。彼女はいつしか家に帰ることができなくなり、病院のベッドの上から動けなくなった。


 父親も母親も見舞いには来ない。高い治療費を払い続けることが最低限の親としての責務だと言い張り、彼らは彼女を見捨てた。彼女もまた、その事実を受け入れた。愛されていないなんてことは、とうの昔に理解していた。


 誰も見舞いに来ず、本すら読めず、好きだったゲームもできないほど弱った身体。映画やテレビの内容も頭に入ってこず、1日中、ただ白いだけの天井を眺める日々。そんな生活が、何年も何年も続いた。


 普通の人間が考えないことを考えた。普通の人間では、思いつかないようなことを夢想した。狂っていく精神と魂を、彼女はただ他人事のように眺め続けた。



 そしてあっけなく、少女は死んだ。



 死んでそして、なんの因果か今度は決して死ねない女王へと転生した。彼女はすぐにそこが、好きだったゲームの世界だと気がついた。同時にゲームでは描写されなかった、女王の深い苦しみを知った。


 800年もの間、女王であり続けたマリア。彼女はただひたすらに、民の為を思って行動していた。そうしなければ精神が病んでしまうことを、彼女は誰より強く自覚していた。自分の欲を満たすには、800年という時間は長過ぎる。


 しかし、民の幸福。恒久的な平和。そんなものはいくら生きようと叶えられるものではなく、沢山の苦しみを前にマリアは精神を病んでしまった。


 何度も何度も死のうとして、それでも決して死ねない地獄。誰も理解者のいない、圧倒的な孤独。そんなマリアの痛みを知った少女は、彼女を幸せにしてあげたいと思った。前世の自分と同じ、誰も寄り添ってくれない孤独な少女。そんな少女の為に、この世界を手に入れようと決めた。



 この世界を、マリアの為の世界にする。



 どうやっても死ねないのなら、この世界をマリアにとっての天国にする。どこにも痛みなんてなく、皆に感謝され続ける世界。外敵を全て排し、皆に必要とされる神になる。そうすれば、永遠に生き続けるしかないマリアの魂も、少しは救われる筈だ。


「…………」


 或いは少女は、とっくに自覚していたのだろう。それがマリアの望みではなく、少女自身の望みなのだと。誰にも望まれず、誰からも必要とされなかった少女。彼女はただ一心に、誰かに必要とされる存在を願った。



 その結果が、この神である。



「だから、邪魔をするな! 英雄!!!」


「……っ!」


 グレイがまた吹き飛ばされる。既に満身創痍だった身体が、悲鳴を上げるように血を流す。


「こんなもので、私が足を止めると思うな!」


 それでも、決して止まらないグレイ。グレイは教会の治癒術を使えない。しかしそれでも、その有り余る魔力が自然と傷を治す。魔剣使いの身体能力の強化が、人間本来の傷の治りを何百倍も早める。その結果、瞬く間に傷が治っていくように見える。


 ……しかし、グレイにも限界はある。一時は、白騎士を圧倒していたグレイ。しかし時間が経過する度に、その動きが鈍くなる。本当の些細なズレ。コンマ1秒にも満たない一瞬。しかしその一瞬を、白騎士は決して見逃さない。


「どうしたっ! 威勢がいいのは結構だが、動きが鈍っているぞ! そんなもので、この私に勝てるものか!」


「……っ! 随分と人間らしい声を出すようになったじゃないか、神よ! 結局、それが貴様の本質だ!」


「黙れっ!」


 不老不死であり決して死なない白騎士に、疲労なんて言葉は存在しない。いくら傷を負っても、いつでも万全な状態からやり直せる。最強の状態でセーブしたデータを、白騎士は永遠にロードし続けられる。……望まずとも、し続けてしまう。


 その結果、差は徐々に徐々に広がる。


「なのにどうしてお前は、諦めないっ!」


 白騎士は不快げに叫ぶ。既に剣戟が始まって、どれくらいの時間が流れた? グレイは一体、どれほどの傷を負った? 痛くて苦しくて、何の意味もない行為。勝てないと分かっている筈なのに、どうして剣を止めない?



 その行いに、何の意味がある?



「──それでは何も、変わらないからだ!」



「……っ!」


 魂から叫ぶグレイ。白騎士の甲冑が、斬り飛ばされる。……理解できない。不老不死である自分と戦っても意味なんてないことは、目の前の男が1番理解している筈だ。なのにどうして、剣を止めない?


「それは、私が私に課しているからだ!」


 白騎士の……いや、1人の少女の心を見透かしたように、グレイは言う。


「どれだけ強大な相手でも、どれだけ勝てないと思っても、決して歩みを止めない。それが私が信じる英雄の姿であり、多くの人間が信じてくれた英雄の在り方だ」


「……っ。だが、私は不老不死だ。戦うことに意味はない」


「例え相手が不死身であっても、私の心は折れない。……貴様は、どうだ? 貴様は本当に、己の意志で神であることを望んでいるのか? そんなものが、本当に貴様の望みなのか!」


「うるさい! 私……私はそれでも、この願いを手放したりはしない!」


 また、白騎士の甲冑が斬り飛ばされる。純度が低いと、白騎士は言った。その言葉が裏返り、今は自分の胸に突き刺さる。


 神が支配する完璧で調和の取れた世界。そんな世界で、多くの人間に必要される。永劫の時を生き続けるマリアが、これ以上、心を痛めなくてもいい世界。病弱でいつも1人だった少女が、これ以上、孤独を感じなくてもいい世界。


 そして、沢山の人間の死に心を痛めた英雄が、これ以上、傷つかなくてもいい世界。


「……そうだ。私が神になれば、今よりずっと、誰もが平和に生きられる世界を創れる。それは英雄が……お前が望んだことの筈だ! なのにどうして、お前が私を拒絶する!」


「隣に立つ者が誰も居ない孤独を、貴様はとうに知っている筈だ! そんな形だけの神になってしまえば、貴様は永遠の孤独に苛まれることになる!」


「……っ!」


「神になり、平和な世界を創って。自分にとって都合がいいだけの世界で生きて。貴様はそれで、幸せになれるつもりかっ! そんな世界で、貴様は誰に笑顔を向けるつもりだ!!!」


 グレイの大剣が兜を両断する。中身のない白い甲冑。祈りと力が合わさった、決して死なず、決して折れない剣。いくらグレイが傷をつけても、そんなことに意味はない。この世界に、この白騎士……この少女を殺す方法なんて、存在しない。


 ……でも。


「……なら、お前ならどうする? もしお前が決して死ねない呪いを受けたら、お前ならどうするんだ? お前の愛する人間がそんな呪いを受けたら、お前に何ができる! 所詮、英雄に救える人間など、知れているではないか!」


 その叫びは既に、神のものでも英雄のものでもない。生き続けることしかできない女王と、孤独のまま死んだ1人の少女の魂が痛みを叫ぶ。


「そんなものは、決まっている。涙を拭って手を握ってやること以外、私にできることなどない。だから私は……私たち人間は、その為に全力を尽くして生きているのだ」


「────」


 敵わないと、思った。決して死ぬことのない自分は、何があっても負けることはない。……でも、勝てないと思った。決して折れない剣と剣のぶつかり合い。それは矛盾なんてせず、ただ弱い方が折れるだけ。



 白い甲冑が割れる。現れるのは、目を腫らしただの少女。



「じゃあ……じゃあさ、私の手も握ってくれるのか?」



 子供のような顔をする少女に、グレイは呆れたように息を吐く。


「……結局、貴様も私もそれが言えないだけだったんだろうな」


 自分が魔剣を失った時、そう言えていればきっといろんな問題が起こらなかった。ただ助けてと、ただ寂しいと言えていれば、もっと簡単に多くの人間が救われた。


 自分に課していることと、囚われていること。それは全く別のことなのに、つい混同してしまう。決して折れないことと、剣を握り続けることには何の関係もない筈なのに、体面ばかり気にしてしまう。



 寂しいなら、寂しいと言えばいい



 そんなことに気がつくのに、時間がかかり過ぎた。


「貴様がやったことは、決して赦されることではない。貴様はこれから長い時間をかけて、その罪と向き合わなければならない。……だが、よく頑張ったな」


 グレイが少女の涙を拭い、その手を優しく握った。


「……ありがとう」


 そんな当たり前のつまらない言葉で、神と英雄の戦いに決着がついた。


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