第48話 理想



「はっ──!」


 グレイが地面を蹴る。既にナインガードや聖天戒の一員ですら、目で捉えることができない速度。その余波だけで頑丈に造られた王城の壁が壊れ、耳をつんざくような音が響く。


「遅いな」


 しかし白騎士はその剣を軽々と受け止め、返す刃でグレイを突き刺す。


「……っ!」


 白騎士の剣が、グレイの腹を貫通する。流れ出る赤い血。その血を冷めた目で眺めながら、白騎士は淡々とした声で言う。


「ここで逃げると言うなら、見逃してやってもいい。今さらお前を殺す理由も、お前に拘る理由もありはしない」


「なにを、世迷言を……」


 なんとか反撃しようとするグレイを、白騎士は軽くいなす。


「これは、お前の為を思って言ってやってるんだ、グレイ。お前はもう、英雄であることに拘る必要はない。お前が戦う理由はもうない。そのつまらない復讐心さえ捨ててしまえば、幸せに生きることができる筈だ。騎士団の仕事なんて辞めて、ノアと一緒に2人でのんびり過ごせばいい」


 白騎士はグレイから剣を引き抜き、その身体を軽く蹴り飛ばす。壁にぶつかり血を吐き倒れたグレイに、白騎士はゆっくりと近づく。


「才能というのは残酷だ。お前ほどの力を持って産まれたからには、普通の幸せは望めない。力には責任が伴うなんて弱者の理論に巻き込まれ、戦うことを強要される。……お前も、望んで戦っていた訳ではないだろう?」


「…………」


 グレイは言葉を返さず、血を流したままなんとか立ち上がる。


「お前は人の死が嫌いだ。誰だって本来は、人の死に忌避感を覚える。お前はそれでも、力を持って産まれた責任を果たそうと、誰より最前線で戦ってきた」


「……それは、私が自ら望んだことだ」


「それでもお前はいつも、多くの死に心を痛めた。……もういいだろう? お前はよく頑張った。これからは私が、お前の分も戦ってやる。騎士団の分も教会の分も英雄の分も、神である私が戦ってやる。だからお前は、もう休め」


「…………」


 白騎士の言っているのとは、間違いではない。グレイは……いや、アリカ ブルーベルは誰よりも才能を持って産まれたが、だからといって戦うことが好きな訳ではない。騎士団の人間も教会の人間も、きっと多くの人間が同じことを思っているだろう。


 天使の脅威。他国の脅威。そういうものが全てなくなって、これからずっと自分たちを守り続けてくれる神がいる。そんな存在を、単なる個人の復讐心で殺してしまっていいのだろうか? 


「……それでも、私は……」


「いい加減、理解しろ。お前のやっていることは、何の意味もありはしない。お前がまだどれだけ強かろうと、私は決して死なない神だ」


 ……そうだ。ここで自分が戦っても、きっとこの怪物は殺せない。少し前の白騎士ですら手間取ったのに、今となっては絶対の不死身性まで手に入れてしまった。


 戦う意味すら曖昧で、戦ったところで勝てる見込みがない。そして奇跡が起きて勝ってしまえば、この世界から神を奪ったという責任が生まれる。


「……貴様は、これからずっとこの世界を守ってくれるのか?」


 消えいるような声で、グレイが呟く。


「ああ。未来永劫の平和を約束してしよう」


「誰かが泣いていたら、貴様が私の代わりにその涙を拭ってくれるのか?」


「ああ。誰であろうと私が必ず救うと誓う」


「……貴様の根底には、まだ私の祈りがあるのか?」


「ああ。お前と女王の根底の願い。皆が笑って暮らせる世界を、私は永遠に祈り続ける」


「…………」


 いつかきっと、自分の夢を誰かに引き継ぐ時が来る。それは英雄であっても、例外ではない。グレイが騎士団の団長として戦い続けても、いつかはその職を辞して次に引き継がなければならない。そうして、この世界は回ってきた。


 だったらここで、この神に自分の役目を引き継ぐことの、一体なにが悪なのだろう?


 この目の前の白騎士は、正しく自分の祈りから産まれた。ならきっと、間違うことはないだろう。自分を見失うようなことは、決してない。……例え間違ったところで、これ以上の存在は、きっとこの世界には産まれない。


「私はノアと約束したんだ。この戦いが終わったら、2人で一緒に旅をしようと」


「いいじゃないか。騎士団の団長ともなれば、なかなか旅をする余裕もない。しかし、私が神として立ったなら、騎士団なんて仕事は必要なくなる。お前はあらゆるしがらみから解放され、自由に生きられる」


「貴様は間違わない。何故なら貴様は英雄であり……神だから」


「そうだ。私は正しく英雄の祈りを継ぐものとして、神としての役目を全うしてみせる」


「…………」


 グレイはその言葉を聞き、剣を鞘へとしまい。何かを探すように、天井を見上げる。……その表情は読めない。彼が何を考えているのか、それは誰にも分からない。



「──腑抜けたこと言ってんじゃねぇよ! 英雄っ!」



 ふと、声が響いた。今この場は、アリアたちの足止めによりグレイと白騎士以外、誰もいない筈だ。……いや、違う。1人だけいた。誰からも存在を忘れられ、ただ利用されて使い捨てられた男、ハルト。彼は瀕死の重体である身体を引きずって、無理やり立ち上がる。


「アリカ ブルーベルは、英雄なんだ! ……そうだ。俺とお前は違う! 俺はお前みたいにはなれない! 力とか才能の差じゃない。俺は力を手に入れても、結局、楽な方に流された。お前みたいにかっこよく、誰かの為に戦うなんて真似はできなかった!」


 ハルトは前世を思い出す。好きだったゲーム。『悠遠のブルーベル』。いい歳して、その主人公に憧れた自分。幼い頃、ヒーローに憧れた自分。才能や周りを言い訳にして、努力することから逃げ出した自分。……後悔、ばかりだ。


 だからハルトは、精一杯ただ叫ぶ。


「でも、お前は違うだろ? お前はどんなピンチでも、どれだけ大きな力を持っても! 決して折れず流されず、誰より前で戦い続けてきた筈だ! そんなお前が、神なんて都合のいい幻想に、惑わされてるんじゃねーよ! 解釈違いなんだよ! お前は、英雄なんだろ? お前は……お前は! 誰よりかっこいい、俺たちのヒーローだろっ!」


「……邪魔をするな。誰だ? お前は」


 蔑むような白騎士に、ハルトは言う。


「単なるモブだよ! 文句あるか!」


「興味はない」


「……え?」


 その瞬間、ハルトの身体が塵へと変わる。痛みすら感じるまもなく、嘘のような静けさでこの世を去るハルト。その姿を、グレイは黄金の瞳で確かに見届けた。


「…………腑抜けている、か、あのような男に気づかされるとはな」


 グレイは、泣きそうな顔で目を瞑る。目の前のハルトの死を、ただ胸に刻みつける。


「まさかお前ほどの男が、あのような男の言葉に流された訳じゃないだろうな?」


「……私はそもそも、そこまで大した男じゃない」


 グレイは懐かしむように長い金髪をかき上げ、言葉を続ける。


「魔剣の力を失い、酒に溺れた。周りの態度も酷かったが、私に落ち度がなかった訳じゃない。ティアやアニスを殺してやろうと、考えたこともある。今から思えば、もう少し彼女たちの気持ちを汲んでやればよかった」


 響く声に後悔が滲む。


「ミナナやリリィを救えなかった。騎士団の入団試験の時もこの前の色持ちの天使の時も、大勢の人間が死んだ。私は完璧などではない。……いつだって、失敗ばかりだ」


 グレイが真っ直ぐに白騎士を見る。その瞳に決して折れない強い意志を滲ませ、真っ直ぐに白騎士を見つめる。


「それは貴様も同じだろう? アリカ ブルーベル。そして、マリア フリージア。貴様たちは何人もの人間を救えず、実験などと称して沢山の人間を殺してきた。その罪は決して、なくなりはしない。英雄になろうと神になろうと、その事実は決して変わらない」


「だから私は、これから永遠の時間をかけてその罪を償う。千人の不幸は、万人の笑顔によって塗り替えられる」


「そしてそのまま、貴様にとって都合のいいだけの世界になる。違うか?」


「…………」


 白騎士は答えず、呆れるように息を吐く。しかしグレイは、それでも言葉を止めない。


「貴様は私と同じだ。結局、貴様はただ人が傷つく世界に耐えられなかっただけだ。痛みのない世界なんてものに、夢を見ているだけなんだよ。本来、人間とは傷つかないと生きてはいけない生き物だ。平和も安寧も幸せも、所詮は空想に過ぎない」


「それは強者の理屈だ。傷ついて立ち上がれない者の気持ちを、お前は──」


「他ならぬ貴様が、誰よりそういった人間を見捨ててきた筈だ!」


 グレイが剣を抜き、構える。


「我々の世界に永遠などない。常に抗い、贖い続けなければならない。……それに、こんな私を英雄だと信じてくれた男がいる。その期待に応えてやるのが、ヒーローとしての務めだとは思わないか?」


「……やはり、分かり合えないものだな。お前のような奴は、私の世界にはいらない」


「そんな理屈を振りかざしているようでは、貴様の程度も知れるぞ!」


「ほざけ! 紛い物がっ!」


 剣と剣がぶつかり合う。


「──っ!」


 すると何故か、今度は白騎士の方が吹き飛ばされる。力は優っている筈なのに、どうしてか今の一撃は重かった。


「神よ、世界を背負おうとする貴様に教えてやる。世界を生きる、人間の強さというものを!」


 グレイは高らかに宣言し、地面を蹴った。


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