第46話 神と女王



 教会の神の正体は、1体の天使である。彼女は天使として他に類を見ない思想を持ち、人類に歩み寄ろうとした。決して治せないと言われた傷や病を治すその力を、天使は人の為に使った。時間が経つごとに彼女を崇める人間が増え、気づけば多くの人間が彼女を神として信仰した。それが教会の成り立ちである。


 現在も、その神として崇められた天使は生きている。しかし彼女に、もう意志はない。人々に利用され使い捨てられた彼女は、抜け殻となりただ人々の祈りを集め、その祈りを還元し続ける。それが教会の治癒術の源であり、神の正体。


 『悠遠のブルーベル』というゲームでは、リリィルートでその神が目を覚まし、人類への復讐を開始する。他のルートであっても彼女の想いが溢れ、人の身体を冒すことがある。それをこの世界では呪いと呼び、同じ神を源とするその力は教会では治療できない。


 呪われた人間には神の意識が移り、身体が少しずつ変質していき、最後にはその意識まで乗っ取られる。人類を憎悪するその意識に、全てが乗っ取られてしまう。それを治すには、大元である神を殺すしかない。しかし神は、教会の最深部で厳重に保管されており、王女であろうと英雄であろうと簡単には近づくことはできない。


「ああ、やっと終われる」


 王城の一室に集められた何人もの人々。彼らは皆一様に、呪いを受けた人物だ。そこには四大貴族であるリーシィの母親や、商会の看板娘であるリリィの姿もある。


 彼女たちは女王の奇跡の力に縋り、この場にやってきた。ここにくれば呪いから解放してくれるという女王の言葉を、彼らは皆、疑うことなく信じていた。


「これで、やっと私も救われるのね」


 ゲームでは見たことがない程、やつれたリリィ。アリカ ブルーベルに惚れ、ハルトにも声をかけられていた少女。しかし、呪いを受けてから、彼女はもう自分のことしか考えられなくなっていた。日に日に冒されていく自分の身体に、彼女はずっと苦悩し続けた。


「……あ」


 集まった1人の人間の身体が、突如として風船のように膨らむ。人間爆弾となったハルトと同じように、その身体が急激に膨れ上がる。そしてパンっとまるで風船のように、その身体が弾け飛ぶ。


「救いだ! ようやく私たちにも、救いが!」


 縋るように誰かが叫び、また身体が弾け飛ぶ。連鎖するように、そのまま全員、血溜まりに沈む。あっという間に、この場にいた全員が赤い血に変わった。地獄としか言えない惨状。しかしそれが、女王の目的。



 呪われた人間が死ねば、どうなるのか。



 呪いは死んでもその場に残留する。消えることなく残り続ける。それは生きていた頃とは比べ物にならないほど、純度の高い神の力。それが同時に、これほどまでの量が集まるとどうなるか。


「……ちっ、間に合わなかったか、めんどくせぇ」


 血まみれの惨状を見て、ヴィヴィアは苛立ちを隠しもせず、舌打ちをする。


「ちょっ、お前これ何やってんだよ……」


「……いやいや聖女さん。これはちょっと、やり過ぎちゃうか?」


 そこに、分断されていたロウと聖天戒のザリが合流する。


「アホか。ボクがこんな下品な真似するかよ。それより、面倒なのが出てくるから止めるぞ? お兄さんが出て来れない状況でこいつに暴れられたら、この国は簡単に落ちる」


 ヴィヴィアが珍しく真面目な顔で、祈りを捧げる。


「我が祈りをそらに」


 そんなヴィヴィアの様子を見て、ザリとロウもすぐに意識を切り替える。


「我が祈りをあかに」


「我が祈りをそとに」


 2人は迷わず祈りを捧げ、魔剣を構える。ヴィヴィアの態度と周囲に漂う異常な空気を察知し、2人はすぐに意識を戦闘用のものに切り替える。


「……ああ。ああああ! ああああああ!」


 その瞬間、血溜まりの中から小さな翼が生え、怨嗟の声とともに真っ白な髪をした1人の少女が姿を現す。


「──貴女たちは、人間ですか?」


 怨嗟の声からは想像もできない、純白で無垢な少女。王女とはまた違う飲み込まれるような雰囲気。そんな少女を前に、ヴィヴィアは笑いながら言葉を返す。


「だったらどうだって言うんだよ」


「なら、死んでください。──我が力をきずに」


 そうして、戦いが始まった。



 ◇



「いい加減、つまらない真似は辞めたらどう?」


 グレイと白騎士の戦いが激しさを増し、白騎士の甲冑にヒビが入った直後。王座に座る女王マリアに、1人の少女が声をかける。


「……っと。君が1番乗りとは想像していなかったよ、ノア」


 やって来たノアを見て、女王は壊れたような笑みを浮かべる。


「そ。貴女のような人でも、想像してないなんてことがあるのね」


「そりゃ、私も人間だからね。何もかも想定通りとはいかないよ。そもそも大事な大元さえ狂わなければ、瑣末なことはどうでもいい」


「……貴女にとって、私は些末ということなのね? 女王陛下」


「些末なのは君だけではなく、私もだよ」


 女王は王座から立ち上がり、言葉を続ける。


「でも、ノア。君1人じゃ、私を殺せない。殺せないどころか、私に膝をつかせることすらできない。私と戦いたいのなら、せめてあと3人は必要だ。残念ながらね」


「随分と自信があるのね?」


「自信ではなく、事実だ。800年ものあいだ生き続けたマリアと、まだ20年も生きていない君では、深度が違う。アリカ ブルーベルのような規格外の才能や、或いは聖女さんみたいな狂気がないと、私には及ばない」


「だからって、ここで逃げるわけにはいかない」


「グレイの為に、かい? 君のそういうところは、愛おしくて好きだけれど、意味のないことはおすすめしないな。仮に君が私に勝ったところで、次の瞬間には私はここに座っている。君では、どうあっでも私を殺せない」


 女王はそこでまた、ガラスの魔道具に視線を向ける。


「それより君も、こっちで一緒に見ないか? ようやく、ようやく私の神が産まれる! 全てに終わりをもたらす英雄が、この世界にやって来る! 私の祈りが神へと届く! 教会のあんな紛い物ではなく、本物の神に、私はようやく──!」


「御託はいい! グレイにこれ以上、余計なことをさせないで!」


 ノアが魔道具を叩き割り、そのまま女王に斬りかかる。


「……っ!」


 その速度は女王の想定を超えており、左胸に剣が突き刺さる。女王の胸から、赤い血が溢れる。


「……もしかしたら、君が1番のイレギュラーなのかもしれないね、ノア。ゲームのシナリオにも私の策略にも流されず、ただ1人を想い続ける君。最初に殺すのは、ミナナではなく君の方だったのかもしれない」


 女王が血を吐きながら剣を構える。その身体は既に瀕死の重体ではあるが、彼女にとってそんなものは何の意味もなさない。死なない彼女は、痛みでも傷でも死であっても足を止めることはない。


「ここで、私が貴女を殺し尽くしてあげる」


 そんな女王を前にしても、ノアは少しも怯まない。


「……いいね。幕引きまでの、退屈しのぎにはなりそうだ」


 2人は同時に、地を蹴る。


「──我が祈りをゆめに」


 ノアが祈りを捧げる。それを見て、女王も小さく呟いた。


「──我が祈りをとわに」


 剣と剣がぶつかり、戦いが始まった。


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