第44話 剣の錆



 グレイの剣を受け止めたハルト。今さらハルトが出てきたところで、状況が変わる訳でもない。そんなことは、女王も承知している筈だ。なのにハルトは現れ、彼はグレイへの怨嗟を叫ぶ。


「死ね死ね死ね、死ねっ……!」


 ハルトが地面を蹴る。その速度は前に模擬戦をした時とは比べ物にならず、聖天戒であるアリアの反応が遅れる。


「……つ! どうして私を狙うんですかー!」


 ハルトの剣を弾き返し、距離を取るアリア。ハルトは既に正気ではないのか、今度はユズに向かって斬りかかる。


「ちょっ、え?」


 反応できないユズ。剣を構えることすらできないユズに、ハルトの剣が振り下ろされる。


「相手を間違えるな」


 そんなハルトの腕を、グレイが斬り飛ばす。しかしまるで上位の天使のように、瞬く間にハルトの腕が再生する。


「……やはり、何か混ざっているな。それも1体や2体ではない」


「ですねー。天使と他にいろいろ。あんな不気味な魔力は、私も見たことないですねー。……ほんと、女王の収集癖には反吐が出ますねー」


「手間取りそうですか? グレイさん、アリアさん。わたくしがあのナインガードの方を抑えている間に、2人であの人をお願いしてもよろしいですか?」


 優雅な仕草で短剣を構えたリーシィが、グレイとアリアを見る。しかしグレイは、首を横に振る。


「あの程度なら私1人で問題ない。いくら混ざっていようと、正気を失っているのであれば敵ではない」


 色持ちの天使は、狂気とは別に戦闘における天賦の才を持っていた。彼女は狂いながらも本能で、戦闘における最適解を選び続けていた。けれど目の前のハルトは、そうではない。


 偽物の成れの果て。女王の実験の失敗作。何者でもない誰か。そんな存在が、グレイに勝てる筈もない。


「俺なんて、敵じゃないとか思ってんだろぉ! 舐めてんじゃねーよぉ!」


 ハルトの身体から溢れ出す赤い血。それがまるで天使の魔界のように、辺りに広がる。ハルトの速度が更に上がる。


「それで、お前は満足なのか?」


 全てを両断するような、グレイの一刀。その一刀は先程までとは違い、冷たい怒りを孕んでいる。ハルトの握った剣は砕け、広がった血が霧散する。


「な、なんで……。どうして、俺は……」


「借り物の力ではそんなものだ。お前の力は全て、お前の身についていない。それでは私には届かない」


「……だったら、どうしろって言うんだよ! お前みたいになんでも持ってる奴が、俺を見下すんじゃねぇよ! 俺を……俺を嘲笑うな!」


「私が見下しているのではない。お前が自分を卑下しているのだ」


「……! 違っ……違う! 俺は……俺はまだ、諦めちゃ──」


 そこで何かに気がついたのか、ハルトの目の色が変わる。


「そうだ。俺はもう全部、諦めたんだ。諦めたのになんで俺、こんなことしてるんだ? ……もう疲れた。自分にも他人にも期待なんてしない。そう決めたのに、どうして俺はこんな……っ! 辞めろ! 辞めろ! 俺の頭の中で叫ぶんじゃねぇ!」」


 何もない虚空に向かって叫び、闇雲に剣を振り回すハルト。誰がどう見ても、戦える精神状態ではない。女王の実験によって狂わされた彼はもう、正気には戻れない。


「でも、だからこそ使える。やはり、女王陛下の仰る通りですね」


 リーシィの意識が自分から逸れた一瞬、アッシュはハルトに向かって魔剣を振るう。アッシュの能力。それはとても歪な洗脳。相手に小さな泡を吸い込ませ、それが負の感情を増幅させる。感情が増幅すればするほど泡は大きくなり、最後は弾けて死んでしまう。


「ハルトさん。貴方は美しさからかけ離れた人間でしたが、死に際くらいは美しく、咲いてみてはどうですか?」


「……!」


 この場に来る前から、大量の泡を吸い込まされていたハルト。実験で無理やり増強されたハルトの感情を餌に、その泡が膨れ上がる。ハルトの身体も、まるで風船のように──。


「全員、離れろ!」


 グレイがユズとリーシィを庇うように、抱きしめる。アリアは自身の魔剣の能力で辛うじて、距離を取った。ハルトの身体が弾け飛ぶ。まるで爆弾のように、頑丈に作られた周囲の建物ごと、辺り一帯を吹き飛ばす。


「ああ……あ、あああああああ!」


 そしてハルトは、天使の力で再生する。再生しながら、またその肉体が膨れ上がる。


「ひ、酷いっス……。ハルトさんはそりゃ、性格は悪かったっスけど……。でも、こんな目に遭うようなことは、してない筈っス……」


「戦場で善悪で物事を考えるのは、よくないですよー。今、目の前の脅威をどうやって排除するかー。それだけを考え続けるのが、優秀な兵士ですよー」


「……と、言われても、わたくしは兵士ではないですからね。素直に、反吐が出ますわ。女王マリアは腹の中でなにを考えているのか分かりませんが、王として民を慮っているのだと思っておりました。なのにこれは……」


「…………」


 グレイは静かに剣を構える。剣を握る手に、僅かに力が入る。


「人間爆弾。……美しい。なんて美しいんだ! 人の生の輝きを貴方は今、体現しています! 一瞬の輝きを永遠のものとするという女王陛下の思想を、貴方は誰より体現している! 何者でもなかった貴方は、こうして今! 英雄を害する敵となった!」


 酔いしれたように叫ぶアッシュ。しかし彼は、この程度でグレイを倒せるとは思っていない。こんなものは所詮、時間稼ぎにしかならない。寧ろここまで非道な行為は、グレイを怒らせるだけ。相手が悪役になればなるほど、グレイの英雄としての力が高まる。


「しかし、そうでなくてはならない。明日に予定していた虐殺ができなくなった今、我々は悪役として貴方の前に立たなければならない。そうでないと、貴方は簡単にあの白騎士に殺される。それでは、女王陛下の望みが叶わない!」


「……能書きは、それで終わりか?」


 この場でそれを認識できた人間は、誰1人としていない。速いなんてレベルではなく、斬られたアッシュは痛みすら感じなかった。


「ああ……美しい。貴方はやはり、そうでなければならない。全てを引きつれた復讐者などではない。貴方は正しく、英雄だ」


 アッシュの首が飛ぶ。ハルトと同じように……いや、それ以上に天使と混ざっている彼の再生力は、ハルトの比ではない。なのに、たった一刀で勝負がついた。


「……ヴィヴィアさんから話は聞いてましたけどー、やっぱりちょっとレベルが違いますねー」


「……そうですわね。これ、わたくしたちがついてくる必要ありました?」


「多分それは、これからなんだと思いますよー」


 グレイが少し本気になっただけで、簡単に戦況が変わる。アッシュが倒れた今、洗脳が解けたハルトの身体は糸の切れた人形のように倒れる。


「……お前を赦した訳ではない。が、今は眠れ」


 グレイはそんなハルトを受け止め、建物の影に運ぶ。


「ちょっ、ちょっと誰か、手を貸して欲しいっス。あたし、腰が抜けちゃって上手く立てないんス」


「貴方は本当に緊張感のない方ですねー」


 ユズに手を差し伸べるアリア。それを近くで眺めるリーシィ。そして、倒れて眠るハルト。


「…………」


 グレイは、血のついた大剣を静かに眺める。人を殺したのは初めてではない。アリカ ブルーベルの時から数えれば、両手どころか3桁でも効かない程の人間を殺してきた。他国との戦争。天使に内通した者や、騎士団を襲撃したテロリスト。騎士団に入団した以上、その手の仕事もこなさなければならない。


「何が英雄だ」


 しかし、彼は一度たりとも人の死を肯定したことはない。後悔はないが、それが赦されることではないと、彼は誰より自覚している。


「前座は終わったようだな。少しは剣が研ぎ澄まされたか? グレイ」


 そして、堂々と1人の男が姿を現す。不意をつくなんて考えは微塵もなく、それこそ正しく英雄としての佇まいで白い騎士が剣を構える。


「……ようやく来たか」


 グレイは大剣についた血を払い、静かに地面を蹴った。


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