第41話 決戦前夜



 ロウを連れ、無事に教会に戻ったグレイとヴィヴィアを見て、ノアたちは安堵の息を吐いた。教会の治癒術で万全にまで回復したロウ。そんなロウを交え、遅くまで今後の対策を話し合った。


 貴族を巻き込んだ大規模な武装蜂起。少数精鋭での、女王の暗殺。他にも様々な案が出たが、結局どの案も決定打に欠け、1つの案に絞り切ることができなかった。


 女王を守護するナインガードの能力。不死身と言われる女王を打ち破る方法。未だに全容の見えない、女王の策略。そして、あの白い騎士。分からないことも多く、情勢もよくない。グレイが天使に内通していたという噂は既に国中に広まっており、ノアやロウたちですら迂闊に街を歩くこともできない。


 そんなストレスが貯まる環境で、これ以上ダラダラと会議をしても埒があかないというヴィヴィアの発言で、しばらく休憩を取ることとなった。


 そんな状況でも、グレイは変わらず教会の奥にある人も物もない静かな部屋で、淡々と素振りを続けていた。


「相変わらずね、貴方」


 そこでふと、呆れたような声が響く。


「……ノアか」


 グレイは剣を止め、静かにノアを見る。


「お前は休んでおいた方がいい。いつ戦いになっても、おかしくない状況だ」


「それを言うなら、貴方もじゃない」


「私に休息は必要ない」


「それは貴方が英雄だから?」


「……違う。そうあるべきだと、私が私に課しているからだ」


 事実、グレイとして目覚めてから、彼は一度も睡眠を取っていない。祈りの結晶として生きるグレイは、余分なものを全て削ぎ落としている。


「前から思ってたんだけど、貴方がそこまでする理由って何なの?」


「…………」


 グレイは答えず、ノアは言葉を続ける。


「貴方はアリカ ブルーベルの意思を継いでる。だから、皆を助けたいと願うのは分かってる。実際、色持ちの天使が襲撃してきた時は、貴方は誰より勇敢に戦った。でも……今回は違うでしょ?」


 窓から溢れる月明かりの上を、ノアは静かに歩く。


「あの女王が何を考えているのか、私には分からない。でも、貴方がそこまで女王を恨む理由も、私には分からない。女王は貴方に執着しているけど、国民を害そうとは思っていない。違う?」


「お前は……いや、そうか。無駄な心配をかけたな」


 グレイは小さく息を吐く。甲冑の奥の瞳が、少しだけ優しい色を灯す。


「ミナナ ストックという少女を知っているか?」


「……知らないわ。もしかしてそれが、貴方の彼女なの?」


「ミナナは私の妹だ。ヴィヴィアの次に私を見つけたのが、あの少女だった」


「…………」


 妹とファミリネームが違う。貴族社会では珍しくない事情を察し、ノアは余計な口を挟まない。


「あいつは……あいつはお前と一緒で、私のことを心配する数少ない人間だった。復讐なんて辞めて、英雄なんて捨てて、一緒に逃げようとあいつは言った。……私が魔剣の力を失った時も、同じようなことを言ってきた。私は相手にしなかったがな」


「その人は今、どうしているの?」


「殺された。まるで見せつけるように、首を刎ねた死体が私の部屋に置いてあった」


 ミナナは『悠遠のブルーベル』にも登場した、メインヒロインの1人だ。そのヒロインのルートだけ他のルートとは毛色が異なり、唯一、アリカ ブルーベルが英雄としての在り方を捨てる。女王はそれを恐れた。


 そんな事情を知らないグレイは、それを女王からの挑発と受け取った。逃げるなら、他の人間も同じ目に遭うと。


「正直、ティアやアニスを殺そうと考えたことも、少なくない。或いは私に直接手を下したヴィヴィアを、憎んだこともある」


「……意外ね。貴方はもっと高潔で、高い視点でものを考えているんだと思ってた」


「そうあるべきだと、心がけているだけだ。……ティアやアニスを殺して私の溜飲を下げても、誰も幸せにはならない」


「それは、貴方も含めて?」


「ああ。復讐とは得る為ではなく、失くす為に行うものだ。憎悪を失った私では、あの女には勝てない。あの女がいる限り、私に平穏はない」


 ノアは知っている、才能に恵まれた人間の苦悩を。ノアはグレイ……アリカ ブルーベルほどではないが、魔剣使いとしての才能がある。ティアやアニスだって、そうだ。彼女たちも本質的には、理解できていた筈だ。


 才能は人を幸せにしない。凡人であるが故に抱える苦悩を、天才は知らない。しかし天才が抱える苦悩を、凡人は決して理解できない。


 他に並ぶ者が居ないとされる、最強の英雄。その苦悩を真に理解できる者は誰もいない。……いや、いるとすれば1人。800年もの間、王座に座り続ける狂気の魔女。或いは彼女は理解しているからこそ、ただ……。


「楽しそうなとこ悪いけど、2人にちょっと大事な話」


 そこでヴィヴィアがいつも通りの笑みを浮かべ、2人に声をかける。


「貴女が休みたいって言ったのに、こんな所で何してるのよ、聖女さん」


「怒るなって。乙女な顔した女の子の邪魔をするほどボクも野暮じゃないけど、ちょっと気になる情報が入ってね。大事な話があるんだよ」


「大事な話?」


 訝しむノアをよそに、ヴィヴィアは言葉を続ける。


「王城に、動きがあったみたいなんだよね」


「お前、王城にも間者を送っているのか?」


「まあね、教会としても女王の動きは無視できないから、かなり前から何人か潜ませてる。……まあ逆に、女王の部下が教会に入り込んでるかもしれないけど、大抵はボクが殺してるからそっちは問題ないと思うよ」


 ヴィヴィアは流し目で窓の外を眺める。欠けた月は、今日も当たり前のように空に座している。


「あの女……女王はね、教会と戦争をするつもりだ」


「────。それ、本当なの?」


 ノアが驚きに目を見開く。


「今さらこんな嘘つくかよ。貴族が私兵を集め、騎士団とナインガードも勢揃い。早ければ明日にでも、大攻勢を仕掛けるつもりだ」


「勝算は?」


 グレイの問いに、ヴィヴィアは首を横に振る。


「勝ち目はないね。まあ、お兄さんがあの白騎士を抑えてくれるのを前提としても、ちょっと厳しいのが現実かな。ナインガードと聖天戒は、互角かこっちがちょっと上。でも、他の兵の差がデカいな」


「お前が前線に出れば、数の差はどうとでもなるだろう?」


「まあね。でもそれは、女王が前線に出なかったらの話だ」


「……なるほど。話というのはそういうことか、ヴィヴィア」


「理解が早くて助かるよ、おにーいさん」


 ヴィヴィアは笑う。グレイは変わらず、静かにヴィヴィアを見る。


「ちょっ、どういうこと? 貴方たち、話のペースがおかしいわ。もっと分かりやすく、説明して」


「この女は今晩のうちに、女王の暗殺を決行するつもりだ」


「────」


 ノアがまた、驚きに目を見開く。


「貴女、それは散々会議で否定してきたじゃない。王城の警備は厳重で、そもそも不死身である女王を殺す手段がないって」


「そ。でも、それ以外にもう手がない。欲しいコマはある程度、手元に揃った。これ以上時間をかければ、不利になるのはこっちだ」


「でも……」


「ロウとユズの能力か」


「流石はお兄さん、その通り。あの2人は戦力としては使い物にならないけど、魔剣の能力だけは使える。逆にこういう状況じゃないと、使い物にならないとも言えるけど」


 ヴィヴィアはグレイの甲冑に触れる。その奥にある何かを確かめるように、一瞬だけ目を瞑る。


「ボクとお兄さんとそこのお嬢さん。それに、ロウくんとユズちゃん。あとは聖天戒から、アリアとザリ。そして、グロキシニアのお嬢さん。その8人を2つの班に分けて王城に攻め入る」


「グロキシニアの少女まで、連れて行くのか?」


「あの子、並の魔剣使いよりずっと強いし、何よりあの能力はナインガードと相性がいい」


 ヴィヴィアはグレイから手を離し、2人に背を向ける。


「ボクは今から、他の連中にもこの話をしてくる。3時間後には、王城に向かう予定だ。それまで、ちゃんと休んでおきなよ?」


 ヴィヴィアがこの場から立ち去る。ノアは身体に溜まった疲労を吐き出すように、大きく息を吐く。


「あいつって、いつもああなの?」


「そうだ。強引だか、判断は的確だ」


「そ。なら、信じるわ」


 ノアはもう一度息を吐き、真っ直ぐにグレイを見る。


「もしね、その……女王を倒せたら、貴方はどうするつもりなの?」


「……さあな。先のことは考えていない」


「じゃあね、その……私と一緒に、旅をしない? 2人でいろんな国を見て回るの。それって凄く、楽しいと思わない?」


「…………」


 グレイはまるで、時が止まったかのように黙り込み、遠い過去を見つめるように少しだけ目を瞑る。


「そうだな。それも、悪くないかもな」


 グレイはゆっくりとノアに近づき、その頭に優しく手を置く。


「ありがとう、ノア」


 それだけ言って、グレイはまた素振りを再開する。


「……うん、約束だからね」


 ノアは顔を赤くしながら小さく呟き、決戦までグレイの素振りを眺め続けた。


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