第37話 過去
ロウ ベルフラワーは、自分が何も持っていない人間だと、自覚していた。
両親の顔も覚えていない。赤子の頃に教会に捨てられ、孤児院で育った。しかしその孤児院も、自分の居場所とは言えない。秘術への適性。魔剣の能力と深度。そのどれもが平均以下。魔剣の能力は特殊ではあったが、それでも執行機関に入れる程のものではない。
外見が特別いいわけでも、人当たりがいい性格なわけでもない。そんなロウは気づけば孤児院でも孤立し、周りから疎まれるようになっていた。
……けれどロウは、別に構わない思った。
大切な人間なんて誰もおらず、自分のことにも興味がない。明日死んでもなんの後悔もなく、生きたいと思える程の希望もない。だから別に、疎まれようとどうでもいい。関係ない。
そんな冷めた態度のせいか、ロウへの虐めは更に過酷になっていった。ロウはそれに気まぐれで反発し、折檻をしようとした大人に抵抗し、結局、逃げるように教会から出て行った。
それから、行くあても頼る人間も居ないロウは裏社会へと身を投じ、金で雇われ要人を殺す暗殺者となった。その生き方はロウにとっての天職だった。余計な繋がりが必要なく、金と剣だけが全て。強さを競う訳ではなく、狡猾さと我慢強さだけが求められる。
要人を待ち伏せる為、ドブの中で何時間も潜むようなこともあった。護衛の人間と鉢合わせ、殺されそうになったこともある。でもそれが、ロウに生きているという実感を与えた。
そして彼に、とある英雄の暗殺の依頼がきた。
この国に生きている人間で、知らぬ者がいない最強の英雄。その英雄が魔剣の力を失い堕落した。今なら殺せる筈だと、彼に恨みのある人間から多額の報酬を提示された。チャンスだと思った。貴族の血を引き全てを持って産まれた人間を殺せば、何も持たず親の顔すら知らない自分にも、何か意味を見出せるかもしれない。そう思い、ロウはその依頼を引き受けた。
英雄は酒に溺れ、一日中部屋に閉じこもっていた。これなら簡単に殺せると、ロウはそう確信した。
夜。寝静まった頃。音もなく家へと侵入し、ベッドへと近づく。そこに眠っている男を、ただ刺し殺すだけ。偉いだけの貴族を殺すより、よっぽど楽だ。魔剣の力もなく、酒に溺れるだけの男を殺すのなんて子供でもできる。
……そう、思っていた。その瞬間まで、ロウは気がつかなかった。
「──何の用だ?」
気だるそうに、ただベッドに腰掛けた英雄。けれどその瞳は、まるで奈落のように深い。見る者全てを萎縮させる暗い瞳。知らず、剣を握る手が震える。
「立ち去れ。お前のような男を相手にしているほど、暇ではない。己の虚無は己で埋めろ」
こちらの心を見透かしたような言葉。気づけばロウは、逃げ出していた。嫌なことから逃げるのは、いつものことだ。任務の失敗もよくあること。……けれど、怖いと思ったのはあれが初めてだった。
魔剣を失い堕ちた英雄。殺し合いになれば、勝つのは自分だ。そう思うのに、どうしてか身体が動かなかった。……思えば、当たり前のことだ。自分と同じように英雄の暗殺を請け負った人間は、何人もいる筈だ。それなのに誰も彼を、殺せていない。彼は、酒に溺れる余裕すらある。
「あんな男もいるのか……」
憧れとはまた違う、羨望。落ちぶれてもなお、失いわない瞳の輝き。濁った世界で生きてきた自分では決して届かない光。暗い奈落の底のような瞳の奥の、あの全てを見通すような黄金。
「英雄、か」
それからしばらくして、英雄は処刑された。ロウはその真実が知りたくて、騎士団に志願した。
「……っ」
そこで、ロウの意識が戻る。柄にもなくユズを庇って、そのまま騎士団に連れていかれたロウは、酷い折檻が受けていた。或いは自分が教会の出身でなければ死んでいただろうなと、皮肉げに口元を歪める。
「聞けっ! この男は裏切り者である新団長であるグレイと手を組み、悪事を働いていた!」
騎士団内部にある広場。そこに集まった団員達を前に、1人の男が演説をしている。ロウはその男の足元で、手足を縛られ倒れている。
「……こんなもんかよ」
と、ロウは思う。騎士団になったのは、ほんの気まぐれだ。英雄の光に当てられた気の迷い。クビになるならなるで、それでいい。殺されるのだとしても、別に構わない。ロウは今でも、そう思っていた。
……でも、グレイとノアのお溢れだとしても自分のような人間が、あの騎士団に入団できた。赤い血とヘドロしかない地獄の底を、抜けたと思った。けれど見えたのは、この景色。グレイが天使に内通していたなんて、そんなことはあり得ない。誰が聞いても嘘だと分かる。
なのに、女王が言っているというだけで、半数以上がグレイを疑い、もう半数もよく分からない魔剣の力で洗脳された。国を守る騎士団も、権力者の手にかかればこのざま。
あの眩い英雄だって、その権力に逆らえず殺された。出る杭は打たれる。自分のような小物は、その巻き添えで殺される。そのつまらなさが、この世界の全て。
「……まあでも、洗脳されてグレイに剣を向けるよりはマシか」
別に特別、親しい訳じゃない。けど、なんていうか……あの男の期待を裏切るような真似は、したくなかった。
「裏切り者に内通していた者も、処刑しなければならい! オレたちナインガードは女王陛下の剣であり、その剣は女王陛下の意思によって振るわれる!」
「……っ! いちいち蹴るなよ、痛てぇな。殺すなら殺すで、さっさとしろよ」
「はっ、威勢だけはいいな、ほんと。……気にいらねぇ。だが、まあいい。もうしばらく、お前にはここで遊び相手になってもらう。英雄を誘き出す為の餌としてなぁ!」
「お前っ! ぐっ……!」
皆の前で執拗に蹴りつけてくる男。ロウは痛みには慣れているが、それでもここまで執拗に折檻を受けることは中々ない。何が、この男をここまで苛立たせるのか。ユズを庇ったことが、そこまで気に入らないのか。それともどこかで、会ったことが……。
「レオン。……ああ、そうかお前、あのレオンか」
「……っ」
その言葉を聞き、レオンと呼ばれていたナインガードの男の目の色が変わる。
「同じ孤児院だったな、確か。なんだよ、お前だったのかよ、弱虫レオン。お前、昔は俺と一緒によく虐められてたのに、随分と出世したじゃ──」
「黙れっ! オレの過去を語るんじゃねぇ!」
今までにないくらい強く蹴り飛ばされ、一瞬、ロウの意識が飛ぶ。既にほとんど、身体の感覚がない。
「オレはお前が嫌いだった! だがなぁ、お前のような底辺がいたから、オレは自分を卑下せずに済んだ! それがなんだ? 女を庇って、英雄みたいな真似をして、気持ち悪いんだよっ!」
「……はっ、嫉妬か?」
「黙れ!」
折檻は続く。グレイがやって来る気配はまだない。
「……ま、今さらお前のことなんてどうでもいい。お前は英雄を呼ぶ為の餌でしかなねぇ。オレが英雄を殺し、オレの価値を証明する。テメェみたいな小物は、単なる踏み台でしかねぇんだよ」
「殺す? お前が、グレイを……? ……はっ、無理に決まってんだろ、馬鹿が。器が違うんだよ……ぐっ!」
「黙れよ、だから。……くそっ。いくら待っても、来やしねぇな。わざわざあの小娘を逃してやったのは、英雄を誘き出す為なんだけどな。こんなことなら、あっちの小娘をさらって遊んでやった方が、ずっと楽しかっただろうな? おい!」
「下種が、モテないのは昔からの変わらねーな」
響く鈍い打撃音。ロウの意識は既になく、それでもレオンの手は止まらない。……ふと響いた、声がなければ。
「何をしている、貴様」
騎士団の広場に踏み入った、黒い甲冑の男が問う。
「ようやく来たかよ。あんまりおせーから、殺しちまったじゃねーかよ、英雄」
と、レオンは楽しげに口元を歪めた。
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