第36話 不運



「た、大変っス! 一大事っス! このままだと、ロウさんが殺されるっス!」


 そんな声が部屋の外から響き、ユズと聖天戒の少女アリアが姿を現す。


「ごめんなさいー、ヴィヴィアさん。ちょっと失敗しちゃいましたー」


「アリアがしくじるなんて珍しいな。よっぽどいい男でもいたのか?」


 頭を下げるアリアに、ヴィヴィアはからかうような視線を向ける。


「ちょっとー、面倒な連中が出てきちゃいましてー。1人ならまだしても2人もいてー。しかもこの子達を守りながらとなると、厳しいものがありましてー。1人、攫われちゃいましたー」


「……ナインガード、か。思ったよりも手が早いな。あの女はどこまでこっちの手札を読んでいるのか」


 ヴィヴィアはまた楽しそうに笑って、机の上のリンゴをかじる。


「ちょっ、リンゴなんて食べてる場合じゃないっス! ロウさんはあたしを庇って、連れてかれちゃったんスよ!」


「落ち着きなさい、ユズ。第一、どうして貴女がここにいるのよ?」


 今にも泣き出しそうなユズに、ノアが言う。


「それはボクが頼んだから。今後、必要になると思ったんだよね。気軽に使い捨てできる、融通の効くコマが」


「あたしは、コマなんかじゃないっス!」


 ヴィヴィアに向かって叫ぶユズ。けれどユズとヴィヴィアの実力差は、天と地ほどもある。ユズがどれだけ足掻いても、ヴィヴィアに傷1つ付けることができない。それを理解しているユズは、それ以上なにもできない。


「まあなんにせよー、あの人……ロウさんは諦めた方がいいですねー。ちょっと剣を交えただけですけどー、あの2人は相当強かったんでー。今から追いかけても、どうすることもできないですねー」


「そんな……」


「決めつけるのはまだ早いわ。貴女たちがどういう理由で襲われて、ロウがどこに連れて行かれたのか。それさえ分かれば、どうとでもなる筈よ」


 気落ちするユズをノアが慰める。


「まあ、こっちにはアリアとボクがいるし、何よりお兄さんがいるからね。戦力的に見れば、まず負けることはないだろう。……でも、あまり英雄の価値を下げられると、今後のシナリオに悪影響が──」


「関係ない。私が出る」


 ヴィヴィアの言葉を遮り、言い切るグレイ。


「私は、辞めた方がいいと思いますよー。多分、場所は騎士団の本部だと思いますけどー。今頃ロウさんはー洗脳されて抜け殻になってるか、殺されてると思いますよー」


「騎士団の本部か、分かった」


 そのまま当たり前のように、部屋から出て行こうとするグレイ。


「グレイさんが行くなら、あたしも行くっス!」


「それなら私も行くわ。相手が2人なんだったら、こっちも数が多い方がいいしね」


「いや、待て待て待て。……こんなことになるなら、余計な連中は見捨てるべきだったかな。ま、いいか。行くならボクとお兄さんの2人。他の連中はそこのグロキシニアのお嬢さんと、今後の対策でも考えておいてよ。ほら、行こうぜ? お兄さん」


「ちょっ、貴女勝手に──」


「アリア。こいつら適当に止めといて。それで今回の失敗は帳消しにしてやる」


 ノアの言葉を遮ったヴィヴィアの冷たい声に、アリアは小さく頷きを返す。


「やっぱりヴィヴィアさんは、優しいですねー。……我が祈りをいとに」


 その瞬間、この場のグレイとヴィヴィアを除く全員の動きが止まる。


「さて、行こうかお兄さん。……可愛い子たちには、見せられないような状況になる前にね」


「…………」


 楽しそうに笑うヴィヴィアに返事をせず、グレイはそのまま部屋を出て走り出す。ヴィヴィアもその背に続く。


「お兄さんさ、前に……1番最初に言ったと思うけど、今のお兄さんが絶対にやっちゃダメなことがあるんだよ。いくら今の状況がゲームのシナリオから逸脱してるといっても、バッドエンドのフラグは立てちゃ駄目なんだよ。どういう理由であれ、それはとても危険なことだ」


「…………」


 グレイは言葉を返さない。ヴィヴィアは言葉を続ける。


「今のお兄さんは、英雄の祈りと憎悪でできている。その両方があるからこそ、お兄さんはお兄さんとして生きられる。だからさ、英雄としてのお兄さんを貶める行為は、あまりしない方がいいんだよ。無辜の民を殺すような選択肢を選ぶと、基本的にはバッドエンドにしかならない」


「お前の言葉は、相変わらず理解しにくい」


「むやみやたらに人を殺すなってこと」


「お前に言われずとも、そんな真似はしない」


 言い切って、更に走るスピードを上げるグレイ。


「ほんとに、分かってんのかな……」


 そんなグレイを、ヴィヴィアは珍しく不安そうに見つめる。


 『悠遠のブルーベル』というゲームのバッドエンドは、そのほとんどが英雄の孤立から産まれる。強すぎる力。正しすぎる在り方。そのせいで孤立し、仲間を救えずバッドエンド。それが1番、多いパターン。そして次に多いのが、罪のない人間を殺すような選択肢を選んだ場合。その場合でも、アリカが自分の力を信じられなくなりバッドエンドとなる。


 転生者である女王もまた、それを理解している。だから彼女は、グレイをそういう状況に追い込もうと考えている。ヴィヴィアはそう、予想していた。


「英雄としてのお兄さんは無敵だ。けど、復讐者としてのお兄さんがそうだとは限らない。魔剣の深度は、その祈りによって変わる。お兄さんの信念が変われば、その剣も変わる」


「曲がりなりにも、国と国民の為に動いている女王を殺すとなった時、私の剣がどうなるのか。それは私にも、分からない。……だが、私は必ず私の目的を叶える」


「ミナナちゃんの為に、かい?」


「…………」


 その問いにグレイは何の返事もせず、騎士団の本部までただ黙って走り続けた。



 ◇



 騎士団内の倉庫。薄らと埃が溜まっているその一室から、叫ぶような怒号が響く。


「オレはよぉ! お前みたいな男が嫌いなんだよ? どうしてだか分かるか? なぁ、おい!」


 両腕を縛られ地面に倒れたロウを、1人の男が蹴り飛ばす。


「弱い癖に女を庇っていい格好してよぉ! そういうの見てると腹が立つだよ! 身の程を弁えろ!」


「……んだよ、モテないからって嫉妬か」


「そういうとこだよ! 弱い癖に粋がるなよ! そういうところが、腹立つんだよぉ!」


 更に数度、蹴り飛ばされ、ロウの口から赤い血が溢れる。それ以外にもロウの身体はあちこちから血が流れ、このまま放っておくとまず間違いなく死んでしまうだろう。


「相変わらず美しくないですね、リオン。女王陛下を守護するナインガードとしての誇りはないのですか? 貴方」


「……アッシュか」


 音もなく倉庫にやって来た髪の長い男を、リオンと呼ばれた粗暴な男が睨む。


「女王陛下は騎士団の人間には手を出すなと、そう仰っていました。英雄を弱体化させる為に、彼らが必要なのだと」


「だか、こいつらは教会の人間……それも、聖天戒の人間がわざわざ連れて行こうとしていた奴らだ。何か知ってることがあるかも知れねぇ」


「だから、拷問ですか? 全ては女王陛下の手のひらの上。貴方や私が余計なことをする必要はないんです。お分かりですか?」


「はっ、だったらこうやって俺がこいつをいたぶるのも、女王陛下はご承知の上ってことじゃねーか。手のひらの上なんだったらよぉ!」


「ぐっ……!」


 蹴り飛ばされ、血反吐を吐くロウ。アッシュと呼ばれた青年は、その血がかからないよう2人から距離を取る。


「だいたいお前も思うだろ? 英雄、アリカ ブルーベルの生まれ変わり? 色持ちの天使を単独で倒した? どんな眉唾だよ、そりゃ」


「女王陛下の言葉を疑うのですか?」


「まさかまさか、それはねぇよ。ただ、女王陛下はあの男にご執心だ。オレらが死反吐を吐きながら耐えてきたあの人体実験は、あいつのコピー……あの白騎士様を作る為のものだった! あれがあれば、オレらはもう必要ねぇってことだ! 気にいらねぇよなぁ! おい!」


 近くの木箱まで壊す勢いで蹴り飛ばされるロウ。それほど大きな物音を立てても、騎士団の人間は誰一人として現れない。


「私は報告の為、女王陛下の元に戻ります」


「そうかよ。オレはここで、もう少しこいつで遊んでいく。こうしてりゃ、英雄様が遊びにきてくれるかもしれねぇからな!」


「貴方では、彼には勝てませんよ」


「どうかな? お前の能力……騎士団の連中にかけた催眠は、かなり深いものなんだろう? そいつとこのボロキレみたいな男を使えば、存外、上手くいくかもしれねぇ。ここでオレが英雄を殺せば、女王陛下もさぞ喜んでくれるだろうよ」


「……そうですか。まあ、ほどほどに。引き際を見誤らないようにしてくださいね。英雄ならまだしも、表立って教会と揉めるのは得策ではありませんから」


「分かってるよ」


 アッシュと呼ばれた男がその場から立ち去る。


「……くっ」


 ロウはそんな状況でも何もできず、ただ自分の不運を呪うことしかできなかった。


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