第38話 憎悪
騎士団の広場に踏み入った甲冑の男、グレイ。直前まで側に居たヴィヴィアの姿はなく、彼は1人で広場に集まった数百人の騎士団員と相対する。
「おら、オメェら! 裏切り者がのこのこやってきやがったぜぇ!」
響く声。それに呼応して、団員たちが魔剣を発動する。彼らにかけられた洗脳は、意識を全て奪い傀儡とするなどという強力なものではない。いくらナインガードの人間でも、これだけの魔剣使いを自由自在に操ることはできない。
彼がしたのは悪感情の増幅。素顔を隠し続けるグレイに対する疑念。入団してたった半月で団長にまで上り詰めた男への嫉妬。団員たちは皆、少なからずグレイへの悪感情を持っており、洗脳によりその想いが増幅された。
その結果、女王にとって都合のいい傀儡になっているということを、彼らは自覚していない。アリカ ブルーベルを処刑にまで追い込んだあの時から、彼らは何も変わっていない。
『天使に内通して力を貰った偽物が』『貴族に媚を売って団長になっただけの癖に』『少し強いからって、調子に乗って見下してきやがって』『お前さえいなければ、俺が団長になってたかもしれないのに……』『英雄なんて呼ばれていい気になってんじゃねーよ!』
渦巻く憎悪。抑えることのできない暗い感情。疑惑。疑念。嫉妬。周りの人間の言葉で、更に深まる催眠。いつ誰が斬りかかってもおかしくない空気。
そんな騎士団の人間を煽るように、ナインガードのレオンは、一際大きな声を上げる。
「お前らの憤りはもっともだ! そこの男はもう、騎士団の団長などではない! 女王陛下に剣を向けようと考えている大罪人だ! 正義はお前たちにある! 剣を向けることを恐れるなっ!」
その言葉を合図に、その場の全員がグレイに向かって走り出す。響く怒号。そんな中で、小さくそれでいてよく通る声で、レオンは言う。
「……そこの連中は全員、被害者だ。無理やり洗脳され、自分の意志を失っている哀れで善良な人間だ。中には、お前の味方をしていた奴も少なくねぇ。それをお前は斬れるのか? 英雄から悪鬼に落ちる覚悟が、本当にお前にあるのか?」
「…………」
迫る剣。洗脳され操られている騎士団の人間。色持ちの天使を単独で撃破したあの時のグレイなら、剣の一振りでここにいる人間全員を皆殺しにすることができる。
……しかしそれは、英雄の力。自身の力を疑うことなく信じたからこそ、グレイはあそこまで強くなれた。
女王から英雄の話を聞かされていたレオンも、それを理解していた。故に考えたこの状況。英雄は無辜の民を斬れない。斬ってしまえば、その刃は鈍へと変わる。そして心が揺らいだタイミングでロウを殺せば、英雄の心にも多少の傷がつくだろう。英雄はたとえこの出来損ないでも、死ねば悲しむような性格だと女王から聞いてる。
そうなれば、レオンにも勝ち目が出てくる。
「……それまでちゃんと生きてろよ、出来損ない」
レオンが下品な笑みを浮かべた直後、声が響いた。
「──退け」
とても静かな声だ。けれどその静けさに、怒りと……そして憎悪がこもった声。兜の隙間から見える眩く深い、奈落のような瞳。知らず、騎士団員の手が止まる。
「お前たちは、何の為に剣を取った? 女王の犬になりたいのなら、王城で首輪でもつけていろ」
「……っ」
身体が石になったように、動けない。洗脳よりもずっと深い、根源的な恐怖。英雄とはまた違う底の見えない暗い瞳。蛇に睨まれた蛙のように、誰も指先1つ動かすことができなくなる。
「もう一度、言う。……退け」
心臓を潰されたのかと錯覚するほどの恐怖。ここで従わなければ、確実に殺される。そんな恐怖に、1人の団員が思わず道を開ける。それを見たもう1人の人間がまた道を開け、いつしかグレイの前にいるのはレオン1人だけ。
「……んだよ、これ。どうなってんだよ! 何やってんだよ、お前ら! そいつは女王陛下に仇なす悪人なんだぞ! 何を……何を惚けている! 騎士団の人間としてのプライドがないのかっ!」
響く声。けれど、悠然と歩くグレイ以外、誰も動こうとしない。
「お前は、ナインガードの人間か。このつまらない状況も、あの女の策略か?」
「……なんだ、その目は。その見下したような目は! お前みたいな人間が、オレは1番嫌いなんだ!」
「質問に答えろ。これはあの女の策略か?」
「くそっ、どこまでも見下しやがって……。もういい。もういい。もう辞めだ! どうして女王陛下はこんな男に拘るんだ。……どうして誰も、オレを見ねぇ! オレの何が駄目だって言うんだよぉ!」
「…………」
グレイが静かに鞘から剣を抜く。それを合図にするかのように、レオンが祈りの言葉を叫ぶ。
「我が祈りを
瞬間、まるで天使の魔界のように辺りの空気が変わる。レオンの肉体も血液が全て抜け落ちたかのように白くなり、瞳の色が真っ赤に変わる。
「これがオレたちナインガードの力だ! お前たち人間とも天使とも違う、選ばれた存在だけの力! 英雄なんかに遅れはとらねぇ!」
グレイが斬りかかろうとしたタイミング、レオンは笑う。
「……なんて言わねぇよ、ばーか。『お前ら、そこの甲冑の男を殺せ』」
その言葉を合図に、止まっていた騎士団の人間がグレイに斬りかかる。刃と甲冑がぶつかり、甲高い音を立てる。
「あはははははははっ! いい気味じゃねぇかよ、英雄! さっきはどんな手品を使ったか知らねぇが、オレの力の前じゃ意味はねぇ! どんな人間もオレの言葉には逆らえねぇんだ!」
レオンの魔剣の能力。それは声による行動の強制。今のように他人を操ったり、自身や味方を鼓舞することでその能力を底上げできる。応用力の高い力。
それを、長い人体実験で組み合わさった天使の力で補強し強化した。単なる戦闘能力でも普通の魔剣使いとは比較にならい力を持つレオンは、その能力を使えば単独で天使の大群とだってやりあえる。
「おっと、動くなよ? 英雄。お前が少しでもおかしな真似をすれば、このぼろ切れの命はねぇ。いくらお前が速くても、この距離じゃオレがこいつを殺す方が速い」
そしてレオンは狡猾に、ロウを盾にグレイから距離を取る。彼は短気ではあるが狡猾で抜け目ない。そういうところを買われ、彼はナインガードとして取り立てられた。
「だからよぉ、ぼろ切れ。お前がこそこそ何か考えてんのも、分かってんだよ。……『ロウ ベルフラワー。お前は何もするな』」
「……っ!」
既に意識を取り戻し、反撃の機会を窺っていたロウ。しかし簡単にそれを見透かされ、先手を打たれる。弱い人間を相手にする暗殺業を続けていたロウと、ナインガードとして訓練を続けていたレオン。その経験の差は歴然だ。故にロウの考えは、当然のように見透かされた。
「昔馴染みのよしみだ。お前には特等席で見せてやるよ、ロウ。お前が信じた英雄が、騎士団の仲間たちにボロボロにされる様をなぁ!」
絶望的な状況。グレイの甲冑は、色持ちの天使の攻撃にも耐えられた。いくら騎士団の人間が大人数で囲ったとしても、傷をつけられるようなものじゃない。
……けれど。グレイの甲冑もまた、その祈りによってできている。彼の祈りが揺らげば、その甲冑は脆くなる。あの甲冑があそこまでの強度を誇ったのは、相手があれほど強い色持ちの天使であったから。
この状況なら、大した労もなく英雄を殺せる。
英雄殺しという点において、レオンの策略は完璧だった。
「……だから、言ったじゃねぇかよ、馬鹿が」
「あぁ?」
囁くようなロウの声に、眉をしかめるレオン。ロウはそんなレオンを見て、笑う。
「器が違うんだよ、ばーか」
「お前は、なにを──っ!」
瞬間、レオンの身体に走る衝撃。なにが起こったのか、理解できない。確かに一瞬、ロウの言葉に耳を傾けた。けれどそれでも、0.1秒だってグレイから意識を外していない。何が起きても対応できるよう、常に備えていた。
なのに気づけば、地面に転がっている。……理解できない。何が、起こった。
「どうして、どうしてオレが倒れてる! このオレを見下すんじゃねぇ!」
そんなレオンに、グレイは告げる。
「貴様の戦い方は理解した。次で終わりだ」
その宣言は、まるで神の宣告のように厳かに響いた。
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