第32話 女王
「──こんにちは、随分と楽しそうな話をしているね。私も、混ぜて欲しいな」
そんな言葉と共に姿を現した女王、マリア フリージア。彼女の静かな笑みを見て、グレイもまた静かに言葉を返す。
「女王陛下。こんな場所に共も連れず、どういったご用件でしょうか?」
「いや、少し君と話がしたいと思ってね」
「用があるのならお呼び頂ければ、いつでも伺いましたのに」
「皆の前では、できない話がしたかったんだよ。……それに私は、偶にこうやってお忍びで街をうろつくことがあるんだ。誰も私の顔を知らないから、誰も私が女王だとは気がつかない。面白いだろ?」
先日、王座で見た時とは雰囲気が違う。しかしそのどこか浮世離れした空気は、思わず黙ってしまうような迫力がある。
「…………」
そして、ノアは思った。先ほどの話は聴かれていたのだろうか、と。女王を殺すと、グレイは確かに口にした。……いや、違う。自分が余計なことを訊いたせいで、口にさせてしまった。
もし聴かれていたのなら、いくら騎士団の団長といえど、許されることではない。グレイと自分は、女王の暗殺を企てた大罪人として扱われることになるだろう。……自分はともかく、グレイがそんな目に遭うのは絶対に許せない、とノアは強く手を握り締める。
「それで、女王陛下。このような場所にわざわざ足を運ばれて、私に何を訊きたいのですか?」
慎重にグレイが尋ねる。女王……マリアは、そんなグレイの問いに、露店でリンゴでも買うかのような気軽さで、言葉を返す。
「──君の魔剣が欲しい。それ、私にくれよ」
瞬間、辺りには広がる時間が止まったような沈黙。遠くで鳥が空へと飛び立ち、風に草木が揺れる。グレイは静かに口を開く。
「……お戯れを。騎士団の団長が魔剣の力を失えば、困るのは私1人ではありません」
「もしそれをくれるなら、君に私を殺させてやってもいいと言ったら?」
「言葉の意味が、分かりかねます」
「本当に? そんなことはないと思うんだけどね。他ならぬ君に、分からない筈はないと思うのだけれど」
ノアは息を呑む。グレイの魔剣の力が欲しいと言った女王。そして彼女は、それが叶うのなら自分を殺してもいいと、そんなことまで言ってのけた。
明らかに、先ほどの話は聴かれていた。そもそも一国の女王が、口にしていい言葉ではない。彼女が何を考えているのか、少しも理解できない。
「どうして天使が人間を襲うのか、君は知っているかな? グレイ」
そんなノアの混乱をよそに、女王は全く関係のない話を始める。
「……彼女たちには、産まれながらにしてそういった本能が備わっていると、そう教わりました」
「そうだね。生物は皆、例外なく他者から身を守る為に、敵対者を傷つける本能がある。けれど天使は、我々よりも強靭な肉体と力を持つ。産まれながらにして完成された肉体を持ち、小さな怪我ならすぐに治り、病にもかからない。食事すら必要ないんだ。まるで神のような生き物。そんな彼女たちが、どうして他の動物には目もくれず、必要に人間だけを襲うのか」
女王がゆっくりとグレイに近づく。敵意も殺意も感じないのに、思わず剣を構えたくなるような雰囲気。グレイは難敵を前にしたかのように、目の前の少女を観察する。
「彼女たちは探してるんだよ、神を。神に届く為の祈りを」
「申し訳ないですが、女王陛下。私は神などという存在を信じてはおりません」
「教会の方が聞いたら、さぞお怒りになるだろうね、それは。彼らにとって魔剣とは、神がもたらしてくれた力なのだから」
女王の手がグレイの甲冑に触れる。それだけ距離が縮まれば、今のグレイなら瞬きする暇もなく女王の首を斬り飛ばすことができる。女王を守護するナインガードも、ここにはいない。この場にいるのは、グレイと女王とノアだけ。
「…………」
そんな状況に、ノアは思う。仮にもし女王の能力が本当に不老不死なのだとしても、グレイならその能力ごと斬り飛ばせるのではないか、と。それこそ、無敵とも思えた再生力を持つ色持ちの天使を、グレイはその大剣で斬ってみせた。
本当にグレイの目的が復讐だけなら、今は千載一遇のチャンスだ。……逆に今を逃せば、いつこんなチャンスが巡ってくるか、分からない。
「あと必要なのは君の魔剣だけなんだよ、グレイ。それさえあれば、本当の神に手が届く。真の意味で、この世界に平和をもたらすことができる」
「女王陛下のお考えは、私には理解できかねます」
「簡単なことだよ。君にはね、平和の礎になって欲しいんだ。彼の英雄と同じように。死んでいった彼女たちと、同じように。……君は、知っているのだろう? そうしなければ、この世界の均衡は保てない」
女王はまるで恋人を愛撫するかのように、グレイの甲冑に指を這わせる。
「君は復讐を果たせて、皆の為の英雄にもなれる。それ以上に、望むことも誇らしいこともどこにもない筈だ。君がいくら頭を悩ませても、私以上の答えを出すことはできない。そうだろ?」
脳みそに溶け込むような、女王の言葉。こちらの考え全てを見透かしたような、その瞳。彼女は優しい笑みで、グレイの正体を知っているかのようなことを言い、自分を殺せと甘言を吐く。
或いは、今と同じような手段でアリカ ブルーベルの魔剣を奪ったのか。そうやって、800年もの間、王座に座り続けたのか。ノアの胸に、熱い怒りと恐怖が募る。……悠久の時を生きる生粋の魔女。
「…………」
そんな魔女に、グレイは言った。
「──私に触れるな、下種が」
兜の隙間から一瞬見える、黄金の瞳。敵意や殺意ではなく、害虫でも見るかのような冷たい瞳。女王は思わず、手を離す。悠久の時を生きる魔女ですら、英雄の瞳は恐ろしい。
「……あはっ、あははははははっ! 君は変わらないね! そうでないと、面白くないよ!」
女王は笑う。心底から楽しげに、彼女は笑う。
「どうしてアリカ ブルーベルが、私に魔剣を差し出したのか。君はそれを知っている筈だ。君は私を知っている。しかし君はまだ、この女と私の違いを理解していない!」
まるで先ほどまでとは、別人のような雰囲気。どうして彼女が笑っているのか、それは誰にも理解できない。ただ静かな朝に、楽しげな笑い声だけが響く。
「それで、女王陛下。要件が済んだのでしたら、訓練に戻ってもよろしいでしょうか?」
「残念だけど、そういうわけにもいかない。なんせ君は、この私を暗殺しようと考えている。そんな人間を、このまま放置することはできない」
「なら貴女は……この国は、私と戦うと言うのですか? 貴女を守護するナインガード。あの程度の連中で、本当にこの私に勝てるお思いなのですか?」
グレイの言葉は、あくまで淡々としている。しかしだからこそ、その言葉の裏には圧倒的な自信がある。
「彼らをあまり、甘く見ない方がいい。……と、言いたいところだけど、君を相手にするとどうかな? あの色持ちの天使を単独で撃破した君に、彼らが勝てるとも思えない。……無論、それは君が全力を出せるのなら、の話だけど」
「…………」
「果たして君は、復讐の為に英雄の力を使えるのかな? 君の復讐に直接関係していない彼らを、君はちゃんと殺せるのかな? ……グレイ。君はまだ、勘違いしているようだね」
「勘違いとは、どういう意味でしょうか」
「言葉の通りだよ。私がその気になれば、そこのノアの家族を無実の罪で処刑することだってできる。君は覚悟を決めているだろうが、君の周りはどうかな? あの英雄を貶めたように、今度はそこの少女が辱めを受けるかもしれない」
女王がノアを見る。奈落のように底が見えない瞳。それでもノアは、なんとか言葉を返す。
「私も……覚悟を決めています。グレイの為なら、地獄にだって落ちる覚悟を……」
「……なるほど、そうか。人を惹きつける英雄の側にいては、魅了されるのも仕方ない。分かった。じゃあ、落ちてもらおうかな。地獄の──」
「──いやいや、馬鹿だなぁ。地獄に落ちるのはお前だよ、性悪女」
背後から響く声。女王の心臓に突き刺さる刃。聖女、ヴィヴィア フォゲットミーノットが、ハルトの魔剣……なんでも斬れる剣を使い、女王の心臓を貫いた。
「さて、さっさと逃げようか、そこのお二人さん。国は今、大変なことになってる」
響く声はいつもと変わらず、とても楽しげだった。
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