第30話 転生
「あー、くそっ……!」
ハルトは重い身体をなんとか引きずりながら、狭間から抜け出る。視界を遮る黒い霧と薄い空気。いつもなら気にもならない、小さな異常。なのにハルトの額から、大粒の汗が溢れる。
もし仮に天使にでも襲われたら、今のハルトではどうすることもできずに殺されていただろう。……幸いにも、色持ちの天使リゼンノートが辺りの天使を殺し尽くしていたお陰で、ハルトは無事、狭間から抜け出ることができた。
「今頃、どうなってんだろうな……」
まだ濡れている下半身。止まらない震え。あんな怪物の前ではいくらティアやアニスでも、勝ち目があるとは思えない。きっと今頃、あの国は滅びているだろう。
「所詮、ゲームの世界だ。関係ねぇよ」
吐き捨てるように呟く。……ここでなら、1番になれると思った。今度こそ、ヒーローになれると思った。けど、そんなものはただの思い上がりで、結局、自分はどこまでいってもモブだった。
やり直すチャンスを得ても、力に酔って本質的に変わろうとしなかった人間が、英雄に取って代われる筈もない。
「随分と調子が良さそうじゃないか、おにーいさん」
そんなハルトの前に現れたのは、教会の聖女、ヴィヴィア フォゲットミーノット。彼女はいつも通り心底から楽しそうな笑みを浮かべ、ハルトに近づく。
「……何の用だ。俺は今、機嫌が悪いんだ。失せろ」
「あはははっ、怖い怖い。流石はあの英雄、アリカ ブルーベルの代わりを務める男だ。覇気が違うね、覇気が」
「黙れ。殺すぞ」
「なんだよ、不機嫌だな。せっかく、今の状況を教えに来てあげたのに。……って、あ。濡れちゃってるじゃん、もしかしてビビってお漏らし──」
「黙れっ……!」
ハルトがヴィヴィアに斬りかかる。しかしその動きには洗練さのかけらもなく、ヴィヴィアは踊るようにハルトの剣をかわす。
「冗談冗談。……それよりちょっと、大切な話。あの国がどうなったのか、知りたくない?」
「……どうせ滅びたって言うんだろ? もう興味はねぇよ」
「いやいや、そうじゃない。英雄の帰還により、天使は討たれた。多大なる犠牲は出たが、あの国は無事、守られた」
「え、英雄の帰還⁈ ありえねぇ! アリカ ブルーベルは……あの怪物は! お前が確かに、殺した筈だろ! ……まさかお前、殺したなんて言って匿ってやがったなぁ!」
「どうかな。ボクはボクがやりたいことを、やりたいようにやってるだけ。……君と同じだよ、ハルトくん」
ヴィヴィアの纏う雰囲気が変わる。知らず、ハルトは一歩、後ずさる。
「……くそっ。それでお前は何をしに来た! 無様に震える俺を、笑いにきたのか!」
「いやいや、違うよ。確かにティアちゃんみたいに、君を壊して遊ぶってのも悪くない。……けど、君もう壊れてるじゃん。今さらボクが何を言っても、無様なのは変わらない」
後ずさったハルトに、ヴィヴィアは一歩、近づく。殺意も敵意も感じないが、その目の奥は思わず震えるくらい冷たい。
「君は放っておくには、危険すぎるカードだ。あの女の考えは読めないが、今の君……というか、その魔剣まであいつに抑えられるのは不味い」
「あの女? 何を言ってる、お前は──」
「さて問題です、ハルトくん。君と同じ転生者は、この世界に何人いるでしょう?」
「────。お前、どうしてそれを……!」
自分が転生者であることを、ハルトは今まで誰にも言ってはいない。そんな話、とても信じられるようなものではないし、何よりそれを話すということは、唯一のアドバンテージを捨てるということ。
未来を予言するようなことを言えたのは、自分が優れているからではなく、ただ知ってるだけだということがバレてしまう。
「どうしてって、ボクもそうだからだよ。ボクも君と同じ転生者だ。気づかなかったろ? ボクは君と違って、慎重派だからね」
「お前、それ本気で……!」
「『悠遠のブルーベル』だろ? ボクも大好きだったからね。すぐに気づいたよ」
「……でもお前は、ヴィヴィア フォゲットミーノットのままだ。性格も振る舞いも、ゲームと全く同じじゃないか!」
「知ってるんなら、同じように振る舞える。そもそもボクってば、元々こういう性格だしね」
「……前世では、友達いなかったろ?」
「いたよ。みんなすぐに、いなくなっちゃったけど」
ヴィヴィアは笑う。それはゲームと少しも変わらない、聖女の笑み。
「ま、そんなわけでボクは、すぐに気がついた。君がボクと同じ転生者であると」
「……だったらどうして、放置したんだ」
「興味なかったしね。君もいろいろ目に余ることはしてたけど、最初は別にどうでもよかった。ボク、このゲームは好きだけど、ヒロインは普通に嫌いだったし」
「なら今さらどうして、俺なんかに構う? ……英雄が帰って来たんだろ? あのチート主人公が、怪物みたいなあの天使を倒したんだろ?」
「そうだけど……それも、あの女の計画の一部かもしれない。あの女が何を考えているのか、このボクをもってしても分からない。君みたいに色と欲で動くような俗物なら、どうとでもできる。けど、あの女が何を考えているのか、何をしようとしているのか。ボクにも想像がつかない」
「……誰だよ、その女って。まさか、そいつも転生者なのか?」
「そ。多分、最初の転生者。君やボクの行動すら、あいつの手のひらの上。マリア フリージア。この国の女王だ」
「────」
ハルトは息を呑む。ハルトは騎士団の副団長として、何度か女王に謁見したことがある。その雰囲気、その言葉。あらゆる全てに、前世では感じたことがない程の威厳を感じた。自分と同じ世界から転生してきた者が、あんな雰囲気を出せるものなのだろうか?
「だからさ、ハルトくん。君のその魔剣まで、あの女にくれてやる訳にはいかないんだよ。ただでさえ、あの女は2つの結晶を手にしている。それに君のまで渡っちゃったら、いくらお兄さんでも手に負えない……かもしれない。ま、それこそ余計な心配なんだろうけど」
「……お前、俺を殺すのか?」
「そのつもり。英雄殺しはボクの特権だから。と言っても、君は英雄もどきなんだけど」
ヴィヴィアの手に魔剣が生成される。しかしハルトは剣を構えることもなく、その場に座り込む。
「なんだ、諦めるの? 君、俗物で凡人でつまんない奴だけど、その魔剣だけは強いでしょ? あと10年くらい全てを捨てて訓練すれば、あの色持ちの天使とも戦えるかもしれない」
「その天使ですら、あの英雄が倒しちまったんだろ? ……はっ、今ならアニスやティアの気持ちがよく分かる。そんな怪物が側に居たら、劣等感でおかしくなるのは当然だ」
「他人事だね。君が余計なことをしなければ、彼女たちは英雄の側でそれなりに幸せな人生を送ることができた。君みたいなモブが英雄に取って代わろうとしたのが、そもそもの間違いだった」
「……だろうな。だからもういい、殺せ」
「なんだ、つまんない反応。もっと無様に喚いてくれないと、やる気おきないんだけどなー」
ハルトはもう、全てを諦めていた。あの天使を前に無様に泣き喚いた時から、彼の心は折れてしまった。今さら騎士団に戻ったところで、前のように振る舞うことはできない。そもそも英雄が帰って来たのなら、自分の居場所などもうどこにもないだろう。
「そうだ、聖女。最後に、ティアとアニスに伝えてくれないか? ……悪かったって」
「あー、それは無理。だってあいつら、もう死んじゃったから」
「……! は? 英雄が帰って来たんだろ? なのになんで、あいつらが……!」
「半分は君のせい。もう半分は自業自得だね」
「くそっ……!」
ハルトは走り出す。ヴィヴィアなんて見えていないかのように、全速力で国に向かって駆け出す。
「……ま、いっか。必要なものは回収できたし、あのモブ自身には興味はない」
いつの間にかヴィヴィアの手に握られていた、小さな指輪。どこかの誰かの祈りの結晶。
「さて、こっからあの女がどう動くか、だな」
と、ヴィヴィアはやはり笑った。
そして、国に戻ったハルトは見た。壊された街。響く絶叫。赤い血の上に倒れる、大切だった2人の少女。
「アニス、ティア……!」
重なるようにして倒れた2人。ハルトは急いで、少女たちに駆け寄る。けれど2人はもう、ピクリとも動かない。
「……違う! ティアにはまだ、息がある! 大丈夫、今から俺が治してやる! 大丈夫だからな!」
慌ててティアを抱き抱え、そのまま教会まで運ぼうとするハルト。そんなハルトに、ティアは掠れる声で言った。
「──誰だよ、お前」
「…………え?」
前世で死ぬ直前、最後に思い出した言葉。ずっと胸を痛め続けたトラウマ。好きな子に告白したあと、返ってきた台詞。自分がモブであることを否応なしに自覚させる、最低な言葉。
そんな言葉が、ティアの口から溢れた。
「……あ」
そして、同時に感じる腹部の痛み。斬撃を操る、ティアの魔剣。最後に残った力を振り絞り、ティアはハルトを斬った。
「あいつを、傷つけた奴は……殺さなきゃ……。あたしが、殺さなきゃ、ゆるして……くれない」
うわごとのように呟くティア。彼がハルトだと分かって斬ったのか。それとも誰でもよかったのか。それはもう判別がつかない。けれど、その言葉と痛み。今のハルトの心を折るには、それだけで充分だった。
「……結局……結局、同じじゃねぇかよ……」
今度こそ完全に、ティアの身体から力が抜ける。そんなティアに斬られたハルトもまた、地面に倒れ伏す。
「……なんだったんだろうな、俺の……人生……」
誰かを蹴落とし、自分の為だけに生きようと決めた。もうモブにはならないと、そう心に誓った。なのに自分の死に様は、前世と何も変わらない。天使の襲撃とすら関係ない、こんなつまらない死。
「もし、次が……あるなら……」
ハルトは遠い青空に手を伸ばし、小さく笑う。
「……もう、いいや。俺は……もう、いい……」
結局、自分はどこまで行ってもモブなんだ。そんな辛い現実を前に、ハルトの意識は途絶えた。
◇
外の惨状を感じさせない静謐な王城の一室。その一室で、女王、マリア フリージアは2つの魔剣の結晶と、そして……ドクンドクンと高鳴り続ける心臓を前に、静かに笑う。
「──さて、そろそろ始めようかな」
その笑みは誰にも似ていない、壊れたような笑みだった。
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