第29話 決着



「──貴様を殺す者だ」


 堂々と告げ、グレイが地面を蹴る。


「あはっ、できるもんならやってみろよ!」


 そんなグレイを前に、天使、リゼンノートが天を駆ける。2人の速度はつい先程とは比較にならず、剣と拳がぶつかっただけで、辺りの木々が砕け散る。


「痛った……。何であたしに、傷がつくんだよ!」


 天使の手から流れる青い血。その程度の傷はすぐに再生するが、今の自分に傷がつくというのが、彼女には信じられない。


「生きているのだから、傷がつくのは当然だろう!」


 どこか楽しげに見えるグレイの表情。消し飛んでいた筈の右腕は既に再生しており、英雄と同じ見るもの全てを魅了するその外観で、彼はただ剣を振るう。


 激しい戦闘。他の追随を許さない殺し合い。英雄と怪物の食らい合い。


「……偉そうなこと言っておいて、私じゃどうにもできないわね」


 そんな2人から離れた場所で、ノアは小さく呟く。


 甲冑の中から現れたアリカ ブルーベルに酷似した人間。ずっと甲冑を覆っていたグレイの正体。それは想像通り、死したアリカ ブルーベルの魔剣の結晶なのだろう。彼はその祈りから蘇った。


 ……無論、それに疑問がない訳ではない。アリカ ブルーベルは、その命を奪われる前に魔剣の能力を失っていた。それなのに彼の死後、その祈りは結晶になるのだろうか?


「……ううん。今はそんなの関係ない」


 理由はどうあれ、目の前の現実は泣いてしまうくらい嬉しいものだ。彼の力になりたいという夢が、ようやく叶う。……その筈なのに、今のノアでは何もできない。遠い昔に助けられたあの時から、必死になって訓練を続けてきた。なのに全く、彼の助けになれない。


 そんな想いが、ノアの胸を痛める。


「でも……」


 それでも、嬉しさの方が優ってしまう。またあの後ろ姿を見ることができた。眩く輝く黄金が確かに今、ここにいる。なら絶対に負けることなんてあり得ない。



 曰く、アリカ ブルーベルの魔剣は、絶対なる勝利が約束されているという。



 最強の魔剣。無敗の力。彼が魔剣を握れば、敗北の2文字はない。騎士団内では、まことしやかにそう囁かれていた。しかし無論、そんな都合のいい能力は存在しない。現に彼は『悠遠のブルーベル』というゲームにおいて、少なくない数の敗北を喫している。バッドエンドの数だけ、彼は敗北している。



 なら一体、彼の能力は何なのか。



「消えろよ! 人間っ!」


 グレイの腕を消し飛ばした魔力の放出。先程より更に集まった圧倒的な熱量が、グレイに向かって降り注ぐ。


「この私に、同じ技が二度も通じると思うな!」


 山すらも軽々と消し飛ばす熱量の塊を、グレイはたった1本の剣で両断する。通常ならあり得ないその芸当。彼の剣は不可能を簡単に可能とする。


「さっきのお返しだ、天使!」


 そしてそのまま地を駆けたグレイが、天使の片腕を斬り飛ばす。


「くっ……!」


 腕はすぐに再生する。けれど、永遠に成長し続ける筈の天使が、速さでも力でもグレイに差をつけられ始めている。……理解できない。


「何なんだよ、お前! 何なんだよ、お前は……!」


 天使が飛翔し、暗い空に立つ。広がった真っ黒な翼。光を拒絶する白い肌。全てを飲み込む奈落のような、深い瞳。絶対的な強者として、数百年ものあいだ生きてきた彼女。そんな彼女とまともに戦えたのは、リーリヤという彼女と同じ色持ちの天使だけ。


 そんなリーリヤも、彼女はいつしか殺してしまった。ドクンドクンと死してなお高鳴り続ける、リーリヤの心臓。リーリヤはいつかまた蘇って自分と遊んでくれる。それだけを楽しみに、彼女は悠久の時を生きてきた。


「……あぁ、楽しい!」


 だから、震える。こうして今やっと全力を出して戦えることに、彼女は歓喜の笑みを浮かべる。


 リゼンノートの魔界の能力。殺したものの使役。永遠の成長。どちらも単独で見ても、強力な力だ。しかし彼女の真の奥の手は、そのどちらでもない。彼女の魔界には3つ目の能力が存在する。



 それは『進化』。



 永遠に成長し続ける彼女が、今目の前の脅威を倒す為に自身の全てを作り替える。それを使ったのは、リーリヤという天使を殺した時だけ。数十年に一度しか使えない奥の手。それを発動すれば他の2つの能力はしばらくのあいだ使用できなくなり、彼女は2つの翼を失うことなる。


 でも、それほどの価値が目の前の男にあると思った。そうしなければ勝てないと、彼女の本能が悟った。


「ああ! あああっ! ああああああああ……!」


 一瞬で、天使の全てが作り変わる。保有する魔力の質が変わる。加速度的に成長してもなお追いつけないと悟った天使の力が、全く別のものへと変質する。次世代の更なる存在へと、彼女は今、進化する。



 ……けれどその瞬間、彼女は見た。

 


「……なんだ、これ」


 正しく進化する為には、凡百の生物と同じ突然変異では駄目だ。ただの環境への適応でも足りない。正しく相手を観察し、正しく敵を理解し、正しく相手を殺し尽くせる力でないと意味がない。


 だから彼女は一瞬で、目の前の男を観察した。グレイという男の本質を探った。まるで時を止めるように、一瞬で全てを観察し尽くす。それが進化の絶対条件であり、だから彼女は英雄の力の本質が理解できてしまった。



 グレイの……アリカ ブルーベルの魔剣の能力は、『不変』である。



 彼の剣は、何があっても折れない。ただそれだけの能力。ハルトが使っていた何でも斬れる魔剣とは、似て非なる力。ただ、折れないだけの剣。それで彼は、どうしてこんなにも強いのか。折れないだけのたった1本の剣で、彼はどうやって英雄になったのか。



 理由は1つ。



 ただ、違うのだ。生物としての格が違う。秘めたる力に際限がない。どれだけ成長しても勝てなかったのは、ただ単に持って産まれたものの差。天使とか人間とか種族の差ではなく、魔剣とか魔界とか能力の差でもない。



 産まれる世界を間違えた。



 そう言うしかないほどの、比類なき力。持って産まれたものが違い過ぎる。英雄に敗北があるとするなら、それは彼自身が自分の力を信じられなくなった時だけ。


 自分の力を信じ続ける限り、英雄に敗北の2文字はない。


「ぐっ、あ……!」


 絶対的な頂点に、進化する先などない。それに気がついてしまった彼女の進化は、とても歪で化け物としか形容できない異形となる。……しかしだからこそ、それは英雄をも打倒しうる力となった。


 完璧の剣を打倒しうるのは、未完の刃しかない。


「あああああああああああああああああああああっ……!」


 既に、人のものでも天使のものでもない絶叫。黒い翼は抜け落ち真っ黒な骨だけが残り、肌が溶けるように暗い闇が溢れ出す。


 声を聴いただけで、辺りの草木が枯れる。岩は溶け、地面は崩れ、空気すらも彼女に触れることができない。


「離れていろ、ノア。次で終わらせる」


 そんな異形を見ても一切揺るがない、自信に満ちた声。化け物を超えた化け物になった天使を前に、それでも彼はただ剣を握る。


「……貴方の勝利を信じてる」


 ノアはそれだけ言って、更に2人から距離を取る。グレイはそんなノアを見送って、天空に立つ天使だった怪物を見つめる。


「さて、終わらせようか」


 剣を構え、グレイが地面を蹴る。


「ああああああああああああああああああ……!」


 天使もまた狂った叫びを上げながら、天を蹴りグレイに迫る。


 天使の身体から闇が溢れる。その一滴一滴が、先ほど山を吹き飛ばした魔力の放出より遥かに高い熱量が込められている。そんなものが、雨のようにグレイに降り注ぐ。


「はっ──!」


 しかしグレイは静かにその全てを両断し、返す刃で、天使の首を斬り飛ばす。


「眠れ、天使」


 瞬きすら許さない一刀。あらゆる進化の先にある異形すら太刀打ちできない、圧倒的なまでの個。成長でも進化でも辿り着けない、別次元の極地。



 勝敗を分けたのは、単純な力の差。



「私の剣に、勝利が約束されている訳ではない。ただ、負けないから英雄なのだ。折れないから英雄なのだ。……覚えておけ」


「…………あ」


 粉微塵にされても再生できるほどの再生力を持つ天使。その天使をもってしても再生できない、魂そのものを切り飛ばすような一撃。その一撃を受け、天使はあっけなく敗北する。


「終わったな」


 当たり前のようにそう呟き、グレイは剣を鞘に仕舞う。辺りを覆っていた暗い魔界が晴れ、陽の光が眩い黄金の英雄を照らす。……いや、違う。いつの間にか再生した黒い甲冑を照らす。


「……どうしてまた、その甲冑を着るの?」


 と、ノアが問う。


「私は英雄ではない。私の復讐は、まだ終わっていない」


「復讐っていうのは、騎士団の人たちに?」


「違う。……彼女たちのことは恨みはするが、殺す程でもない。そもそもそれは、1人の人間が仕組んだこと。私がどうしてもこの手で殺さなければならないのは、そいつだけだ」


「……それは、誰なの?」


 ノアが見上げるようにグレイを見る。グレイは一瞬だけ辺りの気配を探り、側に誰もいないのを確認してから、その名前を口にした。



「マリア フリージア。この国の女王だ」



 そうして、戦いは幕を閉じた。


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